ナチスの経済政策(1935年当時の調査)10

第三節 輸出促進政策

 1931年9月の英本国金本位停止を始めとして、1933年3月の米國本停止に迄発展した世界経済恐慌に基づく国際通貨制度の混乱並びにこれと相前後して成長した経済的国家主義の現象と共に、ドイツの輸出貿易は絶大な打撃をこうむった。この事実は大戦後莫大な対外債務を負担し、これに対する利払いのためにも貿易勘定の受け取り長歌の増大を必要とするドイツにとっては他国以上に大きい悩みとならざるを得なかった。蓋しドイツ貿易の上に負わされたる最大の苦悩は、対外債務の償却のために年々少なくとも十億マルクの商品輸出超過と、外国為替取得を残さねばならぬことにあったからである。しかも一方外国債権国はドイツの債務履行に有利な条件を与えるほどに自由経済の余裕なく、ドイツ品の輸入に対して寛大な態度をとり得なかったことは既述のシャハト氏の演説にある通りであった。

ドイツはこれに対して他国並みの平価切下げ、インフレーションによる手段を以て対抗することを得ない弱点を持って居た。即ち戦後に於て蒙った前代未聞と云われるインフレーションの惨禍の経験はドイツに於いてはこれは他国の如く不景気の打開策としての福音ではなく、今もなお全経済機構を混乱にまで発展せしめるが如き国民的恐怖観念となっている。従って如何なる政府と雖もドイツ国民に与えるこの心理的悪結果を顧慮する時には正面から、斯かるインフレーション政策を遂行し得ない事情にあった。従って労働振興策を通して実質的には悪性のインフレーション政策をなしつつも対外為替はこれと反対にマルク貨の形式維持を努めざるを得なかった。この原則を維持しつつしかも他方輸出貿易促進のための有効な手段を如何にして講じたか。表面的には平価切下げをなさぬ一種の為替ダンピング、即ち封鎖通貨制度と追加輸出制度これであり、他方輸出保護法の発動により「ドイツ産品が輸入制限を受けている国の産物輸入にはドイツ品輸出保護のため同様これを制限することを得る」となし、更に尚ドイツ海運業に対する補助金を与えて、これに対する防衛手段を講じた。

封鎖通貨制度は、ドイツの国際収支決定の重要な一要素たる対外債務の支払いに基づく、金及び外貨準備の減少防止策としての、所謂トランスファー制限なる部分的モラトリアム政策の副産物であり、1931年7月の金融恐慌以後の為替管理の特産物である。

今封鎖マルクを、種類別によって見れば(1)登録マルク、(2)旧子金封鎖マルク、(3)信用封鎖マルク(4)證券封鎖マルク等に別れる。しかもこの制度化の各種のマルク貨はドイツ国内においてこそ額面平価で通用するが、一度為替関係を通じて外国通貨に換算されると、四割乃至六割の割引を受けることになるため、ドイツの輸出業者はその輸出品代金の支払いにこの封鎖マルクを受けることにより、事実上の為替ダンピングを実行していた。従って封鎖マルクの尤も主要なる用途の一つはドイツからの輸出代金の支払いに当てる場合である。これは一般に追加輸出として知られている。追加輸出とは1931年の信用恐慌当時に於ける外国為替の需給の均衡を図るが爲に導入された為替管理の特産物である。これは実際上政府が輸出補助金を与える輸出奨励の一種である。即ちドイツの輸出業者が、商品の輸出に際して相当の利益を上げることを断念しているにも拘らず、尚外国の同業者と競争困難であり、且つ当該輸出がドイツの一般的輸出の増加に貢献するものである場合には輸出業者の窮境を緩和すると共に、ドイツの輸出を増進する目的を以て、一方各種の封鎖通貨を輸出商品の代金決済に充当せしむる便法を証めると共に、他方輸出業者をしてその商品売却代金を以てドイツの外價証価を購入せしむる途を開き、結局輸出補助金を交付すると同様の効果を挙げ来たったものである。

ナチス政府はこの封鎖マルクと追加輸出制度を利用すると共に、従来の各種封鎖マルクの利用は、ドイツの輸出業者及び外国の取引業者の何れにとっても煩瑣であり、且つ不利益であるとの理由で、1933年9月23日の告示第59号を以て従来の為替管理法の規定を改め、新たにスクリップ又は換算金庫勘定残高を利用する統一的手続きを創設した。かくて1933年10月1日より以降、追加輸出手続きとして、ドイツ外貨証券によるものと、スクリップ又は換算金庫勘定残高に拠るものとの二種のみが証められたのである。

一、外貨証券に依る追加輸出手続き

この方法はナチス政府以前即ち1932年9月5日告示第124号によって確立せられたもので、その後屡々制限の緩和を見て今日に及んでいるが、その骨子は次の諸点にある。

(1)ドイツ輸出業者が商品輸出により取得した外国為替の一部を以てするドイツ外貨証券取得の許可、即ちドイツ輸出業者は次の要件を満たすときは外国為替管理官庁の許可を得て、商品ゆしゅぐにより取得した外国為替の一部を以て、外国に於てドイツ外貨証券を取得し、これを国内に於て換算することが出来る。即ち(イ)輸出取引一件の金額は一万マルク以上なることを要する。(ロ)当該輸出取引は追加的なることを要する。即ち外貨証券の取引を伴わぬ時は成功不可能にして同時にドイツ輸出の総量を引き揚げるが如き取引たることを要する。

(2)ドイツ外貨証券取得のために解放される金額は原則として追加輸出に因りて生ずる損失を調整するに必要な金額が解放されるものであるが、その最高額は商品輸出に因って取得した外国為替金額の六割である。なお輸出業者は次の各号に該当する金額をライヒスバンクに交付しなければならない。即ち(イ)輸出商品中外国産原料品又は製造品の占める部分。(ロ)輸出商品に関して外国に支払った関税額、運送賃、手数料等。(ハ)輸出商品の中に含まれたる外国製品の間接輸入を償う意味において、売却手取り金の一割に相当する金額。但し以上(イ)乃至(ロ)に相当する金額が、取得外国為替金額の四割を超過する時は、その超過金額だけは解放金額から控除される。尚解放せられるものは当該追加輸出に基づいて取得せられた外国為替であって、その金額の何割が解放せらるべきかは外国為替管理官庁が他の条件と合わせて許可決定するのである。

(3)外国為替の解放 輸出業者は右の許可決定に基づき、その取引に基づいて取得した外国為替を所轄のライヒスバンク視点に呈示し、その何割の解放を受けたき旨申請すべき事。

(4)外貨証券の取得及びその売却 は全然輸出業者に委ねられ、しかも輸出業者は外貨証券の買い入れ及売却を外国為替銀行に依頼することが出来る。如何なるドイツ外貨証券をも買い入れ得るが、その償還確定日以前に抽選又は六か月以内の予告を以て償還される如き外貨証券はこの限りでない。又ドイツレンテンバンク、ドイツ土地中央銀行ザクセン土地抵当銀行の外貨証券はその在外視点又はザクセン邦銀行を通じてこれを買い入れねばならない。そしてドイツ外貨証券の買い入れは当該証券の国内における売却が確実な時においてのみこれをなすべきものとされている。

(5)取得外貨証券の処分 輸出業者は右の如くして買い入れた外貨証券を外国為替管理法上外貨証券取得の権限を有する内國人殊に外貨証券の債務者に転売しなければならない。そして輸出業者は所謂資本投資として右の外貨証券を有することを許可されて居ない。かくて輸出業者は外国で額面以下を以てドイツ外貨証券を買入れ、その国内における売却によって取得した利益を以て追加輸出に依り蒙った損失を調整することになる。

(6)ドイツ外貨証券取得の許可決定の通知後三か月に当該輸出取引を完了しなかった時には右の許可決定は効力を失う。

(7)許可決定を受けた輸出業者は毎月六日迄に所轄外国為替管理官庁に外貨の購入及店外に関する明細報告書を提出しなければならない。

 

二、スクリップによる追加輸出手続き

この方法は1933年10月1日から旧い為替管理法に代わって発布されたる新規定によるものにしてその要旨は次の如くである。

(1)本手続きにはドイツ外貨証券を除く一切の対独外国債権が包含される。

(2)今後ドイツ輸出商に対して、その輸出商品代金決済のためにする信用封鎖ナルク及び登録マルクを直接利用することは禁止せられる。尤もこれらの勘定バランスを右の直接利用以外の方法、例えば旅費の支払い又は長期投資に運用する如きは従前通り許容され、その他前布告に特別の規定ある場合には諸種の信用封鎖勘定についてのみ直接的な利用が許されている。従って登録マルクについては専らこれを換算金庫に移管して追加輸出に利用し得るだけである。

(3)信用封鎖マルク及び登録マルクを追加輸出に利用せんとする時は、先ず主として換算金庫にこれを移換しなければならない、即ち(イ)旧勘定及び封鎖勘定は外国為替管理官庁の許可を要せずして自由に之を換算金庫に移換できる。(ロ)前号の勘定バランスは又自由に之をドイツ金割引銀行に移換することが出来る。(ハ)登録勘定の換算金庫への移管はライヒスバンクの管掌する所である。

(4)換算金庫はその移換を受けた勘定残高に対して債権者の選択に従い、(イ)スクリップを発行交付するか又は(ロ)換算金庫勘定バランスとして貸記する。

(5)スクリップとはドイツへ投資して居り、或いは対独債権(例えばフラン證券、株券その他ドイツに対する投資証券及び利権)を所有せる外国人がそれらの投資や債券の生む果実にして且つトランスファーされざる部分に対して交付された証券である。

(6)右の如くして発行交付せられるスクリップの国内取引は禁止される、即ち外国為替管理法上スクリップも亦有価証券の一種であり、他の有価証券と同様の制限を受けねばならぬ。但しドイツ金割引銀行は換算金庫と共に外国為替管理法の制限規定の適用を受けないから、自由にスクリップを取得することが出来るのである。又ドイツ輸出業者は追加輸出に使用するため右銀行に於てスクリップを取得し得るのである。

(7)スクリップ又は換算金庫勘定を付加輸出に利用する手続きは特殊の例外を除いて大体前述のドイツ外貨証券に依る場合の規定が準用せられる。但し輸出取引額については外貨証券の場合には一万マルク以上となっていたに対し、スクリップの場合は百万マルク以上となっている。その他スクリップ取得及換算処分等の実際手続き上多少の差異あるは勿論である。

 

三、外国貿易促進に関する法律

以上の外ナチス政府は輸出貿易促進政策として1933年10月18日には本法を発布している。本法の骨子は次の如きものである。

(1)従来存在していた「外国貿易中央局」(Reichsstelle für den Aussenhandel)を拡大してドイツ外国貿易局と改称し、これに外国貿易評議員会を設置す。

(2)外国貿易評議員会は外国貿易促進に関し、経済界又は関係者より提起せらるる総ての申込及び勧告を審議し、又関係官庁に対して法律的または行政的手段に関する提議を為し得るを以て、将来経済界と政府当局との連絡を一層密接ならしめ、これ等の官庁をして外国貿易促進に関する経済改革方面の必要及見解を速やかに知らしむることを得べく、尚外国貿易評議員は同時に当然その在住地の地方外国貿易局顧問たるものとす。

(3)外国貿易に関仕手関係商社に諸情報を供給し、その協議に応じ、且つ之を代表せしむる目的を以て、地方外国貿易局を設置し、その組織及び管轄区域を定ることを得る。地方外国貿易局は三名乃至五名の理事会において管理せられ、これ等理事は公法的職業関係全員中より経済大臣これを任命す。地方外国貿易局及びその管内経済間の連絡及び諮問機関として、各地方外国貿易局に顧問会を設置す。

 

四、海運業の補助政策

ドイツ海運業がドイツ経済及び国際貸借にとり重要なる意義を有することは、その受取超過額が1927年以来7年間に亘り30億マルク以上を示していることによっても判明する、1933年の恐慌深酷期に於てさえ尚2億7,500万マルクの受け取り超過を示せる如きより見れば海運業の振興問題は単なるハンブルグブレーメン市間の地方的死活問題と云ふよりは、ドイツ国民経済全般の問題であった。然るに従来両市の利害対立しこれに対する統一的政策の実施困難たりしが、複雑なる経緯を経たる後、遂に1933年5月27日の閣議を経て、左の如き救済補助資金の給付を決定した。

(1)本補助金は、ドイツ海運業者をして一方貨幣価値下落諸国海運業者の競争に対抗せしめ、他方政府の失業救済計画に参加せしめんとする目的に出づ。

(2)補助資金の額は、航行船舶一トン当たり半年に付き7マルク10プフェンニッヒを限度とする

(3)補助資金交付の条件としては(イ)国家の補助は原則として租税、社会的負担及びその他の諸債務を完全に履行せる船舶業者に対してのみこれを交付し、(ロ)補助を受ける船舶の乗組員は一般的賃金率によって募集せられたるものなることを要し、(ハ)補助資金を失業海員の新規雇用に用いずして運賃引き下げによる競争の先鋭化に利用する場合は直ちにこれを中止し、(ニ)政府は補助金の返還請求権を留保す。

 

第四節 輸入制限政策

 

輸出促進に関する以上の政策にも拘らずドイツの外国貿易は1934年1月以来著しき輸入超過現象を呈し、1934年度上半期中に於ては左表の如く三月に僅かな出超を見たる外各月入超に終わり、上半期合計に於て2億1,700万マルクの入超額を示した。これを前年同期に於ける出超2億9,100万マルクに比する場合減少せるドイツの金準備と相俟ちその影響は実に偉大なるものであった。

      最近ドイツの貿易状態(単位:100万マルク)

 

 

 

 

 輸入

 輸出

出入超

出+入-

  食糧品

  原料品

  完成品

 

 輸入

 輸出

 輸入

 輸出

 輸入

 輸出

1928年 月平均

1,167

1,023

-144

349.0

51.9

601.5

229.1

204.1

740.4

1929年 月平均

1,121

1,124

+3

318.6

58.9

600.4

243.9

189.1

819.4

1930年 月平均

866

1,003

+137

247.4

40.0

458.0

204.1

149.8

753.1

1931年 月平均

361

600

+240

164.1

29.9

289.8

151.0

102.1

615.0

1932年 月平均

388

478

+89

124.4

17.0

201.0

86.0

60.6

374.0

1933年 月平均

350

406

+56

90.2

14.3

201.7

75.3

55.8

315.0

1934年(上半)月平均

384

348

-36

82.4

11.9

237.7

67.9

60.5

267.5

1934年 1月

372

350

-22

88.7

13.0

233.5

77.6

55.5

258.6

1934年 2月

378

343

-35

79.2

11.6

238.0

71.4

56.8

219.7

1934年 3月

389

401

+12

87.5

13.4

244.7

72.1

61.8

315.1

1934年 4月

398

316

-82

79.0

10.4

253.0

65.7

63.3

239.5

1934年 5月

380

337

-42

75.8

11.0

240.0

61.1

61.5

265.0

1934年 6月

377

339

-38

84.1

11.8

226.2

59.6

64.3

267.1

1934(上半)合計

2,303

2,089

-217

494.3

71.2

1,426.4

407.4

363.2

1,605.2

1933(上半)合計

2,087

2,378

+291

552.7

75.7

1,193.4

441.7

326.9

1,855.2

1933/34上半比較

+216

-292

-506

-584

-4.6

+233.0

-34.3

+36.3

-250.0

             「備考」Wirtschaft u. Statistikの各号より作成す。

 

輸出減退の原因については、或いはドイツ商品に対するユダヤ人の目に見えぬボイコットの威力ともみられ、或いは対ソヴィエト貿易の減少もあり、或いは商品取引の決済の煩雑なる結果とも考えられ、更には又マルク相場の相対的騰貴の然らしめた結果とも云われるが、輸入増加は主として労働振興政策による国内経済市場の呈した活況による原料品輸入の増加の結果であって、実に前年同期に比して2億3,300万マルクの増大を示している。

この外國貿易の逆調がライヒスバンクの準備上に与えた影響は極めて憂慮に値するものであった。即ち左表の如く金準備は1934年1月末11.1%を占めていたものが、同年6月以降は僅かに2%を維持するに過ぎなかった。

ライヒスバンク金及外国為替保有高増減(単位100万マルク)

 

金及外国為替保有

同上対前月比較増減

  銀行券流通高

 準備率

1933年12月31日

395.6

3,645.0

10.9

1934年 1月31日

383.1

-12.5

3,458.4

11.1

1934年 2月28日

340.2

-42.9

3,494.1

9.7

1934年 3月31日

245.2

-95.0

3,674.1

6.7

1934年 4月30日

211.8

-33.4

3,640.1

5.8

1934年 5月31日

135.8

-76.0

3,635.4

3.7

1934年 6月30日

78.8

-57.0

3,776.7

2.0

1934年 7月31日

78.0

-0.8

3,768.5

2.0

1934年 8月31日

78.5

+0.5

3,823.9

2.0

1934年 9月29日

78.9

+0.5

3,918.8

2.0

   「備考」Völkischer Beobachter 及びBerliner Tageblatt 発表ライヒスバンク週報より作成す。

 

以上の現状に対してナチス政府の実行した輸入防遏政策は一応これを間接的方法と直接的方法とに二分するを得る

 

一、間接的輸入防遏政策

この方法としては一般的及び個別的な為替払い下げの制限並びにクレディット使用の制限があげられる。

(1)一般的為替払い下げの制限-為替の一般的払い下げは従前既に相当の輸入取引を行い来たった輸入業者のために許可せられるものである。そしてこの場合における払い下げの標準は1930年7月1日から1931年6月30日迄の期間に於ける各輸入業者の輸入金額の月平均額から、更にその後の輸入価格および数量の変遷等を参酌して一定の減額を行なった額を以て、基本額に対して毎月経済大臣の定める払い下げ率を適用するのである。そしてこの払い下げ率は1933年上半期以来50%に固定していたが、1934年3月に至って同月分の払い下げ率を45%に引き下げ、4月分は35%に、5月分は25%に六月に一挙10%に、更に8月には5%に引き下げを行なったのである。

(2)個別的払い下げの制限―個別的払い下げは一般的払い下げ適用の資格なき者、又は1930年7が1日以降1931年6月末日迄の期間に対して特に政府穀物管理庁の管理に服する商品の輸入に対して許可せらるる。そして個別的払い下げの標準については、一般的払い下げの場合に於ける如く一定の形式なく、為替管理局の内規によって輸入業者ここに対する限度を定めこの限度に対して一般的払い下げと同様の払い下げ率を適用する。

(3)クレディット使用の制限―為替払い下げ制度の範囲外に於いて輸入資金を調達する第二の方法として外国海運業者によって与えられるクレディットの使用である。これは従来為替の一般的払い下げの場合と同様に、1930年7月1日知以降1931年6月末日迄の期間に於ける各輸入業者のクレディット使用月平均額から一定の減額を行なって信用使用限度を決定し、この限度までクレディットの使用を許し来たったのであるが、1934年4月よりこれが使用限度に対して30%の制限を加えることとした。即ち輸入業者のクレディット使用限界は信用使用限度の70%以内と定められた。尚従来は輸入業者が一般的為替払い下げ及使用限界の二つについて許可を得ている場合には、一般的為替払い下げの際その基本額から払い下げ率の適用によって控除された残額は、これを更にクレディットの使用限度に加えてこの金額までクレディットの使用を認められていたが、上述の為替制限と同時にこの特典は廃止された。

(4)以上の如き方法によってもなお且つ輸入資金の決済し得ぬ場合が生じ外国為替は愈々甚だしき欠乏を告げるに至った。このために一層厳重な為替制限を要求するに至った爲、ライヒスバンクは終に1934年6月25日から大要次の如き為替分配制度を実施するに至った。

(イ)ライヒスバンクは毎日の為替分配額をその受入額以内に限定する。

(ロ)右の分配に際しては分配申し込みの外貨如何により、必ずしも同一の取り扱いをなすことなく、原料品および食料品の輸入決済のためにするものを優先せしむる。

(ハ)従来免許によって直接決済を認められたものについても、今後は総てライヒスバンクに対して分配の申込をなすことを要する。

(ニ)郵便為替による海外への送金は今後総てこれを禁止する。

(ホ)但し国際貿易の決済を容易ならしめる目的を以て現に行なわれている外国中央銀行特別勘定への払い込みには本令を適用しない。

右の如き為替分配制度の採用によって中央銀行金準備の危機をある程度緩和せることは事実にて、現にこの制度を実施した6月25日以後に於いては、ライヒスバンクの金及外国為替準備高は今日迄7,700万マルク台を維持するを得た。

然し乍ら他面この制度は又経済界に対し少なからざる不便を来さしめた。蓋しこの制度実施の結果、ドイツの輸入業者は為替管理局によって認められた前述の如き為替の一般払い下げ率に従う分配を実際受け得るや否や全く不確実となり、従って彼等が従前の為替払い下げ率の予想の下に、既に外国商品の買い付けを行った如き場合には、期日に於て支払いを行い得ないこととなったが故である。即ち目下ライヒスバンクに於ける日々の外貨受入高は、到底一般の為替需要を充たすに足らずその分配割合は実際僅少となって居り、事実必需品原料品の支払いに対する分配すら意外の少数に止まり、支払いの種類に掘っては時として分配会務の例さえありと云われている。そして分配割合の決定は政府及び各省委員及ライヒスバンク委員から成る為替分配委員会の裁量によって行われ、その順位は大体に於て短資据置協定上の支払、通貨貿易の支払い、外国人自由勘定上の支払等を首位とし、次に必需原料品、及び普通商品に至るのである。

(5)為替分配制度に基づく支払いの支障に伴い、従来ドイツ商人の享有し来ったクレディットの利用も不便となった爲、茲に右制度の不都合を除去する目的を以て主なる通商国との間に特別の商業債務決済方法が樹立された。そしてその最も顕著なる例は1934年8月11日にベルリンに於て調印されたる英独為替清算協定であった。

抑々この為替清算協定なるものは為替乃至金の交付によらずにドイツ諸債務の支払いをなし、その上輸出入貿易を行ってゆこうと云ふのであるから、清算協定はドイツが輸出超過国である国々との間に最も結び易い。蓋し清算協定の締結は二国内の輸出入を互いに相殺しあい輸出超過の結果生ずるドイツの債権の中から支払いを行おうと云ふのである。併しドイツは輸出超過の結果生ずる債権を全部諸債務の支払いに当てるわけには行かない。かくては原料の輸入は全然不可能になってしまうから、従ってドイツは出超によって生じた債権の中一定の額だけを外国貨の形において獲得することが是非とも必要となって来る。ここにおいてスイス、フランス、ベルギー、イギリス等と7月以降順次この協定が結ばれたのであった。

今英独為替清算協定の骨子につき見るに次の如くである。

(イ)ドイツ商社にして英本国の生産、製造、又は加工に係る商品を輸入し、その債務額が外国為替分配制限を超過する場合には、この超過額をライヒスバンクに新設せらるべき英蘭銀行特別勘定に、マルク資金を以て払い込むことを得る。

(ロ)英本国の商社にしてドイツ商社より受けり金額を外国為替管理令によって処分せざるものは右特別勘定に払い込むことを得る。

(ハ)英蘭銀行は特別勘定に積み立てたるマルク資金を、ドイツ輸出業者その他のライヒスバンクの同意するドイツ債権者に対する支払いに当てる為に処分し、その資金を以て英国債権者にスターリングの支払いを行う。

(ニ)ライヒスバンクは右の資金未処分額500万マルクを超過するを得ず。もし超過する場合は直に特別勘定の払い込みを停止することを得る。

(ホ)次の場合には外国為替分配額の10%を限り右協定の適用を受ける―(a)英本国以外の商品にして1933年1月1日以前より引き続き英本国の商社を通じ直接ドイツに輸入せられ居る場合、及(b)英国属領地の生産又は製造に係る商品にして該地を通じ直接ドイツに輸入せられ居る場合。

(ヘ)本協定は英独何れも二週間の予告を以て又ドイツ側はマルクの安定が脅威される時は直ちにこれを廃棄することを得る。

以上の外ドイツは1934年7月下旬スイスと従来の支払い協定を改定して清算協定を締結したのを手始めとして、9月末までにフランス、スウェーデン、ベルギー、オランダ、イタリアと同種の協定を締結した。これら協定は特殊の事項を除き、両国中央銀行における相手国中央銀行の「特別口座」を通じて輸出入代金を交互に清算すると云ふ点において大同小異であった。

例えばオランダとドイツ間には1934年8月31日を以て私債トランスファーに関する協定が締結されたが、それによれば、ドイツのオランダ私債務中賃貸借及使用貸借に関する債務、及利率4.5%以下の一般債券、株券及その他の債券の利子はこれをトランスファーするも、右の利率を超えるものの利子は元金償却に充当せらるることとなった。尚本協定によって支払われる利息のトランスファーに必要なる外国為替は、オランダ政府よりドイツに注文せらるべき商品の代金金額を以て之に充てるも、利息のトランスファーを受けるオランダ債権者はその利息請求権の大部分を放棄し、これに因りて生ずる剰余額は対オランダ債務の元金償還及ドイツの対オランダ輸出の増進に資せられる事となった。

 

二、直接的輸入防遏政策

外国為替の窮乏に基づく、為替割当額の引き下げの結果生じた種々の矛盾を回避する為には、輸入原料の直接的統制を行なうより道はなかった。従ってナチス政府は以上の間接的な輸入防遏策の外に直接的輸入抑圧政策を行った。

これについては1934年3月16日、ドイツに於けるアメリカ商業会議所の年次祝宴の席上においてシャハト・ライヒスバンク総裁はその演説の一節に於て次の如く表明した。

「斯かる発展は我和絵をして、我が国自身の利益のためのみならず、全体の世界経済の利益のために新たな方策をとるの余儀なきに至らしめている、輸入のための外国為替割当額の更にこれ以上の切り下げはその直接的帰結たるべく、更に又原料の輸入を直接に制限することも必要となるであろうとも考える。」

(1)これに基づき前述の如く4月分の為替割当額を35%に引き下げ、更に進んで同年3月22日には「工業原料及半製品の取引に関する法律」(Gesetz über den Verkehr mit industriellen Rohstoffen und Halbfabrikaten)を制定し、ドイツの経済に必要欠くべからざる原料を経済的に出来るだけ合理的な分配を行うことによって、工業に対する原料補給を確保しようと企てた。実に原料輸入統制への第一歩をここに踏み出した次第である。同法律の骨子は即ち次の如くである。

(イ)國経済大臣は工業原料及半製品の取引、就中その製造、分割、貯蔵、販売及び消費を管理し統制する権能を付与される。

(ロ)國経済大臣は前項の目的のために一定商品に関し管理局を設置することを得る。管理局は凡そ國経済大臣の任命する管理官の指揮に服し、管理官は國経済大臣の指揮に従う。國経済大臣は各管理官を代理する一命又は数名の代理官を任命す。國経済大臣は管理局経費を関係当業者より徴収することを得る。

(ハ)核管理官は補助評議会を設置することを得る。國経済大臣は補助評議会の委員数を決定し、関係当業者よりこれを任命する。

本法を基礎として、ナチス政府の実際に施行した輸入制限政策の骨子を見るに、國経済大臣は先ず3月26日綿花、羊毛、植物繊維及卑金属(鉄及鋼を除く)に対する管理局を設立し、次いで4月10日には比較、5月11日にはゴムと云ふ風に、9月24日までに更に工業用油、鉄鋼、煤炭、綿糸、タバコ等について11種の管理局が設置された。これらの管理局の権限としては第一にその管理に服する各原料品の一定期間に於ける買入限度を設定し、第二に上記原料及半製品の各加工工業の手持ち高の限度を決定することであった。

この監理局は1934年5月5日からその事務を開始したが、政府はそれまでの暫定的措置として、織物原料については3月24日より5月末日まで、又銅については3月26日より5月末日迄、皮革については4月10日より5月末日迄、採油用種子には5月21日より8月23日迄、夫々海外市場に於ける買入を禁止した。

(2)然るに9月11日に至って、政府は更に新輸入統制令(VO. zur Änderung der VO. über die Devisenbewirtschaftung)を発布し9月24日からこれを実施することになった。これは前法の目的とする工業用原料輸入を抑制し、以て金準備の減少を防止し、工業界における原料品の配給を円満ならしめ、以て労働振興計画の遂行に支障なからしめんとしたことが実現せず、却って外貨枯渇の情勢に直面した結果、政府がさらに支払い可能の限度において輸入制限をなさんとしたものである。今その要旨を摘記すれば次の如くである。

(イ)従来の原料品輸入統制令及為替割当制は廃止され、統制の範囲は独り原料品のみならず、農産物をも含む輸入品全部に拡大され、その管理は外国為替管理局の手から、貿易統制局の手に移管された。

(ロ)従来11の貿易管理局を左の25局に拡張した。第一 穀物、飼料およびその他農産品、第二 畜類および畜産品、第三 乳酪製品及び油脂、第四 卵、第五 木材、第六 園芸化品、飲料その他食料品、第七 羊毛その他動物毛、第八 綿花、第九 綿糸綿製品、第十 生糸、人絹及衣類その他類似品、第十一 麻類、第十二 卑金属、第十三 鉄鉱及銑鉄、第十四 工業用油脂、第十五 皮革、第十六 ゴム、アスベスト、第十七 顔料、第十八 砿油、第十九 化学製品、第二十 タバコ、第二一 石炭及塩、第二二 毛皮類、第二三 紙、第二四 美術工芸品、第二五 その他。

(ハ)輸入業者は輸入に際し当該管理局より外貨証明書の下付を受け、これを税関に提示して輸入の許可を受けるべく、外貨証明書を有するに非ざれば輸入貨物に対する支払いを為すことを得ない。即ち監理局は輸入品の性質により絶対になくてはならぬもの、比較的重要なもの、なくても可なるもの等を認定し、それを標準として許可を与える。尚輸入の少なからぬ部分は清算協定によって決済されるから、輸入相手国とその協定が結んであるか否かと云ふ問題も許可する場合に一つの条件となるを以て、精算勘定の有無は相手国の貿易に非常な影響を与える訳である。

(ニ)貿易管理局において発行する外貨証明書の額は経済省、食糧農業省及ライヒスバンクの協議によってこれを定む。

(ホ)商品輸入に関する限り外貨自由取得額の限度を50マルクから10マルクに引き下げる。

かくて新輸入統制令は単に従来の制度の欠点を排除したるに止まらず、従来外国貿易は為替制限及関税等の方法によって一応の制限は受けていたとは云え、併しその範囲において自由に放任されていたのであった。然るにこの法令により自由貿易の原則は廃止され、今や全面的な計画貿易の原則が実施を見るに至った。