ドイツ悪玉論の神話048

独逸の産業は、嘗ては世界の羨望の的だったが、急激な減産に見舞われた。何千もの工場が閉鎖し、その結果、1920年ベースで國内総生産の50%が減った。輸出も驚くべき75%減少した。独逸の中央銀行ライヒ銀行(ライヒスバンク)は、借金の返済の滞りによる赤字が急速に増え、同時に外資の借金が呼び込まれて、破綻の危機にあった。

その頃に見積もられた数字では、独逸全土で金銭の心配をせずに暮らせたのは、せいぜい10万人と言われた。独逸は、様々な問題、ヴェルサイユ条約で課せられた重荷、産業の沈滞、恐ろしいまでの失業、そして政治的不安定などによる酷く不安な悲惨さの中で、6千5百万人の人口が暮らす國家であった。状況はあまりにも酷くなり、1929年から1933年までの間に25万人もの独逸人が失望と絶望を苦に自殺した。独逸の出生率は、千人に33.4人から、たった14.7人まで落ち込んだ。この出生率でさえ、田舎の高い出生率があった故の数字であった。50の大きな都市では、死ぬ人の方が生まれる人より多かった。ベルリンでは死亡者は出生者を60%も上回った。この悲惨の泥沼は、多くを共産主義の誘惑に堕する原因となり、共産主義者による國の乗っ取りを現実の可能性にした。ヴァイマル政府は最早、この重層的な危機を前に、独逸が災厄の土壇場をよろめく中、様々な不毛の派閥抗争でその無能ぶりを曝け出した。

独逸の状況は、ライヒ中央政府の政策と屡々、直接に利害がぶつかる25の地域州の抑制のない競争により、更に悪化した。バイエルンやプロシャ、ヴュルツブルクザクセンなどのこれらの州は、古代に起源をもち、つい最近、つまり1871年の独逸統一までは、独立した、主権を持った君主國であった。當然のことながら、彼らは熱心に未だ残っていたその権力と特権を守ろうとした。独逸は弱い中央政府と25のそれぞれに表面上未だ主権を持った州による連邦國家だった。これらの州を独逸の國のより大きな正義の為に協力して働かせるのは不可能であった。独逸は、統治能力のない國になり果ててしまった。

 

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1933年3月、ポツダムガリソン教会に新しい帝國議会の会期を開く儀式の為 歩いていくヒトラーヒトラーは1933年1月に首相に就任した。


これらの事実が、1933年にヒトラーと國家社会主義者が独逸の政権に就いたときの状況であった。しかし、それでも状況が未だ充分悪くない、と言わんばかりに、ヒトラーが首相に選ばれた直後から世界中の猶太人の独逸製品排斥運動により、状況は更に悪くなった。排斥運動の直後の影響は、独逸の輸出の10%の急激な落ち込みとなり、それが無くても既に絶望的に落ち込んでいたのに、更に多くの人々が職場から追い出された。排斥運動はまた、國際猶太金融からの資金を絶つことによって独逸の経済を圧迫した。國際猶太は独逸に対して、既に脆くなっていた独逸経済を 政権に就いたばかりの國家社会主義者の信用を損ない潰す為に、弱体化し破壊する意図を以って宣戦布告をしたのだった。独逸は既に崩壊の憂き目にあり、排斥運動は、諺に言う、「駱駝の背中を壊す最後の藁」(重みに耐えていた駱駝が、たった一本の藁の追加で耐えられなくなって背中が遂に壊れる事の喩え)ともなるものであった。

これが、ヒトラーが独逸の首相に就任した時の状態だった。状況を審査した後ヒトラーは、独逸の人々に向けて演説し、独逸が抱えている難問は、悲惨なもので、これに立ち向かうには独裁的権力が必要であると語った。「独逸の人民よ。自分に4年間の時間を与えよ。その後、我々をあなた方の法廷の前に並べ、そして判決すればよい!」

 

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ヒトラーは独逸の病理を治す為に独逸國民に4年間の独裁権力を要請した


議会は、圧倒的にこれを支持した。1933年3月23日、ライヒ議会は、441対84の大差で独裁許可法案を可決した。これでヒトラーは、独逸の経済を再生するために必要と説いた4年間の非常大権(独裁権力)を得た。「偉大な事業の始まりだ。第三帝國(ライヒ)がここに始まった」とヒトラーは言った。

ヒトラーは、はなから、彼が自分自身に課した仕事を成し遂げるのは、際限なく、また困難な事であると解っていた。彼は、独逸がその形を上から下まで國家自体の構造を変えなければならないと解っていた。古い階級構造は消えて、新しい独逸社会、新しい市民精神がしみ込んだものがそれに取って代わらなければならない。彼はまた、独逸を外國の覇権(ヴェルサイユ条約)から解放し、世界における独逸の名誉を回復する意図も持っていた。しかし最初のしかも喫緊の仕事は、6百万人の失業者に仕事に復帰させることであった。

ヒトラーはただ単に彼らを職場に戻しただけでなく、「働く」と言う概念それ自体に威信と名誉を付け加えた。独逸は伝統的に「階級」により階層化された社会で、事業家や経営者を含む特権階級が最上層に、そして、上流階級からは単なる「生産の手段」と考えられていた労働者階級が最下層に居た。資本主義者の目には「金銭」が一國の経済に於いて重要な要素であった。ヒトラーの考え方では、それは逆の発想であった。ヒトラーにとっては、「金銭」はただの手段であり、働くこと」こそが経済にとって重要な要素であった。働くことは、人間の名誉であり、血であり、筋肉であり、魂である、とヒトラーは信じていた。

「必要とされる、あらゆる仕事は、それを成し遂げる人間を高貴にする。ただ一つ恥ずべき事-それは、社会に何も貢献しないことだ。」

「何も努力せずに天國からの贈り物はない。人生が成長するのは、労働に依るのだ。」

「社会的名誉は、雇う者と雇われる者のわけ隔てをしない。全ての人間は公共の目的の為に働き、平等に名誉と尊敬を受けられるものだ。」アドルフ・ヒトラー

(次回も引き続きヒトラーの政策実行です)

 

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