アメリカの國民性1 -和辻哲郎1943.12

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アメリカの国民性

1. アメリカ國民性の基調としてのアングロ・サクソン的性格

曾てバーナード・ショウがナポレオンを取扱つた喜劇『運命の人』の中でナポレオンの口を通じてイギリス人の特性描冩をやつたことがある。中々うがつた觀察であるから、緒としてここに引用する。

『イギリス人は生れつき世界の主人たるべき不思議な力を持つてゐる。彼は或物が欲しい時、それが欲しいといふことを彼自身にさへ云はない。彼はただ辛抱強く待つ。その内に、彼の欲しい物の持主を征服することが彼の道德的宗教的義務であるといふ燃えるやうな確信が、どういふわけか、彼の心に生じてくる。さうなると彼は大膽不敵になる。貴族のやうに好き勝手に振舞ひ、欲しいものは何でも摑む。小賣商人のやうに勤勉に堅實に目的を追求する。それが強い宗教的確信や深い道德的責任感から出るのである。で彼は效果的な道德的態度を決して失ふことがない。自由と國民的獨立とをふりかざしながら、世界の半分を征服し併合する、それが植民なのである。またマンチェスターの粗惡品のために新しい市場が欲しくなると、先づ宣教師を送り出して土人に平和の福音を教へさせる。土人がその宣教師を殺す。彼は基督教防衞のために武器を執つて立つ。基督教のために戰ひ征服する。さうして天からの報いとして市場を手に入れる。或はまた彼は、自分の島の沿岸を防衞するために、船に教誨師を乘せる。十字架のついた旗をマストに釘づけにする。さうして地球のはてまで航海し、彼の海洋帝國に異論を唱へるものを悉く撃沈、燒却、破壊する。更にまた彼は、奴隷と雖も、英國の國土に足をふれた途端に自由になる、と豪語しながら、自國の貧民の子を六歳で賣飛ばし、工場で一日十六時間、鞭のもとに働かせてゐる。……總じてイギリス人が手をつけないほど惡いこと(と云ふか善いことといふか)は世の中に一つもない。しかもイギリス人が不正であることは決してないのである。彼は何亊でも原理に基いてやる。戰ふ時には愛國の原理に基いてゐる。泥棒する時には、ビズネスの原理に。他を奴隷化する時には、帝國主義の原理に。他をいぢめる時には、男らしさの原理に。……彼の標語は常に義務である。しかしその義務は必ず國民の利益と合致したものでなくてはならないのである。』

これはショウ一流の皮肉として、この喜劇の看客を苦笑せしめたに過ぎないかも知れぬ。しかし自分はここに赤裸々の眞實を見る。さうしてかういふ眞實を單なる皮肉として笑つてすませてゐるところに、イギリス人の圖太さを看取し得ると思ふ。

我々はこの眞實を眞面目な個所で捕へることが出來る。それは英國が最も偉大なものを産出した十六世紀末より十七世紀へかけての時代、卽ちアメリカへの植民が行はれた時代の代表的哲學である。我々はここにイギリス人の眞骨頂を見、さうしてそれがアメリカへ移されたことを重視するのである。

現在の世界の大勢は四百年前ヨーロッパ人の世界への進出を以て始まつたのであるが、その先驅をなしたのはアングロ・サクソンではなくしてラテン民族であつた。ところでラテン民族にかかる力を與へたのは、羅針盤と火藥の發明なのである。アメリカ大陸の發見もアフリカ迂囘航路の發見も皆羅針盤のお蔭であつた。メキシコ、ペルーの征服、アフリカのニグロの劫掠は火器の力によつてゐる。當時メキシコとペルーとはアメリカ大陸に於て最も文化の進んだ國であり、また金銀等物資の豐さに於てヨーロッパよりも優れてゐた。のみならずその人倫的組織の完備に於てはギリシァ・ローマにさへ劣らなかつたと云はれる。しかしスペイン人の火器の力の前には脆くも崩壊せざるを得なかつたのである。ニグロの諸王國もまた當時は立派な秩序、整つた組織の下に豐富な産業を榮えさせ、特に教養が最下層にまで行き亙つてゐる點に於てヨーロッパ以上であつたと云はれる。がこれらも火器には抗し得なかつた。優れた者強き者は殺戮され、殘つたものは奴隷にされた。兩大陸に亙るこの殺戮、破壊、劫掠は、世界史始まつて以來の最も大仕掛けなものと云つてよい。

十六世紀にかくラテン民族が活躍してゐた時、イギリス人は未だ僅かにそれに追随する程度に過ぎなかつた。十六世紀の初めには、英國の人口は三百萬未滿、スペインの人口は六百萬以上、フランスは千五百萬、ドイツは二千萬以上と云はれてゐる。一五四七年にヘンリー八世が歿した時には、英國はなほ三流國であつた。その後エリザベス女王時代(1558ー1603)に海の英雄たちによつて急激に發展し、一五八八年のアルマダ艦隊撃滅は著しく國民の自信を強めたが、それでも女王歿時の海軍力はまだ大したものではなかつた。英國が強國となつたのは十七世紀中のことである。さうしてそれはまたアメリカへの植民の時期なのである。

丁度この頃に英國はその國民性を顕著に反映せる二人の哲學者を出した。フランシス・ベーコン(1561ー1626)とトーマス・ホッブス(1588ー1676)とがそれである。

ベーコンは發見發明の時代の精神を哲學的に表現した人である。彼は火藥と羅針盤と印刷術との發明に絶大の意義を認め、それらが軍亊、航海、學問に於て世界の相貌や狀態を一變せしめると共に、ヨーロッパの文明人と未開の土人との相違を神と人との相違の如く顕著ならしめたと考へた。この發明の精神がベーコンの課題なのである。彼によれば、哲學を時代に適合せしめるためには哲學を發明發見の精神と合致せしめなくてはならぬ。在來の哲學は發明發見と無緣であつたが、發明もまた在來は哲學を缼いてゐた。從つてそれはまぐれ當りの偶然に過ぎなかつた。しかし眞の發見は、偶然ではなくして、コロンブスの新大陸發見の如く、充分根據ある目標を目ざさなくてはならない。それによつて發明は計畫的に實現され、從つて頻繁になる。ベーコンはかかる目標への道を示さうと欲した。それは發明を目ざしてそれに達する思惟の仕方である。卽ち『發明の論理』である。

かくて『發明の哲學者』ベーコンにとつては、學問の目標は發明であり、發明の目標は物に對する人の支配だといふことになる。ところでこの『自然を支配する』といふことは彼に於ては『文明』を作ることを意味した。從つて學問は人類の『文明』を作り出すのではあるが、そこに我々の見のがしてはならない點がある。といふのは、彼に於ける『文明』は、人間の道義的向上でもなければ藝術的醇化でもなくして、ただ出來るだけ容易に自然力を支配し人の衣食住の生活を安易にすること、云ひかへれば有用なるものを産出することにほかならないのである。ここに『文化』とはつきり區別せられた意味での、アングロ・サクソン的概念としての『文明』が頭を出してくる。彼のいふ文明はもと〱物質的文明なのであり、その發展は必ずしも文化の向上を意味しない。從つてそれは有用ではあつても尊敬には値しない。然るにベーコンは學問の強味を反つてその有用性功利性に於て認めたのである。さうしてそれがまたイギリス人の氣に入つた。實用といふ方面からの學問の尊重はこの後アングロ・サクソンの顕著な特徴となつてゐる。

がかく文明を作り有用性を發揮する學問は自然認識無くしては不可能である。『自然を支配する』ためには先づ自然を知らなくてはならないからである。然るにベーコンによれば、自然認識の道はただ一つしかない。『經驗』の道がそれである。卽ち既成概念から出發することをやめて、自然の亊實から出發し、その原因を突き留めねばならぬ。まづ觀察と實驗とによつて正確なる亊實を集め、次でこの經驗の證明にもとづいて一歩一歩推論して行く。その際常に反證となる亊例を監視しなくてはならぬ。これが正しい經驗の道たる歸納法である。自然法則はただこの方法によつてのみ見出され得る。從つて自然認識の道としての演繹法なるものは存しない。でベーコンはこの認識に基いて發明を引出してくる道、發明のための實驗を演繹法と名付けた。從つて發明の論理の根幹は歸納法である。

經驗や歸納法は人が日常的に用ゐてゐるものではあるが、しかし日常的のそれは一度反證に出會へば崩れてしまふ。然るに學問の方法としての歸納法は、初めより絶えず反證を求める。從つてその結論はあらゆる反證を既に勘定に入れたものである。卽ち經驗の唯一確實な道は反證のただ中を通つて行くと云はれる。かく消極的亊例の意義を積極的のそれよりも重んずるのが歸納法なのである。これは近代科學のこの後の發展に非常に貢獻するところが多かつた。

以上の如きベーコンの發明の哲學は、文明の意義を自然征服にのみ認め機械文明を力強く推進した點に於て、また教義の支配を打破し卑近な經驗に權威を與へた點に於て、代表的なものである。これらは單に學問の領域に留まらず一般の生活に浸み込んで行つた。例へば英國に發達した議會政治は、あり得る限りの反對論を勘定に入れて亊を決するといふことを本質的な特徴としてゐる。中々その通りには行かないが、それでも英國の底力の一つの契機である。

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