ドイツ悪玉論の神話000

このカテゴリーでは、私が原典を読んでどうしても日本人に日本語で読んで欲しいと思った歴史書を私の未熟な翻訳で、恥ずかしながら綴っていこうと思います。

先ずは、Benton Bradberry氏の「ドイツ悪玉論の神話」です。

この本ではヒトラー率いるドイツ國家社会主義労働者党による政権が如何に真面で正常で、何ら歴史に恥じるような行ないをしていないこと(但し、「戦争が始まるまで」を強調しています)を冷静に、前後の欧州社会の動きを含めて論じたものです。

なお、この書籍に関しては、Benton Bradberry氏より、日本語訳を如何なる形に於いて広めることも許可を頂いております。安心してコピペし、広めてください。

では早速、始めます。

 

前書き

私は、1955年から1977年まで合衆國海軍でパイロットとして勤務し、結果として世界を沢山見てきた。私が勤務した空母は、欧州各地の港を訪れ、また同様に世界中の他の港も訪れた。更に私は海軍を退役後も広範囲を旅行した。

欧州を旅行した後、独逸は、私の最も好きな國になった。我々の訪問中、独逸人は、伝統的なアメリカ人とたくさんの類似点を持ち、快く、勤勉で、規則を守り、文化的である事がわかった。彼らは、全く以って、我々が長年見せつけられてきた反ナチスの映画、書籍、あるいは記事には、似ても似つかなかった。

私は1937年に生まれ、私の世代は、反独逸宣伝で殆どあふれかえる中で育った。我々は実際、きわめて明示的に独逸人を民族として嫌うように教えられた。しかし、私が出会い、また友人となった独逸人は他の欧州の人々ともアメリカ人とさえも何ら変わらないし、彼らが暴力的な、あるいは軍國主義的な傾向が弱いことはあっても、ことさら強いとは思われなかった。私には独逸人の性格に関して、内在的に何かおかしいという事も見いだせなかった。彼らは、どの点においても高度に文化的な文明人であった。客観的に研究しても独逸の1930、1940年代の指導者は本質的に他の欧州の指導者と何ら変わりなかった。彼らに対する容赦ない憎悪の宣伝工作により、彼らは違っていたように仕立てられたのだった。

独逸は第二次大戦の結果他のどの國をも凌駕する苦しみを被った。160もの國内の大都市、中小の街が連合國の空襲爆撃で完全に破壊された上、二千百万人もの独逸人が命を失った。しかし、彼らの側の話は、誰も聞きたがらないし、敗北し、名誉を汚された独逸人に同情する事も許されなかった。反独逸宣伝工作は、彼らが、當然の報いを受けただけだ、と言う一般的感情を形成した。

第一次大戦と第二次大戦の全ての開戦及びその結果の死者と破壊の責任は独逸に課せられた(史実はいささか異なるけれども)。彼らは両大戦の敗戦國であったため、彼らの言い分は國際法廷の場で発表する事も、他のメディアを通じて彼らの側からの話を伝える事も一切許されなかった。結局のところ、歴史は、勝利者が書くものだ。更に、ニュルンベルク裁判においても第二次大戦中に起きたことの真実の話は明かされることは無かった。ニュルンベルク裁判は、ソヴィエトスタイルの劇場裁判でしかなく、伝統的な英米流の司法の基準を悉く外れたものであった。彼らの目的は、有罪無罪を見出す事ではなく、独逸の指導者を処刑する為に既に出来上がった判決を通して見せかけの法廷を宣伝する事にあった。ニュルンベルク裁判の全ては、完全なインチキの茶番サーカスだった。

反独逸宣伝工作は、独逸の財産の大量破壊と非戦闘員の大量殺戮を可能ならしめるために憎悪の風潮を生み出すために使われ、戦後も長らく容赦なく続けられてきたもので、覚めた歴史学者が独逸についての極端な見方を和らげ始めるのが當然と思われる時期になっても続いた。途方もない残虐話は今日もなお続いている。テレビをつけて、ヒストリーチャンネルに回すだけで、それが繰り返し、繰り返し放送されているのを見ることが出来る。対照的に、第一次大戦では、独逸が行ったとされた残虐行為の話が故意の虚偽であったことが暴露されたのは戦争が終わって未だあまり時間が経っていない時だった。道義心のある人々が徹底的に調査し、話は全て虚偽であることが分かった。恐ろしい話の全ては、英國の対独戦の世論の支持を得るために、そして米國を戦争に巻き込むために計画的に捏造されたものだった。

しかし、第二次大戦後は、第一次大戦後には無かった、違う要素がこれに加わり、それが、インチキの恐怖話を生きながらえさせた。第二次大戦後は、猶太人が世界の反独逸感情を彼ら自身の創作による宣伝工作に依って作り、積年の念願である猶太人の國としてのイスラエルを正當化するために利用したのである。これらの創作された恐怖の物語は、猶太を批判する勢力が欧州で復活するのを抑制する役割も果たした。國際情報メディアを操作する事によって、猶太人は、残酷な独逸人の手に依る猶太人の特別な苦悩の、大衆の心を煽る大げさな話により、世界中の同情を得る事に成功した。猶太人は、独逸が組織的に欧州の猶太人を絶滅することを計画し、終戦までに六百万人を殺害したと主張した。彼らが主張するその方法は、欧州中の猶太人を駆り集め、密閉した車両に詰め込み、所謂「死のキャンプ」に送り、そこでガス室に詰め込んで殺害し、更に死体を巨大焼却炉で灰にした、しかも都合よく科学的証拠を残さずに、と言うものだ。科学的証拠がないまま、どんなに妙なものであれ、目撃証言が独逸を裁き、独逸を文明国からの追放国民に仕立てるには充分だったのだ。

ニュルンベルク裁判の判事自身もまた、反独逸の憎悪の宣伝工作に影響されないものではなかったし、裁判が始まるより前に独逸人について、どんなに途方もない残虐話でも信じる様にその話を前もって吹聴されていた。裁判の結果を予め決めたもう一つの要素は、告発人が捜査人、検事、それに最終判事を兼ねていたことである。更に、裁判自体が、猶太人の復讐を求める空気で満たされていた。非猶太人の代理人(傀儡)の陰で、殆どの弁護士、検事、それに捜査官は猶太人であった。何百人もの、英語も碌に話せない猶太人がアメリカ軍将校の制服に身を包んで屯(たむろ)していた。ニュルンベルクの判事8人のうちフランスのロベール・ファルコとソ連のヴォルチコフ中佐(本名バークマン)の二名が猶太人だった。高等法院の検事総長は、ジャコブ・マイスナー博士、猶太人だった。彼らの裁判における支配と統制は、目に余るものだった。死刑を宣告されたナチスの10人の死刑囚の絞首刑の実行までが、ジョン・C・ウッド曹長(John C. Wood)、猶太人であった。更に彼らの支配が如何に露骨であったかを物語るものとして、絞首刑は1946年の10月16日に執行された。この日は猶太の祝日「プリム」だった。聖書のエステル記にある猶太の敵、ハマンの10人の息子が縛り首にされたのが「プリムの日」である。つまり、1946年のプリムの日に10人の独逸指導者が絞首刑になった。これは明白に偶然の一致ではない。裁判について記述したハンガリーの戦時ジャーナリスト、ルイ・マルチャルコ(Louis Marschalko)に依ると、「ニュルンベルクで雇用された3,000人の職員のうち、2,400人が猶太人であった。」所謂、我々が今日余りにもよく知っているホロコーストの話は、ニュルンベルク裁判の中で創作されたものであった。

このホロコーストの話を巧妙に創作・伝播する事により、猶太人は何千億ドルと言う莫大なお金を独逸と米國から脅し取り、その資金は新しく生まれたイスラエルに費やされた。イスラエルの猶太人が「砂漠に花を咲かせた」、という主張は真実だ。彼らは、それを独逸と米國の資金で成し遂げた。彼らは、現在でも軽蔑的にしかし本當の意味で「ホロコースト産業」と呼ばれる手法で数十億ドルの資金を恐喝しようと取り組んでいる。戦後70年が経過した今日なお、主に米國イスラエルに存在する50万人に上る「ホロコースト生存者」は、独逸政府から生涯年金を受け取っている。そして、この「ホロコースト生存者」とは何か?と言うと、戦時中、独逸支配地域に少しの期間でも住んでいた猶太人のことで、収容所に居たか、贅沢に暮らしていたかは問題ではなく、すべてホロコースト生存者であり、独逸の生涯年金の受給対象者である。更に、ナチス時代に欧州から去らなければならなかった猶太人(ハリウッドの映画製作者だったとしても例外なく)もホロコースト生存者であり、独逸の生涯年金の対象である。當初、439万人と言われる猶太人が「ホロコースト生存者」に指定された。キリスト教徒の戦争生存者は、どんなにひどい経験をしていてもこの生涯年金の対象ではない。「ショアー」が、ホロコーストヘブライ語で、「ショアービジネスほどボロイ商売はない」と言う冗談があるくらいだ。ホロコーストの大騒ぎの全ては、欧州各國、とりわけ独逸に対する広範なゆすりであった。ホロコーストの話にはほかにも使い道がある。それは、一般市民が猶太の略奪に対して武器を取って立ち上がるのを抑え込み、猶太人を守るために決まって発動された。ネタニヤフ首相は、いつもホロコーストを発動して、イスラエルが隣國に攻撃を加える事や、隣國の土地を取り上げる事を正當化している。

この「甘い汁」をすすり続けるには、猶太人が歴史上、究極の被害者集団である、と言う継続的な合法化が必要であり、それは、引き換えに究極の抑圧者(加害者)が必要であることになり、独逸が常にその役回りを演じる様に指名されているのだ。猶太人が支配する「ヒストリーチャンネル」または、嘲笑を込めて呼ばれる「ヒトラーチャンネル」は、反独逸宣伝工作番組を限りなく繰り返すことでその成功に負っているのである。この用心深く創作された、独逸が歴史の邪悪な化け物と言うイメージ、そしてその悪の被害者としての猶太人のイメージは、少しでも変更・改定されると、ホロコースト物語全体に脅威を与える。であるから、このイメージは、執拗に、用心深く、猶太人支配の出版・情報メディアにより保護されており、少しでも疑問を持とうとする者に脅しをかけている。そうするものは、即座に攻撃され、反猶太主義者の狂人として徹底的に誹謗中傷され攻撃される。猶太人の圧力により、17か國余りがホロコーストに疑問を持つ事や調査する事を犯罪とし、収監される可能性がある。

猶太人は、更に一向に復讐の追及を止めたり、緩和さえする意志が無い。人生の大半を逃亡者として苦しんだ老人を未だに「戦犯」として追及し、「法廷に引き出す」か或いは、その場であっさりと殺している。(イスラエルにおけるCIA であるMOSSAD は、暗殺機関である)これらの老人が有罪であるかもしれない犯罪とは、単に戦時中、独逸で士官か兵隊であったことだけである。

しかし、疑問に思うのは何故、第二次大戦中に起きた殺戮・死と破壊の最中に、所謂ホロコーストが残虐物語の中心として持ち上がったか、であろう。およそ、5千5百万人の人々が戦時中に亡くなり、そのうち、ほんの問題にならないパーセンテージが猶太人-6百万人と言う主張のうち、確実なのは僅かの部分のみ-であった。他の國民の戦闘員がすべて戦争を過去のものとして、戦時中の敵とされた國々と和平を造ろうとしているにもかかわらず、何故、猶太人はそうしないのか!既に三分の二世紀が過ぎ去ったが、未だに猶太人は、恨みつらみを涵養し、ホロコースト博物館や記念碑を建設(それも自分たちのお金でなく、居付いている國の政府のお金で)し、未だに新しい方法で「賠償金」としてお金を脅し取るために調査・捜索している。しかし、何故、猶太人だけが補償されるべきなのか?欧州では数千万人にも及ぶ他の民族が戦争に依ってすべてを失っているのだ。

ホロコースト」と言うものは、年を経て、猶太人にとって、宗教的な國家的神話に進化した、ヒトラーと言う悪魔を設(しつら)える事で。ホロコースト神話は、猶太人を決定づける(他民族と区別する)特別な國民として団結させる「接着剤」となり、そのことが理由となって、彼らはそれを非常に慎重に保護している。その結果、かわいそうに、独逸人は実際の史実とは関係なく、歴史の悪の権化としての役割を永続的に課せられているのである。

しかし、百歩譲って、独逸の戦時中の残虐行為がすべて事実であったとしても(実際、そうではないが)、それでも、その非人道性に於いて、独逸人に対して行われた残虐行為と比べてその比ではなかった。独逸の都市を襲った無差別集中爆撃、戦後の(欧州各地における)独逸人排斥(追放)、連合軍による戦後の財産没収、作られた飢餓とソ連による大量虐殺と政治粛清など、その人命損失と歴史上蓄積された人類文明の破壊に比べると、ホロコーストなど、ちっぽけに見えるほどである。第二次大戦のすべての戦闘員の行為の総決算は、ドイツがその戦争遂行または支配下の民族の扱いについて「唯一独特に」野蛮であったと言うことへの無実の証明でしかなかったのである。

独逸民族は、戦争に依って猶太人を含む、他のどの交戦國民にも況して壊滅した。と同時に、彼らは、悪の烙印を押され、戦争における略奪の犯人に仕立てられた。彼らは、第二次大戦中の残虐行為、それも恐らく決して起こらなかったであろう、あるいは、少なくとも言われているような酷さでは決してなかったであろう行為に対して、膨大な金額を支払うように強制された。時が経過するに従って、独逸人こそが、第一次・第二次両大戦の真の犠牲者であったことが明らかになって来たのである。

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