フリーメーソンと世界革命04(現代文)

3.フリーメーソンの設備、習慣及び象徴

 

フリーメーソンの設備、習慣、及び象徴を詳細に知ることは、結社員以外の者にとっては、あまり必要のないことであるから、これは簡単に述べることにする。

社員の集会所は、ロッジ、小屋、工場、或いは神殿と呼ばれる。社員以外の者はここに入ることを許されない。組合の室は普通は窓がない、若しあっても目隠ししてある。故に部屋は暗い、精神の照明を意味する灯し火が、自然の暗黒を照らすのである。

全世界のフリーメーソン社員は、互いに兄弟と呼ぶ。書物では社員はフリーメーソンの言葉の初めに三個の教(∴)を打つ規定である。このためフリーメーソン反対者は、社員を呼ぶのに「三点兄弟」と言うあだなで呼ぶ。その他の場面でも三の数はフリーメーソンでは、常に一定の役目を演ずる。例えばあいさつ、拍手、特にその象徴を用いる場合に三の数を用いる。社員に死亡者があると、ロッジで一種の葬儀を行う。葬儀では、先ず死者を裁判にかけ、死者に葬儀を受ける資格があると認められると、そこで初めて本来の葬儀が行われる。それは三つの部分から成る。それは弔詞、死者の棺を象徴する物体の前の灯し火への点火、及び参列社員一同が三列になって三回棺の周囲を廻りつつ花で装飾する献花である。最後に兄弟が人の鎖を作って接吻を交換する。(鎖を作るには各人が右手を前にいる者の肩の上に置くか、全社員が手を連ねる。それにより、その一体であることを象徴するものである。)

フリーメーソンには、極めて多数の象徴がある。これは社員を相互に結びつけるものである。人類を支配する永久の大真理は言葉では表わせないから、フリーメーソンは先ずそれを受け入れる事の出来る様な、心境を形成するように勉めるのである。従って見習階級の用いる象徴は、説明の目的を持っている。社員バイエル(Bayer)の言に従えば、象徴によって社員は人格を体得し、存在の基礎を明らかにし、それに応じる義務を理解するのである。だからフリーメーソンはその社員にとっても不明瞭なものである。社員は体験し、感得しなければならない。故に森羅万象ことごとくその象徴的意味のないものはない。例えば我等の頭上の光明は神を、我等の心中の光明は良心を、我等の周囲の光明は人道を意味する。槌は力、直角定規は良心、コンパスは思考する世界を象徴するのである。例えば『棟梁は直角定規とコンパスとの間に位置す』と言うような文章は大変不可解であるが、フリーメーソンの象徴を深く研究したものにとっては、この言葉に対応する立派な意義を理解する事が出来る。その他三本の柱、絨毯(じゅうたん)、火炎を持つ星(パンタグラム✡を以て表わす場合あり)等もまた、象徴的な意味を持つ。火炎を持つ星の中にある文字Gもまた多様で特殊な意味を持っている。つまり、神(Gott)、又は認識(Gnosis)、若しくは幾何(Geometrie)、つまり王の技術の基礎を象徴する。英語ではGはGrand Geometrician(世界の大棟梁)、又はGeneratio(証拠)を意味する事にもなる。その他、職人の使用する垂鉛、水準器、鏝(こて)等にもそれぞれ象徴的な意味がある。

棟梁階級では、ヒラムに関する理想が重要視されている。ヒラムは伝説によると、ソロモン殿堂の建設者であった。アンダーソン[1]は、彼を以て完全なるメーソンと呼び、且つ彼の建築を以て、当時における最も貴重なる建物であったと言っている。ヒラムは、その三人の部下から技術上の秘密を告げることを要求されたのを拒んだため、彼等に殺されたと言うので彼は忠実なる義務の遂行の模範とされている。

第三階級の重要なる象徴としては、髑髏(どくろ)及び骨の入っている棺である。習慣は大組合毎に異なっているが、どの組合でも棺はフリーメーソンの教理、及び習慣の重要な成分をなしていて人間の知識、努力、作用は所詮は空虚で、永久性のないものであると言う、争うべからざる真理を示すものである。結社員オットー・ヒーバー[2]は、こう言っている。『この心理を教えるために、組合は死の像を選び、組合は死に対する恐れで満たされている。けれども又、棟梁階級の元来の秘訣は、死を生と融和せしむることにある』と。

見習階級の象徴は、原石(のかたまり)である。原石を建築に使える様にするには、加工しなければならない。見習は社員としての原石であるから、先ず自己の欠点を知り、且つこれを矯正することに全力を注がねばならない。職人階級の象徴は立方体の石である。既に加工されて立方体となった石は、積み上げて人道の殿堂を形成しなければならない。即ち克己が、この階級の目標でなければならない、克己及び棟梁に対する服従があって、始めて棟梁はその意志で加工した石を積み上げることが出来る。即ち職人階級になって、初めてメーソンの仕事が始まるのである。

棟梁は計画を立案し、その実行を監視し、労働者に給料を支払わなければならない。

以上のほか、秘密の記号や、言葉を説明するのは、価値のないことだから、省略することにする。

 

 

4.ヨハネフリーメーソン=アンドレアス・フリーメーソン
(藍色組合(下級)及び赤色組合(上級))

 

現時、徒弟、職人、及び棟梁の三階級を有するのは、藍色組合、即ちヨハネ組合のみであるがこれも元からあったわけではない。現に1723年の英国大組合の憲法では、棟梁なる階級を、まだ認めて居ない。つまりこの憲法では明瞭に『最も経験を積んだ者を、棟梁或いは監督者に任命する必要がある』と言っている。従ってその当時は社員の中でいかに経験を積んだ者でも、組合の長となるまでは、棟梁とは呼ばれなかった。1725年に始めて棟梁なる記号を使用するようになった。それ以前は、棟梁とは組合の長のことであった。

ヨハネ組合、一名藍色組合なる文字を次に説明する。藍色組合(藍色階級)とは、フリーメーソンの標識である空色に関連して名づけられた。ヨハネ・メーソンとは古代の石工の守護神に因んで名づけられた。これと同じ理由で、精神的メーソンの新設もヨハネの日(1717年6月24日)に行なわれた。象徴的組合(同大組合)とは、ヨハネ・メーソンの階級組合、及び大組合のことで、前にも多少述べた通り、多数の象徴を用いたことから、この名が起ったものである。

藍色組合、一名ヨハネ・メーソンと並ぶものは、赤色組合、一名アンドレアス・メーソンで、標識の赤色、あるいは第一番に洗礼者ヨハネからイエスに移った「神聖なるアンドレアス」によって名づけられた。赤色階級では棟梁達も知らないような高尚なフリーメーソンの知識を授けるので、赤色階級は高級の階級と見なされている。赤色階級は三個の古い階級を単に準備段階に過ぎないとしているが、それぞれ特殊のシステムによって、別々に設備している。フリーメーソンの高級雑誌ラトミア[3](1869年、第二十八号)は「徐々に、しかし絶えず、ヨハネ組合を押し下げ、それを高級な階級に達する踏板に過ぎないものにしようとした」と記述し、又或る会員は「ヨハネ組合は金を出し、しかも沈黙する為に存在するに過ぎない」と言い、既に十八世紀のウィルヘルムスバード[4]会議(1782年)では「下級の会員は出資者で、上級の会員は享受者である」と言っている。

上級階級(Hochgrade)の起原はどうかと言うと、その始まりはローヤル・アルヒ[5]階級で、このローヤル・アルヒ階級は1740年以後フランスで起こり、それより下級の階級に対し、一種の上級としての権威を振り回したものである。その後「斑(まだら)の蘇蘭(スコットランド)」階級が出来たが、これは証拠によると、スコットランドとは何の関係もなく、全くフランスで出来たものである。リッテルカドッシ階級の創設は1743年で、聖堂騎士聖堂騎士とは、十二世紀の初めに創設された騎士団体(テンプル騎士団)で、エルサレムの聖堂を回教徒の手より奪還して擁護することをその目的とした)の復讐[6]を表わしている。「スコットランドの棟梁」(Maître écossais)は、Maître acassaisと無意識に取り違えたものと思われる[7]。これはフリーメーソンの神聖な樹木と目しているアカシアに関した言葉と思われる。その後続々新しい階級が出来て、その数二十五に達したが、尚それでも止まらず、更に増えた。全世界に広く行われているフランス・スコットランド式によると、現在三十三個の階級がある。徒弟、仲間、棟梁の次は第四階級の秘密棟梁、これに続いて「完全なる棟梁」(第五階級)があり、次いで次のような階級がある。「優秀なる選び出されたる者」(第十一階級)、大建築家(第十二階級)、ローヤルアルヒ階級(第十三階級)、スコットランド六騎士(第十四階級)、東方の騎士(第十五階級)、エルサレム大公爵(第十六階級)、西方の騎士(第十七階級)、エルサレム侯(第十八階級)、大牧飾(第十九階級)、普魯西(プロシャ)騎士(第二十一階級)、レバノン侯(第二十二階級)、礼拝者侯(第二十三階級)、眞余の蛇の騎士(第二十五階級)、恵みの侯(第二十六階級)、寺院大司令官(第二十七階級)、太陽騎士(第二十八階級)、聖アンドレアス(第二十九階級)、カドッシ騎士(リッテルカドッシ)(第三十階級)、大判事司令官(第三十一階級)、王室の秘密の優秀なる侯(第三十二階級)、至尊大総監(第三十三階級)、以上のような物々しい称号は、公平な素人の目には笑止な事と思われるであろう。ドイツのフリーメーソン結社員中にこれを非難し、皮肉な滑稽を浴びせかけたものがあったが、それは何の効き目もなく、これらの階級は全システムと同様に依然存在し、且つ利用されていて、仏、伊、スペイン、ポルトガル、中米、南米諸国の大組合、すべてこのシステムに準拠している。そのほかイングランドスコットランドアイルランド、ベルギー、ハンガリー、北米ではこのシステムは大組合と共に存在している。しかしドクター・オットー・ヘンネ・アム・リン(Otto Henne Am Rhyn)の言う所によると、これらの階級の大多数は、何等存在の理由はなく、第十八及び第三十階級の二つだけは、事実上の風習を結び付けられているからと言うことでこの二階級のみを認めている。しかしながらヘンネ・アム・リン自身が一部の棟梁に過ぎず、彼もまたなんら事実の真相を知らない藍色組合に属し、この社会では未だ小児に過ぎないから、自己の周囲の出来事についても、まだ全くよくわからないのである。彼はローザンヌの会合(1875年)で、これらの称号を廃止しなかったのを不審に思ったのであるが、人に対しては依然三十三などと言う階級はなく、五階級、或いは多くても七階級から成るに過ぎないと言い切っている。フランス人は三十三階級もある理由をよく知っているが、殊更にこれをおし隠しているのである。

スコットランド式教義は、フランスで始まり、二個の礼拝形式より成る。この二個とは、ミスライム[8]ヘブライ語にして埃及(エジプト)の意)の礼拝の形式、及びこれによく似たメンフィスの礼拝の形式である。前者はユダヤの陸軍御用商人ミヒャエル・ベダッリデ兄弟[9]の創設したものである。この教義は四学期、十七級、及び極めて大袈裟な称号を有する階級九十からなっている。もちろんこれは現金を支払って受けることが出来るのだが、その価格はもちろん知ることは出来ない、この組合は表面上の首長「至尊の侯」のほか、人に知られない裏面の首長がある。1898年には、この教義を奉ずる組合の数は、十個に達している。メンフィスの礼拝法は、前者即ちミスライムの礼拝法に酷似し、且つ同じくフリーメーソン結社と称し、その創立の古いことを誇り、非キリスト教徒サミュエル・ホニス[10]が、これをカイロよりフランスに伝えた。サミュエル・ホニスは、その秘密を九十五階級を有する七級に分けた。最高の階級の称号は「神聖なる聖殿」と言った。この組合の教義はあらゆる秘法、及び歴史上の秘密結社に関するものである。この組合はあとでその階級を三十三に制限し、フランスの大組合の承認を受け、ドイツにもその会員を有するに至った。

このような組合のごときは、単に金儲けのためにいい加減に作ったもので、格別これに注意する価値のないものだと言えなくもないが、それならそのほかに大いに尊敬を受けている組合で、その歴史的発展の経路において、同じく多くの暗黒な点を持つフリーメーソン結社はないであろうか。例えばスウェーデン式のものはどうであろうか。これは裁判所評定官フリードリヒ・エクレフ[11]の創立したもので、彼は1756年、出所不明の免許状により、ストックホルムで会館を設立し、彼自ら「ソロモンの代理者」としてこれを主宰した。後になって彼はその権利をスウェーデン王に売り、この時以来スウェーデン王は総首領となり、皇太子は地方総首領となっている。スウェーデン式は、1766年、軍医エレンバーガー[12](後ツィンネンドルフと改姓す)によってドイツに輸入され、今日に至るまで、彼の設立したドイツ地方大組合に残っている。その総裁の位置は、1860年来プロシャ王が占め、その後皇太子フリードリッヒ・ウィルヘルム(フリードリッヒ三世)が、その職に就いたが、彼はその歴史を詳細に点検しようとした所、組合の幹部がこれに反対し、また色々改革しようとした意見も冷ややかに拒絶されたので、彼は遂に総裁の地位を放棄した。彼の意見の中で、フリーメーソン聖堂騎士の後裔であると言う伝説を廃棄する事だけは受け容れられたが(1880年)、その他は一つも受け容れられなかったのである。

スウェーデンの地方大組合は、次の三部に分かれている。

(一)ヨハネ組合

   (1)徒弟、(2)仲間、(3)棟梁の三階級を有す。

(ニ)アンドレアス組合

   (4)アンドレアス徒弟、(5)アンドレアス仲間、(6)アンドレアス棟梁の三階級を有す。

(三)ステワルド組合

   (7)光輝あるステワルド兄弟、(8)最光輝あるソロモンの信頼者、(9)ヨハネ組合の光輝ある信頼者、(10)アンドレアス組合の光輝ある信頼者、(11)赤十字を有する最光輝ある司令官(ソロモンの代理者と称す)

ソロモンはこの結社の創設者で、第一回の大棟梁と見なされている。右の十一階級のほか、このスウェーデンフリーメーソン結社の頭首となっているものがある。これは組合の長だけの知っていることで、その地位は世襲である、この頭首の俗名、及びその居所は、組合の長の外には秘密となっている。スウェーデンフリーメーソン憲法第三章に次の文言がある。

「世界を九つの(現在は十の)州に分つ。一人の頭首(一名ソロモン)は、世界を支配す。この頭首は父より其の統治を受け継ぎ、人々を正道に導く者である。結社員は彼を知り且つ知らない。このソロモンは、代理者をもって各州を統治させる、此の代理者は、ソロモンこれを任命し、或いは当該州の結社員によって任命する云々。」

ラトミア新聞(1869年)は、この憲法を掲げ、且つ次の問題を付け加えている。ソロモンとは誰か、彼はどこにいるか。この憲法に掲げていることが事実であるならば、ソロモン王は全同盟の創設者であって、彼は頭首の地位はその子孫の継承すべきものなることを定めた。反ユダヤ主義でないこの新聞ラトミアは、この頭首がキリスト教団の王侯ではなく、イスラエル人かも知れないと言っている。(そのくせこの新聞の表紙にはダヴィデの六芒星が付いている)

フリーメーソンでは、見かけの首領が必ずしも同時に実際の首領でないことは注意に値する。吾人はこれを英、仏、米のフリーメーソン結社員の口から聴き知っている。スウェーデン大組合の憲法によっても、このことは明瞭である。王侯が入社する場合には、高級の階級のあることは秘密にされるが若し秘密に出来ない場合には表面上高級の階級を与え、又そのために彼らの疑いを招く様なことを取り除いた儀礼を特別に設けた。例えばプロイセン王フリードリッヒ二世には、高級の階級の存在することを極力伏せた。この事はフリーメーソンの歴史を書いたルイ・ブラン[13]が記述している(1892年 Brouwers L’Action de la Francmaçonnerie 17頁)。その他王侯が組合の長となった場合には、彼等は全然「真相を知る兄弟」の中に加えられなかったことについては、無数の証拠がある。ヨハネ・メーソンは、諸種の関係において、慈善的で無害のものという事が出来る。少なくともドイツにおいてはそうである。通常政治には関係しないから、高級の者との関係を別とすれば、公益に役立つ組織ということが出来る。フリーメーソン結社員パイク[14]の言葉によると『ヨハネ・メーソンはあたかも殿堂の前庭のようなものである。象徴の一部はもちろん新会員に説明はするが、故意に違った説明を与えて迷わすのである。つまり理解を与えるために説明するのでなくて、自ら理解したかのように思わせるのを目的としている。要するに真の説明は真の会員、フリーメーソンの王侯のみに限られている云々』(Morals and Dogma[15])。このように観察すると、フリーメーソン結社員の過半数は彼等自ら何の為に利用されているかと言うことを少しも気付かずにいると言うことがわかる。上級階級のフリーメーソンの事業については、実際何等知られていない。その会員名簿すら「俗人」に対しては勿論、下級の会員に対しても極力秘密にされている。有名なウィーンの結社員ユリウス・ゴルデンベルク[16]は高級階級が結社内で目に見えない無責任な力を振るっていることを非難した。彼は多くの著述をしたが露骨に高級階級の活動が、フリーメーソンの一般の目的を超越していることを述べ、且つ最高の三階級は結社員に対し盲従を要求するにも拘らず、常にその本体は不明であり、又は誤魔化していると非難している。ゴルデンベルクが、このような態度はフリーメーソンに似つかわしくないことだと非難しているのはもっともな事である。ゴルデンベルクがハンガリーの高級結社員に関して言ってることは、すべて事実に合致している。しかも彼は当時高級の者が下級の者に対し、あらゆる干渉をなし、特に政治を行うことが、高級者の任務であることを知らなかったらしい。この政治たるや、単に一地方の政治のみならず、国家政策、さらには世界政策に及んでいるのである。イタリアの或る高級結社員は、次の様に言っている。

ヨハネ組合は、上級階級の前段として必要なものであるが、吾人の事業の重点は上級階級にある。この階級において進歩があり、政治があり、世界歴史があるのである。(1874年5月9日フリーメーソン新聞[17]

上級階級は古来すべての君主制反対の努力の中堅である。高級の組織は、既に十八世紀において「至尊フリーメーソン侯」、或いは「東方及び西方の皇帝」など言う、勿体ぶった名前をつけているのは意味のあることだ。この種の尊称は、当時フリーメーソン以外の者には真面目には取られなかったが、高級フリーメーソンの本来の目的を充分告白している。今どき各国の君主は、次々とその玉座を追われ、フリーメーソンの王侯はだんだんとその身をおおう雲霧を取り払って、晴天白日の下にその姿を現わして来ようとしているのである。

 

[1] Dr. James Anderson(c. 1679/1680 – 1739)はスコットランドの作家、長老派教会牧師。アンダーソンはフリーメーソンであり、1721年にイギリスのフリーメーソンの復活に際し、『フリーメーソン憲法』を起草した。

[2] Otto Hieber(1840~1929)オットー・ヒーバーは、ケーニヒスブルク(現カリーニングラード)の医師、枢密医療評議員。1869年、29歳で、ケーニヒスベルクフリーメーソンロッジ「ツムトッテンコップフとフェニックス」に入会し、 1885年から1922年までその議長、ローゲンマイスターであった。 さらに、彼はドイツのメーソンのグランドランドロッジ(GLL)の上級役員で、約90のロッジの名誉会員であった。

[3] Latomia ドイツのフリーメーソン年次雑誌(28号刊の発行は1871年、1872年用年鑑となって居る) 

[4] Wilhelmsbader ドイツ・ヘッセンの町ハーナウの郊外、ウィルヘルムスバードにあるロスチャイルドの城で行われたフリーメーソン会議。この会議の内容は一切非公開ということになって居り、箝口令が厳しく、参加者もその内容についてよく知らされないまま合意した疑いがある。その後の動きからこの会議でイルミナティによるフリーメーソンの支配が始まったように思われる、という意見もある。

[5] Royal Arch アルヒはアーチ(迫持:せりもち)

[6] テンプル騎士団の最後の団長、ジャック・ド・モレーの処刑に対する復讐のこと。

[7] Maître écossaisはスコットランド・マスター、Maître acassaisはアカシア・マスターの意。

[8] Misraim、Memphisはそれぞれ古代エジプトの地名から来ていると思われる。なお、Misraimがエジプトと言う説には異論もある。

[9] 原文:ベダッリベ。原典:Michel Bédarride。マルコ、ジュゼッペ、ミヒェルのベダーライド三兄弟。

[10] Samuel Honis エジプト人。1815年にミスライムの儀式を拡張したとメーソン百科事典にある以外不明。

[11] Carl Friedrich Eckleff(原文Karl Friedrich Ekleff 1723~1786)はスウェーデンの登録官僚、著述家。

[12] ヨハン・ヴィルヘルム・ケルナー・フォン・ツィンネンドルフ(Johann Wilhelm Kellner von Zinnendorf 1731~1782)はフリードリヒ・オーガスト・エレンバーガーの息子として生まれ、母方の姓Zinnendorf を名乗った。医学を学んでプロイセン王室軍医となった。ドイツフリーメーソン大組合の創設者。

[13] Louis Blanc(1811~1882)はフランスの政治家。1848年の革命で政府に参画した社会主義者。然しコンミューンには与しなかった。

[14] 日本語の原文はピーチとなっているが原典でPikeと確認。Albert Pike(1809~1891)アルバート・パイクはアメリカの弁護士、南北戦争時の南部連合の将軍の一人。フリーメーソン陰謀の中心人物の一人。

[15] Morals and Dogmaはアルバート・パイクが1871年に発表した「古代公認スコットランド儀礼の寓意と教理」(Morals and Dogma of the Ancient and Accepted Scottish Rite of Freemasonry)のこと。

[16] Dr. Julius Goldenberg(1840~1889)ウィーンの弁護士・作家。1874年にロッジ「未来」を設立し、当時の「一般的なオーストリアフリーメーソン新聞」を作成し監督した。

[17] 原文:Freimaurerzeitung

f:id:caritaspes:20191202004441p:plain