今日の共産主義 45の目標26

✔26. 同性愛、堕落(性的倒錯)、乱交を「正常・自然・健康的」として提示せよ。

これらの45の目標は1961年に印刷された。1973年までにアメリ精神科医協会により、同性愛は精神障碍の範疇から外された。他の人間も彼らの先導に習った。アメリカ心理学協会代表評議会も同じ政策を1975年に採択しWHO(世界保健機構)も1990年に従った。[1]

同性愛の生活習慣の研究は同性愛関係の安定性を確証しない。1978年の研究は83%の同性愛の男性が生涯50人かそれ以上のパートナーを持つとしている一方、28%は、千人以上持ったとしている。殆どのレスビアンは10人より少ない同性のパートナーを持ち、見知らぬ人間とは稀であると研究は示している。

エイズが流行する前は79%の男性がそのパートナーの半数以上が見知らぬ人間であると言った。[2] 1984年、エイズが流行した後、サンフランシスコの同性愛男性の間の新規パートナーの平均数は月に6人から4人に減りました。同性愛とレスビアンの間では精神疾患異性愛者よりも多く、1977年の調査では同性愛と両性愛者は平均余命が20年短いことを示している。[3] その後の研究では新しいHIV/AIDS 療法のために平均余命を変化なし或いはそれまでの研究より長くしている。[4] 近年のこれらの生活様式のより多くの社会的な受容と共に同性に惹かれる事に関する精神的問題の程度は減少している。

近年の同性婚の権利の推進は2015年の最高裁で保証されたように、自然な家族を破壊して同性愛を制度化する最新の行為である。言論の自由分野では、公的注釈として「包括性」と「多様性」の支持の下に同性愛の権利は支持されている。大学、民間企業、それに地方政府は自分たちが如何に多様になったかをいち早く発表する。しかしながら、今では自然な家族を支持し、同性愛を非難する公的注釈は憎悪言論として攻撃を受けている。そのような表現や立場は仕事を犠牲にしたり、他にも社会や司法のいざこざを生み出したりしている。自然家族派で反同性愛の表現は俄かに今日の新しい汚名と猥褻の基準になりつつある。

 

[1] See Ronald Bayer, Homosexuality and American Psychiatry: The Politics of Diagnosis, Princeton University Press, 1987.

[2] Alan P. Bell and Martis S. Weinberg, Homosexualities: A Study of Diversity Among Men and Women, Macmillian, 1978.

[3] John R. Diggs, Jr., M.D., “The Health Risks of Gay Sex,” The Catholic Medical Association, 2002, See also P. Cameron and K. Cameron, “Does homosexual activity shorten life?” 1998, Family Research Institute.

[4] Morten Frische, MD, PhD, DSc and Henrik Bronnum-Hansen, Msc, “Mortality Among Men and Women in Same-Sex Marriage: A National Cohort Study of 8333 Danes,” American Public Health Association, 2009.

 

【ブログ主の感想】

 ここに書かれていることは、要するにこれまで(歴史的・文化的に)真面で健康的とされてきたことをいつの間にか、偏狭と汚名にしてしまい、異常とされたことこそが真面であるように論理をすり替える事によって、文化・伝統の総合的な破壊を実行しようとしている、と言う事ですね。

例えば、ティーンマザーやシングルマザーなどは、1970年代までは言語道断でした。それは「私は私生児を作りました」と言うことを大っぴらに宣伝しているようなことで、事情のあるなしに拘らず、昔は恥ずかしいことであったはずなのです。それがいつの間にか、結婚しなくても子供を持つのが当然のようにマスゴミや有名人が宣伝し、それを批判する人間を「差別主義者だ、憎悪発言だ、人種差別主義者だ」と決めつけ、言論を封殺して自分たちの卑猥な論理を社会に押しつけるのです。

 これでは、社会は良くなるはずがありません。道徳的に寛容の範囲外にあることを耐えよ、と言うのは道徳規範を壊せ、と言うのと同じことです。況してや、それを逆転してしまうような議論は、社会秩序自体の破壊なのです。そのような道徳や社会秩序を打ち壊すことが自由であるはずはありません。

自由の意味をもっと真剣に考え直さなければ、未だマシだと言われる日本においても社会の崩壊は不可避、いや寧ろ当然の結末なのです。崩壊して喜ぶのは、共産主義者と新世界秩序の世界専制政治を目指す勢力です。そして国家が崩壊してしまえば、これらの勢力に抵抗できる力は潰えてしまいます。

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