筈見一郎著 「猶太禍の世界」05

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エホバの約束とやらを信じて

時節さえ到来すればエホバはその使いのエリヤを天からこの世に遣わし、猶太人一同を率いさせて、全世界を征服し、世界統一の企てを成就し、エホバをば一神とする猶太の教を宇宙に流布させるであろう。猶太は今その国は亡んでいても、其の実亡んでいるのではない、今猶太人を踏みにじっているものはやがて全部征服され、その異端的な(?)文明は根も枝も残さないように灰燼に帰してしまうであろうと言うのである。

宣なるかな、今日までの世界の目に立つ大きい事件の裏面を窺うと、屹度(きっと)そこには猶太人の不気味な魔手が、ちゃんと、廻されているのである。

 

大事件の蔭には猶太の魔手動く

現に我が国が有史以来の聖戦を敢行している支那事変の蔭には援蒋(蒋介石支援)の猶太の手が、「檻を出た犢(子牛)の如く躍って」いるではないか。日露戦争の裏面にも猶太人が同じように暗躍していたことは、今では隠れもない話になっている。

高橋是清が当時米国の猶太資本家(独逸系ユダ人の銀行たるクーン・ロエブ商会の)ヤコブ・シッフから戦争遂行のため巨額の借款を易々となし得たのも、実は米国の猶太財閥が日本の勇猛な武力を借りて、ツァーの帝国の没落せんことを只管希望したからであって、彼等の真の日本への友情からそれを快諾したのではないことが、現今では判明している。

天草の切支丹の乱後、徳川幕府鎖国を遂に断行したのは、日本に押し寄せんとする猶太禍を単なる切支丹禁絶のみにては到底防ぎ切れないと見て取ったための最も賢明な処置であった。日本はこの鎖国二百五十年間に、色々の経緯こそあったが、日本精神の深き涵養に遂に徹することが出来て、明治維新後の開国のために生じたあらゆる外来思想や文化の影響を結局今日までうまく乗り切り、今日の如き八紘一宇の大精神の貫徹に毅然たるの態度を堅持し得る下地を充分に蓄えることが可能であったのである。

 

シオニズムとは何ぞや

さて猶太禍の問題と言えばシオニズムのことにも一寸触れなければならない。シオニズムとは、パレスチナの地に創設されるべき純猶太國にすべての猶太人を集合させるのを目的にする運動だと一般に解せられているようである。だが、そこまで窮屈に解釈しなくてもよい。猶太人憧れのパレスチナと根拠として猶太人の世界の到る処に勢力を振るうことを目的とする運動だとする人もある。

蓋(けだ)し、シオンの賢者の意嚮(意向)としては、どんな国家にありても平穏に国力を充実させてはならぬという悪いデザインがあることをこれによりて明らかに語っているのである。

若しそれ共産主義とか赤の思想とかに関しては、シオンの所謂賢者は、非猶太人が人間自然の法則に反するところの社会の階級を撤廃するが如き平等の思想を受け容れたのは、非猶太人の頭脳が如何に低級千万であるかを直接に物語るものだと、蔭で赤い舌をべろりと出して笑っているのである。平等とか階級撤廃とか自由などの言葉は、猶太人が、非猶太人に与えた最も怖るべき毒薬麻酔剤も同然であると想い到さねばならないのである。

 

シオンの理想境とは

「荒野と濕(うるお)いなき地とは楽しみ、沙漠は喜びて香紅(サフラン)の花の如くに咲き輝かん。

盛んに咲き輝きて喜び且つ歌い、レバノンの栄を得、カルメルおよびシャロンの美わしきを得ん。

彼等はエホバの栄を見、我等の神の美わしきを見るべし。

汝等、萎えたる手を強くし、弱りたる膝を健やかにせよ。

心騒がしき者にむかいて言え。

汝等雄々しかれ。懼れる勿れ。汝等の神を見よ。刑罰来たり、神の報い来たらん。

神来たりて汝等を救い給うべし。

その時、瞽(盲・めしい)の目は開け、聾者(みみしい)の耳はあくことを得可し。

その時、跛者(あしなえ)は鹿の如くに飛び走り、唖者(おうし)の舌は歌うたわん。

そは荒野に水湧き出で、沙漠に川流るべければなり。

焼けたる沙は池となり、濕(うるお)いなき地は水の源となり、野犬の伏したるすみかは、蘆葦(ろい:芦のこと)の繁り合う所となるべし。かしこに大路あり。その道は聖(きよ)き道と唱えられん。

穢れたる者は、これを過ぐること能わず。ただ、主の民のために備えらる。

これを歩むものは愚かなりとも、迷うことなし。

かしこに、獅子居らず。荒き獣もその路にのぼることなし。

されば、そこにて之に逢うことなかるべし。

ただ、贖(あがな)われたる者のみ、そこを歩まん。

エホバに贖い救われし者、歌うたいつつ、帰りて、シオンに来たり、その首(こうべ)に永久(とこしえ)の歓喜(よろこび)を頂き、楽しみと悦びを得ん。而して悲しみと歎きとは逃げ去るべし。」

以上は旧約イザヤ書の第三十五章にある猶太人のシオンの理想境を巧みに表現した有名な箇処なのである。

 

シオンの意義

シオンと言うのは、ヘブライ語で、「日の照る処」と言う原義を有している言葉である。

エルサレムの石垣の中でも、西南の方に位していたところの高き岡の名なのである。

猶太の王様達が、この岡の上に其宮殿と城郭とを築いていた。

それで、聖書の旧約で、シオンとか、或はシオンの娘とか、言う場合には、それが、多少転義して、より大きい意味のエルサレムを指すことにもなってしまった。或場合には基督教会そのものをこの関係上、シオンと呼ぶことさえあるわけである。

 

シオニズムの提唱者と其意見

抑もシオニズム(ザイオニズムともいう Sionism, Zionism, Zionismus)と言う理想は誰によりて叫び出されたかと言うと、猶太人によると第二のモーゼとまで尊敬されている、ウィーンの新聞記者でハンガリー系の猶太人であるテオドル・ヘルツル博士(Theodore Herzl 1860~1904)其人によってであった。随って彼は猶太民族精神中興の祖として渇仰されている。

このヘルツル博士は西暦一八九六年(日本の寛政八年に相当している、あのジェンナーが種痘法を発見したのと同じ年である*)を以て、『猶太國(ユデン・シタート)』と言うパンフレットを発表した。その大要は左の通りである。(*これは著者の思い違いからか、一世紀ずれている。1896年は明治29年である

「我等猶太人は中世紀に於いて強いられた境遇に追い込まれた癖に、財的に優越権を得るに至ったのは事実である。

しかも、近世の事態はいやが上にこれを増進し、先ず取引所の支配権を獲得し、経済社会で押しも押されぬ権威を自ら構成するようにさえなった。

他方、我等猶太人の中で試算に恵まれないところのインテリゲンチャは、その必然的傾向として、社会主義者となるに至った。随って、同じ猶太人の仲間であるのに、一方は資本家となり、他方は社会主義者となった関係上、双方の間に激烈な闘争をやがて惹起することとなった。

孰(いず)れにせよ、猶太人問題は中世紀から残されてきた遺物であり、苟(いやしく)も猶太人の居る処には課鳴らすこの問題が生じている。

また、この問題のないところがあっても、間もなく猶太人がそれを齎(もたら)して発生させると言う傾きがある。猶太人は迫害のない処を専ら選んで行くのであるが、其の行く先には必ず迫害が生じて来る有様だ。

今や猶太人は英国へ排猶運動を輸入しているではないか。米国へも既にそれが輸入された…」
云々と述べて、それが、解決手段として、

「宜しく祖国パレスチナを復興して猶太國を再び建てよ」

との提案をしたのであった。

以上が実に所謂シオニズムの提唱であり、彼は同時にこれにユダヤ民族固有の宗教的色彩をさえ加味したのであった。

 

第一次シオン会議

次いで、このヘルツル博士は翌年の八月二十九日に全世界三十七ヶ国の猶太人代表をスイスのバーゼルに召集して第一次シオン会議を催した。其の決議の第一条をあげると、

シオニズムは、合法的保障を以て承認されたる国土を、猶太人のためにパレスチナに創設するを目的とす」

とある。これは世界の暗やみに彷徨する猶太人に光明を与える燈火のような希望となった。かくて第一次世界大戦の直前にはシオニストシオニズム謳歌するもの)が無慮五十万人を数える素晴らしい勢いとなってしまった。

 

タルムッドとは何ぞや

本篇ではシオニズムのことはこの辺で打ち切り、次にタルムッドのことを少々ここに述べておきたいと思う。一体タルムッドとは何であるかと言えば、未だにユダヤ人を拘束する力のある『ヘブライの法典』そのもののことだ。

その中でも先ず第一に発達したのは『ミシュナ』の規約で、それは、ラビ(法師)が口伝えに伝えた各種の規定を言うのである。

更にこの規約を注釈したり補充したりする必要に迫られて、第二の規約である『ゲマラ』が生じた。この両者を合併して出来上がったものが、即ち猶太精神王国の中核をなすヘブライ聖典『タルムッド』の法規なのである。

 

タルムッドの精神と意図するところ

凡そこの『タルムッド』の精神たるや、

 神から生まれたものは唯猶太人あるのみである。その他の人間は悪魔の子と称してよい。
と言う極端な非猶太人主義を鼓吹するにあるのだから驚くではないか。

 非猶太人の生命なんかは我等神の選民たる猶太人の活殺自在な掌中にあるものである。

 特に非猶太人の黄金は猶太人の所有物たるべきものである。
と殊に真面目に主張しているのには何人も呆れ返らざるを得ないではないか。

マルブルグ大学のコーヘン教授と言う猶太人の如きは、一八八八年(明治廿一年)四月二十五日に

 タルムッドの含まれている信仰、道徳、風儀上の諸規定は猶太人にとりては強制的なものであり、法律の如く有効たるべきものである。
と放言している。じゃ、どんな書き振りかと言うと、その一節にはこんなのがある。

 すべてのユダヤ人(イスラエル人)はお互いに結ばるべきである。

 海行く船の中で乗合の一人が船底に穴を穿ってから初めて抗議され、『我は唯自席の下に穴を穿ったに過ぎない。何も抗議されるわけはないではないか』と答える。

 同舟の者曰く『なる程そうだ。だけれど潮満ちれば我等は汝と共に溺れることになるではないか』

正しくイスラエルも亦斯様な運命にあるのである。その安危は挙げて、イスラエルの各人の掌中にあるわけである。

こう言うような比喩的文章なので、此処に船とは民族観念をそれとなく象徴して語っているのである。不十分ではあろうが、これでタルムッドの概念はほぼ読者にも想像が出来ると思う。

 

ゲットウの制度

猶太人の特徴としてはゲットウ(Ghetto)と言う制度があり、それによってユダヤ人の他との雑婚を禁止して、その血の純血を保護している。これが、てもなく、彼等猶太人の団結心を強め、又は同時に革命思想を彼等の間に煽る原動力ともなった。

タルムッドに拠ると、異民族はゴイ(豚)で、共によわいし難いもので、畜生同然でああるから、早く滅ぼさなければ、いかぬと言っているのである。ゲットウはスペイン方面に浸潤して行った猶太人によって自己保存の便法として採用されたのに始まる*と言われる。(*註:ゲットーと言うと、猶太人差別のために造られた貧民街のように印象付けられているが、実は猶太人自らが自己保存のために進んで作った一種の「租界」である。)