フリーメーソンと世界革命08(現代文)

9.フリーメーソンの事業(慈善か政治か)

 

フリーメーソンには、二つの傾向がある。その一はその任務を会員の修養向上に限り、その二は人道のために政治に携わる必要があるとするものである。ドイツ[1]フリーメーソンは、一般にその一の傾向を有し、各種の社会的施設に力を貸し、拝金主義を排し、真の社会生活の核心たるべきものは、犠牲的精神であるとしている。又彼等は、組合は人類愛を教育する学校と見做している。従って組合は、慈善事業の爲多数の学校、孤児収容所、貸金會社、埋葬金貸出所、産婦収容所等を設立している。ハンガリーフリーメーソンの目的は、専ら政治であって、政党員、官吏の重要な地位には必ず結社員がいる。そしてその政治上の主義は急進社会主義である。オーストリアフリーメーソンは、慈善的施設もしてはいるが、その主とする所は政治にある。このため1794年以来官憲に禁止され、それ以後は表面上単に修養団体として存在したのである。

フリーメーソンの政治的表現の形式は、かつては自由主義であったが、自由主義の没落後は、社会民主党にその勢力を及ぼすことに勉め、それに対する反対に打ち勝つためには「自由・平等・親睦(博愛)」の標語を用い、容易にその目的を達することが出来た。即ち此の標語はフリーメーソンの創意になるものであるがその後フランス革命の「戦闘の叫び」となり、遂に共和制の政治は、すべてこれをその標語とするに至り、従って社会民主党も此の標語を採用する事となった。特にユダヤ人のフリーメーソンは、社会民主党と提携することを熱望した。その一人であるマウトネル[2]は「社会主義は具体化されたフリーメーソンであるから、我々はこれと協力しなければばならない」と言っている。主義及び国家主義は右両者にとって共同の敵である。そしてフリーメーソンは、僧侶至上主義とキリスト教主義とを同一のものと見なしているのである。

フリーメーソン社員は、フリーメーソンと社会革命党とは大体においてその目的を一つにしているものであるから、その社会主義的組織には、積極的に参加すべきものだと主張している。そして今や自由主義は全欧州に於いて衰頽に傾いたから、社会民主党と協力するのは、彼等の取るべき唯一の道だと言っている。即ち最初は自由主義と事を共にしていたがそれが衰えると、自由主義の敵手たる社会主義及び労働階級と妥協したのである。これを見てもフリーメーソンの信義の程度を知ることが出来るであろう。

フリーメーソンが労働階級と協同すべきことを説いている真意は、数に於て他に勝る労働階級を操縦して、それを護衛隊にしようとすることに他ならないのである。ウィーンのフリーメーソンの一機関紙チルケル(Der Zirkel)の1906年第二十九号では次のように掲載している。

時代精神は我々(フリーメーソン)が、社会主義を指導することを要求し、又この関係において若干の組合は、既に正しい道を発見した、と。

オーストリアにおいて、社会革命党、或いは急進民主主義党を牛耳っている者は、フリーメーソン社員である。イタリアの一部の労働者は、フリーメーソンを遠ざけるべきことを主張し、その理由としてフリーメーソンに属する時は、盲従を強いられ、そのために労働組合の一員としての義務を尽くすことが出来なくなる恐れがあると言っている。しかしこれはむしろ例外で、一般に言えばイタリアでもフリーメーソンの指導者と社会革命党の指導者とは、甚だ密接な関係を保っているのである。

要するにフリーメーソンの仕事の中で、各種の慈善的施設は、単にその仮面に過ぎないもので其の実質は政治的秘密結社である。これは殆ど全世界の「フリーメーソン」について言い得ることでとりわけイタリアでは結社員自ら言う所によれば、1821年以後、同国における革命的企図は全てフリーメーソンの手で行われたのである。マッツィーニ、ガリバルディ、その他多数のイタリアの首相は、フリーメーソン社員であって、ローマ法王及び一般にキリスト教的思想、特に君主政体を圧迫することに勉めている。今次大戦におけるイタリアの三国同盟脱退、及び協商側加入についてはフリーメーソンの力が大きく寄与したのである。フランスにおいても同様の状況であり、その大多数の政治家は、フリーメーソン社員であって、その政府及び議会は、断然フリーメーソンの勢力に支配されている。マクマオン[3]以来、歴代の大統領、その他の高級官吏は、すべてフリーメーソン社員である。1870年フランスの若干の結社は、ドイツ皇帝、ビスマルクモルトケ三者を「フリーメーソン」の裁判にかけることを要求したが、今次大戦後に於いて、ウィルヘルム二世及び皇太子以下、各連邦の王、高級将官等を、その戦争の責任を審判する為裁判にかけなければならないと主張していたのも、フランスのフリーメーソンである。そしてフランスにおいて、教会と国家とを分離させたものは、フリーメーソンである。又フランス人のドイツに対する敵愾心を挑発する者も、亦フランスフリーメーソンの仕業である。又その復讐心の如きも常にフリーメーソンの手によって人為的に培われたものであることは言うまでもないことである。フランスの社会民主党の有力者はおおむねフリーメーソンに属している。フランス産業組合の長は、主としてユダヤ人で、労働をユダヤ主義の実行に利用しようとして居たことは、1911年4月3日、パリで開催された労働者大会で組合の指導部が、ユダヤ人及びフリーメーソンの手に在ることに対して、激烈なる反対の意を表したことに示され、明らかである。

ベルギーフリーメーソンの目標は、ベルギー共和国の建設であって、ベルギーの人心が、フランスに好意を表し、ドイツに対し敵意を持っているのは、ベ・仏両国に於ける組合の密接なる関係に基く所が少なくない。

 

英国のフリーメーソンは、大規模な世界政策を行ない、このためにはその手段を選ばない。従って主義として外国の謀叛的な運動は、すべて支持する。英国政府は、常にフリーメーソンの理想を実行することに努めている。米国のフリーメーソンも、政治と密接な関係を保っている。即ち上院でも多数を占め、下院に至っては三分の二の多数を占めている。ドイツ系米国人のフリーメーソンの有力な社員は、主としてユダヤ人であって、母国(ドイツ)とは縁遠くなっている。ドイツのフリーメーソン結社中、プロシャの組合三個は、忠君愛国主義を保持しその他の五個の組合員は、国際的且つ共和的傾向に在るとは、一般に言われている所であるが、前者といえども仏伊等のユダヤ人組合と連絡を有していることに考え及べば、その忠君愛国主義も怪しいものである。

要するに、フリーメーソンの主なる仕事は、政治上の範囲に属して居り、その目的は君主国においては、現存する国家及び社会の秩序を完全に倒壊することにある。又すべての政治家及び政党を、漸次共和的傾向に導こうとすることにある。この見地よりすれば、今次の世界戦はフリーメーソンが既に長く準備して来た世界フリーメーソンの力試しであった。そしてその政治的参謀本部はロンドンに、精神的統帥府はパリにあったのである。

 

[1] 原文:独遂。独逸の間違いと思われる(ドイツ語原典で確認済み)

[2] Raimund Mautner ユダヤ人商人のフリーメーソン(詳細不明)

[3] 原典:Mac Mahon。Marie Edme Patrice Maurice de Mac-Mahon(1808~1893)パトリス・ド・マクマオン=マジェンタ公爵はフランスの軍人・政治家。第三共和制第三代大統領。アイルランド系フランス人。

f:id:caritaspes:20191202004441p:plain