“国家社会主義” ドイツの実相

既にお気づきの読者も多いと思いますが、私はある主張をするために、或る本の一部を抜き書きして自分の主張を正当化することの危険をよく知って居り、そのため、長編の本でも私が言いたいことを言っている部分、そうでない部分も含めてすべてを公開しようと意図しています。

でも、だからと言って上述の抜き書きの有効性や必要性を否定しているわけではありません。いや、寧ろ限られた時間で要点を把握する為には不可欠な事だと認識しています。そして、世の宣伝工作にはこちらの方が絶対的に有効であることも百も承知しています。

然しそれは人を表面的に動かすための姑息な手段であって、ある事柄について偏りのない知識…と言うか、洞察を得る手段ではあり得ません。推理小説や刑事ものの小説でよくあるように、どのような極悪人にも人間性に溢れた一面もあるもので、その部分を見落としては、表面的にその人間が極悪人である、と言う判断には間違いはないでしょうけれども、そこから人生に対する洞察は得られません。

私は一冊の本を読むとき、このようなことを常に考えながら読むように努めています。特に歴史書や伝記・自伝などを読むときは常に記述されていることと正反対のことも想定しながら読まなければなりません。そうでなければ如何に内容が深い解説書でも、教科書でも、或いは小説でも、宣伝工作のための薄っぺらな本と同様の価値しかなくなってしまうでしょう。

これから、標記の「“国家社会主義” ドイツの実相」についての当時の本を公開しようと思いますが、私が言いたいことは纏めればこれから公開する本の三分の一にも満たないような気がします。しかし、上述のように、私には無駄に見えても、或いは私の意図に合わない部分に思われても、その本の著者にとっては不可分の記述であり、私如きの短慮で割愛することは憚られますし、その本から本来得られるはずの洞察を得られなくしてしまうことを懼れるものです。つまり、一字一句、原典を忠実に写本します(一部旧仮名遣いや旧字などはワープロソフトの変換効率に鑑みて変更されています)。

先ずは手始めに昭和十年(1936年)発行の「ナチスドイツの経済政策」を公開いたします。この本もそんなに分厚い本ではありませんが、日本語の写本は目で確かめる「変換」作業が含まれるため、とても時間がかかりました。でもデジタル化することで検索が容易になり、コピペも自在にできるので価値はあると思っております。

この本の後は、昭和十五年九月(と言えば、第二次大戦勃発時ですね)に発行された「ナチスドイツの解剖」を写本していきたいと思っています。

読者の皆様には、以上の私の意図をお汲み取りいただきまして、気長にお付き合いくださいますよう、お願い申し上げる次第です。

                     ― 燈照隅