ひと月目を終えて感謝と感想

ブログ内ではないのですが、お二方からコメントを頂きまして、ありがとうございます。既に延べ千人を超える人々が訪問くださいまして、これまでG+やツイッターで活動してきたのとは全く違う力強い反響を戴いております亊、この場をお借りして感謝の意を表したいと思います。

尚私は大した学もなく、普通のオッサンですので、是非普通のおっさんとしておつきあいくださいませ。

【翻訳に當って心掛けたこと】

翻訳に當って心掛けたことがあります。恐らく読者の中には私の日本語に現代的日本語からして違和感を持っておられる方もおられるかと思いますので、是非ご承知置きください。

1. 将来の世代に恥ずかしくないように、カタカナ言葉を出来るだけ避けた。
翻訳などと言う大それたことは我が人生で考えたこともなかったので、翻訳を始めた当初、我々が日常使っている日本語に如何に軽薄なカタカナ語が多いことか、思い知らされた次第です。例えば、グループやスタイル、パターンなど、今やカタカナ語の方が主流になってしまった言葉すら多くあります。それぞれ、集団、型(やり方)、類型という立派な日本語があるにもかかわらず。
のみならず、カタカナ語を使う事により、日本語としての意味が曖昧になってしまう事も強く感じました。例えば、アクセス。アクセスには日本語で言うと、道順、連絡先、接することが出来る状態、到達することが出来る状態など、色々な意味があり、それを一言で言える便利な言葉です。しかし、それは逆に言うと言葉としてはそれだけ意味が曖昧になってしまう、という結果を招きます。そういう場合、翻訳作業は、本来の日本語の意味を洗い出すことも含まれるため、必要以上の労力となりますが、敢えてそれをするように努力しました。(あくまでも努力です。徹底しておりません。)

2. 文中の人物名・地名などはネットの検索で引っ掛かりやすいものを採用した。
(中にはそうなっていない物もあります。私は高等教育を米國で受けたもので、Bolsheviki は当然のことながらボルシェヴィキと思っていたのですが、ロシア語の子音はウ音ではなく、イ音で受けることが多いのを忘れて英語で取り込んだままを信じておりました。ボルシェヴィキボリシェヴィキとは夢にも考えず、調べずに記述してしまっております。)

3. ある程度、直訳体を残すようにした。
日本語としてスッキリしないけど、スッキリさせると何となくニュアンスが違ってしまうように感じることがあります。その場合は原典の味を優先しました。

所詮は素人の翻訳作業ですので、それも含めてご批評なり、感想をコメントしてくださいませ。

 

【ドイツと西欧】

私が本書と出会ったのは既に三年も前の事です。最初にこの本を読んで非常に衝撃を受けました。それまで、ナチスヒトラーの事を残虐や専制の代名詞として使っていた自分がとても恥ずかしくなりました。勿論それまでも状況や意図はどうあれ、ドイツと言う國をあそこまで纏め上げた人物と考え方に一定の尊重はしていましたが。

以来、欧州の歴史と言うのを日本の中学高校で習った世界史を完全に無視してもう一度洗い直しました。そして見出したことがいくつかあります。

歴史ですので、その前からの経緯を見ないと理解できない点もあると思いますが、少し挙げてみます。

1.ドイツは統一されたのが1870年であり、それまでは國家として存在しなかった。そしてその頃までに英仏蘭は、國家としての資本主義が定着し、それが、重商主義産業革命⇒植民地経済⇒産業資本主義⇒帝國主義まで発展していた。ドイツはそれに比べると遥かに遅れた農村社会であった。(勿論、ギルドや自由都市がありその中では工業も発展していましたが國家としてのそういう動きはありませんでした)

2.遅れたドイツはそれを取り戻そうと、国内開発を優先した(ビスマルク)。その結果、益々植民地の獲得に後れを取った。

3.統一ドイツは面積でも英仏の1.5倍くらいはあり、人口も二千万人多く、英仏、特にフランスの脅威となった。それは、アルザス・ロレーヌ普仏戦争で失った恨みとも相まってフランス人の反独感情を激昂させた。(これには新聞が一枚噛んでいます。そしてその新聞を牛耳っていたのがロスチャイルド一味でした。)

4.ドイツは海を英國に閉ざされていた為、オスマントルコと仲良くして中近東方面へ拡大せざるを得なかった。しかしそれは、ロシアと反目することを意味した。ドイツはロシアと妥協するか、オーストリア=ハンガリー帝國(ハプスブルク帝國)と妥協するかしか、拡大することが出来なかった。ドイツはロシアを棄てて、ハプスブルク帝國と組んだが、それはイタリアと反目することを意味した。

 

非常に残念なことにドイツはどの様に拡大しようとしても、必ず英仏蘭、そしてイタリアかオーストリアかロシアと敵対する以外に無かったのですね。これは地政学的な悲劇です。これが偽らざるドイツと西欧・東欧の関係です。

だから、ドイツは嫌われ役となってしまいました。(他にも多々理由がありますが)特に新聞による宣伝工作は一番酷かったと思われます。