4. アメリカに於けるベーコン的性格の展開
アメリカ植民の最初の困難は、土人との戰ひと並んで、風土との戰ひであつた。周知の如く西ヨーロッパは世界でも稀な穏和な風土を持つてゐる。寒暑の開きが少く、夏冬を通じて同じ衣服で通せる。夏が乾季、冬が雨季である上に、雨量が少く、從つて從順な植物のみが生育する。それに比べるとアメリカは寒暑の差が遥に大きく、東海岸地方でも殺人的な熱波や寒波に襲はれる。のみならずヨーロッパに見られないやうな猛烈な雨と風がある。特に植民の初期に於ては、アメリカの土地は深い原始林に覆はれ、到るところ沼澤があつた。かういふ不健康な土地にヨーロッパからいきなり渡つて行つた植民たちは、忽ち病氣になつて死んだ。ファイによると、一六〇九年十月に五百人ゐた移民が翌年五月には六十人しか生殘つてゐななつたといふ。一六二〇年メーフラワー號で海を渡つたピュリタンたちも、最初の年に半ば以上死んだと云はれる。土地が開かれるにつれて死亡率は減つたが、この後一世紀を經て十八世紀中葉に至つても、なほ『アメリカの氣候は人畜の生育に適しない』といふ學説がヨーロッパで行はれてゐた。
がアングロ・サクソンの移民はこの風土に頑強に抵抗した。さうしてその抵抗は、經驗にもとづいて自然を支配する道を見出すといふベーコン的な態度によつてなされたのである。その結果彼らは當時のヨーロッパに未だ行はれてゐなかつた新しい衞生法を編み出した。ファイによると、先づ初めには家屋の清潔、肉體の清潔、絶えず肌着を取替へる、外出には必ず履物をはくといふ如き習慣、或は住居地を衞生的にするために思ひ切つて森を燒き拂ひ、また必要とあれば百キロでも移動する習慣などが出來上つた。それと共に肉體の鍛錬も自覺的になされた。これらは日常生活に於ける發明工夫の態度なのである。かういふ努力の結果、風土に打ち克つてこの新しい土地に根をおろすことの出來た人々のみが榮え始め、遂に顕著なアメリカ人の型が出來上つた。それは脊が高く、顔が長く、四肢がのび、顴骨の秀でた、がつちりした體格といふ型である。
が新しい衞生法は謂はば自然との戰に於ける防衞の側面である。開拓亊業は更に積極的に自然を攻撃しなくてはならぬ。森を伐り拂ひ處女地を拓くといふ如く猛烈な破壊力建設力が働かねばならぬ。そこに痛感せられるのは人力の不足である。で移民たちはその力を増大するためのあらゆる手段を求めた。機械の發明が痛切に要求せられた所以はここに存する。移民たちは植民地の創設と同時に既に風車や水車の活用を始めてゐるが、十八世紀になると機械技術の發達はすばらしい勢を示した。かくしてアメリカ國民と機械文明とは本質的に結合せるものとなつたのである。
この機械文明の勝れた先達となつてゐるのが、やはりベンジャミン・フランクリンなのである。彼に於て我々はベーコン的精神のアメリカ的具現を見ることが出來る。
フランクリンはその生涯を印刷工として始めた。印刷術といふ新發見の技術を十分に活用したのが彼の生涯の第一の意義である。彼は若い頃から何かを始めようとする時必ずその意見をパンフレットに印刷して配り、それによつて町の輿論を作つた。次で二十三歳の時には新聞の經營を始めた。新聞そのものは彼以前に既にあつたが、しかし後代のアメリカ新聞の機能や特徴から考へて彼をアメリカ新聞の創始者と呼ぶのはまことに正當である。彼は印刷の技術を民衆支配の力にまで高めたのである。ベーコンが印刷術に認めた巨大な意義はフランクリンによつて十分に實現されたと云つてよい。
がかく發明の精神を體得した彼は、ベーコンの指摘した如く、發明の根柢としての學問の必要をも痛感した。少時教育を受けることの少かつた彼は、印刷工として働きつつ、友人らと語らつてクラブを作り、研究の報告や討論によつて思索の琢磨に力めたが、廿五歳の時には小規模の圖書館を作つて、印刷術の果實たる書籍の十分な利用を企てた。これが後のフィラデルフィヤ圖書館の基石である。かかる要求は更に發展して十二年後には大學設立の運動を起しこれに成功した。今のフィラデルフィヤ大學の創まりである。
かく學問の情熱を有する彼は他面に於て機械の發明にも關心をもつた。彼がオーブン・ストーブを發明したのは大學設立案を起草する前年であつた。自傳に於て彼はその際特許權の申出を斷つたことを語り、發明は人の役に立つのを喜ぶべきであつてそれにより儲けようとすべきでないと云つてゐる。これもアメリカの發明精神の一つの性格を示すものである。アメリカ人は共同して自然と戰ひそのために發明を必要としたのであつて、お互の間の競爭のために發明を欲したのではなかつた。
かかる精神の故にフランクリンは容易に學問と結びつくことが出來た。彼が電氣學に触れたのは、大學設立後三年の頃、ボストンで電氣の實驗を見てからである。その後英國から彼の圖書館宛に電氣實驗の装置とその使用心得書をもらひ、自ら實驗を練習して遂に新しい實驗をもなし得るに至つた。ところで彼が電氣學に對してなした貢獻、卽ち稲妻と電氣との同一の説は、彼及びその周圍の市民たちの電氣現象に對する關心の中から生れて來たのである。初め彼が電氣の實驗を試みると、それを見物しにくる人が非常に多かつた。で彼はガラス屋に同じやうなチューブを造らせて友人たちに配り、各自に實驗を行はせた。その内の一人が丁度失職で困つてゐたので、彼はそれに勸めて電氣實驗の巡囘興行をやり見物料を取るやうにさせた。その時この友人の興行用に二つの講義案を書いてやつた。その内の一つが稲妻と電氣との同一を説いたものなのである。彼はこの論文を實驗装置の御禮として英國へ送つたが、初めはあまり問題とされなかつた。この説を眞面目に取上げたのはフランスの學界である。當時の物理學の大家が先づ反駁し、次で辯護者が現れ、その論爭の結果英國の學界でも注目されるに至つた。やがてド・ロルの所謂『フィラデルフィァの實驗』が成功し、次でフランクリン自身も紙鳶(しえん:凧のこと)による實驗に成功した。彼は一躍して電氣學の大家になつた。
この亊件の特色は、専門の物理學者ではなくして一市民フランクリンが、卽ち印刷業新聞業を營み市政に關與し市の義勇軍の組織にも活躍する一市民が、物理學界に新發見をもたらしたといふことである。彼はこの後も政治家としての活動をやめず、アメリカ獨立の運動には立役者の一人となつてゐる。しかも彼は依然として發明に關心を有し、新考案の機械に取巻かれてゐた。ファイによると、晩年の彼の書齋は、腰掛けたままペダルを足で踏んで動かす扇とか、大きくかさ張つたタイプライターとか、腰掛けたままで高い書棚から書物を取りおろすことの出來る『力學の腕』とか、人體の血液循環の狀を示したガラスの装置とか、さういふ機械が一杯で、魔法使の穴倉のやうであつたといふ。このフランクリンの姿がアメリカ國民性の一面を象徴してゐるのである。
この姿がこの後一世紀半の間に非常な速度を以て展開せられ、遂にその極點にまで達した。しかしそれによつて尊敬すべき文化は少しも作られはしなかつたのである。フランクリンの始めた新聞は、印刷機械の發達に伴つて長足の發達をとげ、アメリカの輿論なるものの製造所となつた。ファイは、『現代アメリカの精神を造り上げたものは、宗教よりも、政治よりも、文藝よりも、むしろジャーナリズムである』と云つてゐる。新聞は發達するに從ひますます刺戟的となつた。それは民衆に思索を與へず、ただ情緒・感覺・情熱をのみ與へることになる。かくてこの十五年以來、アメリカの民衆は正確な思惟と理解力とを幾分失つたと云はれる。これらの現象は文化の見地から云へば少しも進歩ではない。むしろアメリカ人はそれだけ野蠻化したと云つてよいのである。
が右の新聞の機能は最早終つたと云つてよいかも知れぬ。言葉を眼に見えるものに變へて多數に撒布する機械の代りに、言葉をそのまゝ多數の耳に届ける機械が、卽ちラヂオが發明され普及されたからである。しかしそれによつて強化されたのは機械の支配であつて思索の力ではない。民衆はます〱受動的になり、上すべりになる。機械の發明に對する異常な關心は、今や人を機械の奴隷にしてしまつたのである。これもまた文化の見地より云へば退化といふほかない。
このやうな形でアメリカは今機械文明の尖端に立つてゐる。その機械力はまことに厖大なものであるが、しかしそれによつてアメリカ人が道義的に向上したわけでもなければまた藝術的に醇化されたわけでもない。ただ衣食住が著しく安易になり、享樂が著しく刺戟的になつたといふだけである。アメリカ人にとつては機械なきところには『文明』はない。がその反面に於て彼らは機械なくしては生き得ない。かかる機械の奴隷には『文化』はないのである。アメリカの農夫は、他の國々の農夫とは異なり、何よりも先づ機械を扱ふことを知つてゐる者と云はれる。從つて彼らは廣い土地を少人數で耕作し得る最も文明的な農夫である。がこのことは同時に彼らが機械なしに農耕を營み得ず、農耕に於て人倫的意義を發揮する力を持たないといふことである。アメリカの民主主義は各人が各々主人であつて從者でないことを教へる。さうしてこの教を實現してゐるのは機械の力なのである。自動車、ラヂオ、冷藏庫、電氣竈等々の機械のお蔭で各人は多數の奴隷を使つた昔の王侯のやうな生活を營むことが出來る。がこの時彼らは實は機械の奴隷に轉化し奢侈以上のものに對する感覺を失ひ去つてゐるのである。
このやうに機械の支配する世界ではすべてが量化される。質的な人間の精神に機械が適應せしめられるのではなくして、量的な機械の方へ人間精神が適應せしめられるのである。かくてすべては數字で表現され、さうしてそれが最も文明的な言葉であるかの如くに取扱はれる。數字がアメリカの魂であるとさへ云はれてゐる。これがベーコン的精神のアメリカに於ける發展の極致なのである。
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