世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)22

11. 非猶太人の人間性に関する猶太人の見解

「予は現在および未来に於ける我が行動のプログラムを陳述したる後、諸君にこれ等の学説の根拠を講演しよう」(シオン議定書第十六議定)

「予が今日迄諸君に報告した所の全体に亘って、予は近き将来に於て將に来たらんとする大危機の早瀬に向かって奔流する所の過去及び現在に発生する事件の秘密を詳細に説明し、且つ我が対非猶太人関係及び財政政略の法則の秘結を説述した。」(シオン議定書第二十二議定)

世界計画の縮図

シオンの議定書は猶太人の世界計画の縮図である。議定書は之を分解すると大体四つの主要なる部分に区別することが出来る。併しながら此の主要なる四部分は、文書構成上の区分として表われて居るのではなくして、寧ろ思想上に現われて居るものである。尚この四つの外に総てを包括して居る第五の部分がある、此の第五の部分と称するものに、議定書の全般に亘り一定の言い表し方で此所彼所に散見し得るに過ぎないのであって、四つの主要部分が即ち議定書の骨幹をなし、此の骨幹から無数の枝が分岐して居る。

議定書の骨幹

先ず第一に叙説されてあるのは、人間性についての猶太人の見解である、此の文は以て非猶太人の本質を説いて居るものと見るべきものであるが、非猶太人の人間性の平凡低劣なことについて、実に確乎たる信念を基礎として書いて居る。議定書の如き計画は、凡庸の士の到底なし得べきものではない。

第二に此の議定書に報告して或ることは、本計画実現の爲既に行われたことである。

第三には猶太人がその計画を将来達成するために用いるべき方法が指示されてある、此の方法たるや、人間性を軽視して居るものであって、此の人間性を価値なきものと見做す上に全計画が立脚して居る。

第四には議定書執筆当時未だ達成して居らなかった所の事業について詳述してある。当時なお努力中であった諸事業中、其の後今日迄に達成されたものも多々ある。蓋し世人は1905年より1920年に至る間の日子は、猶太人が種々の影響を利用し、種々の目的を達成するために、十分の余裕があったことを記憶しなければならない。本章の初めに掲げて居る第二項が示して居る様に、議定書の講演者は「大危機の早瀬に向かって奔流する所の事件の秘密」を承知して居たものであって、此の事は議定書以外に猶太人側から十分に証明されて居る所である。

猶太人の見解に誤りなし

吾人は以下人間性に関する猶太人の見解について述べようと思う。吾人は幾多の根拠によって、非猶太人の人間性に関する猶太人の見解を知って居るものであるが、此の猶太人の見解は各種の点に於て、議定書にある判断と合致して居る、即ち議定書は人間性に対して頗る低く評価して居るのである。然るに非猶太人の方にあっては、人間性は全然尊厳なるもの高尚なるものという自己欺瞞に陥って居る。若し世人が此のことを各方面から観察研究したならば、猶太人の方の見解が誤りのないことは殆ど疑いを容れない所であって、此の議定書の見解は人間の自尊心及び自惚心対して甚だ酷であるかも知れないが、併し確かにしんなりと言わねばならない。

今議定書より斯の如き見解の表されて居る数項を摘出する時には、世人は人間の動因及び性質に対するかなり完全なる哲学的理由を見出すことが出来る。例えば第一議定には、

人間の本性は不良なり

「人々の中で、善良なる本性を有するものよりは、不良な本性を有するものの方が多い、従って政治上の良結果は強制と排除とを用いて贏(か)ち得るのであって、大学式の議論で得られるものではない」

「元来人は権力を得ようと努力し、為し得れば執政者となることを望んで居るものである。然しながら其の際自らの幸福を達成する為に、他人の幸福を犠牲にすることを辞せないものは稀でない」

「群衆を支配するに当たってたとい馬鹿げた反対にしろ、それが理解ある人民にとって非常に愉快そうに見える可能性があったならば、いくら尤も至極な理論的な智者が、利巧な訓戒や合議を以てしても、うまく群集を支配することが出来ようか、出来るものではない。群衆及び群衆中の人々は些細な意地、迷信、習慣、因襲及び幼稚な理屈に捉われて、実に賢明なる訓戒に対してさえ全体の一致を妨げる党派的分裂をなすものである。

それであるから群衆の決議は、偶然的のものか或いは予め仕組まれた多数決に依るのであって、政治上の秘密を知らない所から、行政に無政府の胚種を蒔くような愚かな決議を生み出すことになる」

「…群衆の能力は無智盲昧であって、善悪理非の判断力なく、人が右と言えば右、左と言えば左に、其の言うがままに言うことを聴くものであるという呼吸を呑み込んでおく必要がある。」

「何時も吾人は我々に必要な人々と交渉するに当たっては、人心の最も感じ易き心琴即ち計算高き事及び貪欲飽くことなき物質的要求に向かって活動したことに依って、尚一層勝利を容易にした。以上述べた人間の各弱点は、独創性を滅殺し人間の活動を買収者の意志の儘自由にさせるものである」と。

斯の如き人間性に関する深刻なる観察は、第五議定にも現れて居る。

「人民も各個人も、約束が社会に於て実行されて居るかどうか殆ど追及せずに、何時も言葉を実行と思って、表面だけで満足して居る。それであるから吾人は、言葉巧みに世界の進歩に対して、己が恩恵を表す所の外見的機関を設置するであろう」

迂路による

又第十一議定に曰く「非猶太人は山羊の群で、吾人は彼等にとって狼である、だが諸君は狼が羊小屋の中に泥坊に這入る時は羊と一緒に居ることをご存じか?」

「吾々は世界の敵を平定しあらゆる党派を鎮撫した後、取り上げた凡ての自由を返すことを約束するから、彼等は総てに対してなお目を閉じて居る、之を返すのを何時迄彼等が待つべきであろうか、それは言う迄もない」

「吾人は凡てこれ等の政策を考案し、非猶太人に其の真相を観察することが出来ぬようにして、非猶太人に之を鼓吹するのは何のためか、是は吾々分散して居る種族には、正道に依って達成し得ないものを、迂路に依って達成しようというに外ならない」

メーソン秘密結社に対する猶太人の観察

尚世人はメーソン秘密結社は対する抜け目のない観察に注意する必要がある。即ち第十五議定には、此の秘密結社が猶太人の計画を促進する上に於て如何に利用されるものであるかを示して居る。

「通常秘密結社に喜んで入るものは儲け主義の者、大野心家及び一般の人々で其の大部分は軽佻浮薄な人間である、彼等と共に事を為し又彼等を用いて吾人の計画する機関の機械を動かすことは容易なことである」

「若しも此の世界が溷濁(こんだく)するならば、それは世界の頗る大なる団結を破壊する為、之を涸濁させる(にごす)必要が吾人にあったことを意味する。若しも謀叛が起ったならば、その首謀者は我が忠僕中の一人に外ならない、従ってメーソンの活動を指導するものは、吾々以外にはないと言うことは自然的なことである。これは吾々は指導先を知って居る即ち一切の行動の終局の目的を知って居るからである。非猶太人に至っては何事も辨(わきま)えず直接の結果さえ認識し得ない、即ち通常彼等は、その計画が彼等の発案にあるにあらずして、吾々が彼等の思想を誘導したものであることさえ気が付かずして、計画を実行し利己心を一時的に満足することを考えて居る」と。

蓋しメーソン結社員がこれを見たならば定めし興味あることであろう。尚同議定に曰く。

「猶太人がメーソン結社に入るのは好奇心からか、或いはその御蔭で社会的の御馳走にあずかろうという野心からであって、或る者に至っては公衆の面前で、実行不可能な根拠のない空想を言い出す可能を得んが爲である。実に彼等は成功と喝采の感情に飢えて居るのだ。それに対して吾々は、成功と喝采を惜しまずに与えて居る。吾々が彼等を成功させるのは成功から生ずる自惚れを利用する為である。人々は自惚れると他人の説を入れることが出来ず、自己の考えに過誤がないと信じ切って用心しないから、知らず識らずの間に我々の煽動に乗るのである。」

「非猶太人中の最も怜悧なものでも自惚れて居る際には、如何に之を子供扱いにすることが出来るか、又之と同時に、拍手を止めるだけの些細な不成功でも彼等を落胆せしめ其の成功回復の爲奴隷的服従をさせることが如何に容易であるか、諸君には想像がつくまい…吾々は自分の計画を実行するのみで、成功の名などは軽蔑して居るが、非猶太人は単に成功の名を得る為に一切の計画を犠牲にすることを辞せない。彼等の此の心理状態は吾人の彼等に対する問題を軽減した」

以上列挙したことは、猶太人が人間性即ち非猶太人の人間性について、如何に観察判定して居るかという数例に過ぎない。仮令それが明瞭に発表されていないにしても、彼等が如何なる見解を持って居るかということは容易に推論することが出来る。即ち綱領の目的たるや非猶太人の堅実性を破壊し、其の勢力を挫折しようとするものに外ならないのである。

分解法

其の手段とする所は分解法であって、猶太人は一國民を多数の党派や宗派に分裂させるのである。此れが為彼等は先ず社会に向かって最も誘惑的な恰も理想郷的の様な諸思想を散布する、然るときは次の二現象が表われて来る。即ち投ぜられた思想に付着する人々と、此の相異なる思想団体に潜入して之を疎隔反噬(はんぜい[1])させる人々が現れて来るのである。議定書は如何なる方法を以て之を為すべきかを詳細に亘って説明して居る。此の彼らに振りまく思想は一つの思想でなくして、思想相互間には決して一致性を有しない所の多数の思想である。その目的とする所は人々をして種々雑多なる思想を持たせ、各人の間に何等の結合も統一もなからしめるにある。その結果は一般社会の不和を来たし、遂に不測の不安を将来するのである。

斯くして非猶太人社会の団結が破壊された時、一般的混乱に少しの影響をも受けなかった猶太思想の堅き楔は、適確に自己の勢力を振るう様になるのである。抑々良く馴らされた二十人の警官又は兵卒の一隊は、千人より成る烏合の衆よりも有力であることは何人も知る所である。此れと同一の理屈で計画的に熟練された少数者は、不統一なる一國民又は分裂して相構想する世界より遙かに有力である。『分解せよ然る後支配せよ』とは之議定書もモットーとする所である。

 

[1] 《名・ス自》恩義ある人に、それに構わず反抗すること。もと、動物が恩を忘れて、飼い主にかみつくこと。転じて、恩ある人に背きはむかうこと。恩をあだで返すこと。

 

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