「国際秘密力とフリーメイソンリー」解説(1943年版)6

ユダヤ人の活動計画

 

 ユダヤ人の結社はユダヤ全体の利益を計る為に共通の目論見を持っているのだろうか。ユダヤ人の計画を明確に知ることは極めて難しい。しかし、実際の彼等の活動を観察したり、また我々が入手可能なユダヤ人側の文献を研究する事によって、彼等の計画の方向を知ることは出来る。

ユダヤ人の活動の実際については、既に前章に於いてある程度観察した。

本章では各種文献によって、彼等の計画について覗いてみよう。

 

 地球上の至る所、何れの国にもユダヤは散在した。しかも、彼等は如何なる所でも禍の源になった。

シオニスト運動の創立者テオドール・ヘルツェルは言う。

「多数のユダヤ人が居住する所には必ずユダヤ人問題(JQ:Jewish Question)が発生する。問題のない所には、移住するユダヤ人が問題を持って行く。我々ユダヤ人は排斥の少ない所に行くのは勿論だが、我らが現れる所には問題も発生する」。

 

 ドーリングは言う。

ユダヤ人は寄生的生存方法で他国民の中に奥深く侵入し、地上の至る所に利己主義と残忍主義との種を撒いた」。

 

 排ユダヤ主義に関する研究を発表した有名なユダヤ記者ベルナール・ラザールは言う。

「元気と活気と、それから限りない誇りを持つこの民族は、他民族に優越していると云う自信を持っている。ユダヤ民族は自ら一大勢力になることを願い、支配に対する一種の憧れを持っている。この憧れはユダヤ民族がその起源、その宗教に対して一種の誇りを持っていること、神の選民としての性質に恵まれていると云う確信を持っていること等によって、他民族の上に存在すると云う自信から来る力を発揮する為にはユダヤ人は手段を選ばない。

各国の政府が法律を設けてユダヤ人に与えることを拒んだ特権を、ユダヤ人は金権を以て獲得した。

ユダヤ人の希望は差し当たってお金にあるのみだ。

金権の所有者としてのユダヤ人は彼の主人の主人になった。

ユダヤ人の元気と活気を延ばす為の唯一の方法もまたお金だ」。

 

 ラザールはまた曰く。

ユダヤ人は一度解放されれば外国人として国家に侵入する。…ユダヤ人は客人としてではなく、征服者として他民族の社会に入って行く。ユダヤ人は檻の中に閉じ込められた猛獣の群れに似ていた。一度檻が破られれば、ユダヤ人は与えられた範囲内に於いて暴れ出すのだ」。

 

 ユダヤ主義の指導者アルフレッド・ノシックは、『無欠なるユダヤ主義』に於いてユダヤ人の計画を精神的に説明している。

「我等ユダヤ教徒の団結は、我等の生命の無意識な核心であり、我等の魂の持つ共通の本体だ。…

我等の祖先の最初の思想は、我等民族を保存すると云うことではなく、我等民族の発展によって人類を保存することにあった。これは、選ばれた民としてのユダヤ人が持つ唯一の立派な思想だ。我らは外面的な繁栄や世界を単に物質的に支配する為に立つものではない。我等は人類の精神的道徳的発達の為に働くと云う世界的な義務を持ち、この義務の為に我らは奮起するのだ。…」

 

 ノシックは、尚言葉を継いでユダヤ人非難者の批評に一矢を報い、ユダヤ人の世界征服運動は決して物質的支配を意味するものではなく、人類の文明を指導する精神的な秩序を創設することを意味するものだと言っている。以上はユダヤ民族の使命であり、彼等の事業が完成する日も近付いたとも彼は言う。又更にノシックは言う。

「我等は恐怖に充ちた夜の中から離れようとしている。我等の眼の前には大いなる眺めが開けている。地球の全面が我等の進むべき道だ。暗い夕立雲は今尚我等の頭上に懸っている。日々何百と云う我等の同族が同族全体の目的に忠実である為に死んで行く。しかし我等同族が承認され、友誼ある待遇を受ける時期は近付いた。地平には太陽の暁が輝いている」。

全人類に幸福をもたらそうとするのかノシックは言う。

イスラエルが指導する人類のより高い発展を代表するものは、世界的な社会主義だ」。

 

 ロシアに於ける恐るべき災厄(1917年ロシア革命)を見、ボリシェヴィストが承認する社会主義思想の失敗を実際に眺めた後にノシックの言は何を意味するのだろう。

 

 ユダヤ人は不平家であり、排他主義者であり、またメシア思想の信仰家として、優れた革命家だ。彼等は自らを称して進歩の為に働くと云う。ラザールは、

ユダヤ人は地上に正義による幸福を求めるのだ」

と言う。ここで、正義とは、その両極が金権主義と社会主義によって代表されるユダヤ主義の勝利を意味する。

 ユダヤ人活動の計画書として、大戦後世界を騒がせたのは『シオン賢人会のプロトコール(議定書)』だ。

この書は最初ロシアでセルゲ・ニルスによって、次いで殆ど時を同じくしてブトミによって出版された。

1906年8月10日にはこの書の一冊が英国博物館に蔵め(きすめる:大切に収める)られた。

しかし、この書は長い間読書会の注意を引くことはなかった。

 

 この書の出版によって暴露された世界大戦計画、ボリシェヴィキ革命(ロシア革命、ドイツ革命…)の陰謀等が実現されてから、この書の価値は俄に高まり、ユダヤ人側からの妨害があるにも拘わらず世界中に行き渡った

 

 この書は1897年に瑞西(スイス)のバーゼルで開かれた第一回シオニストの会議で発表されたユダヤ人の世界支配活動の目論見書だ。

 

 

プロトコールの沿革

 

 革命はユダヤ人の本性だ。革命とはユダヤ民族自らの革命ではなく、多数又は若干のユダヤ人が居住する国に於ける革命(破壊)だ。即ち革命とは世界革命(世界の破壊)のことだ。ユダヤ人の革命的本性に関してはユダヤ人側に多くの文献がある。卑近な例でもベルナール・ラザール、エリ-・エベルラン等があるが、ユダヤ人の世界革命の野望を最も深刻に現わしたのは「シオン賢者のプロトコール」だ。

 

 1919年の終わりに英国の首都ロンドンで「ユダヤ禍」と云う小冊子が出版された。これは今世紀(20世紀)の始めにロシア人セルゲ・ニルスによってロシア語に翻訳されたプロトコールの断片の英訳だ。この英訳80頁許りの小冊子が如何に当時の英国を震撼させたかは軽々しく物を書かない筈のロンドン・タイムスでさへ二段抜きの長論評を掲載したことでも判る。タイムスはプロトコールを分析してその内容を吟味した。同時にプロトコールに対するユダヤ人側の異議と弁解とを商量(しょうりょう:考えはかる)した。

 

タイムス曰く。

「この小冊子は公平かつ仔細な批判が必要であるにも拘わらず、今日迄殆ど不問の儘になっている。ユダヤ派の機関紙はこの小冊子の本性を暴露すると言って、実際に発表したものはこの小冊子の著者が無名だと云うような些末な点に縋んだ(絡んだ?)だけのものだ。何人をも満足させる徹底的なものは何一つ出さないだけでなく、彼等は全くこのプロトコールの内容に触れていない」。

この英訳本がコア・アンド・スポテウッドから出版されるとドイツではゴットフリート・ツル・ベクによって独訳され「シオン聖賢の秘訣」という題名で出版された。当時のドイツの外相でユダヤ人のラテナウが殺されたのはこの独訳のプロトコールが與(あずか)って力あったと謂う。この為、この出版社は時の社会党政府(ワイマール共和国政府)から500馬克(マルク)の罰金を課せられた。この独訳版の序言にはセルゲ・ニルスとその露訳に関する説明があった。その序言の大略は次の通りだ。

「セルゲ・ニルスは非常に学究的で博学な人だった。当時ウクライナに定住していたが、彼がフランス語で書かれたプロトコールの断片を手に入れて露訳したのは1901年の事だった。

シオン聖賢のプロトコールの第一版は1905年ペトロスブルクでニルスの著書『小事中の大事-焦眉の政治問題としての反基督(キリスト)教』の付録として出版された。

その後、この本は『吾等の災厄の書』と謂う題名で再刊されて著者の名もなく現れた。

1907年には露作家ブトミが『人類の敵』と謂う題名でプロトコールの新訳を作りペトロスブルクの聾唖(ろうあ)協会の印刷所で印刷した。

又1911年別版がセントセルゲ朝時代にニルスの援助を得て出版された。

その第二版は1912年に、第三版は1917年に出版された」。

 

 ルオーブ(リヴォフ)公内閣の時と、ケレンスキーの天下の時にロシアの警察は書店に発見されるプロトコールの残部を残らず押収して焼却しプロトコールの所持者を厳罰に処した。

英国博物館に所蔵するものは1905年ツァルコイ・スロで印刷されたものだ。

 

プロトコールの真銘(しんめい:本物であることのたとえ)

 

プロトコールユダヤ人の筆になったと謂う主張に対してユダヤ人は熱心に異説を唱えた。

これに関してモスクワのユダヤ死刑執行の手より奇跡的に逆(さか)れた一人のロシア人はラ・ヴィエュ・フランス195号に次の記事を書いた。

ユダヤ禍とは長い間の研究と準備とから成ったプランによってユダヤ人が世界征服をすることだ。プロトコールの真偽に対して批判をすることは単なる気晴らしに過ぎない。最も重大なことは、プロトコールそのものの真偽ではなくプロトコールの預言が如何に正確に吾等の眼の前に実現されつつあるかとい謂うことだ」。

 

 1869年プラーグユダヤ人墓地にあるユダヤ教会長シメオン・バシイホダの墓前でラビ・ライヒホルンが声明した言葉とプロトコールとの相似性は不思議だ。この演説はリードクリフによって出版された。

彼はその一生をこの出版事業に打ち込んだ。決闘で倒れたラッサールはリードクリフをラビ・ライヒホルンに引き合わせた。ライヒホルンの言葉はプロトコールの中にもっと詳しく述べられている。

 

 ユダヤ人レイナック・リュシアン・ウォルフ等が如何に筆を振るっても1905年に出版されたプロトコールの内容と1914年以降各国に起こった事実(第一次世界大戦勃発)との間に一脈の共通点が見出されると謂う印象を弱めることは出来ない。

 

 プロトコールが真にユダヤの筆に成ったものか、或いは為にせんとする者の偽作なのか、その何れに拘わらず、プロトコールユダヤ人の世界革命のプログラムを代表するものであることには異論はない。

その預言的性質と過去に於けるある種の秘密結社の取り決めに恐ろしい程似通っている点とから、プロトコールは秘密結社の内部事情に精通し、その理想を結社特有の言葉で発表し得る者の筆に成ったことは明らかたっだ。

 

 最近になってドイツのライシャワー大佐とユダヤ人との間に、プロトコールの真偽に対する裁判が提起され、数年に渡って瑞西(スイス)のベルンで争われた。この時までは事実に基づいてプロトコールの真銘を証明する以外には方法がなかった。

即ち政治的な各種事件、特に最近の数十年に於ける事件が、ユダヤ人フラン・マソンヌリイ(メイソンリー?)に影響されていること、これらの事件がプロトコールが指示する通りに展開されていること、また超国家的秘密力の活動がプロトコールが発表する精神と目的とに全く一致していることが容易に判断されただけだった。

 

 しかしながらベルンの裁判の間に、プロトコールユダヤ人によって編まれ、ユダヤ人の改革案として認められていたことを直接証明する方法が可能になった。

ライシャワー大佐に同情する者が送った資料によってそれが可能になったのだ。プロトコールユダヤ人の作品であることを三人のユダヤ人、つまり二人のラビと一人の改宗ユダヤ(コンヴェルソ)が承認したのだった。※

 

※それでも現在に至るまで、ユダヤ人はこの書について「偽書である」と言い募っている。最新の彼等の「定説」では、これはフランス人が書いた小説を帝政ロシアの秘密警察がユダヤ人の陰謀説に仕立て上げたものである、と言われている。根拠として修辞法が似ている、とされる。でも元々フランス語で書かれたものをロシア語に翻訳したのであるから、修辞法が似るのは、燈照隅のように翻訳をある程度実践した人間にはいかほどの説得力にもなり得ない。しかも、リヴォフ公やケレンスキーユダヤ人)が躍起になって書店から排除したり、或いは欧米でユダヤ人が多くを買い漁って焼却処分にした真意などは固より合理的に説明されて居ない。更にヘンリー・フォードを巡る不可解な金融事件を知るにつけ、その強い意図的隠蔽は疑う余地がない。
燈照隅が思うには、「偽書なら笑って済ませて、大いにその偽書たる根拠によって反論し、コケにすればそれでよいではないか」 却って彼等の執拗な喧伝工作がプロトコルの信憑性を不動にしている。