ドイツ悪玉論の神話056

第十五章 1936年オリンピック大会

ベルリンは、1936年のオリンピックゲームの開催権を二位のバルセロナを破って手に入れた。オリンピックの開催権はナチスが独逸で政権を執るよりも2年前に手に入れていた。ナチスが政権に就いたとき、米國の猶太人組織は即座にベルリン以外の他の会場が開催地に選ばれるべきだと要求した。全米猶太人会議と猶太人労働委員会は、ベルリンから開催地を移動しなければ、米國の参加に反対する、という集会を計画した。米國オリンピック委員会の会長、アベリー・ブランデージは、その偉大なる信頼に違わず、これらの圧力にもめげず、合衆國は予定通りベルリン大会に参加すると決定した。國際猶太は、既にナチスが政権を執る前からナチスに敵対する宣伝工作戦を始めており、ブランデージはこのオリンピック参加拒否の企ても独逸に敵対する「猶太人共産主義者の陰謀」の一つに過ぎないという見方をしていた、そしてそれはその通りだった。彼は、誰によっても、如何なる事由でも猶太人選手が不公平な扱いを受けることは無いと言い切った。しかしながら猶太人は諦めなかった。

ヒトラーベルリンオリンピックに関して最も繰り返し語られる話は、米國の黒人陸上選手であるジェシー・オーエンスが金メダルを獲得した時にヒトラーが彼との握手を拒否した、と言う話だ。この神話は、非常に広く知れ渡っており、例えば、マイクロソフトエンカルタ百科事典を含め、多数の雑誌や刊行物で真実として登場する。

実際何が起こったかと言うと、ヒトラーは1936年8月2日、個人的に陸上競技の第一日目に競技場におり、1896年以来のオリンピックの歴史で初めての独逸人金メダリストとなった独逸人選手、ハンス・ヴェルケを個人的に祝福した。そして第一日目を通して、ヒトラーは、独逸人もそうでない選手も、オリンピックの優勝者を彼のVIP 席に迎えたのだった。

ところが、次の日、8月3日、國際オリンピック委員会の議長であるバイエ=ラトゥール伯爵が朝早くヒトラーに話を持ち掛け、ヒトラーがオリンピックの優勝者に個人的祝福をすることは、オリンピックの儀礼違反である、と伝えたのであった。ヒトラーは、しかるべく謝罪し、この先、優勝者と握手することは控える、と言った。そして同じ日の後になって、ジェシー・オーエンスが金メダルを取った時も、ヒトラーは、握手しなかったし、また、その時以降、オリンピックを通して、他の誰とも握手しなかった、という事だった。

つまり、ヒトラーが故意にオーエンスを冷淡にあしらった、と言うのはとんでもない嘘であった。ジェシー・オーエンスは、1970年発行の「ジェシー・オーエンス物語」と言う自叙伝でヒトラーがどの様に客席から立って彼に手を振ったか、を詳述している。「私が総統の傍を通った時、彼は立ち上がり、私に手を振った。そして私は手を振り返した。私は、記者が独逸の時の人を批判したのは趣味の悪さを表していると思った。」

第一日目の午後、ヒトラーとその側近は、雨が降りそうなので、早い目に競技場を後にした。事実、雨は既にパラパラ降っていた。偶然にも米國の黒人選手、コーネリウス・ジョンソンがちょうど、彼の米國のチームメートを走高跳で負かして金メダルを獲得したのがヒトラーが競技場を後にするほんの少し前だった。反独逸宣伝工作員は國際猶太支配の新聞を通して、ヒトラーは、黒人が優勝したことに腹を立てて「そそくさと競技場を後にした」と報告した。ヒトラーは、そのような不適切な振舞によって否定的な宣伝に身を委ねるには、余りにも繊細であった。(つまり、断じてそのような事をするはずはなかった。)

しかし、都合の良い反ナチ物語の前に眞實が立ちはだかることは無かった。猶太人所有のニューヨークタイムスは第一面に「ヒトラー米國人を除くすべてのメダリストに挨拶した」と競技第一日目の次の日に載せている。その次の日の第一面見出しは、次のようであった。

 

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ボルチモアアフリカ系アメリカ人」新聞 1936年8月8日


ヒトラーは、黒人メダリストを無視する」そして偶然ではなく、ニューヨークタイムスは以前にベルリンオリンピックを参加拒否する運動を主導していた。他の新聞も同じ話を採り上げた。「ヒトラージェシーを冷遇した」と言う見出しが、巨大な太字でクリーブランドの黒人新聞「Call and Post」に踊った。ボルチモアの「アフリカ系アメリカ人」紙には、「アドルフは、アメリカの息子たちを冷淡にあしらった」と言うヘッドラインが載った。これらは、故意の嘘であった。この様な事は決して起こらなかった。

1936年のオリンピックを巡って反独逸の新聞が広めたもう一つの話は、オーエンスの勝利で「ナチの支配民族理論が破綻した」というものだった。オリンピックがその様な考えを支援していたのだろうか、実際、そのような考えは存在したのだろうか?米國は、独逸の二倍半の人口を擁するが、メダルを56個獲得したのに対し、独逸は、89個のメダルを獲得した。

この、独逸が自分たちを「支配民族」と主張したというのは、また、実際何の根拠もない別の神話であり、國際猶太新聞による反独逸宣伝工作に過ぎない。ナチスはそのような主張(しかし、猶太人こそ、自分たちを神に選ばれし民族と主張しているが)はした事が無いし、ヒトラーも「支配民族」と言う用語を使ったことは無い。また、独逸民族を表現するのにそれに近い言葉も使ったことは無い。「アリアン」と言う用語は、英國人、オランダ人、スウェーデン人、ノルウェー人、フィンランド人、スイス人を含む全ての他のゲルマン起源の民族も含めた、全ての欧州のゲルマン系の民族を表すのにヒトラーは使った。アリアン人種は、その全ての功績で明らかなように、文化的に他の殆どの人類よりも優秀であるとヒトラーは信じていた。彼は、「我が闘争」に次の様に書いている。「今日我々が自分たちの前に見るあらゆる人類の文化、芸術・科学・工業技術の果実は、殆ど例外なく、アリアン民族の創造物である...」この考え方は、その頃の全ての欧州人に受け入れられていた。そして、殆ど全ての文明の進歩はこれらの民族によって成し遂げられたことは、殆ど論争にすらならなかった。英國人は常に自分たちを優秀な民族だと考えていた。反独逸の國際猶太新聞は故意にこれらの考え方を誤解し、独逸人が自分たちだけを指して「支配民族」と考えている、と言うように意味づけた。実際にはそのような主張は全くされなかったのに、である。

非常に皮肉なことに、フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、その頃、大統領再選を目指していたが、南部諸州の反応を心配して、ホワイトハウスジェシー・オーエンスに会う事を拒否した。オーエンスは後年、彼を冷遇したのは、ヒトラーではなく、ルーズベルトだった、と述懐している。