ドイツ悪玉論の神話010

第三章 大戦に於ける猶太人の要素

1916年12月12日、開戦から二年半後、独逸は、連合國に戦争終結のための「旧状維持」を基本とした和平提案を行った。つまり、勝者も敗者もなく、賠償金もなしで、戦闘を終結して元通りにしよう、というものだった。最初から独逸は戦争を望んでいなかった。その時までは、戦況は今にも独逸が勝利するかのように思われていた。独逸の潜水艦はアメリカから英國への供給船団を効果的に阻止し、英國に軍需物資の深刻な不足をもたらした。フランスはヴェルダンとソンムの戦いで既に60万人の兵を失い、フランス兵は反乱し始めていた。イタリア軍は壊滅していたし、ロシア兵は、ぞろぞろと脱走して家に帰っていた。独逸は東西両戦線で勝っているように見えた。しかし、殺戮が余りに酷く、英仏は共に、勝利しなければ、進んで戦闘を止めようとしなかった。この大量殺戮を唯一正當化できるとすれば、それは、勝利するまで戦うしかありえなかった。更に、前章で説明した通り、英國は、独逸を商工業のライバルとして破壊するために参戦し、今でもそれが究極の目的であった。英國の指導者は何とか膠着状態を崩して勝利する方法を断固として模索していた。そして、確実な方法は、アメリカを味方につけることだと解っていた。そうするために執念の努力を続けていたが、それまでのところ、上手く行っていなかった。

シオニスト猶太人と英國政府は、既に秘密裏にパレスチナに猶太國家を騙し取っていた。1916年10月、独逸の和平提案の2か月前、ハイム・ヴァイツマン率いるシオニスト猶太人のグループが、ある提案を持って、英國の指導者と会合した。英國パレスチナに猶太居住地を保証するならば、猶太人は米國猶太人の絶大な影響力を以って、米國英國及び連合國側として参戦させる、そしてそれは連合國の勝利を約束するだろう。この猶太人たちは、自分たちの力と影響力を信じていた余り、この提案の達成を殆ど保証していた。その頃、パレスチナは、独逸と同盟國であったオスマン帝國の一部だった。独逸が戦争に勝てば、當然、オスマン帝國は無傷で残る事になり、そうなれば、そこでの猶太人居住地の可能性は無くなってしまう。しかし、連合國が勝てば英國パレスチナを支配し、それを猶太人に手渡す立場になるのだった。

英國は、この米國を連合國として参戦させるというシオニスト猶太人による提案を受けて、独逸の和平提案を拒否し、シオニストの提案に応じる決心をした。英國は猶太人に、もし本當に米國を参戦させることが出来れば、パレスチナは猶太人のものだ、と確約した。シオニストたちは、即座にそれに取り掛かった。

f:id:caritaspes:20190320032008p:plain

アーサー・バルフォア卿

f:id:caritaspes:20190320032047p:plain

ハイム・ヴァイツマン

 

米國を動かしていた、東海岸に住む、ウィルソン大統領とその政権を含むほんの一握りのエリートは、熱心な親英信望者であり、既に母國である英國に味方して参戦する用意が出来ていた。必要なのは、あと一押しのきっかけと容易に拵えることが出来る口実だけだった。しかし、数百万の独逸移民を含む米國の大半の核になる人々は、戦争に一切関与したくなかった。そこで、まずすることは、参戦反対の世論を参戦賛成に変える事であった。それは、宣伝工作を通じて達成できるだろう。英國はすでに開戦以来英國独自の、精巧な反独逸宣伝工作をアメリカで展開していた。そしてそれによって独逸に反対する世論を作ることにかなり成功していたが、それは、未だ大多数と言うところには程遠いものだった。

猶太人はアメリカで力を持っていた。殆どの大銀行を所有していたのに加えて、殆どの新聞社もハリウッドも所有していた。彼らは、効果的な宣伝工作を実施するための手段をすべて支配していた。彼らはまた、絶大な政治的影響力も持っており、彼らの物の見方を以って政治家を説得するのに骨折りはなかった。

その頃の國際関係における猶太人の動機は複雑だった。これは少し説明を要する。猶太人はその頃も(今も)数多のホスト國(受入國・在住國)で自分たちの國が無いまま、少数民族として生活していた。しかし、猶太人の誰もが「猶太國際國家」と言う、単一國家の一員であり、世界中の全ての猶太人を包含すると考えていた。世界の一か所で猶太人に起こる事は、世界中の猶太人の問題なのであった。一つの國家として、國際猶太は、「國家的利害」を有しており、その頃の彼らの「國家利害」は、ロシアのツァーリ(帝政)を究極、破壊する事にあった。ロシアにいた猶太人は長い間、次々と変わる帝政政権により、制限と抑圧の下にあり、何百万人の単位でロシアが支配する欧州地域を後にして主に米國に逃れたのである。帝政ロシアは、國際猶太國家が公言する敵であった。そして、独逸は、ロシアと戦っている國であり、國際猶太國家は、「敵の敵は味方」という理屈で独逸の支援に回っていた。と同時に、ロシアの同盟國という事で、英仏へのあらゆる援助を抑制していた。独逸生まれの猶太人で、ニューヨークのクーン・ローブ銀行のオウナー、更に當時アメリカの猶太人社会で最も影響力のあった人物、ヤコブ・シフ[1]は、1915年の「メノラージャーナル」で次のように記述している。
「私が独逸の支持者であることはよく知られている... 英國はロシアとの同盟によって悪に染まっている... 独逸では、反猶太主義は過去の物である、と納得している。」
シフの親独逸感情は、世界中の猶太人、特にシオニストたちと共有されていた。

 

[1] 日露戦争の折、日本の戦費調達をしてくれた人物。それは、日本への支援と言うよりも、ロシアへの遺恨の結果であった。実際、1917年に先だって1905年にロシアで革命が起こり、未遂に終わっている。これらのロシアの一連の革命は全て猶太人の扇動によるものであった。

 

次回 ドイツ悪玉論の神話011   前回 ドイツ悪玉論の神話009