世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)20

二つの先入主

モニター紙は偏見のないよう注意すると共に、証明の法則を蔑視しない様に戒めて居る。併しながら困難なことは、偏見は証明に対する蔑視よりも事実に対する蔑視より発生する方が多く、偏見の大部分は事実に反抗して存在して居るものであって、事実によって偏見が生ずるものではない。若し世人が此の問題を巨細に研究しようと欲するならば、二つの先入主に対して警戒しなければならない。其の一つは若し猶太人の世界支配綱領なるものが存在するとすればその起源は極く最近のもので、非猶太人達は恐らく先週か又は先年にでも立案されたものであるかの如く考えることである。斯様な偏見は絶対にあってはらない、猶太人の事件に於て殊に然りである。若し此の綱領が今日に於て立案されるに於ては如何に吾人の想像する所のものと異なるかは容易に察知し得る所である。実際近代の綱領なるものも同じく存在して居る、併しながらこれはその範囲に於て將又(はたまた)深さに於て、既に久しい以前より存在して居るものと比較にならない程の差異がある。肉眼で認めることの出来ない猶太政府の完全なる憲法は、秘密会議などで創作したものではない、数世紀に亘る経験と思想の集積である。加之(しかのみならず、それだけではなく)近代人が如何に斯かる計画を蔑視する傾向が甚だしくあってもこれら計画が既に数世紀に亘り、秘密の民族的理想として存在して居るという事柄は、此れを容認しなければならない有力なる議論である。猶太人は神の選民であって、その将来は過去よりも更に光輝あるべきものであるという信念は、猶太人全体に深く植え付けられて居る思想である。キリスト教國の一部の者も、このことを認めて居る、此の希望は或いは眞實かも知れない、併しながら現代の道義的の世界の秩序内に於ては、従来猶太人の採って来た方法を以てしては、決して之を達することは出来ないのである。

今茲に此の神の選民の思想の最高年数を考えるということは寧ろ不可能である。何となれば此の思想の完全なる歴史的実現を招来しようとする爲、此の思想を中心として生じた各種の計画の中、イスラエルの賢人等が成功を保証しようとして心血を注いだことは頗る古いものであるからである。斯の如き計画が存在して居るということは、世界の秘事(ひじ)を研究した多くの人々の信ずる所であって、又此の計画が世界と言う桧舞台上に於ける最後の上演の爲の準備として小舞台上に彼等が予習経験をしたということも、一部の人々の奪うことの出来ない堅き信念である。

茲に於て猶太綱領については、古き猶太人の伝統として伝えられたものであるからして現今の猶太人及び著名なるインターナショナル主義者は、本来毫も責任のないものであるとも言うことが出来る。そして若し此れが近世的作物であり、現代に於て急遽立案され編纂されたものとすれば、このものはその作られたと同様に、速やかに消滅するものであると吾人は期待して差し支えないと思う。

今一つ注意しなければならない先入主は、凡そ逢う限りの猶太人が悉く此の計画を知って居ると臆断することである。イスラエル人が、最後の勝利を得るという一般観念については、猶太民族と触接して居る各猶太人は皆持って居る所であるが、此の戦勝を得るために幾世紀の間に構成された特殊の計画については、普通の猶太人は承知して居ないのである。それはちょうど普通ドイツ人が世界戦を勃発せしめた所の汎ドイツ党の秘密計画を知らないと同様であって、普通猶太人は特別の必要な場合の外秘密団体の計画には干与して居ない。勿論猶太人と言う猶太人が、猶太人の勝利を不快と思う筈のないことは言うまでもないことである。そして猶太人が非猶太人に対して使用した手段が、幾分暴力的であっても、猶太人は之を以て酷に過ぎたとは思わない、彼等は数世紀の長き間非猶太人からヤコブの子孫が受けた饗応に対しては、非猶太人の骨をしゃぶっても飽き足らないのだと堅く信じて居るのである。

猶太人の金力と地位の獲得

以上の偏見的先入主から免れた後に於ても、世人は次の様な結論に到達するのが通常である。即ち若し現在斯の如き猶太人の世界支配綱領が存在して居るならば、斯かる綱領は多数の個人の力強き後援に依って存在するものでなければならないし、又これら個人の団体は何處かに公的の首領を有して居らねばならないものであると、思うに研究家の大多数は、此の点に到達して最早結論を得たものと考えるであろう。猶太人中に一人の世界支配者が存在して居るという様な考えは、通常本問題と関係を持って居ない人々にとっては、頗る珍妙に思われることかも知れないが、併しながら元来猶太民族は本能的に専制政治下に甘んずる民族であって、能く之を支持し且つ之を尊重することは到底他民族の遠く及ぶ所ではない。権勢ある地位の価値と言うことに対する彼等の観念は、以て直ぐに彼等のあらゆる活動の特異なる経過を説明するに足るものである。現今に至る迄猶太人は金を儲けることに専念する民族であるが、其の第一の理由は、彼等にとって金力は総ての地位を獲得し得る唯一の方法であったからであって、金力以外の方法を以て優越なる地位を獲得した猶太人は実に寥寥として数えるほどしかない。斯の如く論じたからと言って、これは決して反猶太的言論ではない。かの有名な英国の混血猶太人なる医師バーナード・フォン・オーフェン(Barnard von Oven)博士も同様の説をなして居る。その説に曰く、

「社会上卓越した地位を得るためのあらゆる手段は、猶太人に対して悉く拒絶である。唯彼は富に依ってのみ立たねばならない、若し富が社会上の位置、尊敬及び注意を保証するものであるならば(彼等猶太人は之を承知して居る)彼等が富に依って社会的地位を購(あがな)うため、富を獲ようと努力するに、何で猶太人を責めることが出来ようか、寧ろ金神の祭壇の前に唯々として叩頭(こうとう)する社会の方が罪があるのではなかろうか」と。

猶太王と追放者の候

又猶太人は決して帝王を嫌うものではない、否唯猶太人が國王たるを得ない所の國家組織の現状に反対して居るものである。「未来の世界独裁君主はダヴィドの王位に座する猶太王であろう」と言うことについては総ての預言と世界支配綱領の説は一致して居る所である。

扨て斯の如き帝王は、現在此の世界にあるであろうか?今ないとしても兎に角一人の王を選び得るべき人々は存在して居る。既にキリスト紀元前から、猶太人の王なるものは事実上一人もなかったが、凡そ第十一世紀迄は「エキザイル(Exile)の侯」と言うものはあった。之は散在する猶太人を支配する首長の称である。これ等の侯は今日もなお往時の如くエキザイラーチス(Exilarchs)即ち「追放者の侯」と称せられて居る筈である。此の侯は朝廷を有し、その随従者中には彼のイスラエルの賢人が居って之を護り、その人民に対しては法律を発布した。彼等は其の時代と其の時の状態に応じて適宜にキリスト教國又は回教徒國に居住したものである。此の官庁が最後に人に知られて居る有名なエキザイラーチス(Exilarchs)の没落と共に断絶したものであるか、或いは単に歴史の表面から姿を消しただけであるか、或いは又全然消滅したものか、それとも他の形式を取って今日尚存在して居るものであるかは世上一般に疑問として居る所である。併しながら兎に角猶太人の世界管轄を処理する官庁が存在して居るということ、換言すれば猶太民族自身の頗る強大なる世界的組織があるということは著名な事実であると共に、積極消極両方面の猶太人の確然たる活躍上に全世界を掩う統一が支配して居るということも亦著名なことである。現在に於てエキザイラーチスの存在と言うことは、猶太人の状態及び思想に於いて決して不合理と思われない、亦実に此の如き思想は、猶太人に取り、真に一大慰安でなければならないのである。

「猶太百科辞典」の註に曰く、「不思議にも追放者の侯」はアシュケナジム(Ashkenazim)宗儀の安息命中に述べられて居る…セファラディック(Sephardic)宗儀の猶太人は此の伝統的施設を保持しなかったし、又第十九世紀の改革派猶太教会の大部分に於ても斯の如きことはなかった」と。

猶太議会サンヘドリン

然らば猶太のサンヘドリン(古代猶太議会の称)なるものは、今日もなお存在して居るであろうか? サンヘドリンとは猶太人の協議支配に任ずる団体であって、全世界に亘り猶太民族の事件を監督する最高機関である。此の猶太のサンヘドリンは極めて興味ある施設である。其の起源及び其の実質内容は模糊として不明であるが、此の機関は議長を含み七十一名の議員より成立し、政治上元老院の作用を為したものであった。そしてサンヘドリンが何處からその政治権力を得たかと言うことはどうしても分からない。サンヘドリンは決して選挙の団体ではなく、又デモクラティックのものでもなく、それかといって代表機関の資格を具えて居るものでもなかった。従って國民に対して責任を負うものではない、其の性質について全然純猶太式のものであった。サンヘドリンは王侯又は僧侶から選挙され、其の目的とする所は國民の利益の保全ではなくして、寧ろ支配者を援(たす)けて統治を行うにあった。又サンヘドリンは固定的に常設され又は召集に依って習合した。ちょうどこの施設は専制政治の様なもので、國民の政治上の発展には何等の顧慮する所もなく、唯貴族が自己の権力を保持するためにあるかの如き観があった。「猶太百科辞典」には「サンヘドリンはその性格上アリストクラシー(貴族政治)であって、其の議員は貴族及び僧侶の有力なる家庭の出であるからして、従って其の尊厳も自ら偉大なるものがあった様である」と記されてある。

この団体は、之に類似の他の第二の団体に依って支持されている、此の第二の団体と言うのは國民の宗教関係の事柄を統轄する団体であって、其の議員は一般民衆と近き交渉ある階級から選ばれた。

又此のサンヘドリンは、啻に(ただに)パレスチナの猶太人に対してその支配権を行使したばかりではない、尚世界到る所に散在して居る猶太人に対しても、その権勢を及ぼしたものである。それで元老院として直接政治権を持って居った此の猶太議会は、紀元70年猶太國の没落と共に閉鎖終息したが、それでも第四世紀に至る迄は、議政機関として其の余喘(よぜん)を保って居たことは事実である。

ナポレオンの猶太議会サンヘドリン召集

彼のナポレオンが、猶太人に関する諸問題を答申させるために、1806年に名士会議を招集したことがあった。此の会議の議員は有名なフランスの猶太人達であったが、彼等はナポレオンに対する会議の答申案を、全猶太人に承認させるため更にサンヘドリンを招集した。此のサンヘドリンは1807年2月9日パリに於て開会され、古代の儀式に則って行われたが、欧州各部の猶太人を包含し、以てフランスの猶太人とナポレオンとの契約に対し、猶太人全体の要求であるという完全な権能を付与したのである。

1807年のサンヘドリンは、あらゆる点に於て古代のサンヘドリンと同一のものであった、そして回答公布の後宣言して曰く「サンヘドリンはイスラエルの安寧幸福を促進するため、法律を通過する権能を有する適法の議会なり」と。

猶太議会の現存

以上の事実の意味する所は次の如くである、即ちイスラエルの政策及び憲法を維持する為に、今日の猶太人の首領等が為して居る所は、決して新しい方向をとって居るものでもなければ、又新たな態度を取って居るのでもない。新しい計画と見るべき実証は一つもない。サンヘドリンが今日なお存して居るとしてもこれは猶太人の団結性に徴して寧ろ当然なことである。古代のサンヘドリンは議員中最も声望の優れた者十人を以て会長として居った様であるが、今日に於ては其の國により其の目的に応じて、猶太人の首領等が各委員会を組織して、集団して居るのも、当然のことで毫も怪しむに足らない所である

世界猶太人の会合

年々各國に居る有力なる猶太人は、世界的会合を催している、此の会合には所謂招集によって集合するのであるが、一度召集令あるや何事も顧みることなく直ぐに之に応ずるのである。そして之に集まるものは各國の最高法院にある高級の裁判官、世界的財政家、非猶太人側よりも謹聴尊敬される「自由系」の猶太人演説家、世界の各派代表の政治運動家等であって彼等の欲する所に集合し、その議題は各人の望む所に従い慎重審議するのである。此の会議に参加するもの悉くが最高圏内の議員である訳ではない、代表者一覧表は幾十人の名前を挙げて居るが、読者はブランダイス判事[1]、レディング卿[2]の名は自ら連想するであろう。若し近世サンヘドリンが催されるとすれば、それは最も自然なことであって其の議員は猶太人の金権、宗教及び権勢家の是認する人々の圏内に於て組織されるのは必然のことである。

 

猶太世界政府

猶太世界政府の機関は何時でも運転可能の状態にある。それで彼等は最良の宗教、最善の道徳、最良の教育、最良の社会標準、最良の統治的理想を持って居るものは猶太人であると堅く信じて居る。従って猶太人は、猶太人が以て最良と思惟する範囲より抜け出る必要を認めて居ない、彼等は複利増進の爲何事をか為そうとする時、又は外界に対する計画を実行しようとする時、自ら信ずる所を行うを以て最善と信ずるものである。

猶太人の活動は、世界には其の一部が露われるに過ぎないが、彼等の全活動を為すに当たっては常に此の古い期間を使用して居る。それで現在猶太人の財政、政治、智的方面の主なる首領が時々会合を催す、この会合に当っては、予め其の目的が告知されるのであるが、時には目的の告知をしないで世界の首都にこの種の集会が行われることも屡々ある。

今の所此の各方面に於て公認されて居る一首領の有無については未だ明瞭ではない。併しながら所謂「外交政策」の存在、即ち非猶太人に対する一定の意見及び実行計画の存在については殆ど疑いを入れない所である。猶太人は悉く敵の真中に居ると意識して居る、之と同時に彼等は一民族の一員であることを堅く自覚して居る。従って外界に対して一つの政策を有することは必然のことであって、彼等は自己周囲の状態に絶えず注意し、彼等が将来の発展について自己の意志に副う(そう)如く顧慮して居るのである。

猶太人の目に見えない政府、非猶太人に対する態度、猶太人将来の政策という様なものをちょっと見ると、到底吾人には考え得ないものの様であるが決してそうではない、之を猶太人特有の状態から観る時は、悉く当然のことばかりである。猶太人の世界に存在するや、其の眠りを満足にしようとして動揺って居るようなものではない、自ら進んで将来の出来事に対応する如く計画組織をなし、その出来事をして自己民族の利益を成形せしめようとして居るのである。従って猶太民族が、サンヘドリン即ち各國の指導的猶太人の世界的団体エキシラーヘン[3]、将来の世界専制政治の秘密の先駆者たるサンヘドリンの目に見えない公然の首長及び世界計画を有することは、ちょうど各政府が各外交政策を持って居ると同様のことであって、決して不合理なことでもなく又怪しむべき想像でもない。斯かる期間は猶太民族の一般の状態よりの当然の帰結として生まれ出でたものである。サンヘドリンは常に貴族政治であった、今日に於ても恐らくそうであろう。従って猶太宣教師が吾等は斯様なことについて少しも知るものではないと、その説教壇から説明するのも或いは眞實を言うのかも知れない(?)、インターナショナル猶太人が依って以て頼みとする所は、恐らく各猶太人が自己の民族をして、権力と令名の位置に達せしめようという考えを持って居る点であろう。普通一般の猶太人の指導者たちが世界綱領について知る所極めて浅薄であっても而も彼等は世界計画を実行すべき人々に対しては、最大の尊敬と信頼とを払って随喜して居るものである。

之に関して「シオン聖賢集会の議定書」の第二十四議定には次の如く述べられて居る。

ダヴィド王家

ダヴィド王統の根を地球の最下層迄も扶植する方法を述べよう…この扶植法は第一番に我が聖賢が、今日迄一切の世界的事件と全人類の思想養成とを指導し来った所の隠然たる力の中に存する」

ダヴィド王家の数人が王及び王の嗣子等を準備する…」
と若し此のことが信ずるに足るものとしたならば、以上は世界支配者其のものが未だ出現しないことを意味すると共に、尚此のダヴィドの系統のものが、シオンの聖賢に世界支配者の出現に対する準備事業を委任して居ることを意味するものであって、これら権者達は、啻(ただ)に此の準備ばかりでなく、尚此の計画に好都合なる方向に人類の思想を形造るに努力し来ったものである。そして此の綱領そのものは秘匿し得るとするも、その実行及び実行の効果と言うものはどうしても露(あら)われずには済まないものである。故に外界に於て綱領を発見する端緒を見出すことは必ずしも不可能ではない、若し世人が糸口を発見して之を手繰って行ったならば、其処には必ず綱領が見いだされるべく、綱領の内容の人類に関する善悪は、軈て(やがて)察知されるに至る訳である。

 

[1] ルイス・デンビッツ・ブランダイスは、アメリカの法律家。ハーバード大学ロー・スクール教授。合衆国最高裁判所判事。(猶太人初の米最高裁判事)(Wikiより)

[2]初代レディング侯爵ルーファス・ダニエル・アイザックスは、イギリスの政治家、法曹、貴族。法曹として活躍した後、庶民院議員に当選して政界入りし、インド総督(在職1921年-1925年)や外務大臣(在職1931年)を務めた。1914年にレディング男爵、1916年にレディング子爵、1917年にレディング伯爵、1926年にレディング侯爵に叙された。(Wikiより)

[3] 原文:exilarch(エクシラルク) Exile(亡命)とArch(首長)の合成語で、バビロンから逃れた時の聖書の記述からの翻訳借用語。エキシラーヘンはそれのドイツ語(イディッシュ語)か?
一般にディアスポラユダヤ人の世襲統治者のこと。前出のエキザイラーチスと同義と思われる。

 

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