フリーメーソンと世界革命06(原文)

第二部

6.フリーメーソンと基督教主義

 

昔の職工組合(フリーメーソンの前身)の規定に依ると、結社員の第一の義務は『神及神聖なる教會堂に對し忠實なるべき事、及凡ての迷信異端を容れざる事』である。然るに説教者アンダーソンの憲法書によると、結社員の義務として掲げてあることは、全く之と異なつて居る。即ち「結社員は全人類の一致する宗教のみは、之を信奉する義務がある。フリーメーソン結社員にして十分に(王者の)技術を會得せば、彼の愚かなる無神論[1](Stupid atheist)や放蕩者(irreligious-libertine)にならぬであらう」と云つて居る。此後半の文句は稍々(やや)難解であるし、又事實に於て多くの誤解を生じた。即ち結社員中、今日に於ても此文句に基き神を信ずることがフリーメーソンの基礎であると考へて居る者が甚だ多い。佛國フリーメーソン憲法第一條に、1877年まではフリーメーソンの基礎は「神の存在及霊魂の不滅にあり」と云ふ文句があつた。有名なるフリーメーソンの著述家ノルマン[2]は、眞面目に「無神論者は結社に加入を希望しても採用されない」と云つて居るが。ウィルヘルム・オール[3]は、此文句から推して「神の存在を信じない者を採用し得ないと云ふことは出來ない」と云つて居る。

フリーメーソンは神を信ずるや否やの問いに對しては、明確に「然り」、或は「否」の答えをなすことが出來ない。即ち人に依りて意見が分かれて居る。佛國の結社グラントリアン(大東社)は1877年9月10日、其規約書中より神の存在を想起せしむるが如き一切の章句を除き去つた。伊太利のフリーメーソンも同様のことをした。獨逸の結社員は往々神に關する文句を用ひるが、意味のない言葉であつて、「神」(Gott)なる文句は努めて之を避け、之に代るに純フリーメーソン式の「宇宙最高の棟梁」の如き字句を用ひる。フリーメーソンの説明に依ると、往古各國民各種族は、各々固有の神を有したが、基督に至りて神は各國民の差別を認めざる共通のものとなつた。而も此神は地球の神に過ぎない。神は総ての天體中、特に地球を選んで神の子を世主として遣はした。然るにコペルニクス以後天文學の發達に伴ひ、此の如き考は之を維持し得ざるに至つた。即ち宇宙には數百萬の太陽があつて、夫々無數の遊星を率ゐて組織的生活を営んで居ることがわかつた。是に於てかフリーメーソンは、單に地球の神を信ずることをなさず「宇宙の棟梁」を信ずるのである。

次にフリーメーソンの第二の基礎たる霊魂の不滅に就て述べん。ドクター・ヘンネ・アム・リンは常に考へた通りを語り、また何事でも最簡潔な形式を以て記述する結社員であるが、霊魂不滅の信仰に就ては、未だ詳細なる記述を發表せず、此事に關する意見は、全くその同僚に委して居る。フーゴー・フォン・クッパ[4]と云ふ人は、有力なる結社員で雄辯家であるが「死は絶對的の終焉ではあり得ない」と確信し、且曰く「吾人の理性の示す所によれば死後更に此の世界がないものとせば、人生は全く無意味なものとなつてしまふであらう」と。又曰く「霊魂不滅……之れは我が教會の祭壇上の「焔を發せる星」の明らかなる光線中より、吾等の地の中を温かに照らすべき偉大なる思想である」と。又クッパーは霊魂不滅はヒラム神話(ソロモン殿堂の建設者ヒラムは悪漢の爲に殺され、後復活せりとの傳説)の主意であると云つて居る。社員ディーステル[5]は「吾人の霊魂は死後の存在を認めるべきことを吾人に要求する」と云つたが、其他の社員は多くは反對の意見を懐いて居る。即ち社員ローヴァー[6]は「人は其肉體の死後も其事業の上に生存して居る」と言ひ、トラウネル[7]フリーメーソン社員の大部分は、良好な優秀な人々であるから、神及霊魂不滅を盲信することはしないと云つて居る。彼は或る時の演説で霊魂不滅の問題及之に關する教會の説教に就ては、敢て判断を下さなかつたが、其際述べた所を玩味すると、両者を否定することになつて居る。故にフリーメーソンの記述家中には、フリーメーソンを明確に基督教主義と對立せしめて居るものが少なくない。例へばフリードリッヒ・ウイル[8]は此世を悲哀の谷と見做し、且此世の生活は彼の世に至る前段と見る人世観に反對して居る。彼曰く「フリーメーソンの教義は各個人が全能力を最高度に養成すべきことを要求する。人は共通の大目的の爲に、一生を通じて働かねばならぬ。また生の喜びを適當に享受すべきである」と。

彼等は、フリーメーソンは基督教と同じく、全世界に廣布せらるべき一種の宗教であると考へて居る。是が爲に両者は自然相敵視するに至つた。有力なる結社員フォン・ガーゲルン[9]は『宗教とフリーメーソンとは、互に相容れぬものである』と云つて居る。又『宗教上の教理に對する疑惑を加ふる毎に、宗教の基礎は次第に動揺を來し、遂には其没落を見るに至るであらう」とも云つて居る。然るに二十五年間結社員たりしミリム[10]は『フリーメーソンは何等宗教に反抗する企圖を以て居らぬ」と云つて居るが、独り彼のみならず、大多數の結社員は色々細かいことやら形式やらは相當に知つて居るが、フリーメーソンの眞の意義及目的は一生分らずに終るのである。是に反し結社員リムージン[11]が、フリーメーソンはその成立時に近き1723年以來、反教會であると云つて居るのは注意に値する。

フリーメーソンが基督教主義、特に加特力(カトリック)教に對し、敵對の關係にあることは、世間周知のことである。両者の爭闘は、存亡を賭せる爭であつて、互に憎悪の念を懐いて居る。唯爭闘の形式のみは、時、場所及對手の強弱に従つて差異がある。結社員ミンツ[12]が「吾人の國は現世にあり」と云つたのは、能く両者の差異を道破して居るものと思ふ。

獨逸で両者の爭が餘り目に立たないのは第一に獨逸ではフリーメーソンは殆んど全く何等の束縛を受けて居らぬのと、第二に獨逸の結社員中には多數の新教牧師が指導者の地位に立つてるのと第三に独逸國民性が沈着で、自決及精神の解放に對し努力して居ることに因るのである。獨逸のフリーメーソンは、慥かに宗教上の影響を受けて居ることが少くない。ウィルヘルム・オールの説に従へば、フリーメーソンの教義は、人の生涯を包括し、高き教養に達すべき道を示し、且人を向上せしめんとするものである。従て其内には勿論宗教を包含して居るとのことである。

之に反しフリーメーソン教皇權至上主義(Ultramontanismus[13])に對しては、全然敵對の態度を執つて居るので、歴代の法王は此挑戦に應じ、クレメンス十二世の如きは、1738年猛烈にフリーメーソン結社を非難攻撃し、フリーメーソンはあらゆる宗教、宗派に属する人々を網羅したる秘密結社で、重き罰の威嚇を以てその結社員に沈黙を誓はしめて居ると云つたが、此の非難は今日でも否認し難い點がある。其後代々の法王は、屡々フリーメーソンを非難し、之に對し破門の宣告をも與へた。伊太利の統一に大なる功績のあつたマッツィーニ、ガリバルディ等は、フリーメーソン社員であつて、法王に對し劇烈なる反對を表白した。全世界の結社は、伊太利の結社から、法王及教會に對する戦闘に應援せんことの要求を受けた。で、獨逸の組合は常々政治とは全く没交渉たることを標榜せるに拘らず、法王に對する此戦闘に於て、全然伊太利の組合と一致した行動を執つたのは注意に値する。

佛國の結社は独り法王を認めないばかりではなく、更に進んで結社の最高の地位「全宇宙の最高の棟梁」をも認めないことにした(1877年9月10日)。之には全世界の結社員が一驚を喫した。英米の結社は之が爲め、爾後佛國の結社と關係を断つに至つた。(獨逸の結社は、既に之より先き1871年普佛戦爭の間、巴里の組合がウィルヘルム一世及び皇太子を法廷に召喚すべきことを決議し、且つ両者の首に百萬フランの懸賞を懸けた時に、佛國の結社との關係を断つた)。

フリーメーソンはその信條を世の中に廣める爲に、法律結婚(教會結婚に對する)の採用、及學校に於ける宗教教育の廃止を叫んで居る。前者は匈牙利に於て已に實現し、後者は匈牙利及伊太利に於て盛んに唱道せられたが、伊太利の第三十三階級結社員エルネスト・ナタンが1908年、羅馬市長となつて、第一に行つた事は、市内の學校に於ける宗教教育を廃止したことであつた。

立派な外交家だつた法王レオ十三世でも、帝王權と法王權との協調を仕遂ぐることが出來なかつたのは、王の罪でも、法王の罪でもない。全くフリーメーソンが其間に立つて極力両者の和解をば妨げたからである。フリーメーソンの勢力大なる國(例へば伊太利)にありては結社員にして官吏に任命せられた時は、能くフリーメーソンのプログラムを銘記し、之に従はねばならぬ。之を怠り、又は組合の命令に違う者は、重罪と認められるのである。斯くして伊太利の大臣連は國王と法王との和解を妨げたのである。

大臣連のみならず、全國民もフリーメーソンの煽動、指導に依つて、両權力の和解を妨げたのであるが其目的は伊太利のフリーメーソンの機關雑誌に掲げられた次の文句に明らかである。

1886年)、

法王と國王とが和解するのは、取りも直さず法王に往時の權力を附與することになるから、國民は此和解を妨げなければならぬ。

読者の中には、フリーメーソンの此種の事業を能く承知して居られる人もあるだろう。併し吾人は敢て之に批評を加へようとするのではない。唯單に事實を事實として、其關係を闡明せんとするのであつて、之に對する判断は、読者に委せる。

フリーメーソンの中には、基督を目して理想的フリーメーソン結社員、ナザレのフリーメーソン等と呼んで居る者のあるのは、神を褻瀆する者と云はねばならぬが、之を以て結社全部の罪に帰するには及ぶまいと思ふ。併し伊太利のフリーメーソンが、悪魔を讃美するに至りては殆ど批評の辞を知らない。實際彼らは悪魔を以て、理性のシンボルとして、基督教主義に對立せしめて居る。フリーメーソンの書籍中には、フリーメーソンは悪魔を最高の頭首として崇拝し、之に比すれば基督は僅かに従属的の地位を保持せるに過ぎないと云ふ字句もある。又伊太利のフリーメーソンは、式ある場合に能く悪魔の讃美歌を唱ふ。之等の風習は教會及法王に對する反對の結果が茲に立ち至つたのかも知れない。或は又(教皇が、)理性、自由研究、及科學を悪魔の事業と、けなしつけた爲に、自ら理性ある者、又は科學者を以て任ずる者が、殊更に悪意を以て悪魔を自己の神としたと云ふこともあり得べきことである。伊太利のフリーメーソンガリバルディ記念碑除幕式(1893年)の際悪魔の賛美歌を唱つた。又其儀式、行列等の際、悪魔の像を有する黒旗を掲げる(1882年のマッツィーニ記念碑除幕式)。又彼等は時節到來せば、伊太利の総ての教會、就中ヴァチカンの堂上に悪魔の旗を樹立すべき企圖を有すると稱して居る。伊太利フリーメーソン有力者の告白に依ると、同國のフリーメーソン結社員中には、表彰、稱號の附與、手當の支給等を得んとして、各種の運動を試みたり、各種の犯罪を犯したりする者が少からずあつて、結社内部の秩序が著しく紊れて居ることを訴えて居る。かくて伊太利の結社員が、自ら悪魔崇拝の實を擧げつゝあるの観あるは一奇と云ふべきである。

 

[1] 欧米で無神論者Atheist は、単に神の存在を否定する者ではなく、神に反抗する者を云ふことに注意。

[2] H. Normann 詳細不明

[3] Wilhelm Ohr(1877~1916)詳細不明

[4] 原文:クップフェル。ヒューゴ・フォン・クッパーHugo von Kupffer(1853-1928)は現代のジャーナリストの草分け的記者で作家。様々な「ルポ(報告)」を書いた。

[5] Ernst Gottlieb Gustav Diestel(1859~1936)はドイツの牧師・作家。

[6] 原文:レーウェル。原典:Röver(von Royal York)「Royal York」はベルリンの大組合の建物に1915年まで付いていた名前か? 人物Röverについては詳細不明。

[7] Karl Trauner 詳細不明

[8] Friedrich Will(Privatgelehrter in Erlangen)フリードリヒ・ウィル(1847-1922)はドイツの動物学者。

[9] Carlos von Gagern(1826~1885)プロイセンの軍人、作家。1853~71までメキシコで従軍した。

[10] Milim(詳細不明)

[11] Charles Mathieu Limousin(1840~1909)はフランス人のジャーナリスト。ペンネームはヒラム。

[12] Alexander Mintz(1865~1938)オーストリアの法学者。1938年に米国へ移住。ユダヤ人メーソン。

[13]ウルトラモンタニズム又は ユルトラモンタニスム(ultramontanism)とは、キリスト教史上、17、18世紀フランスやドイツにおけるカトリック教会内の教会政治上の論争において、ローマ教皇の首位性を主張した立場。

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