ディープステートについての考察03

アメリカ独立戦争イルミナティの関係 

アメリカ独立戦争と言えば、言わずと知れた、智勇の将、ワシントンが、当時の超大国英国と堂々と渡り合って勝利し、独立を勝ち取った英雄の戦い、と言うように習った記憶があります。

そしてその独立運動の最初にはボストン茶会事件とか、英国による重税と抑圧に植民地の住民が耐えかねてみんなで蜂起した、と言うのが我々が教育から受けた専らの印象として残っています。

しかし、実態はそんなかっこ良い物でもなかったようです。まあ、戦争が公然の人殺しであることは古今東西、同じ事ですが、そこに武器・食糧・弾薬の確保(開発と製造、それに補給(兵站)、その爲の予算措置など、我々が教育を受けた頃の思春期の子供には想像のつかない奥行きがあるもので、少年の日に「どこの軍隊が強いから勝った」とか、「どこの軍隊は弱いから敗けた」などと言う単純な純粋軍事力だけでその想像力を巡らせていた時代が懐かしいものですね。

例えば日本などは、第二次大戦前夜、ありとあらゆるABCD 経済包囲網の嫌味(戦争行為)の中でも自重を重ね、石油を買う為にその頃の世界市場価格にプレミアを付けられた上、パラフィンの多いインドネシアの質の悪い原油でも良いから兎に角、軍・民間の需要を満たして欲しいと腰を低くして米國にお願いしたにもかかわらず、結局それすら禁輸されてしまい、その儘では戦わずして敗戦の憂き目を見たであろう、當に八方ふさがりの中で必死の戦争をしましたが、結局は将兵がどんなに強靭でも物資の不足は継戦能力を削ぎ、長期戦になればなるほど不利になる中で、ルーズベルトの「無条件降伏」と言う途轍もない要求により、四年の戦争の内、二年半は戦争を止めたいのに止めさせてくれない状態となり、詰まる所、惨めな敗北を喫してしまいました。と言うよりは、元々から、米国は日本を完全に征服する意図を以て戦争を仕掛けてきたわけで、戦争の国際法*(戦時国際法ではなく)を守らない異常な戦争であったわけです。(*グロティウスや聖トマス・アクィナスなどが戦争の許容条件を提唱しており、それが正しい戦争を定義しています

アメリカの独立戦争もワシントン・ジェファーソン・フランクリンなどの理想主義だけではもちろん勝ち目はなかったでしょう。実際、英国の艦船はいつでも海上封鎖できますし、食糧は自給できていたでしょうけど武器はとても自給できてないでしょうし、経済的には何しろ植民地ですから、英国から現金が来なければたちどころに経済は行き詰まるはずでした。つまり、単独で英国と勝負していたら敗け戰はほぼ決まっていました。そして日本と同様、長期戦になればなるほど、不利になったはずでした。

ところが、敗けるはずの独立軍が勝った。(フランスの応援があったからですが。)

敗ける筈の側が勝つときは必ず裏があります。例えば、日支事変は結局アメリカに敗けたことで日本が最終的には敗けましたが、支那が敗ける筈であったことは事実です。或いは、バルバロッサ作戦も、冬将軍はありましたが、絶対にソ連軍が敗ける筈の戦いでした。(アメリカのレンド・リースで支援されたので持ち堪えた)
こういう言い方をすると失礼かもしれませんが、英国ですら、単独だったらドイツに勝ち目はなかったです。つまり、英国も敗ける筈の國だったのです。

それがひっくり返ると言うのは、余程の戦術転換、或いは英雄の活躍や友邦の加勢、はたまた新しい兵器の開発などがなければなりませんが、それ以外にも「蛇の道は蛇」と申しますように奥の手があるものですね。因みに、その奥の手の絶大な効果で、英国はいつの間にか、フランス・オランダ・スペイン・ロシア・スウェーデンデンマークまでが敵対する状況に追い込まれました。アメリカの独立戦争は當にその蛇の道を行くものでしたが、その結果、とんでもない憑き物(覃府)に憑かれてしまったようです。果たしてその道が正しかったのでしょうか? 取り敢えず、本書を引用します。

 

<引用始まり>(太字は原典の儘、下線は筆者の追加)

(「第3章 ディープステートイルミナティ 3.2 アメリカ独立戦争とディープステート」より)

フランス(覃府)のアメリカ独立支援の魂胆

「我々の国務長官と共に貴殿の将来の知り合いが[1]、彼ら(我が将兵ら)の過ちの中にある我々の共通の敵に対する司令官の見解に従う気持ちの欠如[2]が考慮されることなどないことを明言するでしょう。我々は現在の最前線に余りに利害があり、また、あの隊長(ワシントン?)に疑いを差し挟むにはあまりに危険が伴います。緩やかな法律、戦争に慣れておらず、俄かには従順でない人々、戦争条項と彼らを動員する手段の欠如が我々の命令を度々効果的で無くし、煮え切らない態度を強い、一つのやり方で目的を完結出来ないと別の事を試したりします。我々が望むやり方を追求できるとき、彼らを順応させた貴殿の性質と共に貴殿の状況に対する知識は、我々に可能な最善の形で私に貴殿の協力を保証してくれます。私が8日の書状の時点で勝手ながら貴殿に差し上げた情報より我々の準備が未だ遥かに及ばない様なことがないことを望みます。公務の為に必要とあらばどのようなご要望もご自由に、そして幹部の意志が可能ならしめる国家と権力が可能な限りそれを促進する我々のお気持ちをご納得戴ければ幸甚に存じます。最高の自尊心と尊敬と共に名誉あらんことを。 Sir Your, &c.(敬具)」

     ―トーマス・ジェファーソンよりラファイエットへ 1781年3月10日

 

ジェファーソンの率直で頻繁な文通は、大英帝国を倒す為にフランスからの軍事力、資金の援助を受け取る継続的計画を維持する上で疑いなく必要であった。フランス政府の援助(軍事力と資金)なしには、我々は英国の赤外套軍を破る見込みはなかった事は疑問の余地がない。フランスと協力していなければアメリカは独立戦争に敗北したであろう。アメリカ人は、その精神と戦術的技術は持っていたが英国赤外套のような優れた武器は持っていなかったし、フランスによって与えられたところの、勝利まで持ちこたえるだけの軍事予算もなかった。しかし彼らは何故そんなにも我々(アメリカ)を助けるために國外に出てこんなにも費用がかさむ戦争を戦ったのであろうか?それはただ単に双方よく知ったいつもの敵、つまり英国が我々米仏の敵であったからであろうか? これは、フランスが我々をこんなに頻繁に、しかもこんなに長期に亙って援助してくれた、ありそうもない単独の動機であった。(つまりそれだけであろうはずはなかった)

フランス人の真の動機と我々のアメリカ独立戦争に加担しようとする彼らの尋常でない熱心さを説明するためには、「両大陸の英雄」としても知られる一人の男、ラファイエット侯爵の物語から始めよう。ラファイエットのこの仇名は、彼が二つの大きな革命、フランス革命アメリカ独立戦争の成功により称賛されているからつけられたものである。アメリ独立運動が否定すべくもない英国君主の抑圧からの自由のための戦いであった一方、「フランス革命」はさらさら戦争などではなく、それは、24時間かからずに完了した組織されたクーデターで、その作戦の単純性により、素直な観察者にはその他にももっと話があるのではないかと言う疑問を残すものである。

ラファイエット侯爵の真実の物語は、幾分取り乱すようなものであるが、ディープステートの真の起源の裏の謎を明かしてくれる。

ラファイエット侯爵は、ジョージ・ワシントン将軍により、当時の超大国大英帝国と戦うための顧問として招聘されたのである。フランスはアメリカ独立戦争の中で1777年のサラトガの戦い[3]以降、合衆国の軍に協力した。彼らが海軍の援助をする前は、合衆国は殆ど全ての戦いで英国に敗けていた。しかし、なぜ彼らはそんなに即刻に我々を助けに来たのか、しかも何の見返りもなしに?

ラファイエットは、独立戦争期間にアメリカに来る前はアメリカとフランスのロビーストをしていた。ロビーストは勿論無料で働くわけではない。ラファイエットはデュポンのイルミナティ一家と関係があり、1776年5月1日にイルミナティ秘密結社が認知される前からも自身高い階級のイルミナティ会員であった。彼がアメリカ独立戦争に関わる前の歴史に、記録は良く残っているが、彼は1773年から1779年の間、他ならぬアダム・ヴァイスハウプトその人と定期的に会議を重ねていた。更にヴァイスハウプトはドイツからフランスに特別にラファイエットと話す為に出張していた。これらの会議は一般に知られており、その議論は、イルミナティ秘密結社が内部で開かれていたメーソンの神殿内部で行なわれた。マクシミリアン・ロベスピエールに渡されたフランス革命のためのディープステートの破壊と浸透の伝言も同じ様にヴァイスハウプトとラファイエットにより、与えられたものである。ヴァイスハウプトはフランス君主の転覆を計画し、アメリカ政府に関しては、彼は失敗(敗北)しつつあるアメリカ独立戦争に、その弱味を悪用(搾取)する手段を見たのであった。

アメリカを破滅させ、最後にはその「教会と国家」を転覆するる悪魔のような狡賢い陰謀が何年も先だって計画されたのである。但し、アメリカに関してはヴァイスハウプトの政府を内部から破壊する8つの手段全ては、長い時間をかけてずっと実行されたことを除いては。イルミナティ秘密結社が1776年5月1日に設立されたことと、独立宣言が丁度その66日後の1776年7月4日に行われたことは偶然の一致ではないのである。そしてそこに、新しい形の知恵と啓発に夢中になって公式に結社の一員となったトーマス・ジェファーソンとヴァイスハウプト、そしてその間にラファイエットが非公式の大使でおり、アメリカのディープステートが形成されたのであった。

 

[1] 原文は “your future Acquaintance with the Executive of the State”

[2] 原文は “among their faults is not to be counted a want of disposition to second the views of the Commander against our common enemy.”

[3] 原文は1791年。サラトガの戦いは、1777年9月から10月で恐らく間違い。

 

(「第4章 古代の象徴主義 4.1 国璽(Great Seal)の起源」より)

覃府による財政支援とその見返り

今日の一ドル札を そこにある全ての奇妙な象徴と隠された意味を検証するには、ハイム・サロモンと言う名の男から始める必要がある。彼は合衆国の歴史で最も重要な人間であるのに、歴史は彼の人生の正確な説明を殆ど省略しているが、それには疑問が生じる、何故だろう?

彼が取り組んだ合衆国に敵対する品の悪い不吉な企みが、何故かを正確に説明してくれる。ハイム・サロモンは1772年に合衆国に移民し、ニューヨークで仲介ビジネスを始めた。

ハイムがユダヤ教を実践していたという根拠はないが、そうではなく、「一万人の有名なフリーメーソン[1]」と言う本に、彼がフリーメーソンと高い階級のイルミナティで「主計官(兵隊や従業員に給料を支払う役割)」として載っているのが解る。彼は合法的なポーランドからの移民で、彼自身はフィラデルフィアに居住した。1772年の冬、ハイム・サロモンはワシントン将軍と会い、独立(叛乱)軍が完全に混乱して殆ど英国に降伏する用意が出来ていたことを見出した。ワシントンの寄せ集め軍隊は制服もなく、軍備も底をついていた。多くが靴すら履いていなかった。

もうどうすることもできず、酷い苦境に居たのでワシントンには名もないユダヤ銀行、そしてロスチャイルド系外国銀行の系列の代理人から秘密裏に資金を受け取る合意をする以外に選択の余地はなかった。サロモンは、有名なロスチャイルド所有の投資家とオランダ、フランス、欧州中の銀行家から全面的に支援されていた。彼はロスチャイルド側と合衆国側、ジョージ・ワシントン、ジェファーソン、アダムスとフランクリンの委員会との間で成功裏に仲介を行ない、アメリカ独立戦争を財政支援することとなった。ハイム・サロモンはラファイエット将軍と共に、独立軍とディープステートの契約を締結するのに必要な、戦時のあらゆる軍需品と資金を獲得し(金融側と)交渉するために協力した[2]この恐喝と賄賂なしには、ジョージ・ワシントンと我等が勇敢なアメリ将兵アメリカ独立戦争に敗北していたのであった。

アメリカに関する聖戦が今始まる。そしてそれが終わる時アメリカは、恐らく自由の要塞となる。しかし、その数百万人は知らないうちに君主の忠実な臣民となるだろう。その教会はユダヤ人の宗教を教えるために使われ、二百年を経ずして国全体が神の世界政府の為に働くことになる。彼らが神のものと信じるその政府は大英帝国となるであろう。全ての宗教は、大衆に気付かれすらしない間にユダヤ教に浸透されるであろう。そして彼ら全員はそのフリーメーソンの壮麗な建築家の不可視の、全てを見る目の下に置かれるであろう[3]。」

     ―英国将軍 コーンウォリス 1781

 

ハイムは1785年に至るまでディープステートの罠を仕掛け続け、アメリカの財務が殆ど潰えた頃、彼はワシントン、ジェファーソン、マディソンにあらゆる必要な資金を前貸しした。サロモンは膨大な数のアメリカの政治家にも賄賂を渡した。一ドル札に話を戻すと、独立宣言が起草され、批准されるとトーマス・ジェファーソン、フランクリン、ジョン・アダムスは会う事を強いられ、アメリカ独立戦争大英帝国を打ち負かすために用立てた全ての費用を返済する義務を負わされたのである。その価格は些細なものではなかった。ディープステートは見返りに二つの要求をした。国璽*の意匠を描くこと、それは後ほど紙幣に印刷されたが、もう一つは、我々の銀行と財政制度を恒久的完全に支配することであった。ピエール・ユージン・ド・シミティエレが国璽*の意匠を描くために呼び寄せられ、それは即座に承認された。しかしながら、大陸会議[4]はそれとは何ら関係なく、承認もしなかった。ロスチャイルド家は彼らの象徴主義を彼らが要求した通りに正確に合衆国の国璽に入れることを要求し、一歩も引きさがらなかった。

 *英語で「The Great Seal」

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合衆国1ドル札のデザイン(これがThe Great Sealです)

[1] 10 Thousand Famous Freemasons

[2] 原文:Haym Salomon worked with General Layfette to obtain and negotiate all the wartime subsides and money necessary to seal the Deep State deal;

[3] 原文:and they will all be under the invisible all-seeing eye of the Grand Architect of Freemasonry.

[4] 大陸会議とは、Continental Congress、つまり合衆国独立前の議会の事。

 

覃府の埋め込んだ時限爆弾(論理爆弾)とアメリカの運命

9年後の1782年[1]大陸会議の秘書チャールズ・トムソンとウィリアム・バートンが国璽に使われる意匠について合意を促進する手助けをした。大陸会議にはこの意匠の象徴主義イルミナティのものであることを理解して敵対的に反対する者も居たが、最後は承認された。「アメリカ独立戦争の金融利得者」と更に別の外国代理人アメリカのディープステートを設立する中で名を残したのであった。

我々が英国の君主から独立を宣言する中、そしてそれ以後にディープステートは、我々の共和国(或いは国家)に「論理爆弾」を仕込んだのである。彼らが如何に我々の政府と今日の全ての政府を転覆する計画をしたか充分に説明する、これ[2]が唯一の英語の一節である。神の恩寵により、我々には、ディープステートを縮退させているトランプ大統領が居る。しかしながら、これらの代理人、組織、企業、情報社会、秘密結社、それにディープステート所有のメディアは、不幸にもまだトランプを追っている。浸潤性で潜行性の癌の様にそれは未だ我々の国家の血液の中にあり、未だかつて見たことのない程に我々の文化に感染している。我々の文化がディープステートの疑似共産主義者イデオロギーに感染し続ける限り、我々は何時かはこの外国人権力のヒエラルキーにより、自身の影の政府/ディープステートを持っている他の多くの國と共に撃破されるだろう。

何故、敵対する外国国家が様々な国に、特に自由世界の成功者に「論理爆弾」を仕掛けるのか? 論理爆弾とは「ある特定の条件が満たされると、それらが破壊的な作用を実行するようにプログラムに秘密に組み込まれた一組の媒介変数」と定義される。合衆国が、謂わばプログラムで、そのディープステートの条件がゆっくりと満たされると西欧の政府、宗教機関、家族、そして文化規範の崩壊が起こる。ディープステートがこれらの制度慣習の一つ一つを標的にするだけでなく、今日これらは殆ど完全に奪われていることは偶然ではない。ディープステートは自身を完全にDOJ (司法省)や全ての米國の情報機関群に組み込んでいるのである。それは、「ヴァティカン」も含めて、然しそれに限らず、多くの宗教機関にも入り込み、本質的に誰かが企業を買収する様に買収して、その上で彼ら自身の「偽の教義」を広めているのである。ロックフェラーは学校と制度慣習も1920年代以来標的にしている。多くの人々にとってその効果は非常に目につくものであるのだが、その源泉は謎のままである。がそれは決して謎なんかではない。

 

[1] 文脈からはいつから9年後か不明。1782年の9年前は1773年はボストン茶会事件である。

[2] 文脈から前文を指すと思われる。つまり、「我々が英国の~仕込んだのである」の一文。

<引用終わり>

 

アメリカを独立させることにより、その國の平和と繁栄を願ったのではなく、その國に金を貸しつけることによって、脅迫・強請を行ない、堕落を願ったのです。結局覃府は独立軍に金を貸しつけましたが、自腹は全くなく、その出処は全てフランス政府であり、この巨額の出費がフランス革命の一因となったと言われています。

この様にして、アメリカにこの覃府が遂に憑りついたのでした。この様な歴史は、特に今や世界の超大国として君臨する大国アメリカにとっては、とても公に出来るものではありませんね。その國の初めに、お金に困ってヤクザに脅迫されていた、などと言う歴史は出来る事ならそっと隠しておきたい恥部ですよね。

でも、この様なことは、実は日本以外の近代国家として出発した殆どの國にあることなのです。(筆者は日本人であることに対して天に感謝しています。)特に、革命で前政権を倒したような国家には。何故なら、その革命を起こしたのも実は覃府ですし、その革命の資金を出したのも覃府で、新しい政権の通貨発行権も覃府に牛耳られているのです。要するに自分たちの商売(支配)の為に政権を潰し、人民を弄(もてあそ)んで扇動し、革命を起こし、流血を起こし、そして出来上がった政権を借金漬けにし、その通貨と経済を牛耳ってまた利益を貪るのが覃府の構成要素の一つであることは間違いありません。(日本も日露戦争の戦費調達で覃府の一部としてのユダヤ金融から貸し付けられましたが、昭和61年に完済しています。していなければ、当然恐喝・強請の類があったでしょうね。でも日本は戦後GHQ共産主義者に覃府を埋め込まれています。これについては、話が進むにつれて触れて行く事にします。)

例えば、戦後独立した多くの国々では、前宗主国が造った頼みもしてない工場や油田開発、プランテーション農場などの開発・建設費用として舊(旧)植民地に莫大な額を請求し、経済的に自立できないようにしたことは、正史では習わないけれども常にこれ等の舊植民地であった国々の事を理解する上で常識として考えなければならないことです。戦後、舊植民地にこの様な費用を請求しなかったのは日独だけ、そして、逆に賠償金まで支払ったのは日本だけです。その他の殆どの先進国は、舊植民地から貸し付けた資金の利息を搾取してきました。これらは表だって知られている事であり、覃府の仕業とは区別して考える必要がありますが、同様の搾取形態です。

更に、舊社会主義国ソ連や東欧の国々も実は、ウォールストリートの金融閥に陰で支援されていたことはいまさら言うまでもないことですが、勿論彼らは報酬なしに支援などしません。その分捕りの最たるものは、ロシア革命後に消えたロシア皇帝の金塊です。ロシア皇帝は、1917年の革命当時、世界一の黄金保有者でした。ところが、その黄金はロシア革命の混乱で行方不明になってしまいました。(と言う事になっています)でも眞實は、極秘の列車(或いは馬車)でフランスのロスチャイルド家に運ばれた、と言われています。第一次大戦前夜、フランスは途方もない資金をロシアに投資しています。恐らくその担保にロシアの金塊を強奪したと思われます。そしてこれも金融による覃府の支配の一部なのです。

こう言う手法の最も成功した事例が恐らくアメリカ独立戦争フランス革命でしょう。それは奇しくもヴァイスハウプトによりイルミナティの存在が発覚した時期と重なっているのです。(偶然ではあり得ません)

以上、アメリカ史の恥部の曝露と、その現代まで続く悪の伝統のお話です。この悪を退治するために何人かの勇敢な大統領がこれまで立ち上がりましたが、残念乍らすべて暗殺又は暗殺未遂の憂き目にあっています。その最後の大統領が実はジョン・F・ケネディであったのですが、それについては、フランス革命の次にお話することにします。

では、次回は同様にフランス革命の顛末についてのお話です。

(註:ディープステートをこのブログでは、「覃府」(たんぷ)と呼ばせていただきます 但し訳文は元のままです
覃は深い・拡がり及ぶ等の意味があり、府は、政府・幕府などの様に国家機関を表します。つまり、
Deep(覃)State (府)です。)