筈見一郎著 「猶太禍の世界」08

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第五章 マルクスと猶太性(ユデンツム)

 

東方ユダヤ人とは何ぞや

吾人は前章の数ヶ所で「東方猶太人」に就いて早や言及したことがあった。此処に先ずそれを鮮明にする必要が生じた。

一体「東方猶太人」とは如何なる意味か。「東方ユダヤ人」と言うのは、東部欧州に住んでいるユダヤ人、若しくは前世紀に、東欧から出てきたところの猶太人の総称なのである。

この東方猶太人こそは国際猶太人問題で最も注目を払うべき対象と言わなければならない。恐らくその第一位として考察しなければならぬものであろう。彼等は実に全猶太民族の三分の二以上の約一千万人と註せられるのだ。

 

東方ユダヤ人が危険なる所以

この東方ユダヤ人は頑固な無知の階級がその大多数を占め、所謂「人為的猶太人」と言われフラン・マソンの煽動に乗り易く、その手先となるものが多いので意外に危険性があるのである。

紀元前六三年、祖国エルサレムローマ帝国支配下に置かれた結果、遂に国際的流浪民族の境遇に否でも応でも陥ってしまった猶太人は、聖典タルムッドをばその金科玉条として、神から生まれ出でたものは独り猶太人である。我等は即ち神の選民である。ユダヤ人以外の民族は全て悪魔の子であるという先入主の観念は如何にしても取り去ることが出来ない。

 

ユダヤ人のタルムッド的盲信は想像以上

人間が動物より高等であると同じ理屈で、猶太人こそは人間の高等なものだ。若しこの世の中に猶太人が居なかったならば、あの輝く太陽の光線の恵みも、風雨も、草木も、・・・どんなこの世の幸福もあり得ない。人間は決して生存することが出来ない。永遠に価値のあるのは、ただ猶太人だけなので、他の民族は凡て驢馬(ロバ)にすら劣るものだ。ユダヤ人こそは名実ともに人間と名乗る権利があるが、不浄の神から生まれたところの非猶太人は、すべてゴイ(豚)と呼ばなければならない。

エホバは非猶太人を憎み給う程も、驢馬とか犬とかを憎しみ給うことはない。

非猶太人は地上に在る幸福を享ける資格も権利もない。そのわけは、彼等は畜生であるからである。非猶太人の持ち物は我等猶太人の嘗て紛失したもので、その本当の持主は猶太人なのであるから、丁度、畜生を勝手に追い出したり、又は殺したりすることの出来るように、我等猶太人は非猶太人を追い出したり、ころしたり、また非猶太人の財物を自由に取り上げて利用することが出来るのだ。

だが、非猶太人がユダヤ人のものを少しでも掠めたり、盗んだりしたならば、これを死刑にするは当然である。「汝の隣人に悪を施す勿れ」と聖典にあることはあるが、それは非猶太人には適用されぬことだ。「非猶太人に悪を施す勿れ」という明文はない筈だ。若しか非猶太人が穴の中に墜ちたとするも、引き上げてやるには及ばない。もし、その穴に梯子でもあったら、その梯子をのけてしまい、傍に幸い石でもあったら、拾ってその石を穴の中に投げ込んでやれ。

非猶太人の財産を管理するものは、猶太人の権利である。非猶太人を殺す権利も猶太人にある。非猶太人を殺すのであったら、その中でも一番地位の高いものを選べ。非猶太人の生命は我等猶太人の掌中で活殺自在である。とりわけ、非猶太人の黄金はみな猶太人の所有物となるべきものである。

非猶太人を殺すにあたりては、なるだけ我等の敵である基督教徒の最高の地位にある者を選ぶがよい。非猶太人の血を流す者こそ、エホバの神に生贄を捧げる殊勝な者である。こうしたタルムッドの戒律を只管守りながら、絶えず世界に革命をたくらみ、非猶太人の支配者とか権力者とかに叛逆を計っているのである。いわば、彼等の一生は、非猶太人への詛いの一生と称してよい位なのである。そうした思想を、昔ながら、生地のままに持ち続けているものが、「東方猶太人」には非常に多い。

歴史の上で、猶太人が革命に手を着けたのはローマ帝国の顛覆(転覆)であった。それも、祖国エルサレムを恢復(回復)したいと言う単純な思想に基づいたものだけに、それは可成り原始的な形式を執ったものであったことは、西洋史を少し注意して研究するものには容易く肯かれるであろう。これは苟もユダヤ人であればプロレタリアであろうと、ブルジョワであろうと、共通した心理なのである。

この地上に神の選民として生を享けた以上は、世界の現状を何とかして破壊して、偉大な猶太國を建てたいと言うのは彼等の一様に渇望している理想なのである。

 

東欧は革命の温床―欧州の火薬庫バルカン

こういう盲信を持って居る東方猶太人の住む東欧は、第一次世界大戦の火をつけたセルヴィアの青年を出したところである。最近では、この意味で欧州の火薬庫とまで言われているバルカン半島の大火に付け火をしたユーゴの反枢軸運動を急激に巻き起こさせたところである。ギリシャのサロニカは、その総人口約十一万の中で七万人までが以上述べたような思想傾向の猶太人に占められ、特に陰謀の中心として最近のバルカンに於ける独伊対英ギリシャの睨み合いに盛んに暗中飛躍を行ったのであった。

この東方猶太人の住む東欧には別に六かしい(難しい)理論も生じようがない。ただ革命の直接行動あるのみである。

 

西欧のユダヤ人とマルクス主義

ところが、これと対蹠的(たいせきてき:正反対)に西欧の猶太人を検討すると、必ずしもそう盲信のみで終始できない。彼等の多くは或は少なくとも主たるものはインテリであるだけ、同じ世界革命を企図するにも別のコースを必然的に取るようになった。

こういう意味で、遂に西欧にマルクス主義の運動が漸次発生するの機運が醸成されたのであった。

 

ハイネの汎神論の影響

西欧のドイツにマルクスを出したのに、見逃してはならぬ、今一つの影響としては、熱血猶太詩人ハイネのネオ・メシア思想の発生そのものを無視してはならない。

これは、要するに東方猶太人の太古さながらの露骨な神の選民思想をもっと高尚に近代的の思想に粧い直すにあった。

ハイネが、ネオ・メシア思想を唱え出した当初、彼はフランスに居た。ハイネはその生得(しょうとく)の何物をも、その信念の前には焼き尽くさねばならぬ気象(気性)を以て、非猶太人に火のような反感を抱き、往古より猶太民族の信条となっていたメシアの思想、即ち、最後の審判の日が来た暁には、神エホバが救世主をこの世にお降ろしになって、神政の世となし、神の選民たる猶太人をして多民族を統治されるであろうとの思想を、もっと、近代的意味に解釈して、メシアとは、要するに、預言の主張している如き神の子ではなくて、更生した猶太民族そのものを指すのであって、猶太民族全体が、即ちメシアとなって、世界を征服し支配するに至るものであるとの熾烈な信仰を持つ、彼自身の創造した思想団体であるところの『ネオ・メシアニスト』(新しいメシアの思想を主張し信仰する人)を引率して、世界革命への礼讃運動に没頭したのであった。

 

カール・マルクスユダヤ的思想

猶太人カール・マルクスは一八一四年五月五日を以て、ドイツの古都トリエルの猶太教職上がりの一商家の子として生まれた。マルクスの生家は、表面はプロテスタントに改宗していたが、家庭の内部では、勿論、秘かに熱心な猶太教の信仰者であり、マルクス自身も、お定まり通り、タルムッドの訓(おし)えによって、若き日から薫陶されたのであった。マルクスは、正規の如く、ボン大学法律学を、次いでベルリン大学で哲学を修め、就中、当時の流行学説であるところのヘーゲル学派の思想に心酔するに至った。ヘーゲルの汎神論は、マルクスの心中にあるヘブライの自然神教の概念を一掃し、ただ猶太人たるの誇りと、全世界を支配する最高の思想をその胸奥の裡に成長発展させるようになった。

マルクスは此処に至って、彼の説かんとする猶太民族の至高な思想こそは必ずや全世界を支配して無窮(永遠)に猶太民族をして雄飛させるに至るだろうとの信念を鞏(かた)めるに至った。救世主とは団結した猶太人それ自身であらねばならぬと言うヘーゲルの汎神論にはマルクスは深く共鳴を感じた。これには世界共和国建設の理想を説くに限る。かくて君主国専制国を廃止し他民族を統一するの手段を講ずる必要がある。これには特殊国家を形成している猶太人こそは、その指導原子たるべきものである。同一の種族で一貫した伝統的陶冶(とうや:才能・性質などをねって作り上げること)を受けているイスラエルの子孫こそは、この新しい国家制度の生みの親たるべきものである。国家の統治権なるものは労働大衆をうまく煽動し、無産者の勝利を期すると言う旗印を先頭に翻したならば、易々と猶太人の手に帰するに相違ない。かくて、国家の統治権を猶太族が握った場合には、私有財産権なるものは当然廃止せられるべく、その代わりに公共財産を猶太人の支配者於いて管理すると言う猶太人に取りてこの上もない地上の楽園が出現するであろう。世界の人民の財産を猶太人の手に取り上げた暁こそは、この世に即ちメシアの理想が招来されるわけである。 ―こういうのがマルクス及び彼に追随する猶太人マルキシストの理想となったのであった。

こういう猶太人のより深刻な陰謀を成就させるべく、世界の非猶太人の少なからぬ不心得者は、知らぬが仏で、却って、マルクスに追随し、孰れも彼等に結局は不利な猶太共和国建設のためにわざわざ一臂(いっぴ:片ひじ)の力をかすというような状態にまで遂に発展した。

かくて、マルクスの思想は燎原(りょうげん)の火の如く(野原の火事のように防ぎようのないものの喩え)世界のあらゆる隅々に浸潤せずに置かぬ勢いを示した。

ハイネはマルクスのこの主張に彼の汎神論に対するよき後継者を見出したと大いに喜んで、その押しも押されもせぬ独特の文壇的地位を利用して、マルクスをあらゆる機会に引き立てようとした。僅か二十代のマルクスは、斯くて、雑誌記者或いは新聞主筆に容易にハイネの紹介でなるを得た*。甚だしきは、マルクスがパリコンミューンの暴動に参加して官憲に捕らわれたのをハイネが救い出してやるなどのことさえあった。

*世の中の有名人(特にジャーナリストや文筆家)、と言われるものの中には、こういう人間が多いことを是非、良く心に留め置かれるべし、と思う ―燈照隅

やがて、マルクスは、その行き過ぎた思想のために欧州大陸から追われることとなった。

彼がロンドン亡命中に一八六四年を以て、「バンコクの労働者よ団結して立て」と言うスローガンで、英国は、勿論、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ロシア等の革命主義者に盛んに呼び掛け、第一インターナショナルの結成に奔走し出した。しかしながら、彼のこのスローガンの表面には、いとも不純な猶太第一主義が潜んでいたことは勿論であった。

 

マルクス反対の急先鋒バクーニン

それが、誰よりも先に、露国の貴族出身のアナーキストであるバクーニンに看破され、マルクスの運動に対し、激烈な反対党糾合運動が勃興して、大陸諸国でも響の物に応ずる如く、マルクス反対の運動が普及されるに至った。それで、流石の厚顔で鉄面皮のマルクスも僅かに英独の猶太人の同志のみをその傘下に集めるのに成功しただけで終わった。この失敗に彼は業を煮やして、卑怯にもスペインの嘗ての同士であったインターナショナルの首脳の名前を彼自身がスペイン政府に密告して投獄の憂き目を見させるという非道の行為にさえ出た。

それだのに、何分、猶太財閥から貢がれる資金そのものが実に豊富だったので、彼の第一インターナショナル支部が二三ヶ月のうちに世界の到る所に設けられるに至った。これは、現在の前世界猶太人同盟の前進である猶太文化科学聯盟の国際的で飽くまで強靭な組織力の充分な掩護(えんご:背後からの援護)を受けた賜物でもあった。

 

マルクス主義の欠陥

マルクス主義の正体と言うものは既に述べたものであるが、その何よりの欠陥は要するに英国の民主主義と共産政治とを結びつけんとする点にあった。これは実行不可能なる命題を多く含んでいて、後にロシア革命ソ連の実際政治で全面的に訂正されるの運命となった。

現在のソ連は事実マルクスの理想から大いに遊離している政体を取っているのである。これについて更に後章に於いて詳述するところがあるであろう。

 

猶太人の財的勢力

一体、猶太人は全世界に亘りて約千六百万人あり、若しこれに改宗又は混血の猶太人まで合わせると凡そ世界に五、六千万人はいるだろうとのことである。その財的実力と言うものは実に大したもので、アメリカの資本の凡そ85%は猶太人のものと称して可なるもので、欧州にありても、フランスでは一般仏人の財産の二倍強をば猶太人が占めるものと言われ、現在では最早そうではないが、ナチ政権の徹底的猶太排斥ある迄はドイツの全財産の75%は猶太人に独占せられていら程なのである。

随って、猶太人のみで世界の商業利得の二分の一は確実にそのポケットに収めて来たわけで、全世界の資本の約三分の二は何といっても猶太系統のものと称し得る程の驚くべき経済上の実権を握っているのである。

これらの猶太人は孰れも自分自身から猶太人とは態々(わざわざ)名乗り出ているわけではないのであって、或いは米人と称し、英人と称し、仏人或いは独人とのみ言っているわけなのである。ただに金権のみならず、世界の言論機関の殆ど大方は猶太人の経営と言って差支ないのである。

 

言論界の猶太の勢力

世界に於ける国際通信事業の先駆者は、何といっても、あのドイツ生まれの英国への帰化の猶太人ポール・ユリウス・ド・ロイテル(ロイター)男爵(或いはルーター男爵)の創立したロイテル(ロイター、ルーター)通信社であろう。この通信社は随って今でも、猶太人のためには決して不利な情報を供給しないばかりか、色々と、その利益に反する又は主義に反する国々のニュースには様々の作為やデマを製造するに躊躇しない。これは日支事変に対する彼等の報道に徴してもあまりにその態度が明瞭である。その他、米国のアソシエ―テッド・プレス(A・Pと略称する連合通信社)仏国のアヴァス通信社、米国のユナイテッド・プレス(U・Pと略称)等、孰れも世界第一流の通信社だが悉く猶太系統のみである。

英国のタイムス紙、デーリー・テレグラフ紙、モーニング・ポスト紙、デーリー・メール紙、デーリー・エキスプレス紙、デーリー・ヘラルド紙、マンチェスター・ガーディアン紙等あらゆる主要な英国の新聞紙は悉く猶太人の経営である。

フランスでは左、右両翼の新聞を含めた知名の新聞の一切が皆猶太人の経営である。それら幹部の記者の同じく猶太人のみである。これら仏国新聞紙は啻に猶太財閥の息が掛かっているばかりか、フラン・マソンの魔手さえものびているのである。随ってその論文とか記事とかは必ずしも正鵠を期し得られない場合がある。右翼と言うも左翼と言うも、表面だけのことで、内実は大した相違はないのであって、便宜上、そういうジェスチャーを行っているに過ぎない。

 

猶太人の特徴

猶太人は風俗習慣が一般の欧米人とは違っていて、非常に強烈な家族的意識を持って居る。表面は兎も角、その家庭内では、男尊女卑の鉄則は決して破られていない。そうして、格別、老人とか年長者とかを尊敬する風がある。猶太人の青年子弟は大学を卒業して全く独立し得るまでは、決して酒を一杯と雖もひっかけるような不真面目なことをしない。

また、大学を卒業してからも、相変わらず親父のすねを齧(かじ)って、のらりくらりと暮らしていくような不心得者は一人も居ない。その点は実に感心である。英国ではこの傾向が特に顕著であって、これが第一の理由をなすからであろうか、英国居住の猶太人はイギリス全人口の5%であるのに、英国に於ける知名の猶太人は英国名士中の六割を占める有様なのである。猶太人は西洋人には一見して容易に猶太人なることがわかること、我等日本人が支那人を一見して日本人から容易に区別し得られるほどに、その容貌は特異のものである。

猶太人の鼻は一般に鷲鼻と言うやつであり、彼等の理財のすぐれていることをよく象徴している。口は孰れかと言えば山羊のそれのように見えるのである。猶太人はその服装や装飾には極端に派手好みが多く、例せば、ネクタイなど、年に似合わぬ大柄のものとか強烈な色彩のものをつけているので、格別よく目立つのである。

 

枢軸全体主義と猶太民主主義の対立

既に述べた如く、民主主義とか自由主義とかいうものは、猶太人の一般世界人に与えた毒薬も同然であり、それが、英米仏では意外の勢力を得たのであって、今日では英米等の民主主義擁護と言えば、要するに、猶太人の身勝手な利己主義をカムフラージュする手段としてか、我等には見られないのである。

この意味で、現在、枢軸国が陰に陽に英米の敵性国を相手として、西に東に戦っているのも、全体主義と民主主義とが実際に於いて、相戦っているのと同じである。そうして、この二つの異なったイデオロギーの孰れが実力上、まされるか否かを、武力の上で解決しようとしている矢先なのである。