ドイツ悪玉論の神話062

オーストリアの経済復興

独墺統合より前は、オーストリアの経済は、人口の三分の一が失業中と言う壊滅的な状況であった。國境の向こう、独逸では、失業者は消滅し、生活水準と労働環境は、大いに改善していた。そして経済、社会、文化活動・生活を再び謳歌していた。ヒトラーが首相になる前は、独逸の経済状況はオーストリアと同様であった。オーストリアライヒへの編入に従い、オーストリアでも状況は劇的に改善した。独墺統合の後、たったの半年で失業者は、以前の四分の一に減少した。1940年までにオーストリアの失業率はたったの1.2%となった。

1938年の年末までに(つまり、独墺統合が起こった間)オーストリアの労働者の賃金(週給)は9%上昇した。オーストリアのGNP は、1938年に12.8%、翌1939年には13.3%成長した。この様な劇的な経済成長は、一國の歴史に於いて滅多に経験することは無いのものだ。

独墺統合から少しの後、独逸の國内労働法とその包括的な社会保障系がオーストリアにも取り入れられた。職場における基本的な権利が保証されることになり、労働者は、恣意的解雇から保護されることになった。これらの方策により、20万人以上に上る絶望的な貧困層の人々にも即座に安心感を与え、健康保険制度も労働者階級にまで拡大する事になった。安価な住宅を供給する為の大規模な建設計画が直ぐに着手された。音楽・芸術・文学の分野での活発な振興策により、文化生活が鼓舞された。これら全ての結果は、繁栄と楽天主義の増進であったが、同時に、オーストリア出生率の急増であった。オーストリアの人々は、独逸との統合は史上オーストリアにとって最良の出来事であると信じ、ヒトラーは奇跡の仕事人だと信じた。

アーカンソー大学のエヴァン・ブール・バキー(Evan Burr Bukey)教授の著書「ヒトラーオーストリア」によると、「ヒトラーは、シーザーの時代以来滅多に見られない様なオーストリアの人々の熱狂した順応性に恵まれたのだった。」

 

オーストリアの猶太人

1938年、独墺統合に先立って、192,000の猶太人がオーストリアに住んでいた。殆ど全て、200万人近い人口を抱えるウィーンに居た。その相対的な少数にも拘らず、オーストリアの猶太人は、広範且つ不相応な富と権力を行使していた。このため、そして更に猶太人が世界中で居住している國の住民から軽蔑された他の理由全てにより、オーストリアの猶太人は極端にオーストリア人から嫌われていた。

エヴァン・バキー(Evan Bukey)教授は次の様に書いている。「貧困化した國に於いて、猶太人の支配的な立場はオーストリア大衆の恐れと嫌悪を増長するばかりであった。既に見て来た様に猶太人の起業と金融体制は國の経済生活を幅広く管理した。独墺統合の頃、ウィーンの新聞・銀行・繊維業界の四分の三が猶太人の手にあった。(中略)専門職(頭脳労働)に於ける猶太人の驚くべき成功も、僻みと悪意を生んだ。50%以上のオーストリアの弁護士・内科医・歯科医が猶太人であった。」

しかし、猶太人はオーストリアの人口の2.8%に過ぎなかった。更に猶太人以外のオーストリア人を完全に排除しつつ、しかもその犠牲の上に猶太人は、強力な仲間内の協力と互助により、オーストリアに於いて閉鎖的な社会の中で孤立していた。彼らの多くは着るものも違っていた。彼らは、オーストリア人には異邦人で、猶太人のみの利益の為に非猶太人のオーストリア人から搾取する寄生的エリートと見做された。彼らはまた、肉体労働を避け、普通のオーストリア人を見下して扱った。

バキー(Bukey)教授によると、オーストリア人の多数、特に信心深いカトリック教徒は、洗礼を受けた猶太人も他の猶太人と同様、「余りにもオーストリア社会に深く織り込まれているので経験的な反証の影響を受けずにソレルの神話を作り出した」ような憎しみを持って観ていた。(ジョルジュ・ソレルは、フランスの哲学者で、「神話」は、人々の生活における強力な動機となったと主張した)

この、何とか抑制されていた猶太人に対する憎しみの渦巻く状態は、1938年3月11日に、群衆が集まってヒトラーがウィーンに入り、そこで独墺統合を発表するとともに、遂に沸騰したのだった。バキー(Bukey)教授は、次の様に書いている。「数えきれないウィーンの人々が狂人の様に通りに出て来て「猶太人に見える」人間を車から引きずり出し、棒で殴りつけ、シナゴーグを冒涜し、百貨店で強盗し、猶太人のアパートを攻撃した。彼らは、ラビがお祈りに使うショールでトイレの便器を磨くようにラビに強要し、見つけた現金・宝石・毛皮の類を盗んだ。SS の記者が後で尊敬を込めて書いている。『ウィーンの人々は、我々がゆっくり考えているうちに北でやり損なったことを今日一晩で実行した。オーストリアでは猶太人排斥は組織する必要もなく、市民自らがやり始めたのだった。』」

 

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独墺統合以前の街の猶太人


オーストリアライヒに組み入れらると、ニュルンベルク人種法も含め、独逸の法律が自動的にオーストリアの法律となった。ニュルンベルク法の意図は、他の反猶太法と同じく、独逸の経済、文化、社会生活から猶太人の支配力を削ぎ、猶太人の國外への移民を奨励する事にあった。独墺統合の後、オーストリアにこれらの法律が施行されるとオーストリアの猶太人は、一夜にして國籍を剥奪された。この点で、独逸では達成するのに5年を費やしたことがオーストリアでは何日間かで行なわれた。

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