ドイツ悪玉論の神話069

第十八章 ポーランドとの戦争

ミュンヘン合意の結果、チェンバレン首相とヒトラー総統の間で交わされた平和協定への國際的な喜びは、長続きしなかった。独逸國外の輿論は再び沈静化し、反ヒトラー・國家社会主義者に替わり始めた。それは、絶え間ない反ヒトラー・反ナチス宣伝工作の結果であった。宣伝工作は、強力な兵器であり、それは、その潜在能力を細大漏らさず用い、世論を國家社会主義者の独逸に対抗する様に変え、そして、英國米國両方で戦争の口実を創作した。この憎悪の戦いは、主に國家社会主義政権を弱体化する事に努力を絶やさなかった猶太人によって統制・実行された。

英國の歴史家、ネスタ・ウェブスターはその著書「独逸と英國」1938年発行、(第二次大戦勃発の少し前)で次のようの述べている。

英國人は、過去に於いてはそんなに容易く高ぶって憎悪するということは無かったが、この二人、ムッソリーニヒトラー、に対する異常な憎悪は、猶太人とその受益集団によって彼らに植え付けられたもので、我が人民の生き血に流れる毒の様に作用している。

独逸は、目に見える反猶太独裁体制の下にある。我々は、目に見えない猶太人の独裁体制の下にあるが、生活圏のあらゆる場面で感じられる独裁であり、何人もそこからは逃れられない。

既に猶太人はあらゆる人間の経歴を好きなように作るか、或いは破壊することが出来るようになった。戦争が起これば、疑いなく、彼ら猶太人があらゆる重要な立場に現れ、我々自身が彼らの哀れみの的(対象)となるだろう。そこで世界大戦の本當の目的が明らかとなる。猶太人が独逸を負かさない限り、彼らは自分たちの究極の目的-世界支配-を認識できないのである。故に、ヒトラーは排除されなければならず、猶太の権力が復活しなければならないのだ。」(太字は著者が付加)

この様な反ヒトラー宣伝工作により生成された憎悪、不信と好戦の雰囲気に於いて西側の指導者は、ヒトラーが主導するあらゆる外交政策に関して最も悪く解釈する事を前提条件にするに至った。ヒトラーは、猶太人新聞により、攻撃的な気違いに仕立てられ、それ故に独逸の合法的な要求は、全く信用されなくなった。

ミュンヘン会議の後、英國外交政策の担當は、チェンバレン首相からその時の外務大臣ハリファックス閣下に手渡された。そして彼はその後、独逸との戦争を挑発する苛酷な運動に従事するのであった。ハリファックス英國指導者の何人かは、左翼右翼を問わず、共に、ヒトラーと國家社会主義者を酷評し、戦争を推し進めた。これらの中で主なものは、英國政府の主任外交顧問で、反ナチのラジオ放送を行った、ロバート・ヴァンシタート卿であった。ヴァンシタートのラジオ放送は、英國の大衆に「野獣の天性」、軍國主義、侵略、盲目的服従の傾向、それは、ヴァンシタートに依るとタキトゥスの時代以来独逸人(ゲルマン人)に植え付けられたもので、それ故、その隣國を特に危険に晒すものである、という事を目覚めさせ認識させることを意図していた。ヴァンシタートは、自分が黒海で何年も前に観察した、冷酷に、疑う事を知らない獲物を次々に排除する百舌鳥を隠喩として用いた。ヴァンシタートの見方では「ナチズム」は常軌を逸したものではなく、独逸の歴史の論理的な所産なのであった。ヴァンシタートとその他は、ヒトラーによるあらゆる外交の動きは、新しい「予期しないこと」であると特徴づけ、彼は信頼できず、「阻止」しなければならないと宣言した。ヴァンシタートの放送は、英國輿論を反独逸に炎上させるのに非常に効果的であった。

現実には、ヒトラーは、首相になった當初から、ヴェルサイユ条約によって独逸から奪われた領土を取り戻す意図であることを明白にしていた。彼の独逸人全てを含む独逸國家の計画も最初から明らかであった。「Ein Reich, ein volk, ein fuhrer」(一つのライヒ、一つの人民、一人の指導者)と彼は何度も繰り返していた。これまでに、彼は、ラインラントを再武装し、オーストリアを併合し、ズデーテンラントを併合した、-すべて平和的に。独逸人が多数派の町、メメルもリトアニアから東プロシャに返還された。残ったパズルの一片は、ダンツィヒポーランド回廊であった。これが予定の次に挙がっていることは明白であった。ヒトラーは既にそれを言明していた。しかし彼は、同時に、第一次大戦後返還されたアルザスとロレーヌ地方に関しては、その要求を放棄した。ヒトラーは自身の計画を明白に述べてそれから一歩一歩、自分が言った通り正確に計画を進めた。更に、世界の多くの政治家、ジャーナリスト、学者もこれらのヒトラーによる独逸の領土の復帰要求に同意し、彼の要求は、合理的でしかも正義に叶っていると宣言した。ヴェルサイユ条約は、「戦争贖罪」条項を基にしたもので、その条項は、第一次大戦の開戦責任を独逸に押し付けたものだ。修正主義の歴史家は既にこの戦争責任の主張を反証しており、ヴェルサイユ条約の重い条項には何も根拠はなく、ヒトラーが首相になるずっと以前に紙屑にしていなければならなかったはずだ。チャーチルハリファックスヴァンシタートやその他の英國の「開戦派」がヒトラーの動きを「侵略」や「予期しない動き」と特徴づける事は、単に不誠実にすぎなかった。ヒトラーの言葉が信用できない、と言うのも真実ではなかった。

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