ナチスの経済政策(1935年当時の調査)04

第三章 労働政策

本章に於いて取り扱う労働政策は主としてナチスの失業対策に関するものであるが、これ独り労働者階級のみに対するものでなく、広くドイツ産業部面全般に対する施設でもある。従って斯かる失業対策の意義より見て之を労働政策として取り扱うことは問題であるが、便宜上この題下に論じ、次いで各種の労働立法上の変化を明らかにする

 

第一節 世界恐慌と失業問題

失業問題のドイツに於ける意義は既に経済問題をば離れて、政治的異議をすら帯びていた。1929年秋アメリカ合衆国を襲った世界恐慌の波は大戦によってアメリカと対蹠的な貧窮国となって居たドイツをも、忽ちその嵐の中に巻き込み、次いで1931年のドイツ信用恐慌はドイツ資本主義の核心を動揺するに至った。左に示す失業者数の増加は恐慌のドイツ資本主義への影響を端的に物語るものである。

1929年度各月平均失業者数(千人)       1,899

1930年   同                                        3,076

1931年   同                                        4,521

1932年   同                                        5,603

1933年   同                                        4,804

(備考:Statistisches Jahrbuch fur das Deutsche Reich 各年度版による)

 

右に拠ると1929年度の各月平均百八十九万人に対し、ナチスの覇権獲得の年たる1932年の各月平均は五百六十万三千人に約三倍の増加を示して居る。先にドイツの労働階級がワイマール憲法によって保障された労働権の保護をば更に失業保険制度へと切り下げられたのは1927年度のことであった。そしてその意図する所は、国庫をして失業の負担より解放し、民衆をして貯蓄を涵養し、更に怠惰なる者を消滅せしめるにあった。

然るにこれらの効果が実現する以前に、合理化と世界恐慌による生産の萎縮とは失業者の夥しい排出を齎し、国庫の負担を以前にも況して高め始めた。かくて失業者救済のための費用は恐慌失業者、福利失業者の救済費を合して1929年にはかつて異常に増大したと言われる1926年の12億2,710萬マルクを突破して17億6,400万マルクとなり、1930年には遂に26億9,500万マルク、1931年度には実に32億1,700万マルクと驚くべき増加を示した。これに応じて国庫よりの支出も著しく増加し、これが為にはミューラー内閣当時の労働相ウィッセルの大規模な失業保険法の改正が行われたのであるが何等の効果なきものとなって居た。

次に成立したブリューニング内閣は社会政策費、失業救済費の切り下げをその中心政策の一つとして。そしてこれが遂行の爲に議会主義を否定する例の憲法第48条による緊急令政策を実行したのであった。ブリューニング内閣のこの政策に対してはドイツ共産党は幾度の反対の動議を議会に提出すると共に、外部に於いてもストライキその他の方法に於いて闘争し、ドイツの内が居は宛然政治的危機の到来を思わしめた次第であった。1931年3月28日に大統領ヒンデンブルグの名に於いて政治的騒擾を弾圧する緊急令が発布されたのはこの頃である。この目標は言う迄もなく戦闘的プロレタリアの運動を弾圧することにあったのだが、如何なる命令も労働階級の犯行を鎮圧し得なかったと見えて、左右両翼の闘争は次第に激化し本令の発布後二か月にして死者15名、重傷者少なくとも二百名を出すに至ったと言われている。

経済恐慌の打撃もここに於いてはすでに経済的領域を離れて、政治的領域にまで進んでいる。議会を否定してはいるも尚議会の中から生まれたブリューニングに代えるにフォン・バーベンを以てし、遂に社会的将軍フォン・シュライヘルへと短時日間に三大の内閣の成立を見たのも主たる原因はここに存するのである。

この間に於いて失業の防止又は救済についてはブリューニング政府の時代から種々の対策が為されたが、就中バーベン内閣となってからは失業者の爲に直接新たなる就業の機会を提供し、積極的に社会から失業を除去せんとする所謂経済振興に関するバーベン・プログラムなるものが発布されたことは第二章に述べた所である。次いでシュライヘル内閣に於いてはゲーレケの緊急計画の立案となり、遂にヒトラー政府の大規模失業撲滅政策に至る迄歴代内閣の政策はこの問題を中心として樹立された観がある。

バーベン・プログラムは労働者に対してのみでなく、一般産業を目的とし、それは主として租税負担の軽減に依って、一般私経済の振興を促し、以て就業者を増加せしめんと企画したものであるが、当時の財政状態に於いて即時減税を行うこと困難なりしを以て、先ず租税証券なる独特の制度を案出して将来の減税を企図し以て経済界の振興をはからんとした。この方法は1932年10月1日から1933年9月30日迄の期間に於いて、特定の主要税に付き納税者に対し納税額の40%減に相当する額面の租税証券を交付し、これを1934年以降1938年度迄の五ヶ年に分割して、税金の納入に充当せしむることとした。換言すれば右の五ヶ年間に各年平均8%の減税を目論んだものである。この租税証券の交付予定額は最初約22億マルクと推算されたるも、納税額の減少や、バーベン内閣の更迭等によって完成せず、実際の発行額は1933年末迄に約15億マルクに止まった。バーベン内閣は右の主たる計画の外、補充的に幾多の土木事業を遂行して失業減退を計った。バーベン内閣は二度も議会を解散して、独裁政策を行わんとしたが、前述の如き内部からの破綻によって没落を見た。後を継げるシュライヘルは別に有効な失業対策の樹立を必要と認めゲーレケをして緊急計画を樹立せしめたが、之はバーベンの如く人為的政策により財界自体の振興を待つが如き間接的方法ではなくして、寧ろ直接に公共団体をして各種の土木事業を実行せしめ、以て直接且つ積極的に就業者を増加せしめんとしたものである。この爲に政府は六億マルクを限度として公共団体の事業に必要な信用を保証したのであった。而もシュライヘル内閣もその成立後18日にして辞職した関係上、右の計画も中途に終わり、之が続行完成の責任はヒトラー内閣の重大使命として残されたものであった。

 

第二節 ナチス失業対策の特徴

ドイツの政治的危機克服の爲と且つドイツに於ける独裁主義の完成の爲に登場したナチス政府の失業対策は如何なるものであるか。

これに対してヒトラー自身で、1932年2月1日の「ドイツ国民に告ぐる」なる組閣方針演説中に於いて「政府の二大四か年計画の一つとして失業に対する強力にして広範なる攻撃を加えることによってドイツ労働者の救済を期する」旨を述べて居る。

かくてナチス政府はこの失業減少の爲に当面一切の勢力を集中する旨の宣言を為して、大わらわな活動を開始した。而もその性質は別に前政権と異なった方策とは言えないが、強いてその特徴を挙げれば、従来に比して一層精神的方面を重視したことである。即ち従来の失業救済は単に経済的、物質的事情のみに囚われ、景気の恢復、人口の減少等を主とするも、ナチス政府はともかく労働の機会を与えることを以て第一義と為した。これによって報酬及び待遇は低下しても働く機会を与え、以て失業によって受ける精神的苦痛を克服するにありとした。この爲に例えば後述する如く地方公共団体によってその土木事業に雇い入れられた失業者に対しては従来通りの失業手当に加えるに、月25マルクの需要充足証券を交付したり、或いは「職場の交換」と言う名の下に25歳以下の独身労働者を総て工業から解雇し、これを農業乃至家庭の労働に従事せしめ、之に代わって青年失業者を雇用せしめて以て失業減少に資し、併せて土地よりの分離による人口減少傾向を防止せんとしたり、更に又ナチスの精神を受け容れぬ、共産主義的又は社会民主主義労働組合の過去の指導者とか有力者とかを失業救済の範囲外に置いた如き之である。以上のことは必ずしも精神的要素の導入とばかりは言われないが兎に角一種特徴ある方策である。従ってナチス政府の発表する失業統計からはかかる分子が除去されているを以て、その減少数は額面通りには受け取りえないと言う事も亦判明する次第である。

 

第三節 各種失業救済対策

ナチス政府が、バーベン・シュライヘル政府の後を受けて行った失業救済政策の最も大規模のものは、1933年6月1日公布の第一次失業減少法(Gesetz zur Verminderung der Arbeitslosigkeit)及び同年9月21日に公布されたる第二次失業減少法の中に盛られた諸施設である。

(一)「第一次失業減少法」

この法律は1933年6月1日公布されその内容は次の五項目より成る。(1)就業増加対策(2)機械器具購入及び修繕に対する免税(3)国民的労働女性の爲の任意的寄付金(4)婦人労働力の家庭還元化(5)結婚奨励制度これである。これらは何れも就業の増加に関しないものが無いが、就中その根幹が第一項にあることは改めて指摘するまでもない。その内容は即ち次の如くである。

(1)就業増加対策としては、先ず授職対策はゲーレケの緊急計画に類似し、唯その範囲が著しく拡大され、大蔵大臣に対して10億マルクまでの大蔵省証券発行の権限を認め、以て国民的労働助成に当らしめた。

本法によって助成される事業の種類は次の如く八種に大別されている。(イ)邦及び各種公共自治体の庁舎、官公舍、橋梁その他の建築物の修繕並びに保管工事、(ロ)農業用建物の修繕、建て増し、大住宅の分割、(ハ)都市郊外の小住宅建設、(ニ)農業的内地植民、(ホ)河川治水工事、(ヘ)ガス、水道、電気供給設備工事、(ト)邦及びその公共自治団体の営む土木工事、(チ)要救護者に対する実物給付等これである。

而してこれらの事業中(イ)、(ハ)、(ニ)、(ホ)、及び(ヘ)の項目の事業の助成は政府貸付金によって行い、且つこれが助成を許す条件としては、該事業が国民経済上価値あるものにして、自己の資力を以てしては当分之を完成し得る見込み無きものに限ることとし、(ロ)及び(ト)、(チ)の事業に対しては補助金を与えることとした。

而して(ト)の邦及び各種公共自治体によって実施される土木事業に対する補助金の交付条件としては、該事業が国民経済上価値あるものにして、事業者の財力では一定期間に着手し得ざるものたること、その事業は遅くも1933年8月1日迄に開始され、且つ不当に公費の騰貴を来たさざる限り出来得る限り人間労働力を使用の事、且つ出来得る限り国内失業者を以て充当することが規定される。尚このために使用される失業者に対しては労働法の意味における雇傭関係は適用されずに、従来通りの失業手当が支給される外に、尚四週間完全労働に従事する毎に、必需品購買券の形式に於て25マルクの国庫補助が行われる。本購買券によって指定販売所に於て被服下、着及び家庭用具を購買するを得る。この外に一日一回の暖かい食事又はこれに相当した手当てがこの種労働者に支給される。救護者に対する実物給付の爲には、当該地方の救護組合に対して、必需品購買券の形式による補助金が交付され、この購買券は国庫に於て指定販売所の要求にの途月現金引換えを為す。以上の諸事業の外に労働大臣と大蔵大臣の協議選択する公共事業に対しては後述する国民的労働助成寄付金よりの収入からの貸付金が為される。

(2)の機械器具購入及び修繕に対する免税策としては、機械器具及びこれに類似する農業上又は工業上の物資の購入又は製作に要する費用にして、次の条件を具備する物に対しては所得税、法人所得税及び営業税賦課に際し、利益金決定を行うにおいてその金額をば控除することを得る。即ち(イ)新品にして国内生産物たること、(ロ)納税者は新品を1933年6月30日より1935年1月1日迄に購入又は製作すべきこと、(ハ)新品は当該經營に於て在来使用せられたるものと同種の物品に代替すること、(ニ)新品使用の結果、当該納税義務者の事業内に於ける被傭者の減少を来たさざること。而してこの場合の免税は之を経済的に考察すれば、機械器具の購入又は修繕について免税額と同額の補助金を交付することと為し、以て機械類に対する需要を喚起せしめ、その生産を増加せしむるものと予想されたのである。

(3)国民的労働助成基金制なるものは、国民の自由意思による寄付金より成り、失業救済目的の爲に、適当に使用される。この基金に寄付せるものは二様の特典を享ける。第一には寄付金額丈課税所得額より控除され得る。第二に、寄付者が悪意からでなく租税納入をを怠って居たものであり、寄付金額が租税滞納額の50%以上に達したときは、滞納に基づく刑罰を免れる。

(4)婦人労働力の家内経済への移入は現に失業中の家庭労働者を家庭経済に復帰せしめんとする目的を有し、家政婦を採用した世帯主に対して或る程度の租税上の特点を与えんとするものである。

(5)結婚奨励の項に於ては、婚資の貸与によって職業婦人の結婚を助成し、之によって男子の労働力又は失業中の女性への就職率を増加せしめんとするにある。この規制を利用し得る女性は従来の職を退き且つ貸与金を償還する迄は再び何等の職業にも付き得ざる義務を有する。結婚奨励資金は本法施行後結婚を為すドイツ国民に対し、申請に基づき一千マルクを限度として、次の条件により無利子を以て貸し付けられるものである。即ち(イ)妻たるべきものは1931年6月1日より1933年5月31日迄の間に、少なくとも六か月間国内に於て雇傭関係にありたること、(ロ)妻たるべきものは遅くも婚姻締結の時期に於て被傭者としての業務を抛棄するか又は申請提出の時期までに既に之を抛棄したること、(ハ)夫たるべき男子が月収125マルク以上を所持し、且つ結婚貸付金が完済されざる限り、妻たるべきものは義務として再び被傭者たるを得ず。但しこの場合尊属親の世帯若しくは經營に従事することは、本法による被傭者とは看做されない。貸付金は夫たる者に交付され、財産分離の場合は配偶者各個に半額ずつ交付すること。本貸付金は前述の如く無利子にて、交付後三ヶ月後より償還すること、最初の貸付金額の1%ずつの月賦にて、夫の所得税を管轄する税務署に償還するを要す。この場合配偶者は連帯責任者としての償還責任を有す。而もこの貸付金は現金によらず、必需品購買券の形式で貸し付けられ、この購買券は指定の販売所に於て家財、什器を買い取り得ると共に、販売所は税務署より現金を以て引き換えられることになって居る。

而して政府は右貸与金の実行に必要なる資源を得る為に独身者から結婚補助課金なる一種の独身税を課した。この課金は後の税制改革に於て、所得税に統一せられたが、その納税義務者は所得税法の意味に於ける所得を有する凡ての独身者にして、而も独身者とは一般未婚者並びに鰥夫(やもめおとこ)若しくは寡婦及び離婚者を指す。但し離婚したる妻、貧困なる両親の扶養の爲一ヶ年少なくとも所得の六分の一を消費し、且つこの理由に基づき所得税、賃銀税の軽減せられて居る者、又は55歳以上の者は免税される。本税の課率について見るに、その課税標準は月収75マルク以上の者に限られその徴収割合は労働者、俸給生活者と大所得者とに対し所得額に応じ、左の如く比例的に課税される。

 

       賃銀及び俸給所得              個人所得納税者の所得          課率

         75~150マルク未満               750~1,300マルク未満         2%

       150~300マルク未満            1,300~3,100マルク未満         3%

       300~500マルク未満            3,100~5,500マルク未満         4%

                500マルク以上                         5,500マルク以上         5%

 

以上6月1日の第一次失業減少法は不況の爲に特別に不具化されたる経済的諸力を発展せしめ以て硬化せる経済に新たなる生気を与えんとするにあった。従ってそれは曾てバーベン内閣当時の失業対策の如く重点を経済界への影響を十分に考慮した処の景気恢復策に重点が置かれた。

 

(ニ)第二次失業減少法

これは1933年9月21日を以て発布された。本法は6月1日の第一次法の目的をさらに徹底せしめんとするものにて、その内容は(1)建築物の修繕並びに補完工事、(2)農業地租の引き下げ、(3)農業に対する取引税の引き下げ、(4)私設小住宅及び自己有家屋に対する免税等を規定するものである。

(1)の建築物の修繕並びに補完工事に関する部に於ては大蔵大臣に総額五億マルクを限度に於て、建築物の修繕並びに補完工事促進の爲支出する機能を与えた。支出条件としては該工事が監督官庁により国民経済的価値ありと認められる場合に該建築物所有者に補助金を交付する。補助金の割合は修繕及び補完工事の場合には総額の五分の一、その他の場合には二分の一と規定され、別に事業者が国の補助金以上に自己資金若しくは借入資金を以て支辨した金額に対しては、年四分の利子を保証し、その年限は1934年より1939年まで継続するものとする。政府の推定によれば右補助金を基礎として、その約四倍即ち二十億マルクの事業を実行せんとするものである。これによって高層建築事業に関係ある現在の従業者を冬季中も亦その業務に止まらしめんとした。

(2)の農業地租の引き下げは1933年10月1日以降の農業地租総額一億マルク迄を引き下げられることとし、大蔵大臣は地方別に地租引き下げ額を決定し、先ず県の地租の廃止若しくは引き下げを行い、若し剰余ある場合には市町村地租の引き下げをも行おうとするものである。

(3)は農産物の取引税の引き下げを規定し、これにより農産物の流通を円滑にしようとした。

(4)新設小住宅及び自己有家屋に対する負税規定に於ては1934年3月31日以後(1933年度中に骨組み完成したものは1934年5月31日以後)に引き渡し完了すべき小住宅若しくは自己所有家屋には所得税、財産税及び県税地租並びに市町村税地租の半額を免除する。

これらは何れも租税の減免によって間接的に事業活動を振興し以て失業の減少に資するためにしたものである。

(三)その他の直接的対策

以上の第一次、第二次失業減少法の外に尚諸多の失業減少政策が行われている。その主なるものを挙げれば次の如くである。

(1)ナチス政府の創案に非ざるも前代の諸政府の計画を受け継いで政府は数億の資金を失業救済のために投下した。即ちバーベン政府の失業救済対策に関するものと、シュライヘル政府時代の緊急政策の続行これである。何れも土木事業、建築事業への投資を主とし、ドイツ公共事業株式会社等の引受手形発行に基づいて金融するものである。

(2)大規模なる国家的土木計画の遂行で例えば1933年6月27日に決定されたる國自動車道路の建設、河川工事、内国植民の爲十五億マルクの資金準備を為し、之によって四十万人の地下工事労働者の就業増加を企てる。

(3)ドイツ鉄道株式会社及びドイツ郵便、電信事業も各六億二千五百万マルク及び七千七百万マルクの資金を失業救済の目的の爲に33年度に別に投下することに決定した。

(4)農業に於ける失業者を救済するために六か月以上引き続き農業労働者を雇傭する際には月25マルクの補助を農業企業家に与え、労働者には生活に必要なる最小限度の賃銀を与えるに止めることが出来る事になった。

(四)その他の間接的対策 -以上の失業対策は何れも直接的な救済施設なるが、この外にナチス政府は謂わば間接的な方法によって種々の対策を為した。その主なるものを列挙すれば次の如くである。

(1)自動車税の免除 -これは1933年4月11日の自動車税法(Kraftfahrzeugesteuergesetz)の改正により、自動車事業の振興によって失業者に就職口を与えようと言う目的を以て、1933年3月31日以後新たに走り出した自動車に対して免税を規定した。

(2)租税及び公課の免除 -これは1933年7月15日の租税軽減法(Gesetz uber Steuererleichterungen)により主として失業の救済及び輸出貿易の促進を目的とする。即ち本法第一条は1933年6月30日より1935年1月1日に至る迄の間に於いて、営業用建物の修繕及び補足工事を為す者に対し、その経費の1%に相当する所得税及び法人所得税の軽減を行うこととし、但し斯かる軽減を受ける条件としては当該修繕及び補足工事には原則として内国品を使用することを要するとしたのである。「惟うにドイツに於ける営業的建物の爲に使用された金額は、1912年に15億マルク、1928年18億9千万マルク、1929年16億8千万マルク、1930年15億3千万マルク、1931年8億8千万マルク、1932年4億3千万マルクとなって居り、1928年から1932年迄の間に14億6千万マルク即ち約77.25%の減退を示して居る。その結果営業的建築業に於て約27万人、その他之に関係ある諸経済部門に於て同様約27万人の失業者を出し、斯かる失業者の発生による租税及び社会的課金の収入減少額は約3億マルクに達し、他方失業救済費は約2億7千万まるくを増加した為、結局年額合計7千万マルクの財政的負担増加を惹起したのである。この事態に鑑みたヒトラー政府は営業的建築の奨励によって失業の緩和と財政的負担軽減と言う一石二鳥的効果を狙った」ものである。

次に本法第二条は労働者の購買力増進か失業者の軽減と経済界全体の振興とに対する重要な前提なりとの観念に立脚して、若し企業者が労働者に対し契約上賃銀外に臨時的贈与を為す時は、これは所得税法上の所得又は相続税法上の贈与とせざる旨を規定する、但し本条に拠る贈与は1933年8月1日より同年12月31日迄の間に於いて需要充足証券(衣服・家具)の形に於て与えられることを要し、且つ右証券は税務署に於て一定金額引き換えに取得されるべきものと定められて居る。但し免税は契約賃銀が三千六百マルク以上の年収者には適用されない。

本法第三条の規定は新企業に対する免税を定めたものであって、大蔵大臣は国民経済上必要ありと認める場合には、新たなる生産方法の発達又は新たなる物品生産を目的とする事業に対して所得、収益、財産又は取引等に関する國及び各邦税の全部または一部を一定期間免除することを得る旨を規定している。

(3)市町村債整理法(Gemeinde Umschuldungsgesetz)-之は、1933年9月21日発布されたものにして、資本利子の低下によって資本活動を活発ならしめ、ひいて失業の減少に資せしめんとして市町村の短期高率債務を四分利の長期債に借り換えんとせるものにして、これにより従来大部分の公債を高率の短期債として有する自治体の利子負担軽減に資した。即ちこの爲に市町村整理組合なる公法上の団体が大蔵大臣監督の下に設置され、地方自治体にして短期債を有し、自力を以てその償却を為し得ないものは、これに加入するを得る旨を定めた。加入自治体はその債務を同組合の発行する債務証券に変ずることを債権者に提案するを得る。債権者は之に対し一ケ月以内に返答せざる場合は承諾と見做され、拒絶する場合は提案の日より五か年間据え置きとされる、債権者の承諾を得たる場合は負債整理組合が当該市町村に代わって債務者となり、債権者には四分利付き債権が交付される。これが利払い及び償還を市町村が延滞せし場合は大蔵大臣が保証の責に任ずる。本法は後述する農業負債の整理と相俟って資本活動を活発ならしめることに役立つものとされる。

(4)婦人家庭使用人失業保険義務免除法(Gesetz zur Befreiung der Hausgehilfimen von der Pilicht zur Arbeits losenversicherung vom 12, Mai 1933)-之は1933年5月12日発布され、之により家庭使用人の業務は1933年5月1日以降被保険義務免ぜられ、更に婦人家庭使用人の癈疾(はいしつ、障碍者)保険の掛け金は1933年5月16日の命令に依って一週60ブフエンニッヒと言う大幅の軽減を受け、これによって女中の就業率を著しく増加せしめた。

(5)労働雇傭統制法(Gesetz zur Regelung des Arbeitseinsatzes)-之は1934年5月15日に次の二つの目的を以て公布された。(イ)都市における失業者の減少、(ロ)農業労働力の補給及び維持これである。而してその具体的な方法としては一定地域内への労働者又は被雇人侵入の制限、他は農業労働者転業の制限及び復帰の爲に解雇することであって、本法によって一定の人間は住居の自由及び職業の自由を侵略される次第である。

本法第一条によれば國労働紹介および失業保険局長官は、失業者多き地域に対し、命令の効力発生の日に本地域内に住居を有せざる者は、予めその同意を以てのみ、其処に労働者又は被雇人として雇傭せらるべきことを規定するを得ると規定し、失業者多き地域に対し労働人口の移住の制限に関する権限を國労働紹介局長官に賦与した。本法の公布と同時に国内都市でも失業者多き首都ベルリンに於ては別に「ベルリン自治体における労働雇傭統制に関する命令」が公布されその運用の完璧を期している。更に本法第二条には「國労働紹介及び失業保険局長官はその命令の効力発生の日に農業に於いて働き居るもの、又は以前三ヶ年間以内に、農業に於て働きたることある者は、農業以外の経営又は職業に於て、農業労働以外の労働に従事するには、予めその同意を以てのみ雇傭せらるべき事を規定することを得る」と定め、以て農業労働者を農業外の経営及び職業に転ずることを制限することにした。次いで本法第三条第一項は、1934年度の農業の労働力需要充足の爲、第二条による命令の包含する経営の起業家は、國労働紹介及び失業保険局長官の命に従い、命令公布前最近の三ヶ年以内に農業に於て働きたることある労働者、及び被傭人を解雇する義務を有する旨を定めた。それに基づき企業家は本条に規定されたる労働及び被傭人を解雇するの権能を与えられたものである。

本法は農業労働者の減少からして、外国出稼ぎ人を使用するが如き不合理を除去して、過剰なる都会労働者を帰農せしめんとする所謂地域的な失業不均衡の矯正に資するものではあるが、憲法上の保障を無視せる部分が多い、例えば本法第十一條に於ては「本法に基づく方策により生ずる損害の爲には國又は國労働紹介及び失業保険局は之を弁償せず」と規定して居るが如きは、私有財産制度を破壊することを欲しないと称して居るナチスとしては矛盾である。終わりに本法第十三條には罰則規定が定められてあるが、第一項は禁止されたる行為を故意に為したる者に対するものであり、更に之を雇傭主と被傭者とに別けられる、第二項は知らずして禁止されたる行為を為せる雇主及び被雇傭者に対するものである。前者は罰金刑又は三ヶ月以内の禁錮刑にして、後者は50マルク以下の罰金刑が課されることになって居る。