世界の猶太人網(ヘンリーフォード著・包荒子解説)00

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表紙訂装

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第二回シオン會議の光景(猶太百科辞典より)

全世界に散在せる猶太民族の代表者を網羅せる本會議は西暦紀元1898年8月28日より同月31日に亘りスイスのバーゼル市に開催せられたるものにして、その第一回會議は此の前年即ち紀元1897年8月同市に於て開催せられたり。彼の有名なる「シオン議定書」は該會議の議定と目せらる。猶太愛國者ベルンスタイン曰く『第一シオン會議は猶太人に自由の時代を開拓し、彼等に新しき進路を与えた。この進路とは何か?曰く「バーゼルのプログラム」是なり』と。

 

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第二回シオン會議の入場證(猶太百科辞典より)

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第二回シオン會議に制定せられたる第一回シオン會議の紀念章(猶太百科辞典より)

 

若しも黄金が世界の


第一の力であるならば


第二の力は出版物である!

             アドリフ・クレミエ

 

本書は米國の自動車王として有名なるヘンリー・フォードの獅子吼した猶太問題解決に関する世界的大論文「インターナショナル・ジュウ」の解説である。該論文は1920年5月より10月に亙り、週間雑誌ディアボン・インデペンデント誌上に連載され、後ディアボン出版會社に於て転錄出版したものである。それ迄約20万の読者を有するに過ぎなかった該雑誌は、本論文掲載と共に忽ちにして30数万部の発行を見るに至り、更に本書の公刊されるや僅々数か月にして数百万部を出版したことに徴しても、本論文が如何に世人の注目を喚起し、如何に興味あるものであるかを窺知することが出来よう。従って本書は欧羅巴諸國に於て翻訳出版され、その名は我が國にも響いて居るから、之を読まれた人は多々あろうと思う。

抑々猶太問題は世界の癌であると謂われて居る位、非常な難問題であると同時に、直接此の問題を包蔵する欧米各國に於ては、夫々緩急強弱こそあれ、最も困難にして最も重大な國内問題とされて居る。故に人若し欧米列國の急所は何かと問うならば、それは財政でも軍備でもない、猶太問題であると答うるのが至當であろうと思う。従って猶太問題に関する論文や著述は、猶太人側の書いたものも非猶太人側の書いたものも共に少なくない。併しながら欧米各國共言論界に於ける勢力は、猶太人側が占めて居る関係上、猶太人側の書いたものの方が能く普及されて居る、此のことは其の著者が猶太人なるや否やと言う事に少しく注意を払えば直に解ることであるが、就中我が國には猶太人側の言分の方が、多分に而も先入主的に注入されて居ることは争われない。勿論猶太問題はいい加減などうでもいいようなもんだいではない、随って之を論ずるものは真摯な態度で論ぜねばならぬことは當然のことであるが、若し一部の人々の言うように宣伝があり、誇張があるとすれば、それは世界言論機関を掌握し、宣伝を唯一の武器とする猶太人側の方に多いと思わねばならぬ。そこで本書の原著者は猶太人かどうかと言う事を確かめておく必要があるが、ヘンリー・フォードは人も知る巨億の金持ちではあるが、彼は猶太人でないアングロサクソン系米人である。

それは兎に角として本書は其の内容の示す通り、決して宣伝や煽動を目的として書かれたものではない。極めて公明正大に、極めて真剣に、世界の癌たる問題を、全人類の平和幸福の爲めに解決せんとして鋭利なるメスを振るったものである。猶太勢力の非常に盛んな米國に於て「ユダヤ人」なる言葉の使用さえ憚る米國に於て、詳細綿密なる調査の下に縦横無尽に問題を解剖暴露し、事実を事実とし、虚構を虚構とし、或いは基督教徒の管見を痛撃し、或いは猶太人の偏見を戒め、徹底的に論述しえたのは、怪傑フォードにして初めて為し得た所であって、米國に於いては實に古今未曽有のことである。

従って私が敢て禿筆を弄して本論文を紹介したのは、猶太崇拝病や恐怖病に罹って居るのでもなければ、又基督教國の反猶太主義にかぶれて猶太人と没交渉(?)な我が國に反猶太思想を鼓吹しようというのでは勿論ない。実に全世界の各方面に亘る猶太人の大勢力の真相を知らんが為めである。即ち彼等は其の故國を有せずして各國に其の國民として居住し、而もヘルツェルの所謂「猶太人は猶太人にして而も一國民なり」との確乎不抜の信念を有し、他民族に対する時は、左傾派も右傾派も、ブルもプロもなく、唯互に同民族なるが故に協力一致し、今や其の実勢力は隠然として在来の國民、即ち米國に於ては米國人を独逸においては独逸人を圧倒せんとし、而も互に相連繋して或る意味に於て事実「世界を操縦支配」して居る。本原書が國際的猶太人(インターナショナル・ジュウ)と名づけたのも此の意味からである。

我々日本國民が世界列強の班に列し、而も東洋に於ては其の覇者として其の平和を保障して居る以上、世界の各方面に於て甚大なる影響を与えて居る猶太民族とは、直接間接非常な関係を以て居ることは言う迄もないことである。具体的に言うならば、猶太問題と各種危険思想との関係は暫く之を措くも、世人が英國の延長の如く心得て居る日本の玄関先たる上海は、その実猶太人の上海であり、又常に世界財界を支配し、時に社會を瀕死の状態に導く金の相場の上下は、猶太人の手加減次第であるというではないか、是れは一例に過ぎない。即ち私が本書を紹介する所以は、単に猶太問題そのものに興味があるという許りではない。世界に活動する日本人は、國際的猶太人の活躍振りを知らねばならぬことは勿論であるが、之と共に本書に依って各國殊に吾人と密接な利害関係を有する米國及び露國の真相をも窺い得るからである。

私は固より不文謭才(せんさい)のみならず、繁忙の中寸暇を利用して筆を操りたるを以て、原文の高雅流暢を欠くは勿論、原著者の意を十分表わし得ない所も多くあろうと思う。然しながら以上述べた意味に於て、本書が幾分たりとも我が國民に貢献する所があったならば幸神の至りである。

   昭和二年一月                     (包荒子識す)

 

本書の解説に就て

原書の翻訳に當っては二三友人の助力に待つものが少なくない、従って本書が読者の為め多少の参考となったならば、それは我が友人後援の賜である、茲に私はその努力に対し深く感謝の意を表する。

本論文は問題が問題だけに実に多方面に亘って論述され甚だ浩瀚(こうかん)である。従って一般読者に取って比較的興味の少ないと思う点は公刊に當って削除し、又特に説明を要すると思う所は、論文の骨子を傷つけない様にして多少加筆した。そして世界に活動する猶太人の散在状態に想到して「世界の猶太人網」と名づけた。又原文の第13章以下は第2章同様シオンの議定書の条項を列挙して批判したものであるが、議定書は二酉社より発行した拙著「世界革命之裏面」に全文掲載してあるから今回は之を省くことにした、請う之を諒せよ。

   昭和二年一月                     (包荒子

 

原書の緒言

本書を出版して猶太問題を闡明(せんめい)にしようという理由は、本問題が現実の問題であると共に、猶太問題がアメリカの実生活内に侵入して来た為め之れを鮮明に知るの要があり、又各國に於ては、該問題の存在によって発生する幾多の随伴的弊害を刈除(かいじょ)するの必要があるが為めである。

猶太問題が合衆國に存するのは既に年久しいことで、時に深刻に勢力を振って、甚だ憂慮すべき結果に立ち至らんとしたこともあり、又國家の危機を醸成せんとする幾多の兆候を現したこともあって、猶太人自身は能く之れを知って居るが、而かも合衆國人は之れを知らなかったのである。

猶太問題とは啻(ただ)に(単に)周知の事柄即ち財政及び商業上の支配、政権の壟断(ろうだん、独占)、あらゆる生活必需品の独占及びアメリカ言論機関を意の儘に操縦すること等のことのみに関係する問題たるに止まらないで、現今に於ては文明の実生活界にも侵入して居るのである、爰(ここ)に於て乎該問題は全アメリカ人の死活問題となった次第である。

尚お、猶太問題は南アメリカにも関係する問題であって、今や大に其の範囲を拡張して南北を通じ、全アメリカの諸事件に関連する脅威的一成分となって居る。又猶太問題は諸國民を不安ならしむる計画的組織的擾乱の危険なる現象と頗る重大関係を有し、而も決して新現象ではなく其の根源は遠く過去に存在し、斯の長期間の継続は各種の変化過程を示し、過去は現在の、現在は将来の為め各々次の過程の準備となって、次の進むべき道を明示し来ったものである。

本書は猶太問題の研究を、一先ず一括して掲載したもので、其の目的とする所は、1920年10月にディアボン・インデペンデント(Dearborn Independent)雑誌上に公表せられたる研究の諸結果を、該問題に興味を有する読者に紹介せんとするに外ならない。右雑誌の注文は非常に多かった爲め在庫品は須臾(しゅゆ)にして品切れとなった程である。又本書の第九章迄の九つの論文を収めた一小冊子を出版したが、この冊子も忽(たちまち)にして品切れとなった。研究は尚は続行中で全研究が完成する迄は中絶しない意気込みである。

本書発行の動機は単に事実を世人に知らしめんとするにある。勿論此の他にも諸種の動機はあるけれども、一点の偏見も敵意も存しては居ない。蓋し斯る事業を國民に理解せしめ遂行せんとするには、不純なる考を交えては駄目だからである。若し一点でも避難さるるような邪心が存するならば、其の邪心は必ずや文章上に現れて来るもので、之れを隠匿することは不可能なことである。吾人は読者諸君が必ずや本書の所説の論調が事実であって、中庸を失して居らないことを首肯するであろうと確信して居る。國際的猶太人及び其の共鳴者の数は多数である、之等の輩は吾人がアングロサクソンの文明なりと誇る所のものを事毎に誹謗するの徒であって、本書に対しても亦其の数前者に譲らない勿論之等の徒も本書を攻撃することであろう。憐れ此等の輩は猶太人指導者の爲す所は即ち之れ正常なりとの盲目的観念に捉らわれて居るものである。右の如く本書は極めて公正の立場から論述しあると共に、又一方に於ては猶太人が爲めにする所あらんとして宣伝して居る彼の博愛とは乃至は寛宥とかの如き不徹底なる感情を毫も交えて居ない。吾人は唯だあるが儘の事実を事実として伝うるものである。故に此の事実に対しては偏見なりと攻撃することも出来ないであろうし又憎悪することも出来ないであろう。

本書は猶太問題をことごとく論じ盡くして居るものではない。併し本書が読者を一歩前に導くことを得たならば、将来更に引き続き研究したる所を公にし、以て此の研究の範囲及び内容を更に一層明確に示すであろう。

   1920年10月                  ヘンリー・フォード

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