筈見一郎著 「猶太禍の世界」15

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英の軍需工場ヴィッカース

殊に英国のヴィッカースがその後軍需会社として世界に君臨するに至ったのは、実にザハロフ(英国で遂にナイトの称号を許されたサー・バシル・ザハロフ Sir Basil Zaharoff)その人の全く比類を絶した数十年間絶えず暗(や)みに躍り続けた国際的怪腕のお蔭であった。

若しイギリスが「議会政治の生みの母親」と称せられ得べくば、ヴィッカース会社は、その「議会の継母」であると断言し得るのである。ヴィッカース会社の創立者は、もと、ドイツのクルップ会社の見習い工を勤めたタマス・イー・ヴィッカースである。その武器製造を始めたのは、一八六〇年頃であった。そうして、間もなくイギリスにはなくてはならぬ存在となった。

この会社はイギリスの海外発展が目覚ましくなるにつれ、南北アフリカで巧みにその侵略政策により植民地を築き上げたセシル・ローズ(英国系ユダヤ人)の成功に刺戟され、積極的にその武器を輸出するようになった。このヴィッカースは、速射砲の外、その特許品である「ポムポム」と言われたマキシム機関銃をば、ザハロフの手を経て、イギリスに対し叛旗を掲げたボーア軍にさえ売り込み、これがため英軍は一時敗北に帰したと言う売国的行為を敢えてしたことは、有名な話である。

日清戦争にはヴィッカースは未曽有の金儲けをした。当時、日本の陸海軍はその最大の得意先であったことは申すまでもないことである。

だが、日露戦争ではさらに比較的の出来ぬボロい利益を得た。日本へ売り込んだのみか、日本の敵のロシアへも盛んに売り込むのを決して忘れなかった。

その眼中には、日英同盟(明治三十五年一月締結)も何もあったものではなかった。ヴィッカースは国際取引の甘い汁を、かくて、存分に吸った。

 

英の軍需工場アームストロング

この前後に、ヴィッカースの強敵が偶々(たまたま)現れた。それは外でもないアームストロング会社であった。後に、英国の軍需会社の双璧として、ヴィッカースと並び称されるこの会社は、アール・エム・トムソンという、ザハロフに劣らない位の凄い腕の販売員があったため、ウンと発展するに至ったのである。

このアームストロングも日本へ日清日露の両役(えき)に当たり、しこたま、その武器を売り込んだ。その南米諸国への発展も侮ることが出来ぬものであった。トムソンはあのマソンの息のかかっているロンドンタイムスの特派員だという触れ込みで、その実、アームストロングの武器を盛んに売っていた。

この男は一九〇四年(明治三十七年)アームストロングを相手取り、未払い俸給手数料賠償請求の訴訟を提起しセンセーションを惹き起こし、タイムスの特派員と言うのは表面だけで、彼がその実アームストロングの私設大使格なることが世間にパッと判ってしまった。トムソンはアルゼンチンとチリとの間に戦雲漠々たるとき、特にチリへ軍艦を売り込んで巨利を収めたのが、その最初の事業であった。

現在ではヴィッカースとアームストロングとは合併されて一つの会社となり、英の猶太財閥にその完全なる実権を握られ、何よりの金穴(きんけつ:ドル箱のこと)となっているのである。

 

アメリカのモルガン商会

アメリカのモルガンと謂えば、紛れもないユダヤ人だ。その傘下に属して居るのが、既に述べたデュポン会社、ベツレヘム鋼鉄会社、ユウ・エス鋼鉄会社、その他、アメリカで一流どころの銅、石油、電気器具、機関車、電信電話等の会社は皆モルガンの幕下(手下)に属して居る。

そればかりか、日本の横浜正金のような財的地位にあるナショナル・シティ銀行、コーン・エクスチェンジ銀行、チェース・ナショナル銀行その他一流の諸銀行が皆モルガンの直接間接の統制下にある。これらの銀行とタイ・アップしてモルガン系の軍需工場がアメリカに活躍しているわけである。

そう言う偉大なモルガン財閥の本拠と言えば、あのニューヨークの高さ天を凌駕するかと怪しまれるようなスカイ・スクレーパーの五十階乃至百階を下らぬ、例せば、クライスラーとかウール・ワース乃至はゼネラル・モータースなどの摩天楼が、ずらりと並んだ街の中でも、格別、目立つ建物を占めていると誰しも思うであろう。ところが、豈(あ)に図らんや、我々の想像とはそれが、まるで正反対なのであるから吃驚(びっく)りせざるを得ない。

そのモルガンの本拠と言えば、裏には、二、三階があるが、全体としては平家建てとしか見えない旧式な、ビルとは決してお愛想にも言えない家屋であり、それが、まるでそれ自身多くのスカイ・スクレーパーの千仞(じん)の谷間に落ち込んでいるかのように、あのブロードウェイとウォール・ストリートの交叉点の角っこに、哀れな今はまるで流行らぬ前世紀の遺物その儘の姿を、そっくり、とどめているのだ。これがあの大モルガンの心臓乃(すなわ)ちアメリカそのものの生命の源だとは誰に思われるであろうか。

表面から言うと、既往十ヶ年のアメリカの歴史は、この主人公のモルガンとルーズヴェルトとの闘争の歴史だったと評し得るかも知れない。

即ち、それは、ウォール街(ニューヨークの株式街)とホワイト・ハウスとの間に醸されたオールマイティー弗(ドル)と所謂ニュー・ディールの争いの歴史だったと言う人があるかも知れない。

少なくとも外患はそうに違いなかった。ルーズヴェルトが大衆の力強い圧力とやらに掉さして、あのアメリカの大恐慌時代(一九二九~三二)に、モルガン財閥を美ん事(見事)、叩きのめし、彼をばアメリカの第一線から、あの狭いウォール街の一角に屏息(へいそく)させてしまったかのように見えたのであった。

ところが、今度、独伊と英仏(後にフランスはドロップしたが)との戦争が、おっぱじまった。

それでルーズヴェルトはそのたった向こう一ヶ年二ヶ月に費消すべき七十億ドルと言う凄まじい予算案を含む援英武器貸与法案を到頭(とうとう)遮二無二アメリカのコングレスやセネートをば通過せしめるのに成功せしめた。あの孤立派の指導者と言われるポイーラー(ウィーラー)上院議員は、これにつきルーズベルトとモルガンとの暗黙な了解につき左の様な暴露のテーブル・スピーチを先般その友人の邸でしたという。

 

「自分は七十億ドルの数字には別に驚かない。これはルーズヴェルトが、ヨーロッパ戦争をたきつける、ほんの序の口に過ぎないからだ。アメリカの納税者は既にル大統領にあのような、どえらい権限を与えてしまった今日では、我々は最悪の結果の来るのを覚悟しておらなければならない。

恐らく我等の納税額が現在の二倍となり、公債発行額の最高限度も今の六百五十億ドルから一躍一千億ドルに改定される日のくるのも遠くはあるまい。

これこそは、正にモルガン財閥と、國際銀行家たちの何よりも希望している事柄である。」

 

そうだとすると、前の大戦の時、アメリカ参戦の口火を切ったモルガン財閥が、今度こそは六百五十億ドルの公債と一緒くたに、又もや、ライムライトを浴びて驚く大衆の前にカム・バックしたわけである。

さて現在、アメリカの財界は、ひっくるめていうと二つの主要な系統に截然と(せつぜんと:はっきりくっきりと)別れるのである。

一つは言うまでもなく、英米の金融をその一手に握るジェー・ピー・モルガンのモルガン銀行系統、今一つは、アルドリッチ(この人の妻君は猶太人大富豪ロックフェラーの当主の娘だ)を重役会長とするチェース・ナショナル銀行系である。しかし、既に述べた如く、そのチェースすら、結局のところは間接に大モルガンに包括されてしまうのであるから、アメリカの財界は、全く、モルガンの思うままに動くより外はないのである。

だが、兎に角、この二大系統に分ける方が現在のアメリカ財界のことを述べるのに甚だ都合がよい。既に一寸触れて置いた如く。例のナショナル・シティ銀行を始め、ギャランティー・トラストを始め無慮五十一銀行、八十六会社、この総資産はざっと、四百六十二億ドルと註されるものが、凡てモルガンの直接の支配下に入るのである。この中から、外国会社の資産に属する三十億ドルを除くと、跡の四百三十二億ドルと言うものは、モルガンの純アメリカ資産であって、これは、アメリカのあらゆる銀行会社資産の約六分の一に該当するわけになる。

猶、多少とも、モルガンの支配に関係する他の銀行会社を入れたら、その純資金七百七十六億ドル、その外国資産に属する五十億ドルを除いたにしろ、差引、七百二十六億ドルある。これは実にアメリカ全会社の富の四分の一以上に当たるわけである。もし、それ、チェース系やその他の間接にモルガンの勢力下に入って来るものを数え立てるとすると、もうきりが無くなってしまって、うんざりしてしまうこと必定である。

ゼネラル・モータースがモルガン系、鉄道および運輸会社が都合十四、電信、電話、電灯、ラジオなどの公共事業会社が都合十三、その雑産業十四等々とモルガンの指導権を握っているのが却々(なかなか)に多い。一般に「アメリカ六大家」と呼ばれるロックフェラー、フォード、ハークネス、ヴァンダービルト、メロン、デュポンなどに比べると、モルガン家個人の富は、ロックフェラー、メロンは愚か、フォードよりも少ないかも知れない。だが、モルガンがアメリカ財界に揮っているその強大な金融権力に至っては、いくら、ロックフェラーやフォード等々が束になってかかっても全然角力にはならないのである。

これらのアメリカの財界人は、世界の富の八割を積み上げ、その黄金は、昨年七月の発表によれば、アメリ財務省の下に保有の金二百億一千四百八十二万余ドルを計上し、世界産出の金の四分の三以上だと言われる。因みに現アメリカ財務長官のモーゲンソーは名うての猶太人である。さて、モルガン商会の一番番頭は誰かと言うと、タマス・ラモントと言う、シカゴの新聞記者あがりの男で、それが、いつの間にか、大モルガンの筆頭重役とまでのし上げたのである。もう七十あまりの老人である。

このラモントの娘コルリスは社会主義者の夫を持って居るが、ラモントがそれを一向介意しないところ、流石に猶太財閥の番頭らしい面目が躍如としているではないか?

 

なぜアメリカは前の大戦に参加を決定したか?

一九一四年、世界大戦が勃発したが、アメリカのウィルソン大統領は中立を宣言した。それから四年経った一九一八年休戦条約がサインされた時分、アメリカには二万一千人の戦時成金が出来、一株二十ドルしたデュポンの株が一千ドルに暴騰していたばかりか、ジェー・ピー・モルガンはこの最初の二カ年間に、亡き親爺のモルガンが一生かかって作り上げた資財より遥かに多い金を儲けていたのであった。ところが、人も知る如く、ドイツは驚くべき忍耐力と潜勢力とで二ヶ年間も十倍もの敵を四面より受けて少しも屈せず、あらゆる方面に連合国よりも卓越した武力を示した。

それまでに、アメリカは既に二ヶ年間も莫大な軍需品や物資を無抵当貸金の形式で連合側へどしどし送り続けた関係上、こう英仏などがドイツに敗けてばかりいては、末は一体どうなるのであろうか?折角、貸したものは、果たして、後になって取れるであろうか? 心配で心配でたまらなくなった。

こうした憂慮が、期せずして、アメリカの各方面に起きるや否や、ウォール街では、忽ち前途を悲観して、それまで羨望の種となっていた軍需株が、俄然軟化して甚だしいのは五十ポイントまで暴落し、財界は忽ち大混乱に陥った。就中、モルガン財閥は色を失ってしまった。彼等は、そこで、手を変え品を替え、時にはその独特の圧力を政府に加え、輿論さえも製造して、アメリカの即時参戦の絶対的必要なる所以を大手からめ手から頻りにウィルソンに説いた。

ウィルソン大統領は、一九一七年四月十六日、遂にその歴史的な宣戦布告をドイツに対して行った。ために軍需株は又もや一斉に暴騰した。この日程、ウォール街の猶太人の金持ちに驚喜を与えたことはなかった。彼等は手の舞い足の踏むところをさえ知らなかった。

就中、ナショナル・シティ―銀行の頭取猶太人ヴァンダーリップの如きは「それは百パーセント(因みにこの百パーセントという言葉そのものはこうした何事も算盤で行くアメリカ猶太人の言い出したことなのであった)アメリカ式である」と、ウィルソン大統領のこの引きずられた果断を大いに賞揚したのであった。

このところ、ウィルソンはアメリカの歴史あって以来未曽有の絶大な人気ある大統領とまで謳われた。だが、このウィルソンは哀れなるかな、実のところ、また、マソンの傀儡でしか、あり得なかった。

かく声を大にしてアメリカは参戦したものの、どうしても船のやりくりが付かず、精々五千人の陸兵しか欧州へ送られなかった。またその飛行機で戦線の上を飛んだものは一台だってありはしなかった。ドイツは、何も戦いそのもので敗けたのではなく、極端な物資の不足に付け込んで、国内の猶太人が潜かに企てた銃後思想の攪乱のために、遂にあのただでさえ無念千万な屈服を遂に余儀なくされてしまったのであった。兎に角、現在のアメリカでは、ウィルソンの時代と露かわらず、否、それ以上に輪をかけて、ウォール街の王様のモルガンの勢力と言うものはアメリカを思うままに動かし、ルーズヴェルト大統領などは全然それに頭が上がらぬと言うのが偽らぬ真相である。

これにアメリカの軍需王クヌードセンその他の一、二枚を加えれば、米国の最高の実力のスタッフが出来あがるわけである。

 

ジョン・ルイスとウィリヤム・グリーン

尤も、ここに同じくアメリカの実際勢力として無視できぬものにその労働界の二大立役者であるC・I・O(産業別労働組合連合会)のジョン・ルイスとA・F・L(アメリカ労働総連盟)のウィリアム・グリーンがある。

これら指導者のルイスの年俸が二万五千ドル、グリーンの年俸が一万二千ドル、アメリカの大臣の年俸一万五千ドルと比べて、ルイスの如きは遥かに上越すのである。彼等は労働貴族と言うべきである。

C・I・Oは、固より赤の臭いが濃厚でその猶太共産主義傾向があるのを絶えず非難されているし、A・F・Lの方は、比較的に政府と協調し得る態度を見せているが、それもその筈マソンに操られていると言う。殊に後者の最初の指導者、今は亡きサミュエル・ゴンパースは猶太人として知られている。