ドイツ悪玉論の神話009

独逸は結局のところ、敗戦した。そしてそのことだけで、開戦の責任を問われた。ヴェルサイユ条約の231条は、正式に独逸の開戦責任を非難し、それが独逸に対する懲罰的な処置の根拠となった。戦争が終わり、その熱が冷め始めたとき、歴史家の多く- 彼らは、歴史修正主義者(リヴィジョニスト)と呼ばれた -が、節制無き戦時宣伝工作を調べ、真実を暴き始めた。ハリー・エルマー・バーネス、チャールズ・ビアドなどの学者は、異なる説を唱え始めた。バーネスは、その1926年の著書、「世界大戦の起源」で、記録では、セルビア・ロシアとフランスはオーストリアと独逸よりも重い責任を負っており、独逸の責任は、寧ろオーストリアハンガリー帝國よりも軽い、と議論している。バーネスの見方では、独逸の「戦争責任」は、英國と同じくらいであろう、としている。最も独逸よりの見方では、独逸は、経済大國としての独逸の破壊を目論む強欲な敵國から自國を守るために、したくない戦争に巻き込まれたのだ、というものだ。ウィルソン大統領は欧州に個人的な代理人エドワード・マンデル・ハウス将軍を大戦勃発の三か月前に派遣して欧州情勢を研究している。独逸がロシア・フランス・英國からの軍事侵略に脅威を感じていたことは、このハウス将軍の報告書が確認している。彼はその報告書の中で、「英國が同意したらフランスとロシアは、独逸を包囲して迫るだろう」と述べているが、それは當に結果として実際に起こったことだ。独逸は実のところ、連合國の侵略に対する「守備隊」だったのだ。

独逸は、戦争を望んでいなかった。戦争から得るものは何もなく、失うものばかりであった。独逸は、戦争無しで、欲しいものは全て手に入れていた。つまり、経済の拡大と原材料の仕入れ先として、そして工業製品の売り先としての植民地の獲得である。しかし、フランスは1870-71年の普仏戦争の復讐として、また、その時の失地であるアルザスとロレーヌ地方の奪還の為に戦争したかった。また、ロシアも独逸統制下のボスポラス海峡を手に入れる為に、戦争したかった。更に英國も一番の商売敵を叩くために戦争したかった。これら連合國の三國は、何れも、独逸が強大になり過ぎていると信じていた。ヴェルサイユ条約がその何よりの証明である。そこでは、独逸の物理的(版図の)縮小と経済力・軍事力の縮小が主な結果であったのだ。条約では独逸からかなりの領土が取り上げられ、それと共に650万人の独逸人が他國に移籍された。別条項で、オーストリアは、独逸と合併する事を禁止された。和平の思案中に、フランス大統領、ジョルジュ・クレメンソーは、「独逸には2千万人の余分な人口がある」と述べたと言われている。

独逸は、最初から戦争を望んでいなかっただけでなく、和平の打診を早くも1916年から始め、戦争を終わらせようとしていた。その頃は、独逸が優勢で殆ど勝利していたにもかかわらず、である。しかし、連合國は戦争終結には何ら興味を示さなかった。連合國が望んだこと、それは、最初からの目論み通り、独逸を破壊することであったので、独逸からの和平打診は無視された。明らかに独逸は被害者であり、侵略の犯人などではない。

アメリカは、対独戦に参戦する理由は何もなかった。独逸はアメリカに対して何もしておらず、また、アメリカにとって脅威でなどあり得なかった。更に、独逸系アメリカ人は、英國系のアメリカ人と相俟って、アメリカ文化の中心核を成していた。合衆國はそれまでずっと独逸と良好な関係にあったし、アメリカ國民も敬意と温情を以って独逸を尊敬していた。英國アメリカにおける反独逸宣伝工作が世論に影響していたが、それでも大方のアメリカ人は参戦に反対であった。しかし、アメリカの支配層エリートに関してはそうは言えなかった。アメリカの支配層エリートは、カナダやオーストラリアの英國に対する態度とは異なり、内在的に「母國」を支援する傾向が強く、非常に親英的であった。當時、アメリカは、殆ど英國の「属國」なのであった。

これらが全ての要素であったが、アメリカを参戦させるに至った決定的な影響力は、アメリカの猶太人金融資本のウィルソン大統領への圧力であった。それは、ウィルソン大統領の政治家としての経歴を金銭的に支えた強力な猶太人脈なのだ。彼らの金融・メディアの協力なくして彼は大統領には成り得なかった。これら猶太人は、大戦後にパレスチナに猶太人國家を建設する、と約定したバルフォア宣言と交換条件で、ウィルソンに極端な重圧を加えて、アメリカが英國の味方として参戦するようにして、連合國の勝利を確実にした。(この動きについては次章に詳述)猶太人は殆どすべての大手紙とハリウッドを支配していた。それにより、彼らは、アメリカの世論を統制するのに必要な手段をすべて持っていたのだ。ルシタニア号の撃沈、ツィンメルマン電報(*章末参照)などは、参戦の理由ではなく、捏造された口実に過ぎなかった。

戦勝國が独逸人に課した恥晒しの平和条約に関して、独逸の人々が激怒するのは當然であった。ヴェルサイユ条約は不公平で非道徳的であった。そして、戦勝國が力で敗戦國に押し付けたものだ。独逸政府は、英海軍による「食糧」封鎖により、百万人の國民を餓死させ、更に國土の占領をちらつかせる脅しにより、この忌むべき条約に調印する事を強要された。従って、この強要された条約は、道徳的に、あるいは法的に強制力はなく、独逸は、この条約に従う義務など全くないし、軍事的に破棄するだけの力をつければ、すぐに破棄する権利があった。

アメリカの参戦により、急速に殺戮に終止符が打たれたのではあるが、しかし、長い目で見ると、実際には参戦は西洋キリスト教文明にとって災難であった。アメリカが参戦しなかったら、戦争は、勝者が無いまま、交渉による和平で終わったであろうことは確実であった。従ってヴェルサイユ条約はなかったであろう。独逸は解体されずに済んだであろう。そして独逸は陸軍を無傷で維持し、ロシアとの平和条約(ブレスト=リトフスク条約)を守ったであろう。ツァーリは退位する事もなかったろうし、独逸帝國も無傷で残っただろう。ボルシェヴィズム(共産主義)も早い段階で芽を摘まれ、ロシアを支配することは無かったであろう。オーストリアハンガリー帝國も無傷で残り、更に、同様にオスマン帝國も残り、そしてオスマン帝國は、イスラエルの建國を阻害し、その建國による全ての悪い結果も避けられたであろう。独逸やハンガリー、イタリアに社会主義革命など起きなかったろう。スペイン内戦もなかったであろう。そして、第二次世界大戦もなかったであろうし、冷戦もなかったはずだ。そして共産主義が中央・東ヨーロッパを支配する事もなかった。現在のEU とは別物の、しかし、もっと大きく、もっと繁栄した統合欧州が、独逸を中心に作られていたことだろう。要するに、欧州は、安定し、世界で活躍する経済大國となっていたはずだ。アメリカの参戦は、その意図しなかった結果の中で欧州の歴史にとって、恐らく、最も大きな災難であったに違いない。

 

*≪ツィンメルマン電報≫ Wiki より転載

ツィンメルマンの電文は、もしアメリカ合衆國が参戦するならば、独逸はメキシコと同盟を結ぶという提案だった。さらに、アメリカへのメキシコの先制攻撃は独逸が援助し、大戦で独逸が勝利した場合には米墨戦争によってアメリカに奪われたテキサス州ニューメキシコ州アリゾナ州をメキシコに返還するというものであった。また、メキシコに独逸と日本の仲裁と、日本の対米参戦の説得を促すものであった。

 

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