猶太と世界戰爭(新仮名)06

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第一章 猶太魂の本質(続き)

三、猶太の神秘の数を解く(昭和17年1月14日)

-「十五」なる数の猶太秘密力に対して有する意義-

標題の真意義を理解する為には、猶太人が如何なる魂の所有者であるかを了得しなくてはならない。然しこれは相当の難事であって、一朝一夕には果され得ないことであり、最小限度に於ても、猶太聖典としての旧約全書(特にトーラと称せられるその最初の五巻)及びタルムードに通暁(つうぎょう)し、猶太哲学としてのカバラを味識(みしき?)し、それに加えて猶太四千年の歴史を達観することを要求するのである。在来の政治的経済的方面を中心とする猶太研究は、猶太の魂の本質を明らかにすることによって補足される時に一層完全なるものとなるであろう。殊に思想対策の分野に関しては、猶太の魂の研究によってのみ根本的な解決の道が発見されるであろう。しかし我々はこの短い論稿に於ては、上述の如き広汎なる問題に及ぶ余裕を持たないので、直接に「十五」なる数に関する問題のみについて述べたいと思うが、もしそれに依って猶太魂の根本的特質がその片影[1]に於てなりとも明らかにされるなら、筆者の労は充分に酬(むく)いられるのである。

[1] 片影:わずかに見えた、ものの姿、人物の性格などの一面。

 

わが國唯一の猶太研究月刊雑誌「猶太研究」の読者は、その第一巻第六号に掲載された「猶太民族の世界征服綱領」を記憶されるであろう。その本文は、一八五一年に今は亡國の運命にあるチェコ國の首都プラーハに於て開催された猶太法師会議の議事録として伝えられているものの主要部分である。そしてこの際に集った十二人の法師がいずれも猶太秘教としてのカバラの行者であったことは、その集会の場所がカバラ行者として著名であったシメオン・ベン・エフダ法師の墓場に於てであり、また秘教の行事に相応しく夜闇の中に於てであったことに依って証される故に、この集会はカバラ行者長老会とも称されている。そしてその議題は言うまでもなく猶太の世界支配の方法とその状況の検討であって、欧米各地の枢要都市に散在する猶太十二支族の代表者が方策を提出しているのである。但し今我々に問題なのは、その策謀の内容そのものではなくて、この長老会議の行われた年号の示す数字であり、またそれがその前にも約百年毎に行われていたと称せられている点である。これを年号にて示すならば、第一回長老会議は一四六四年に行われ、第二回は一五六三に、第三回は一六五三年に、第四回は一七六一年に催され、そして前期の議事録はその第五回のものであると称せられている。そしてこれ等の年号の数字をそれぞれ加算する時は、何れも「十五」となるのである。また第六回の長老会議は当然昨年即ち一九四一年に行われるべきであったと称されるが、しかし、今やプラーハ市は独逸の支配下にあるのであるから、この長老会が予定通りに開催され得たか否かは我々の知り得る所ではない。

上述の議事録が、他の猶太系の秘密文書と同じく、その真偽に関しては正確な証拠とてはないようであるが、しかしそれにも拘らず、かの諸年号が「十五」であることが猶太秘密力に取って必ず何等かの重大な意義を有するであろうことを暗示するには足りるであろう。殊に猶太十二支族を代表する法師がすべてカバラの行者であることからして、かかる数に関する信仰がカバラ秘教の中に於て重要なる地位を占めているのではないかという推測を生むのは当然であるが、果してその中にはゲマトリアギリシャ語に由来し、広義には「数学」を意味するという説が有力である)と称される数に関する神秘が説かれているのである。そしてこのゲマトリアは既にタルムードにも見られるものであり、主として聖書中の難解の語句を解釈する際に用いられたものであった。その方法はヘブライ語字母はそれぞれ数を代表しているので、聖書中の語句の有する数値をその語句を形成する字母の代表する数の和によって示し、同一の数値を有する他の語句又は同一の数値を有する他の概念に依ってその語句を解釈するのである。いま我々は聖書中の語句の場合の例を取ることを避けて、現在の我々に関係の深い方面の現象にこれを応用して見よう。

ヘブライ語に於ける「世界戦争」又は「全地上に於ける戦争」なる語の有する数値は六七五となるが、猶太の年号は普通その千台を略して呼ばれる故に、この数に近来の猶太の年号の千台のものである五千を加える時は、それは五六七五年となるが、これは西暦の一九一四年に相当するのである。そしてこの一九一四年に第一次世界大戦は起ったのである。しかもこの一九一四年の有する数字の相和は「十五」であり、今次大戦が文字通りの世界大戦となった年は一九四一年であってまた「十五」なのである。

かくて問題は、斯く事実上重大な意義を持っている「十五」の数が猶太に取って如何なる意義を有するかである。先ずここにその結論を述べるならば、この「十五」なる数は猶太民族の守護神エホバの数であって、この神聖なる数に関係する事柄は猶太に取ってはまた神聖なるものであり、猶太民族の世界征服計画の実行手段としての戦争の如きは、この数の年に於て行われる時、その守護神エホバの特別の庇護の下に遂行される、というのである。では、如何にして「十五」がエホバの数であるかというのに、子音のみによって綴られるヘブライ語に於てはエホバ(正しくはヤーヴェ)の名はJHWHとなるのであるが、その始めの二字即ちJとHとは十と五なる数値を持ち、合して「十五」となるのである。かくて守護神の名の代表する数がゲマトリアなる数的信仰を有する猶太人に取って如何に重大なる尊信の対象となるかは、猶太人の魂の宗教的傾向の本質を多少とも知る者には、直ちに理解されるところである。

しかし或る人々は、現代の如き所謂「科学」の時代に於て猶太人に於てもかかる数的迷信を信仰するものはあり得ないであろう、と言うかも知れないし、また相当数の所謂文化猶太人のうち他國民の間に生活するものは、少なくとも表面的には、かかる信仰を捨てたことを主張している。然しこれを以て直ちにかかる信仰の偉力を否定するのは早計であって、猶太人以上に文明開化されている筈の一般キリスト教徒の間に於て未だ十三の数が如何なる役割を演じているかを知る者は、「十五」の数の猶太人間に於ける意義を直ちに理解し得るであろう。宗教的権威と政治的権力とを兼ね備える猶太法師が千年一日の如くタルムード等の猶太聖典をその教会に於て説きつづけている限り、猶太の魂には決して根本的の変革はあり得ないのである。

なお一言しておきたいのは、「十五」なる数の持つこの意義を明瞭に認識したのは、タルムード乃至カバラ研究の一部専門学者を除いては、ルーデンドルフ将軍[2]であることであって、これは一九二七年の著「フリイ・メイスン結社の討滅」に於て始めて暴露されたのである。そしてこの暴露が猶太陣営を如何に震撼したかは、将軍に関してその後猶太支配下自由主義諸新聞が極めて悪質の宣伝をしたことによっても理解される。将軍のこの点に於ける功績は、旧約全書申命記第二十八章の持つ意義の開明と共に将軍の猶太研究に於ける二大業績であり、その軍事的功業と共に永く記憶されるべきであろう。実に将軍はその「戦争煽動と諸民族の殲滅」に於て既に十数年の昔より一九四一年の危機を説き続けて来たのである。

[2]エーリヒ・フリードリヒ・ヴィルヘルムルーデンドルフ(Erich Friedrich Wilhelm Ludendorff, 1865.4.9~1937.12.20)は、ドイツの軍人、政治家。第一次世界大戦初期のタンネンベルクの戦いにおいて第8軍司令官パウル・フォン・ヒンデンブルクを補佐してドイツ軍を勝利に導いた。大戦中期から後期には参謀本部総長となったヒンデンブルクの下で参謀本部次長を務め、「ルーデンドルフ独裁」とも呼ばれる巨大な実権を握った。最終階級は歩兵大将。戦後はアドルフ・ヒトラーと結び、ミュンヘン一揆を起こしたが、ヒトラーとは決別した。晩年は宗教団体 Bund für Deutsche Gotterkenntnis(ドイツ信徒の家)を創設し、宗教活動を行った。(wikiより)

 

かくて、猶太の世界征服計画を知る者は、第一次世界大戦が何故に一九一四年に起り、今次大戦が何故に一九四一年にその世界的規模にまで発展せざるを得なかったかの理由を会得することが出来るのである。既に我々の説いた如くに、エホバの年一九四一年に始った今次大戦は猶太人にとっては「人類殲滅戦」なのであって、彼等に枢軸側の勝利が愉快でないことは勿論であるが、然しまた米英ソ支の敗退もまた猶太系諸新聞の宣伝するが如くには痛手ではない筈である。現在までの経過は、或いは猶太陣営の予定のコースを辿っているかも知れない。従って猶太の世界支配機関の一翼としてのフリイ・メイスン結社の有力会員たるルーズヴェルト及びチャーチルは、今やアメリカに於て猶太有力者の感謝を受けつつ、内心大なる愉悦に浸っているかも知れないのである。最近シンガポールより本國帰還を命ぜられた猶太人東洋探題ダフ・クーパーの如きも、その猶太的使命は今や完全に果されたのである。また伝えられる如くチャーチルが退いてイーデン[3]が首相の印綬を帯びることも決して不可能ではないのであって、秘密結社系勢力より見ればイーデンの方が猶太陣営に取っては有用であるかも知れないのであるし、また猶太的世界総赤化策に取っては猶太人リトヴィノフ外相と親戚関係にあるイーデンの方が猶太に取って一層好都合なことは自明である。又ロータリー・クラブ系の半國際人の間に日本贔屓として名声を博していたらしい前日本駐在米國大使が、大東亜戦の宣戦布告を受取るや直ちに或るゴルフ場(このゴルフ場が如何なるものであるかは知る人ぞ知る)に出かけたという噂は、彼が如何なる系統の指令下にあるかを明瞭に示すものでなくて何であろうか。

[3] 初代エイヴォン伯爵ロバート・アンソニー・イーデン(Robert Anthony Eden, 1st Earl of Avon 1897.06.12~1977.01.14)は、イギリスの政治家・貴族。外相(在任:1935~1938、1940~1945、1951~1955)、首相(在任:1955~1957)。

 

今や我々は米英アングロサクソンの暴慢なる世界搾取を討たんとして正義の戦を戦っているのであるが、忠勇義烈の行軍の赫々(かくかく)たる戦果を実に確保せんとするならば、かのアングロサクソンの背後にあって米英の敗退をも自己の世界征服の具となそうとしている猶太のあることを忘れてはならない。支那事変の敵がフリイ・メイスン秘密結社員蒋介石であり、更に米英及び猶太秘密力であった如くに、大東亜戦争の敵は米英であり、更にまた猶太なのである。(一七・一・一四)

 

  付言

 

特に超非常時である現代に於ても、「日本に現存するフリイ・メイスンリイ」等という書が、「科学」の名を僭称しつつも、赤化主義者の片言隻語に絶対の信頼をかけて、フリイ・メイスンリイと猶太とは関係なしという如き時代錯誤の主張をしているのであるから、以上の認識は特に重要性を持つのである。かかるフリイ・メイスンリイの解釈は、猶太が絶対的支配権を有する英米に於てさえも稀に見られるものであって、現代欧州に於ては前世紀の猶太系宣伝として一人前の判断力を持つ者は誰一人耳をかすことをしない所のものである。「科学」なる語を宣伝に利用した者が主として赤色猶太主義者であったことを知る者は、今なお「科学」の名を僭称する怪物が皇國日本にも出没し得る余地のあることを反省して、猶太秘密力の謀略の深刻さを忘れてはならない。