日本の臣道4(完)-和辻哲郎1943.04

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以上二つが武士の道として自覺されたものであります。いづれも深い意義を持つてゐるのでありますが、しかし中世以來の武士の生活が主として内亂の上に立つてゐたといふ制限は脱することが出來ません。それは國内のみを見て國外を見ない立場であります。從つて日本の國家についての自覺が不十分でありました。死生を超えて絶對境に沒入すると申しましても、また身命よりも道を重んずると申しましても、それを國家に於て實現するといふところには到らなかつたのであります。ここに武士の道が更に尊皇の道として鍛へなほされなくてはならない所以があるのであります。

尊皇の道は國初以來綿々として絶えず、日本人の生活の深い根柢となつてゐるものであります。武士たちが自分の直接の主人にのみ氣を取られてゐた時代でも、その心の奥底には尊皇の精神が存してゐたのであります。それは稀に日本の國家を國外から脅かすやうな力が現れて來た際に、はつきりと露出して居ります。不幸にして武士たちは、國内の爭のために近視眼となり、自分の奥底にあるものを十分自覺し得なかつたのでありますが、しかし前に申述べました二つの道も、實を申せば最初から尊皇の道に含まれてゐた契機にほかならぬのであります。この點を簡單に指摘致して置きたいと存じます。

前述の如く死生を超えた立場は一方では絶對の境地に突入することによつて得られました。ところでこの絶對の境地を我々の遠い祖先は尊皇の道に於て把捉して居つたのであります。この把捉の仕方は、佛教、基督教、囘教などの所謂世界宗教とは明白に異つて居ります。これらの宗教では絶對者はそれぞれその宗教獨特の形の限定されてゐるのであります。佛とか、エホバとか、アラーとかがそれであります。かく限定されてゐる以上他の宗教の神に對立せざるを得ませぬ。對立すればそれは相對者であつて絶對者ではありませぬ。從つて己れの宗教の神を絶對者として主張するためには他の宗教の神を排斥しなくてはならないのであります。エホバの神の如きはこの排斥を特徴とする神でありまして、その故に「妬みの神」と呼ばれて居りますが、この精神は基督教の歴史全體に濃厚に現れてゐるのであります。先程も一寸觸れました十六世紀を例に取りますと、この世紀の初めにはアメリカ新大陸や印度や南洋への交通が急激に盛んになり、ヨーロッパの近代が華々しく始まつてゐるわけでありますが、しかし同時にそのヨーロッパに於て異教徒の焚殺といふ如きことが頻々として行はれてゐるのであります。異教徒は惡魔の弟子なのでありますから、どんな殘虐な取扱ひを受けてもよいと人人は考へて居りました。ヨーロッパに於てさへもさうでありますから、もともと異教徒の住んでゐるアメリカや東洋へ進出した傳道者たちが、惡魔退治の態度を以てその土地の宗教に臨んだのは彼らとしては當然なのであります。殊に當時海外進出の急先鋒でありましたスペインのカピタンたちがドミニカン派の僧と一緒にアメリカで行ひました惡魔退治は、實に殘虐を極めたものであります。今のペルーの地にあつたインカ帝國などは、立派な秩序を持つた美しい國家でありましたが、文字通りに抹殺されてしまひました。日本に參りましたのはポルトガルの勢力でありますから、アメリカに於けるスペイン人ほど亂暴ではありませんでしたが、それでも傳道者たちは惡魔退治を標榜して居ります。シャビエルは薩摩へ着くとすぐ惡魔の弟子たるボンズ(坊主)との戰を始めて居りますが、この方針は山口へ行つても京都へ上つても同様であります。また彼のあとに渡來した傳道者たちに於ても同様であります。これはただ一例に過ぎませぬが、その後三百年の間にヨーロッパ人がその文明を世界各地に押しつけたやり方は、右の排他精神と無關係ではないのであります。しかしこの排他的傾向に於ては囘教は基督教に負けるものではありません。ただ佛教のみがこの點で著しく寛容でありますが、しかしそれは日本の佛教の特徴なので、印度の佛教に於ては他の宗教は外道として激しく排撃せられて居ります。このやうに絶對神或は絶對者をふりまはす宗教ほど排他的傾向が烈しいのであります。このことはそれぞれの宗教の教義に就ても同様に申すことが出來ます。教義の内容は絶對者を説くのでありますが、しかしその表現は極めて特殊な形を持つて居ります。その最も著しいのが十字架の基督の教であります。かく教義が限定せられてゐる以上、他の教義と對立し衝突せざるを得ませぬ。然るに我々の祖先は、絶對の境地を把捉しながらしかもそれを絶對神として限定せず、またその教義をも作らなかつたのであります。神代史に於て最初に擧げてありますのは、天御中主神とか國常立尊とかでありますが、しかし我々の祖先はそれを絶對神とか或は最大の神とかとして祀つて參つたわけではありませぬ。最も貴い神様として祀られてゐるのは天照大御神であります。この大御神が國土創造の神々よりも、またそれ以前の神々よりも大切なのであります。ここに我々は前述の世界宗教と明白に異る點を理解しなくてはなりませぬ。我々の祖先は究極のもの、絶對的のものを特殊の形に限定しないで、不定のままに、無限定のままに留めてゐるのであります。さうしてこの無限定の絶對者が限定された形におのれを現じてくる道を捉へたのであります。その道は多くの神々となつて現れますが、いかに多くとも互に衝突は致しません。さうして最大の神、天照大御神に歸一するのであります。かくして天照大御神は、究極の神ではなく途中の神でありながら、その故に反つて絶對的なるものを、排他的にでなく卽ち眞に絶對的に表現するのであります。この點が天皇の現御神にまします所以と密接に聯關致して居ります。天皇は天つ日嗣にましますが故に、卽ち天照大御神の神聖性を擔ひたまふが故に、現御神にましますのであります。その神聖性は絶對者のものでありますが、しかしその絶對者は無限定のままであり、さうしてその限定された形が天照大御神と天つ日嗣とであります。さうなれば天皇への歸依を除いて絶對者への歸依はあり得ないことになります。これが尊皇の立場であります。この立場は絶對者を國家に具現せしめる點に於て所謂世界宗教よりも遥に具體的であり、絶對者を特定の神としない點に於て所謂世界宗教よりも一段高い立場に立つのであります。從つてどんな宗教をも寛容に取入れ、これを御稜威の輝きたらしめることが出來るのであります。萬邦をして所を得しめるといふ壮大な理念はこの高い立場に立つてゐるのであります。

私は右の點が非常に重大であると考へて居ります。われわれの遠い祖先は既に肇國の初めからこのことを自覺して居つたのであります。人がその最も深い根據たる絶對者に關はる道は、ただ人倫的なるもの、特に國家を通じてのみ、眞に具體的に實現せられる。所謂世界宗教が個人の立場から直接に絶對者に行き得るかの如くに説いてゐるのは單なる見せかけに過ぎない。それらは實は國家の代用物として僧伽とか教會とかの如き人倫的組織を用ゐてゐるのである。しかもその代用物を權威づける爲に國家の神聖性を抹殺しようとしてゐる。三百年前の武士たちが佛教を排斥する理由の一つはここにありました。禪がどれほど武士に絶對の境地を教えたとしても、人倫の輕視を伴つてゐる點は許すことが出來ないといふのであります。この見當は當つて居ります。絶對の境地に入るといふことと大君に仕へまつるといふこととは渾然として一つにならなくてはなりませぬ。天つ日嗣の現御神の尊崇はこの渾然たる一を實現したものであります。ここに自分一己の身命の價値などと比べものにならない絶大な意義價値があるのであります。禪の心境として體驗せられたのはこの意義價値の一面に過ぎなかつたのであります。

次に問題となりますのは、今申しました三百年前の、佛教を排撃した武士たちの立場であります。卽ち死生を超えた立場は他方に於て道への奉仕によつて得られたと申しましたが、この道への奉仕をもまた我々の遠い祖先は尊皇の道に於て自覺して居つたのであります。その自覺は清明心といふ概念によつて現されて居ります。これは我國の道德の特徴を示してゐる概念であります。何を心の清さ明さと考へてゐるかと申しますと、私を滅して大君に仕へまつることなのであります。卽ち滅私奉公であります。少しでも私があれば、そこに濁つた薄暗い心境が生ずる。この濁りを捨てて透明な清らかな心持となるためには、あらゆる意味で私を捨てなくてはならぬ。これはいかなる共同體にも通用する根本的な倫理でありますが、我々の祖先はこれを最も大いなる共同體に於て把捉したのであります。從つてあらゆる人間の道は清明心に歸著すると申してよいのであります。我我の祖先はこの清さを重んずること、善を尚ぶよりも顕著でありました。通例道德的な價値は善惡によつて現されて居ります。特に近代ヨーロッパの道德思想が傳はつて以來このことは顕著でありますが、しかしこの善惡とはヨイワルイとかと申す言葉は、我國でも支那でもヨーロッパでも、吉凶禍福の意味を含んで居ります。Güter, goodsなどがヨキ物卽ち財を意味してゐるなどはその適例であります。從つてこの意味を重視すれば當然幸福説や功利説が出てまゐるのであります。然るに我々の祖先は清さ穢さの別を非常に重んじて、利福の如きを眼中に置きませんでした。從つて利福を行爲の原理とする如き説は曾て考へたことがないのであります。これは一つの民族の道義的性格を考へる上に重大な意義を持つた亊實であります。この性格からして前に述べましたやうな武士たちの廉恥を重んずる氣風が生じ、そこから儒教の君子道德に對する理解の道が開けたのであります。が武士たちに於てこのやうに清さの體得が深められた半面には清明心が大君への奉仕であるといふ重大な面が閑却されてゐるのであります。ここに臣道の理解にとつて重要な點があると考へられます。

清明心は奈良時代から平安時代へかけての宣命には正直之心として現れて居ります。臣が大君に仕へまつる道は常に正直心として説かれてゐるのであります。この傳統は鎌倉時代に至つても弱まつて居りません。幕府の政治家が政治の方針として第一に重んじてゐるのは正直であります。また伊勢神道が初めて神道の教義らしいものを作りました時に、天照大御神の御教として掲げたのも正直であります。この考へはやがて北畠親房の神皇正統記の中に三種の神器の解釋となつて現れました。鏡は正直は現し、玉は慈悲を現し、劔は智慧を現す。特に正直は天照大御神の御教として根本的な地位を占めるといふのであります。この解釋は清明心の傳統を眞直に受けついだものでありまして、儒教の考へなどに煩はされて居りません。從つて親房が三種の神器の意義を智仁勇として解釋したなどと申すのは明白な誤りであります。鏡は全然己れを沒して物を映すものでありまして、少しでも己れを出せば物は映りません。たとひ映つても歪んだ形になります。親房はここに無私の姿を見たのであります。無私なるが故に相手を生かせます。これが玉の慈悲であります。無私なるが故に眞直は正しい判斷が出來ます。これが劔の智慧であります。このやうに無私を力説して天照大御神の御教へと致しましたところに、清明心の傳統が生きてゐると申してよいのであります。

私を滅して大君に仕へまつるためには、身命を惜しむべきでないことは云うまでもありませぬ。しかし身命を惜しまぬだけでは滅私は成就致さないのであります。親房の眼前には主君のために身命を惜しまぬ武士は數へ切れぬ程ありましたが、しかしそれらは武士階級の私を脱することは出來なかつたのであります。眞の滅私は自分たちの階級、黨派、或は部屬の利害を考へるやうな立場では決して實現されないのであります。大君より命ぜられました任務は公の任務、國家の任務でありまして、いかなる意味でも私を混へるべきものではありません。この公の任務を遂行するに當り、死生を超えた立場を隅々までも徹底せしめること、それが滅私奉公であります。中でも特に注意を要しまするのは、臣の任務が人々の上に立ち人々を統率する仕亊であるといふ點であります。これは『民』と區別した『臣』の本來の意味であります。かかる任務の遂行に私を混へるといふことは、私行に於て私を發揮するよりも遥に罪が重いのであります。自分の意を迎へるものを用ゐ、直言するものを斥けるとか、自分の地位の權力を用ゐて自分一己の考へ方を他に押しつけるとか、さういふ態度はすべて皆臣の立場の『私』にほかならないのでありますが、これは普通に考へられてゐる以上に重大な非行であります。卽ちそれは不忠の最大なるものであります。

以上の如く考へますると、清明心に徹底致しますることは死の覺悟よりも難かしいのであります。身命を惜しげもなく捨てますることは、北條氏の家臣と雖も續々と實現致しました。清明心に徹するためには更に死生を超えて自己の任務の重大性を自覺すること、ーその任務が、正直・慈悲・智慧を國家的に實現し給ふ大君の御活動の一部をなすものとして、實に神聖な根源より出づるものであることを自覺することが必要であります。死生を超える體驗は敵と撃ち合ふ一時の間にのみ實現されても貴いものであるに相違ありません。しかしそれが更に生活の全面に浸透し、渾身の清明心として實現されましたときには、正にこれ絶對の境地にほかならないのであります。

これは我々の祖先が千數百年前に既に明白に把握して居りました臣道であります。その後主從關係の上に立つ武士の道としてさまざまの試練を經てまゐりましたのちに、再び世界史的な大きい舞臺に於て千古不磨の美しい結晶を形作らうとしてゐるのであります。この結晶の偉大なことはエヂプトのピラミツドなどの比ではありません。これは世界史を前と後とに分つ巨大なモニュメントであります。

(昭和十八年四月)

※次回から「アメリカの國民性」を6回で連載いたします

 

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