女イルミナティ26

ユダヤ教の仮面

コンスタンティヌスが後にキリスト教に改宗したのと当に同じように、フラウィウス朝の皇帝の一人はユダヤ教に改宗したのではないかと言う証拠がある。」―リチャード・A・ガブリエル*
*Richard A. Gabriel(1942~)は歴史家で作家。 カナダ王立軍事大学歴史戦争学科およびトロントのカナダ軍カレッジ国防省の元非常勤教授。スキピオアフリカヌス:ローマの最大の将軍、ハンニバル:ローマの最大の敵の軍事伝記などの著者。

前の論説(論説1、2)で我々は古いアテン-セト信仰者が支配する主要な組織の一つであるテンプル騎士団の力が如何に重要で広く染み渡っているかを見た。

我々はまた、テンプル騎士団と他の集団(教皇、貴族、シオン修道会、病院騎士団など)の間で起きた主要な、そして些細な敵対関係について注目して来た。我々はテンプル騎士団が東方の宗派やカルトと提携したこと、そして彼らが世界で最初の金融業者で金貸しであったことを見て来た。我々は、猶太人の共同体が常に著名なテンプル騎士団の町や地方と密接な親しい関係にあることに気づくことになり、そして猶太人の家系の中にはテンプル騎士団のエリートに守られ、或いは好意すら持たれていた者がいたことを見て来た。これらの裕福な猶太人とは、後にテンプル騎士団の聖職者が猶太教・キリスト教・メーソンに潜入する手助けをしたシャブタイ派である。

著者はまた、テンプル騎士団が自らに対する教皇やヨーロッパの貴族からの攻撃を乗り切り、その想定された終焉後に何世紀にも亙ってより大きな力を獲得し続けた方法についても説明した。

これは、謂われているように、多くは、実際の騎士よりも人口比率的に、恐らく約20対1の、圧倒的だった匿名の官僚的聖職者により成し遂げられた。彼らはテンプル騎士団網のあらゆる下部結社を形成し、そして、彼らこそが、14世紀の粛清以後、テンプル騎士団の財宝のありかや生き残った上役の身元と居場所の秘密を守った者たちであった。彼らはその大義の手助けに特定の猶太人家系や個人に助けを求めた者たちである。

この広範に拡がった聖職者の下部結社は殆どのテンプル騎士団の作家に滅多に取り上げられなかった。然しながら彼らは歴史を変えることに取り組んだ。我々の日常経験する世界は彼らが作った世界なのだ。

何故これが重要なのか?

 

 

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メーソンの著者ロバート・ローマスLomasとクリストファー・ナイトKnightはユーグ・ド・パイヤンとそのテンプル騎士団は、元ソロモン神殿の遺跡であるエルサレムの彼らの本部の遺跡の下から古代の巻物を発見した。これらの文書は、伝えられるところの死海文書の作者であるエッセネ派によって秘密にされた。明らかにその文書はイエスとジェームスのことを救世主として記録していたが、神ではなく、宗派の指導者で、ローマ人とエルサレムの教会の熱烈な反対者としてであった。彼らはエッセネ派として知られるユダヤ教の宗派の構成員であり、この宗派にはまたイエスの従兄弟であるバプテスマのヨハネも指導者としていた。然しながらエッセネ派は、キリスト教の正統版を破壊し、太陽化された形に変造したサウル(聖パウロ)に潜入され、キリスト教はローマの皇帝と司教たちの監督下に置かれることになった。テンプル騎士団にとってこれは、深刻極まる心乱れる発見であった。それから後彼らは迫害されたエッセネ派によって信奉された真のキリスト教の継承者として見るようになった。ローマスLomasとナイトKnightは教皇テンプル騎士団に鉄槌を下した理由はこの文書の内容のためであると信じている。ここでは微細に立ち入らず、著者は単純に疑問に思うのは、テンプル騎士団の指導者が文盲で、読み書きが出来なかったならばだれがこの文書を通訳して彼らに読み伝えたのだろうか? それは彼らの高い学識を持った聖職者でなければならない。明らかにこの文書や他に明かされた秘密で利益を得られることに気づいたのはこの聖職者たちであった。彼らは公式の教会を奪い、破壊する力を得、或いは高位聖職者、司教、枢機卿教皇を強請り、自らの安全を確保する力を得た。

ラルフ・エリスは、パルティア-エデッサの貴族に関する作品を通してこの理論を進歩させた。このパルティア-エデッサの貴族の紀元1世紀の指導者こそ聖書のイエスであった。この場合、テンプル騎士団は、教皇キリスト教の構築者によって歴史から抹消されたこのナザレの宗派を発見したことになる。その時点で彼らは教皇版のキリスト教を棄教し、そのことが我々が知っているように彼らにローマへの不評をもたらした。教皇は、以前にナザレ宗派を壊滅したように、テンプル騎士団を壊滅することに成功した。然しながら、その時以来今日まで、テンプル騎士団とその勤勉な代理人は、見えないところで教皇を打倒し世界支配を取り戻すために働いている。

 

 

こんなところで、まあ、我々が見てきたように悪の猶太人 ―シャブタイ・ツヴィやヤコブ・フランクのような― はイスラム教やカトリック教に改宗することが好都合であることに気づいた。彼らの多くの使徒たちは、大量にこれら同じ宗教に改宗して、それを見習いそれに続いた。これは悪だくみの手段として陰険に行われた。追跡され、拘束され、常時邪魔されるのではなく、彼らはお忍びで行動することが出来た。

そのような潜入者や第五列に警戒するようにユダヤ人社会のラビや賢者から警告が発せられ、事情をよく知る猶太人研究者の中には、ルシファー信仰の猶太人にとって一番の敵はユダヤ教自身であると述べる者もあった。そのような地下潜入集団がキリスト教徒や非猶太人たちに知られるよりずっと以前に、猶太人の指導者は自らの社会に彼らの存在を警告し、これらの破壊分子と地下組織がユダヤ教やその他の宗教の打倒を目指していることを認識していた。これらの事実は、「猶太の陰謀」を暴露することに囚われてしまった大半の反ユダヤ主義作家が決して認めることも言及することもしない。彼らの作品のかなり多くは、その功労にも関わらず、修正されねばならないのだ。

これで我々は1314年に、そしてテンプル騎士団の首脳部の公式の迫害とその悪名高き結社の全世界での弾圧に立ち戻ることが出来るであろう。

大混乱にもかかわらず、聖職者は逮捕されることも懲罰されることもなかった。彼らはテンプル騎士団の財産(今日も未だ明かされていない)のありかや亡命したその指導者の身元の秘密を守っている。逃亡し、地下に潜ったこれらのテンプル騎士団指導者はその困窮の取り計らいを完全にその召使いに依存していた筈である。そして、実際、聖職者は忠誠を守り続けた。これがテンプル騎士団が今日に至るまで世界の出来事の支配者に留まり続けた理由である。

「騎士団は消えた…。それにも拘らずそれは一連の階級を経ることを通じて危険な秘密を共にするのに信頼に足ると証を立てられたものだけに自らを明かしながら、匿名の首長に統治され、他の名前で生き続けた。」―アルバート・パイク著「道徳と教理」

 

 

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 何故、騎手は二人なのだろう? 一人は騎士でもう一人はその聖職者、後者なしには全く無能な前者? 騎士たちは文盲で、一方聖職者は極端に熟練し、見聞が広く有能であった。彼ら(聖職者)が、日々その厩、厨房、総会、礼拝堂、領地、実業、金貸し業、税の徴収業を監督しつつ、テンプル騎支団帝國を動かしていた。テンプル騎士団の日常、日程、生活のすべての面が匿名の聖職者により組まれ、記録された。テンプル騎士団が禁制になった後、その権力と義務の重責が彼らの肩に掛かった。視界からは注意深く隠れたけれどもその実業はいつも通り続けられ、その様は前よりも却って精力的で効果的であった。結局、崩壊した帝國は極秘に、これまでよりもより強く難攻不落に再建されなければならなかった。この聖職者の話には光をあてなければならない。(衝撃的で示唆的な彼等自身の馬術の記号に関しては、猛る馬が女龍宮廷―売春婦―を表すことも忘れずに。)

 

聖職者の話は興味深いもの、何故なら特に彼らの子孫が法律の専門職に就いたからである。ロンドンにある名門法律総合施設 ―法曹院― はテンプル騎士団法曹界にあり、かつてロンドンや他の主要な中心地の広大な地域を所有していた(今もしているかも知れない)テンプル騎士団にちなんで名付けられた。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Temple_Bar,_London

多くの聖職者は一流の計理士、内科医、薬剤師、役所勤め、王家の職員、系図学者、出版社、金融業者、醸造業者、建築家、都市計画者、荘園代理人、政治家、閣僚になった。我々が見てきたように彼らはプロテスタント系のブリテンのメーソンや他の多くの騎士結社や同業組合に効果的に潜入した。彼らはまたブリテンやヨーロッパの通信業に寄生し、(情報)操作した。彼らの記号は通信会社の印や図(エキスプレス紙The Express、The Starスター紙、ザ・サン紙The Sun、アングリアテレビAnglia TV, グラナダテレビGranada TVなど)、宣伝文句(コピー)や映画会社のロゴに溢れかえっている。それはまた、公共機関の建築物にも頻繁に見いだされる。彼らの代理人は多くの秘教的響のある本や映画に資金を出している。(例えばダ・ヴィンチ・コードナショナル・トレジャーに見られる)

 

 

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 エルサレム聖ヨハネ騎士団は、怪しい聖職者に設立された唯一の見かけ上プロテスタントの結社である。エリザベス女王や他の英国の貴族たちがその構成員である。この結社は、元のテンプル騎士団の直接の継承者であり、彼らの財宝の想定される受取人である、マルタ騎士団支部である。女王は、ローマに本部を置くマルタ騎士団の前の団長、アンドリュー・バーティーの血縁(5代前が共通の父母である従兄弟)である。(興味深いことにマルタ騎士団テンプル騎士団両方の守護聖人バプテスマのヨハネである。)女王はまた、英国の二大有名騎士団であり、どちらも赤いテンプル騎士団の十字架を主な記章とする、ガーター騎士団と聖ミカエルと聖ゲオルギオスの騎士団の長でもある。女王の従兄弟であるケントのマイケル王子は、強大な秘密結社、マークメーソンの長である。これらフリーメーソンのアルファロッジの結社員は世界の運命を決めるのである。所謂黒い貴族の女家長であるオランダのベアトリックス女王もまた、世界の出来事の主な動かす人間である。彼女はガーター騎士団である。ガーター(靴下止め)と言う言葉は暗号的に女龍宮廷を暗示する。誤魔化しの試みにも拘らず、これらの意匠はテンプル騎士団に遡ることが出来る。これらはテンプル騎士団の垂れ飾りと記章で、女王の外套に見られるのと同じマルタの十字架があしらわれており、これら二つの結社の間の提携には疑いを差し挟む余地はない。

一度我々がテンプル騎士団の聖職者によって採用され、遂行された世界支配の戦略を理解すれば全ては説明される。14世紀からこれまで、この下部結社は多くの結社に潜入した。結社(order and society)の中にはプロテスタントの顔を持ったものもあり、カトリックの顔を持ったものもある。それは、偉大な策略、「偽装敵対Opposame」の策略をするものにはよく知られた勝利の戦略である。(詳しくは以下二つのリンク:https://infogalactic.com/info/Order_of_Mark_Master_Masons
https://infogalactic.com/info/Order_of_Saint_John_(Bailiwick_of_Brandenburg)

 

 

聖職者とその偽装(隠ぺい)への執念には、彼らのイスラム教や猶太教への改宗も含まれる。彼らのイスラム教の秘密結社への関心は前の論説で説明した。それは十字軍と彼らの中東時代までさかのぼる。そこにいた間、テンプル騎士団と聖職者は、強大で、更に影のゲオーニームである、東方のイルミナティとして正確に言い表せるかもしれない、ナザレ宗派とも同盟した。上で述べたように、これらの東方のカバルは、シャブタイ派のような集団を活発に広めていた。(詳しくはこちら:https://unslaved.com/eastern-illuminati/

14世紀の後期、テンプル騎士団の禁制の後、聖職者は、生き残って引き続き自分たちの棟梁の秘密の事業を続けるためにユダヤ教に改宗することを選んだ、と著者は信じている。換言すれば猶太教は彼らの最良の偽装として働いたのである。従って、「猶太人」とテンプル騎士団の秘密の連合である。

もっと重要なことに、聖職者は間もなく、猶太教の外套の後ろにこっそり隠れた非正統派の邪悪な宗派 ―即ちゲオーニーム、ナザレ宗派、シャブタイ派― と提携した。諺に言うように、類は友を呼んだのである。

女イルミナティ25

お断り:2021年12日公開時の未翻訳部分は、14日に翻訳・更新いたしました。

また、本文に当該部分を明示いたしました。(燈照隅)

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イヴの結社

セト信仰者とゲオーニームのより大きな物語にある一本の糸は我々を17世紀に、そして改革者で救世主を気取った背教猶太人の出現に導くのである。

シャブタイ・ツヴィ*(Sabbatai Zevi)は、元々ユダヤ教の幕の後ろに隠れていたルシファー信仰の宗派の指導者であった。ツヴィ自らが逮捕されてスルタン・メフメト4世の前に連行された彼は、イスラム教に改宗して自らをその悲惨な人生から救った。この事実は殆どのツヴィに関する作家が言及する。

*これまで「サバタイ・ズヴィ」と表記してましたが、wikiに合わせてシャブタイ・ツヴィと言う表記に統一しました。(燈照隅)

言及されないことは何かというと、レヴァントからヨーロッパにかけての彼の多くの裕福な猶太人使徒は、それを真似て大量にイスラム教に改宗した事実である。これらの改宗者はドンメーとして知られる。

彼らの新しい隠れ場所から、本物のイスラム教徒のように振舞い、彼らはその破壊活動を続けることが出来た。換言すると、中東やヨーロッパで、表面上はイスラム教徒に見える多くの宗派、家系、個人は実際のところは、既存の支配的組織を顛覆することに専心する、シャブタイ派である。これは、最近の過激なイスラムの出現に大きな洞察を与えてくれるべきものなのである。

 

 

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堕落した大詐欺師、シャブタイ・ツヴィ(1626~1676)

堕落した大詐欺師、シャブタイ・ツヴィ(1626~1676)。彼はラビで自身が救世主であると宣言したけれども、実はユダヤ教と全ての文明的組織の完全破壊を策謀した。彼の信者たちはイルミナティや他の極悪非道の結社の始まりの裏にいた。彼は果たしてテンプル騎士団の聖職者の代理人、つまり長い間テンプル騎士団に守られ、雇われていた裕福な猶太人の子孫だったのだろうか? 彼は古代ゲオーニームの構成員だったのだろうか?(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Sabbatai_Zevi#Marriage_to_Sarah

 

ツヴィの後継者は悪名高きヤコブ・フランクであった。彼が死んだ後、シャブタイ派はその娘、イヴ・フランクに率いられた。彼女の後は、シャブタイ-フランク派は、ギレーヌ・マクスウェル*やマリーナ・アブラモヴィッチ**(Marina Abramović)など、継続して女性に率いられていると我々は信じている。
*Ghislaine Maxwellは、エプスタインの醜聞で有名になった女
**Marina Abramovićは、ユーゴスラビア出身のパフォーマンスアーチストである。特に、自身の肉体に暴力を加える過激なパフォーマンスで世界的に知られる。

秘密結社の溢れる記号は我々にこの事に関して殆ど疑いの余地を残さない。バイエルンイルミナティ、薔薇十字団、メーソンのような下部集団が仕えているのは、この女性に率いられた結社なのである。イヴの王座に居た日付はイルミナティの起こりと呼応する。彼女の結社はまたそれを認知し支持したテンプル騎士団とも関係している。これについてはさらに話を進めるにつれて議論する。

 

 

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ヤコブ・フランク(1726~1791)

 ヤコブ・フランク(1726~1791)。彼の娘イヴがシャブタイ派の首領となった。彼女の結社は更に古代の龍宮廷、ヴィーナスカルト、つまり女イルミナティであった。(番組をご覧ください:https://unslaved.com/female-illuminati-program/

 

著者が番組で示すように、イルミナティの記号は主に女性である。何れにしてもこの記号にも拘らず、シャブタイ派イルミナティの女性主導性は今まで一度も、この物議を醸す議題の研究者や作家に切り出されたことがないのである。

カバル主義者の記号もまた溢れている。なぜならシャブタイ・ツヴィの異様な教えはイサク・ルリアと他の心からのカバル主義者の哲学の堕落であったからである。カバラは元は高位のアリアンの秘教であるが、ツヴィの時代より遥か以前、パルティア、シリア、レヴァントの他の國のアテン-セト信仰者により既に堕落していた。

ツヴィとフランクは古代のゲオーニームが西欧のメーソンを乗っ取る試みの中でその代理人であったかもしれないし、或いは、常に敵である教皇キリスト教を崩壊しようとしていたエデッサの王家の代理人であったかもしれない。

これは、マドンナ(エステルの名前で入会した)のような有名人が何故公然とその猶太教やカバラへの関心を持ち肩入れするかを説明する。その内通者の微笑は彼らが我々と一緒にする駆け引きを明かしている。この堕落した類の有名人は、多くの女性政治家や企業の役員と同様に、シャブタイ派又はその下部組織の構成員である。彼女らは屡々自らを、イヴ・フランクや他の著名な女性の先人 ―超秘密の龍宮廷の結社員― に扮して、記号的に誇示するのである。

 

セレブや女性の記号の例:

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イヴはその使徒によりシェキナーと呼ばれている。この言葉の真の意味は著者の女イルミナティの番組で説明している。現時点で我々は読者にこの聖なるシェキナーを一人の個人に帰することが道徳的な正統(オーソドックス)猶太人にとって如何に胸が悪くなる異端であるかを思い出していただくだけで充分である。繰り返すが、我々は、イサク・ルリアのように真の秘儀により思い抱き教えられたカバラ主義的哲学を誤解釈するのが専門のカルトを相手にしているのである。

 

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偉大な賢人で神秘主義者のイサク・ルリア(1534~1572)

 

***(公開時の未翻訳部分始まり)***

シャブタイ-イルミナティ結社員のお気に入り記号の一つはシャブタイ・ツヴィ自身を大きな獅子の形にしてその顎に七つ頭の龍を配したものであった。大きな獅子の記号は繰返し王家の(楯の)紋章、国章、コマーシャル(商業宣伝)、メディアの広告コピー、公のショーに現れるものだ。姉妹同胞を示す他の記号は女イルミナティの番組の中で詳述し分析している。(詳しくは番組を:https://unslaved.com/female-illuminati-program/

興味深いことに、1759年(ヤコブ・フランクが当局から執拗に追跡されていることに気づいた後)に彼はカトリックに改宗しその教会の手助けを受けた。何千もの彼の信者、その殆どが悪の召使いであるが、彼らもヤコブ・フランクの指導でやはりカトリック教徒となった。その後、テンプル騎士団に密かに仕えたのは、これらの擬似(似非)カトリック教徒であった。聖職者とその関係結社はその結社員(仲間)を守り、終には自分たちの主権を取り戻し、税の免除や他の特権を取り戻したのだった。

「1786年にミラボー伯爵*はパリのジャコバン修道院イルミナティのロッジを設立した。これらのイルミナティは間もなく自分たちのことを『ジャコバン党』と称した。同じ年、フランクフルトで『すべてを見る目』と言う名前の下にもう一つのイルミナティの集団が設立された。この集団は後にフランキストとしてその悪名をとどろかせた。このロッジは過激な猶太人ヤコブ・フランクとミヒャエル・ヘス**に率いられ、ヘスは後にメイヤー・アムシェル・ロートシルトに雇われた。」―ジュリ・リーナ***
*オノレ・ガブリエル・ド・リケティ(Victor Riquetti de Mirabeau、1715~1789)は、フランス革命初期の中心的指導者である。
*Michael Hess(1782~1860)は、ドイツの教育者。父親のラビ・アイザック・ヘス・クーゲルマンによってフュルトのイェシーバー(猶太人学校)に送り込まれ、後にフランクフルトに移った。1804年にマイヤー・アムシェル・ロートシルトに、息子の家庭教師に指名された。
***Jüri Lina(1949~)は、エストニアの町タルトゥ出身の著作家ペレストロイカ時代の1991年に(一時的に)研究者に開示されたソヴィエトの貴重な記録を見ることが出来た。彼はまたUFO研究家としても知られる。

これらの隠れキリスト教徒が黒い貴族とテンプル騎士団の聖職者によって教皇キリスト教を顛覆する手助けをしたことに疑いの余地は殆どない。(記事4を参照:http://www.femaleilluminati.com/article-4.html

ヤコブ・フランクとその娘はその元の活動領域から放逐された後、最初にカトリックオーストリアに亡命した。しかし結局はドイツのヘッセンに落ち着いた。イヴ・フランクは1816年に亡くなった。著述家で研究者のチャールズ・モスコヴィッツ*は、ルイス・ブランダイスのようなアメリカの政治の重要な人物がイヴ・フランクの結社の結社員であることを確信している。邪悪なヨーロッパの破壊者たち ―例えばモーゼズ・ヘス(カール・マルクスの師匠)やカール・マルクス自身もまたこのフランキストカバルの一員であった。

フランスのリヨンの町がフランク派の本部に選ばれた可能性は非常に大きいが、疑いなく彼らはその主なロッジを別の場所、特にスイス、ベルギー、オーストリアに持っていた。殆どのメーソンのロッジや本部は世界中で五芒星と他の女性の記号を特色としている。三日月と同じように五芒星は金星を表し、それは秘教の仲間内では「ルシファー」やさらには「シェキナー」として知られる。

 

 

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 悪名高い過激派で破壊分子のモーゼズ・ヘス*(1812~1875)はカールマルクスの師であった。これらの人間は、猶太人として生まれ乍ら、ユダヤ教の完全な破壊を目論んだ。カール・マルクスはその猶太人に関する考えを「猶太問題について」と言う反ユダヤ主義の自著に表している。「シオン長老の議定書」のような記録を考えつき、発刊したのはこの類の人間なのであり、それは彼らの絶対的に軽蔑する道徳的な猶太人を弱体化する企みの中で為されたのであった。そして今日、西欧に対する憎しみに燃え盛り、イスラム過激派の蜂起を策謀しているのはこの類の人間なのである。(詳しくは次のリンク:https://infogalactic.com/info/On_the_Jewish_Question
https://unslaved.com/an-introduction-to-world-revolution/

***(公開時の未翻訳部分終わり)***

 

イヴ・フランクの元々の名前はレベッカRebecca)であった。面白いことに、これはレベカー(Rebekah)の娘たち、で知られるメーソンの結社を暗示し、この団体には多くの著名人が属している。これはオッド・フェローズ(奇人)結社[1]支部である。この結社は聖書に出て来るレベッカに因んで名づけられたと言われるが、この属性については疑義が残る。これは、シャブタイ-フランク派の代理組織である可能性が強く、それに相応しくイヴ・フランク自身に因んで名づけられた。東方の星、ナイルの娘たち、ヨブの娘たち、虹の乙女たち、イザベラの娘たち、入植者の婦人たち、シュライナー、ド・モレー(デモレー)、スコットランド儀式等々、メーソンの階級とロッジは女性の記号であふれかえっていると言うことを心すべきである。(詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/additional-links.html
[1] Odd Fellows「奇人結社」は、最初の記録が1730年に遡るロッジから成る国際的友愛結社である。最初のロッジの名前が「Loyal Aristarcus Lodge No. 9」であることは、それ以前から存在すること示唆する。この団体は市民の自由や救済、或いは博愛主義を提唱するようだが実態はよく知られていないし、記録もない。中世のギルドにその記録を辿ることが出来ると言われる。

 

 

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レベカーの娘たちの垂れ飾り(首飾り) 

レベカーの娘たちの垂れ飾り(首飾り)は蜂の巣の一番重要な記号があしらわれている。多くのメーソン結社に使われているがそれは女イルミナティを表す記号である。著者の番組で示したようにその記号はメーソンの階層構造のことであり、それは実際の全ての蜂の巣のように女王蜂の中心の周りに構築されているのである。女王の周りに我々は、その巣の兵士とメイsツ会を見出す。三日月と六角形を成す星の集まりにも注目しよう。三日月は、右側の写真の垂れ飾りに見られる五芒星と同じく、金星を指す。鳩はダビデとして知られる古代アテン信仰のファラオを直接指す。三つ輪の組み合わさった鎖、つまりオッド・フェロー(女性を暗示する)の記号に注目しよう。鎖は長い間ずっと古風な女家長制の象徴で、つまりこの場合は、イヴ(レベッカ)・フランクがほぼ間違いなく構成員であるところの姉妹同胞のことである。大文字のRの文字もまた、レベカーの結社のシギル(西洋魔術で使われる記号)である。それは様式化された形で多くのロゴ、紋章、企業や団体に見られる。テンプル騎士団の外套の色は赤と白である。彼らの聖職者の外套は伝統的に緑と茶色(又は金色)である。左の垂れ飾りを吊るす紐の色を見て見よう。三日月と星はまた、イスラム教の印にも類似していることにも注目しよう。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/International_Association_of_Rebekah_Assemblies

 

 

 

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 中央の(献呈文を読んでいる)メーソンの前掛けにある、ヴィーナス(金星)カルトの記号である五芒星に注目しよう。縁飾りのオリーブの小枝はアクエンアテンと娘を表す。白黒の正方形はテンプル騎士団とその敵味方を自由に演じ、好き勝手な仮面の後ろに自らを偽装する能力を表す。女性が前掛けを装着することは意味を成す。男性が前掛けを着けると、彼らは明らかに自らを女性化しているのである。この異様さは何故オッド・フェローがこの名を持って居るか、何故メーソンは全員「鰥夫(やもめ)」(或いは、「寡婦の息子」)として知られるか、そしてレベカーの娘たちの男性の結社員が「娘たち」として知られるかの説明がつくのである。我々はこれが最も重要なことであると気付く。(古代の女秘密結社についての完結した話については、番組をご覧ください:https://unslaved.com/female-illuminati-program/

 

 

 

女イルミナティ24

悪名高きアピル或いはハピルApiru or Hapiru(追放されたヒクソス)ははぐれ者、盗賊、ゴロツキとして広く知られていた。

「シュメール、エジプト、アッカドヒッタイト、ミタンニ、ウガリトの紀元前1800年~1100年頃の日付の文書にはハピルは「遊牧或いは半遊牧で、叛逆者、無法者、襲撃者、傭兵、射手、召使い、奴隷、移民労働者」などと描かれている。」―D・M・マードック著「モーゼは存在したのか?」

「…『アピルApiru』はその名が示唆する通り[1]ジプシーのような性質を示し、国家の権威の下に有効な統制をする事が困難であることがわかった。彼らの異質性の性格はアララクAlalakhの人口調査の一覧に鮮やかに描かれており、そこには『アピルの一団には武装した強盗、二人の戦車操車手、二人の乞食とイシュタルの聖職者ですら含まれる』とある。」―ドナルド・B・レッドフォード著「一神教の顔Aspect of Monotheism」
[1] 「埃を立てる者」、例えば、立ち退きが素早い人々の意。

「ハピルはシュメールでは表語文字SA.GAZで、アッカドの原典では「盗賊、強盗団、急襲者」を意味するḫabbātuで認識されていた。」―D・M・マードック
*表語文字(logogram)は、一つ一つの文字により、言語の一つ一つの語や形態素とその発音を表す文字体系のこと。これに対して言語の発音との結びつきが弱い文字を表意文字と言う。

「彼らは猶太人を最も卑しい仕事の価値しかないものと見做した。ライ病(ハンセン病)は猶太人の間で猛威を振るい、その病気はエジプトの神々には不快なものと考えられた。そこで、アモンの信託は猶太人を荒野に追い出して國を浄化するようファラオに命令した。」―ステファン・クナップ著「ヴェーダの文化の世界的存在の証明」

これと全く関係のない言葉、イブリIbri、イバルIbaru、或いはヘブライとのこの不幸な語源学的類似は、これらの重要な歴史的問題に関しての世界の無知から永続して利益を受け続ける前者の集団のイデオロギー的或いは生物学的子孫により目に余るほど食い物にされて来たのである。(詳しくはこちら:http://www.astrotheologyzone.com/the-moses-fraud.html

要するに、ヒクソスとアテン-セト信仰者は古代のイバルやアリアンAryaとは混同してはならないのである。これらの古代の星座カルトはピラミッドを建設し、ファラオ、王達や貴族を指導し、助言し、世界の真の上流階級 ―真実の召使い― であった。

「イブリIbri」や「ヘブライ」と言う言葉は聖書で三十数回現れ、それは「イスラエル」の2,500回の出現と比べると少数である。この二つの用語は同意語ではない。」―ヨセフ・モドルゼジェウスキJoseph Modrzejewski著「エジプトの猶太人」

「…パレスチナではヘブライの王国と確認できるものは唯一つの碑文すら発見されていない」H・D・ドーントH. D. Daunt「古代文明の中心」

 

 

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知識のあるメーソンの著述家はこの悪名高き六芒星が彼らにとって何を意味するかを教えてくれる。上向きの三角形は神の山を表す記号で、下向きの三角形は神々(又はEl)の意思を世界に伝える聖職者の記号である。であるから猶太人はその特別な神権政治上の地位を表す印として、自らにこの六芒星をあてがうのである。

我々が現在知っている猶太人とは、古風な秘儀(オカルト)伝承の相続者である。彼らの宗教のもっと明らかな思想と言葉の綾は、ユダヤ教フリーメーソンの内部の最高の幹部により保護され理解されている古代の伝承を隠す上辺の飾りとして役立っている。一生の長きに亙る(ような)研究の後にこれらの秘密の伝承とその意味に、そして全ての宗教的思想が如何に後の人間に抜き取られ、分解して利用されるか気づくようになるのである。

ダビデの星は正統派の猶太やイスラエルとは殆ど関係ない。それは最近になって猶太の印として採用されたものだが、実際、秘教の記録の一部で、メーソン(或いはアテン信仰者)の派閥を表す記号で、古代エジプトの宗派とそれより遥か以前の時代を思い起こさせるものである。二つの結合した三角形はEl とその聖職者の間の関係を示すだけでなく、第二段階として、光の神(ホルス)と闇の神(セト)の間の争いによって典型化される、宗派の間の対立をも示すのである。

 

 

 

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アルスター(北アイルランド)の旗は赤い手、ダビデの星テンプル騎士団の十字架をあしらっている。それはこの記号の秘教的な理由の手がかりを与えられるまでは寧ろ矛盾するように思われる。赤い手は実は偉大なアテン信仰者の王アヤの個人的な記号である。この王はアクエンアテンの治世の後、アメン信仰に改宗し戻ったふりをして短期間エジプトを統治した。手を取り囲む六芒星は複数のダビデを表す。これはアテン信仰者の司令官によって使われた肩書であった。著者の秘儀(オカルト)記号学の研究はアルスターで1980年代の初期に奇妙で特有のメーソンの記号が自分の周りにごろごろと転がっているのを観察して以後始まった。その頃は著者は記号が古代エジプト由来であることや、しかもアイルランドの高位の族長が自らをファラオの親戚と主張していることなど思いもしなかった。

アヤとその仲間が北アイルランドで葬られ、彼の墓所の秘密はアイルランドテンプル騎士団系の秘密結社に守られている可能性は高い。

 

 

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 今日のアテン信仰者の支配の中心は充分に声高に宣伝されているが、記号様式においてのみである。番地の10(テンTen)はアテン(Aten或いはAton)を暗示し、獅子の頭部(これは米国のCFR外交問題評議会本部の扉にも見られる)は、太陽円盤に次ぐアクエンアテンの主な記号である。彼は自らユダの獅子として様式化された。(詳しくはこちら:http://www.irishoriginsofcivilization.com/chapter-forty-one.html

 

 

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紋章はカギを握る。金色の太陽の獅子は元々の古代エジプトのアテン-セト信仰者である世界の貴族、ファラオ・アクエンアテンの子孫を表す。一方の白い月の一角獣は彼らに献身する召使い ―ゲオーニーム、レヴィ族、薔薇十字団、メーソン、テンプル騎士団などを表す。一角獣の首に巻かれた隷属と従順の鎖に注目しよう。暗示的に、教皇の肩書の一つは、神の召使いの召使いである。ヴィカー(キリストの代理人Vicars of Christと言う使い方における)と言うまさにその言葉に「代役を務める」と言う意味がある。ブリテンの王族は自らを王冠の召使い、執事、保護者と表現する。チャールズ皇太子の個人的紋章の標語は「我奉仕せん」である。スチュアートと言う名前(メーソンのスチュアート家と言う使い方に於ける)は執事Stewardを意味する。やはりここでも強調されるのは、より高い、よりつかみどころのない(抽象的な)権力に仕えることである。この頭目代理人の関係が如何にテンプル騎士団に尽くしたか、については話を進めるにつれて解るだろう。楯を取り囲む青いベルト、ガーター(靴下止め)に注目しよう。これは女性の力の象徴で、全ての騎士団、騎士道団を表す記号である。ベルトと王冠(秘儀の女統治を表す)にあしらった菖蒲の紋もまたこの監督する女性支部を仄めかし、その支部は「シオン修道会」の名前の下で、存在しないことになっている。

ブリテンで、そして後の亡命期間中、スチュアート家の王達はスコットランド儀式のフリーメーソンの最先端にあった。そしてこのメーソンは、全ての秘儀の知識と普遍的律法の最も古代のものを土台に設立された。そのブルトン人が祖先から受け継いだものはブローニュとエルサレムの高貴な家系と密接に繋がっており、その背景は大いにテンプル騎士団に吹き込まれたものであった。」ローレンス・ガードナー著「聖杯の血統」

 

 

 

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 繰り返し指摘してきたように、記号は秘儀の結社の過去と現在へのカギを握る。それは支配の構造の扉に直接我々を導いてくれる法廷での指紋のようなものだ。ここでスコットランドの紋章を見る。獰猛な赤い獅子に注目しよう。それは純粋にアテン信仰者である。また、女性の記号であり、蛇の姉妹同胞、つまりシオン修道会を表す菖蒲にも注目しよう。ヴィーナス(金星)の惑星と宗派の占星術の記号が獅子の性器の部分を隠している。さやから抜かれた剣は、敵に向けたセト-アテン信仰者の復讐の渇望を表す。メーソンに獅子の足として知られるしっかりと握った拳の身振りは古代猶太人Juditesつまりアテン信仰者を表象する。(詳しくはこちら:http://www.irishoriginsofcivilization.com/chapter-forty-one.html

 

秘密結社の緻密な研究は支配の構造の頂上の層では「猶太」や「イエズス会」が存在しないことを示す。セト-アテン信仰者の最高のカバルはその代理軍団を二つかそれ以上の、地政学的且つ心理的「分割して統治」の勝負事に必要なだけ多くの派閥に分割し、事を進めて成功に導くのである。

猶太かキリスト教徒か、新教か旧教か、資本主義者か共産主義者か、共和党民主党か、保守党か労働党か、右翼か左翼か ―それは主に共通の目的に向かう「偽装敵対Opposame」の状態である。熟達した研究者がこの事実を認識し肯定することは、生死を分けるほど重要である。

 

 

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 冥界の大蛇の女神アポフィス或いはアペプ。光の神々に立ち向かって鎮圧されたけれども彼女は常に打ち負かされるわけではない。その闇の秘密の性質は永遠にそのままである。これが、見かけは太陽の外見をしたアテン信仰者、ユダヤ教キリスト教、メーソンのような隠れ蓑に隠れた彼女の宗派の土台である。その神は女性であるのでこの宗派の高位の聖職者は女性であるのは理の当然である。この蛇の記号は(様式化された形で)企業や製品のロゴ(ペプシ、ドクター・ペパー、ペプシドPepsid?など)と同様に多くの記章に現れる。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/Apep

「…第18王朝最初の王達が憎まれたヒクソスを國から排除した後の新しい王国では蛇は悪役を引き受けた。それは儀式で除霊すべき悪の対象となる。アペプ或いはアポプ(ギリシャ語ではアポフィス)と呼ばれ、それは、エジプトを何百年も侵略し占領した異質で野蛮なヒクソスを象徴するものである。」―R・A・ブーレイ

 

我々の世界の歴史を理解することは、破壊性(破壊的傾向)の起源を理解することである。混沌と社会の激変は計画的に起こる。社会政治的破壊は、我々がここで解るように、アクエンアテンの治世とその子孫に遡ることができるのである。セト信仰者は徹頭徹尾破壊者である。破壊こそが彼らの性格の証明であり足跡なのである。我々はそれを歴史的にそして先史的に認識する必要がある。一度世界の混乱の真の行為者と煽動者が特定できれば、我々はその責を問われざるところに問うことを止めるのである。

 

女イルミナティ23

エジプト学者のロレイン・エヴァンス*はイアフメスの治世のことを我々に次の様に語る:
「第18王朝は、エジプトがそのもっとも偉大な繁栄の時代を謳歌した。國の成功はその最初の支配者で創始者、紀元前1550年頃に非常に嫌がられたヒクソスの支配者を成功裏に国から取り除き、エジプトを再び統一した偉大な軍の指導者イアフメスの活動に依って立つところのものである。」―「箱舟(契約の箱?)の王国Kingdom of the Ark」
*Lorraine Evansは、埋葬考古学者、死に関する象徴・歴史学者Lorraine Evans | Home

歴史家リチャード・ダーロウ*はヒクソスのエジプト征服の記述を次の様に提示する:
「…ヒクソスはまず北部でメンフィスを急襲し、それからエジプトの中心、テーベの街を(エジプトに)優る数と武器により包囲し、攻撃した。ヒクソスの歩兵部隊は遥かに致死性の高い武器を振り廻し、青銅の厚い鎧を着ていた。その射手は非常に優れた複合弓を装備しており、その向上した射程、威力、精度は当時の他の弓をはるかに上回っていた。野戦ではヒクソスは恐怖したエジプト軍を散逸させ、馬に牽かれた戦車の波状攻撃を行い、それ(馬に牽かれた戦車)は防衛軍がこれまでに遭ったことのないものであった。」―「古代エジプトのモーゼ」
*Richard Darlowは、「Moses In Ancient Egypt & The Hidden Story Of The Bible」の著者。詳細不明。

彼の記述はヒクソスが元はスキタイであった、或いは少なくとも彼らに関係する腐敗した背教支族であったと言う議論の的となる考えを支持する。

ホルエムヘブ(紀元前1319~1292)による二度目の大量追放以後、アテン-セト信仰者は、追放者、異国人、山賊、のけ者(Apiru又はHapiru)として罵られた。或る時期に彼らは階級によって分裂した。その中には位の高い生まれの個人的にセト-アポフィスをその元々の形式で崇拝していた聖職者がいた。この比較的少数の分隊は残りの仲間の追放者とは別であった。その仲間の追放者とは、セトの太陽化された形の外面をヤハウェ(Yahweh、Yehew、Yahu、又はJavehなど)として崇拝していた低い位の浮浪者や盗賊(yahus又はyahoos)などの大衆であり、これは彼らが以前のスキタイとフェニキアカナーンの神々とその伝承で出来た混成であったことを完璧に満たすのである。

この大失敗は今日まで続いている。上級のラビと学者は何がどうなのか知っている。彼らの黒い法衣、ヤムルカ、礼拝の日、それに他の思想や言葉の綾は全てセト崇拝を指摘している。大きな天文学的周期への彼らの極端な拘りもそれを肯定している。(詳しくは、番組をご覧ください:https://unslaved.com/female-illuminati-program/

「ヒクソスの中に、何世紀も後に集まってイスラエルの國を建国した様々な民族の祖先がいたかもしれない。」―D・M・マードック著「モーゼは存在したのか?」

「ストラボStraboが言うには、エジプト人、アラブ人、フェニキア人の混成集団で、エルサレムの神殿に関して信頼できる人々の最も正しい報告は今日イオウデアンIoudeans(猶太)と呼ばれる人々の祖先としてエジプト人を提示する。」―S・F・ダンラップ

ラビや聖職者によるとジェホヴァの名前は決して口にしてはいけない。そうするには神聖すぎる。口にするべき仮名(呼び名)はアドン或いはアドナイとする。これは勿論恐るべき間違いである。何故なら、それは直接、太陽神にされたセトの異形であるアクエンアテンのアテンを言い表すからである。所謂「専門家」の専らの否定と暗黒化にも拘らず、語源学はイスラエル人、猶太人とアテン信仰のエジプト人の間の真の繋がりについて我々に伝えている。

アテン-セト信仰者の上流集団はレヴィ族を形成し、後にはさらにゲオーニームや光の君主(Princes of Light)を形成するようになった。彼らの学寮や組織はメルキゼデク(アクエンアテンの偽名)の結社の支部である。この宗派から後の時代のエリートのパリサイやサドカイが生まれるのである。

ゲオーニームは後にフリーメーソン(Phre Massenつまり「太陽の兄弟」から)の名称で西欧に入った。世界中の多くの秘密結社を支配しているのは、この古代アテン-セト信仰者の集団なのである。彼らのテンプル騎士団との繋がりは話が進むにつれて説明する。

レヴァントに定着していた間に、今日我々が猶太教の宗教として知るものを考えつき、創立したのはゲオーニームである。一般の人間のために作られた宗教の教義は、十戒とモーゼの律法が土台であったし今もそうである。然しながら、ゲオーニームの人間の亡命指導者は知っていたように、シナイ山(大ピラミッド)の上で70人の長老たちにジェホヴァ(セト-アテン)から伝えられた秘密の口頭の伝承があったのである。この口頭の律法は一般の宗教的猶太人とは全く関係がなかった。それは、セト-アテン信仰者の魔術師によりその側近の使徒に開示された秘密の「レヴィ族の」教義で、ゲオーニームフリーメーソン、薔薇十字団、サバテアン、イルミナティ結社員、そして、それらの同じ召使いによって設立された多くの他の宗派と結社により何世紀も通して執行されて来たのである。(詳しくは次の二つのリンク:https://infogalactic.com/info/Oral_Torah
https://infogalactic.com/info/Levite

 

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 不思議なメーソンの印「G」は、後に自らの結社をフリーメーソンの名前で偽装したゲオーニームのことである。ゲオーニームは古い、エジプトから追放されたセト-アテン信仰者の子孫であった。ゲオーニーム結社員もまた、紀元70年にローマによるエルサレムの神殿破壊後にバビロニアに逃れたエリートの、裕福なサドカイで構成されていた。これらのサドカイは通常の意味での猶太人ではなかった。逆に、猶太の伝承に完全に外れたところで、彼らはアシェラーAsherah(Ashtoreth/Astarte/Ishtar/Isisなど)のような女神たちを信仰することに立ち返っていた。

小文字の「g」は蛇を意味する記号でゲオーニームが女龍宮廷の召使いであることを示したし今も示している。メーソンでも同じことである。

一方バビロニア(スラやプンベディタなど)では彼らはカルデアン、ペルシャギリシャの多くの秘教(オカルト)の伝承を吸収した。

論説1で示したように、ゲオーニームは、猶太教の第四宗派に繋がるエデッサの君主と密接な同盟を形成した。教皇キリスト教により退けられたこのカバルは、その伝承と考え(主義)を秘密結社の網を通じて拡げるように取り組んだ。彼らはメーソンだけでなく、薔薇十字団、マルティニスト、フランキストなどの設立を取り計らった。プロテスタント教の出現に我々が見るのは、彼らの策謀である。

然しながら、猶太教とキリスト教の体裁の裏で、信仰の個人的形式は、公衆の知らないところで継続している。

極端に裕福な秘密のゲオーニームの構成員は恐らくカトリックの聖職者や司教(同様に枢機卿)を誘惑して教皇キリスト教から引き離すのを容易いことと気付いた。そのような改宗者はジェホヴァの女配偶者であるアシェラーを崇拝し始めることに惹き付けられた。全ての聖職は実際、たとえ各々の聖職者が知らなくても、女イルミナティ支部なのである。

 

 

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米一ドル札にあしらわれたピラミッドと分離した冠石(Capstone) 

 アメリカの一ドル札にあるピラミッドの絵の下に刻まれた「世界の新秩序」と言う標語はセト-アテン信仰者の失われた帝國の復元を指す。彼らは手を替え品を替えて何とかその復讐を遂げようと意図している。切り離された冠石はエリートがその支配する大衆とは異なる神を崇拝していることを仄めかす。これは数千年もそうであり続けている。アテンは、セトやアメン・ラーなどと同様に、主に個人的に崇拝された神であった。大衆はその理解の水準に合った公然の神々の混成で満足していた。(この事はジェホヴァがモーゼにも古代イスラエル人にも認知されなかったと何故我々が教えられたかを説明する。これは最も啓発的(真実を露わにするもの)である。結局のところ、これはアブラハムの神と言うことになっている。モーゼやエジプトの「奴隷」の一団にとって、何故彼が謎である筈があろう? 一体奴隷であった期間中、彼らはどの神を礼拝していたのであろうか? 出エジプト記3:13を参照すること)

 

 

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ピラミッドの周囲、六芒星上に置かれた「MASON」の文字 

 ピラミッドの周りには完璧な六芒星が形成され、MASONを構成する五つの文字を特定することが出来る。何という偶然であろう! 見たところ猶太のダビデの星で、それが微妙に明かす言葉は(偶然にしては出来過ぎだ)。その記号に注意した方が良い!

メーソンが「未亡人の息子」であることから、我々は誰がその謎の女性か?を問う。

 

では、明確にしよう:猶太の民族と宗教に関して我々は、それぞれ二つの階級、カースト、伝承を取り扱っている ―一つは通俗的でもう一つは秘教的。実際、アテン(もっと正確にはセト-アポフィス)は主に、そして元々が個人的に崇拝された神であった。(選民の神一柱と汚れた大衆の神一柱。)

ある時点でセト信仰者は光 ―そして光の神― が大衆の目をくらます(騙す)のに利用できると気付いた。そこで、太陽信仰の暗黒面がアクエンアテンとその配下に好まれた。ルシファー信仰が、謂わば光の幕の後ろで彼の個人的信仰を続け、そうすることで多くを成し遂げた。記号が明かすように、何も変わらなかった。幻惑は誰一人それに気付くことなくまた、教え諭す者の誰も取り組むことなく、衰えずに続いている。

「初期のイスラエル人はほぼ太陽崇拝者であった。後年になっても太陽神バールは猶太の信仰をジェホヴァと分かった。サウル・ヨナタンダビデはその子供をこの神を讃えて名付けた。」ジョン・E・レムズブルク

 

 

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太陽神にされたセトの異形神、アテンを礼拝する
ユダのライオンの姿で描かれたアクエンアテン

太陽神にされたセトの異形神、アテンを礼拝する、ユダのライオンの姿で描かれたアクエンアテン。上級ラビは、平民が決して想像だにしないことであるが、アドナイがアテンのように太陽神化されたセト(El Sadi又はEl Shaddai)であることを知っている。このような画像は、我々が不合理に支配層の押し付けたユダJudah、古代猶太人Judite、猶太人Jewの定義に固執している限り、解読することが不可能である。

アドナイと言う用語は猶太のラビに、口にしてはいけない名前であるジェホヴァの同意語として使われる。然しながら、これは著者の言い分を肯定するもので、つまりアテン、アドン、アドナイなどのように、ジェホヴァやヤハウェは更にもっと闇の存在の作り変えであると言うことである。それは全て、アクエンアテンとメリトアテン、その従者たちが率いるセトの聖職の仕組みであった。

セトの聖職者が太陽の光を崇敬した理由は、それが明かすところではなく、それが隠すところであった。彼らは太陽の暗黒面を崇拝し、それはエジプト学者、歴史家、陰謀追及著作家によって取り扱われない極めて重大な観念である。それにも拘わらず、それはオカルト仲間の間では最も進んだ教義と原理の一つである。(詳しくはこちら:https://www.amazon.com/Irish-Origins-Civilization-Two-Akhenaton-ebook/dp/B007HI1KIE/ref=sr_1_8?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1532954166&sr=1-8

 

 

女イルミナティ22

セトは特有の星と星座とに関連し、恐らくはもっと破壊的彗星に関連した神である。それは時が経って地平線の下に沈んだ星が土台であった。視覚から隠されると、それらの星はセト(Set、Sut、Suth、South)の領分にあると考えられた。彼は特に南極の周りに位置する星座と関連した。セト信仰者の聖職はこれ等の「失われた星」を崇拝した。後になって、「失われた光」のようなメーソンの用語はこの星の現象と領域を指すようになった。

メーソンや神秘主義結社に使われる上下逆さまの五芒星は南極の星、セトの記章、冥界の神を表した。

「ヒクソス或いはアモリ人(Jebusites of Jerusalem)は、バール-セトのような、セム系の、シュメール―バビロニアの、そしてエジプトの神々を崇拝するイスラエル人以前の西セム族或いはカナーン人であった。」―D・M・マードック*著「モーゼは存在したのか?」
*Dorothy Milne Murdock(1960~2015)はアーチャーリャ・S(Acharya S)と言うペンネームで有名なキリスト神話説を説く米国の著述家。

「Sadaは『火』を意味した。アサドAsad(又はAsat)から我々はAsatel、Setel、Sat、Set、テュロスカナーン・ケナイト・フィリスティア・エジプトの火の神Seth、エジプト人が悪魔として恐れたヒクソスの王達の神を引き出すことが出来る。」―S・F・ダンラップ*著「ヘブロンの異教徒たちGhebers of Hebron(1894年)」
*S. F. (Samuel Fales)Dunlap(1825~1905)はアメリカの宗教・神話学者。

「ヒクソスはSetites(セト信仰者)としてエジプトに入ったが、Asirians(オシリス信仰者)としてエジプトから出て来た。」―同上

「セトはフィリスティアとデルタ地帯で崇拝された。セトはテューポーンであった。そしてアヴァリスはテューポーン信仰者の街であった。古代人と主にエジプト人は猶太人が土星-テューポーン(セト)を崇拝したと主張した。」―同上

「下エジプトではセト(Seth)の信仰は東側デルタと可能性として恐らくメンフィスだけであった。タニスとアヴァリス(ペルシウムとその近傍)はセトの信仰の二つの首座であった。タニスにはセトは大きな神殿を持って居た。」―同上

「アルフレート・ヴィーデマンによると、セトはエジプトで崇拝された。セティムSetim(Sheto)と言う言葉はSethimと同じであり、猶太人はSethitesである。サビアンSabiansは自分たちの宗教をSethから派生させた。セト(Seth)はセティム(Sethim)とナイルからレバノンに至る全ての土地で、ヒクソス、猶太、フィリスティア、トランスジョーダンにより崇拝された。」―同上

殆どのエジプトの神と同様にセトはある形態で太陽に繋がっていたが、それは肯定的ではなく否定的、破壊的兆候としてであった。

「セトは、その破壊的熱に繋がっているとはいえ、明らかに太陽神である。彼はまた、炎(火)ともみなされていた」―S・F・ダンラップ著「ヘブロンの異教徒たちThe Ghebers of Hebron」

 

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第12王朝に遡るセト像 

 第12王朝に遡るセト像。彼はアニュビスやイシスなどより前の最初期から犬の星(大犬座)シリウスと関連しているため、犬の面(顔)を持つ。ここでは我々は生と死、闇と光、無知と知を表すセトとホルスの融合を見る。どのような集団にも光の神々を闇の神々と関連付けることは困難ではなかった。そしてどちらも違う方法で崇拝したように思われる。形而上学的に、占星神学的に言えば、古代人は太陽の放射と輝きに対して、それは地下の世界に入って完全な漆黒に耐えねばならないならないと理解した。従って闇の神々が光の神々を司っていた。(図の二つの左手に注意しよう。)

 

エジプトの秘教の伝統ではセトとその従者(シェトSheto、サダイトSadites或いはセト信仰者Setians)は腐敗して、快楽主義で、道徳観念がないと見做されていた。セト信仰者はMa’atがない、つまり、清廉と名誉に欠けるのであった。彼らは霊的伝承の方法で修養することがなく、世界的権力と富の追及のために全人生を傾けた。霊的に目覚めた男女(人々) ―至高の存在(Neberdjer)と提携した人々― とはエジプト人にとってはセトの足枷を逃れた人々のことであった。

セトはキリスト教のサタンの土台である。サタンと言う言葉は「対抗する者」を意味し、元々の意味は占星術的なものであった。サタンは「落ちた者」と考えられた。何度も言うが、これは単に地平線下に落ちて所謂アメンタAmenta或いはヘイドHadesの冥界に入る天の南の領域とその星々を指しているに過ぎない。セトはクロノスKronos、サターンSaturn、アーリマンAhriman、アポフィスApophis、つまり冥界の主と同等であった。惑星の土星の崇拝はセト信仰の堕落した変形であった可能性がある。猶太のサバス(安息日)が土曜日、つまり土星の日を指すことは興味深い。

我々は今でも地平線の下に落ちて消えてゆく星々や発光体のことを語り、サベアSabeanのような言葉を天文学占星術を指すときに使うのである。

 

 

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サタンの落下(堕天使) 

サタンの落下(堕天使)。命に関わる危険な彗星や、また嘗ては崇められたが最後には地平線の下に落ちて視界から隠させる星や星座もが現れる暗号的な暗示。それは古代の星の宇宙論の遺物であり、セト信仰の中心的知覚表現である。その前提は落ちた者を崇拝すること、何故なら太陽が毎朝復活するように、それらの落ちた者も次代に「再び昇り」人間の世界を支配することが確実であるからである。それは、後世の神話拡散者によって全く誤った解釈をされた占星神学のよくある思想であった。地平線を囲む円形の線は「セトの輪」後にはホルスの輪であった。日々、或いは毎年消える惑星や星は「沈むこと」、つまり、セトの領分に落ちて行くことを意味した(し今も意味する)。指或いはイヤリング、修道士の剃髪、ラビのヤムルカ、等の形状は、闇と光の二つの世界を分けるこの境界或いは限度を表す。テンプル騎士団-メーソンの市松文様の床もまた、この現象を暗示する。(テンプル騎士団の旗は白黒の正方形を表示する。)エジプトでは星と言う言葉はseb、sheb、sab、或いはsabaであり、だからサベアsabeanなのである。(詳しくはこちら:https://www.google.com/search?q=knights+templar+flag&client=firefox-b&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjR3Z6iyrrcAhUUZ8AKHfhQBBwQ_AUICigB&biw=700&bih=334

「レピシウスが言うには、これらのエジプトの神官は天文学には熟達していたが、謎めいて居り、とても話せるような相手ではなかった。彼らが自ら進んでその教義の一部を伝えるように許したのは時が経って、しかも礼儀正しい配慮を以て漸くの事であった。しかしそれでも大部分は隠されたままであった。」―S・F・ダンラップ

 

セト信仰者は後にはアテン信仰者として知られ、更に後には、経典(聖書)で、神秘のレヴィ族が至高の階級でその他を支配する、と言うイスラエル人や猶太人として知られた。これらの「部族」は、後にフリーメーソンや黒い貴族として再登場するバビロニアのゲオーニームを含め、後に出来た多くの宗派、社会、王朝と関係した。

暗黒化と誤った導きと言えば、結局レヴィ族の貴族は精神錯乱に陥った。彼らはセトを作り変えることにした。セトはヤハウェ或いはジェホヴァに変身した。この時から公式の猶太の歴史が始まった。(詳しくはこちら:http://www.astrotheologyzone.com/origins-of-jehovah.html

エジプトの境界の外ではセトはエル・シャッダイEl Shaddaiとして知られていた。語根のShadはShat、Shet、Sut、Set、Seth、Sithの変形で、「破壊者」を意味し、可能性として最も高いのは有害な彗星を暗示する。示唆的に、エル・シャッダイ(或いはエル・サディ)と言う神の名は「胸」を意味する語根から来ており、それはこの神が元々女性の外見 ―神よりはむしろ女神― であったことを指摘する。男性的な姿では彼は火の神、破壊の神、疫病の神、荒野の神であった。これはモーゼ五書に現れるヤハウェの像に完全に合い、シナイ山の山頂で考え込み、沙漠・雷・稲妻・怒り、疫病・飢饉・虐殺の送り主 ―無知な大衆を脅し、教化する完全な神― である。偽装にも拘らず、セト信仰者である印象は紛れもないものである。(詳しくはこちら:https://infogalactic.com/info/El_Shaddai

ヘブライの神はEl Sadi、Sadi、Set、Sethの名前を持って居た」―S・F・ダンラップ

「様々な著述家によりテューポーン-セトが女性であることが知らされる。彼女は初期の猶太の神であった。換言すれば猶太人は前は女性の神の崇拝者だった。エホバ或いはイアフIavは元々女性だった。」―エリザ・バート・ギャンブル*著「古代人の神の考えと宗教に於ける性The God-Idea of the Ancients or Sex in Religion」
*Eliza Burt Gamble(1841–1920)は19世紀から20世紀初頭にかけて知識人活動家。ミシガン州の女性運動の擁護者、教師で作家。

セトはエジプトに輸入されたもので、土地に元々あったものではないと言う可能性がある。彼は元はサカSacaやスカットScutsと言う名前であった古代スキタイ人が崇拝した先史時代の角のある鹿の神であったのかもしれない。スキタイの名前はシェティアンShetian、シェシアンShethian或いはシシアンSithianの拙い訳名かも知れない。古代の年紀には勇猛な騎馬スキタイ人が早い時期にエジプトに入ったという報告がある。パレスチナのスキトポリスScythopolisの街は彼らに因んで名づけられた。イサクの名前は「サカの人間」或いは「賢人」を意味する。サクソンは人間の中で最も賢く最も高貴だ、として世界中に知られていた。著者の意見では、セト信仰者はこの華やかな民族の中で知識はあるが腐敗した支族であった。これはスキタイの伝説で支持されている。

「…皆青い目をして明るい赤毛をしていた。」―ヘロドトススキタイ人の外見について)

「サカイSakaiはスキタイの中で最も優れた民族で、アルメニアに定住し、サカエ-サニSacae-Saniと呼ばれていた。」―大プリニウス*(ローマの歴史家)
*Gaius Plinius Secundus(~79)ガイウス・プリニウス・セクンドゥスは、古代ローマ博物学者、政治家、軍人。甥でベスビオ火山の噴火を記録したプリニウスと区別するため、大プリニウスと呼ばれる。

「サクソン人は古代アジアのサカエの子孫であった」―フラックス・アルビヌス*(カール大帝の先生)
*Flaccus Albinus Alcuinus(735?~804)はイングランドの学者、神学者、教会関係者、詩人、教師。カール大帝に招かれてカロリング朝宮廷の教師となった。アルクイナスとしてより知られる。

「「ノルマンのSacaeは後に印度に至り、ヴェーダ、宗教的詩、を伝え、それはまずは口伝で、しかし西紀300年頃の比較的遅い時代にバラモンによって古代サンスクリットの書式に変えられた。」―マジソン・グラント*
*Madison Grant(1865~1937)は、優生学者および自然保護主義者、科学的人種差別主義の擁護者、そして進歩主義時代の主要な思想家および活動家の1人としての彼の業績で知られるアメリカの弁護士、作家、および動物学者。

「…エジプト社会の王族を除く上流階級を代表する多くの官僚、廷臣、神祇官は、今のヨーロッパ人、特に顔の長い人に驚くほど似ていた。」―カールトン・クーン*教授著「ヨーロッパの人種」
*Carlton S. Coon(1904~1981)はアメリカの人類学者。ペンシルベニア大学の人類学教授、ハーバード大学の講師兼教授であり、アメリカ人類学者協会の会長を務めた。

「そして、小アジアエラムペルシャ、インダス渓谷、地中海の他の古代文明も同様にシュメール或いはアリアンの起源であることが示される。」―L・A・ワッデル*
*L. A. Waddell(1854~1938)はスコットランドの探検家、チベット人の教授、化学および病理学の教授、インド軍の外科医、チベットのコレクター、アマチュアの考古学者で、シュメール語とサンスクリット語に通じていた。

「これらの青い目をした薄い肌色の民族が誰であるか単に誰も知らない、彼等が何処から来たかも…人類学的には彼等はコーカシア人種と名付けられている。…エリオット・スミスは、これらの人種は現代の世界が驚く驚異のナイル川畔の建築を成し遂げるのに充分な、いやそれ以上に知識を持って居た、と結論付けている」―ジェラルド・オファレル*著「ツタンカーメンの欺瞞」
*Gerald O’Farrell:詳細不明

有名な女性の部族で弓と剣を振り廻すアマゾネスは実際はスキタイの支族であった。

実際、エジプトの伝承のある部分はスキタイとその神々が由来かも知れない。悲しいことにスキタイは元は西ヨーロッパから来たため、レヴァント、エジプト、そしてその先遠くでのその存在と影響力についてはあまり聞くことはないであろう*。多くの意味で有史以前のスキタイの戦士は後のテンプル騎士団に類似していた。
*文明の西方起源を隠したい学界から支持されないため、と言うことか?(燈照隅コメント)

結局のところ、第17王朝の終わりにセト信仰者(ヒクソスの貴族)はファラオ・イアフメス一世(1539~1514BC)に倒され追放されたのであった。この出来事は二つの大きな出エジプトの最初であったが、神話伝承者により両者は合成され、同じ名前で旧約聖書に記録された。神話伝承者にとって放逐は、壮大な出来事と言う程度で権力の座から落ちたこととして解釈された。これが、メーソンに髑髏、棺、落ちた王冠、壊れた円柱や建物、冠石の欠如、盲目や傷ついた王や預言者たち、疫病、荒野の滞在、亡命、等のような奇妙な記号がみられることを説明する。

今日まで、メーソンの第三階級の儀式は、三人の暗殺者による君主の殺害、そして暗殺者が非難され、残酷に懲罰されることを再現して、アテン信仰者-アメン信仰者の争いを記号の形式で残している。今の裁判所で判事がその槌を三度叩くと、それもまた、この極悪な古代の犯罪を呼び起こすのである。示唆的に、メーソンの伝承に於いては、三人の暗殺者は纏めてJewes或いはJuwesとして知られる。これは、王殺しの綽名が後に民族全体の名前を表すようになったことを意味するのだろうか? そうなら、それは不吉以上のものだろう。

セト信仰者の第二の追放はアクエンアテンの治世の終わりに起こった。ファラオ・ホルエムヘブは彼らに行進の命令をし、それでも彼らが戻ろうとすると、ファラオ・セティ二世とメルエンプタハが彼らのところに戦車で乗りつけ、彼らを領土から追い出した。アテン信仰者は二度と戻らなかった。彼らは、ファラオ・イアフメスに第17王朝の終わりに追放された亡命者の集団の裕福な子孫たちに歓迎される、下エジプトのギザ平野、タニスの街、そしてエジプト国境より向こうの街まで後退した。どちらの亡命者の集団も、自分たちを追放した土着のエジプト人とアメン信仰者に計り知れない憎しみを抱いたのであった。

二度目の出エジプトの後、極めて重大な変化が起きた。セトは作り直され、公の顔を与えられた。神は群衆にジェホヴァ或いはヤハウェと言う偽名で公開された。創世記とそれに続く二、三の旧約聖書の本はこの作り直しの物語を歪曲的で暗号的なやり方で我々に伝える。

ヤハウェの名前は恐らく以前のカナーン(アリアン)部族から盗用したもので、元々はヤール(Jahl)或いはヤエル(Jael)と言う名の下、女性の形で崇拝されて来たものの可能性がある。これは、ヤハウェが元々アブラハムに現れた時、この家父長が何故シェケムで神の祭壇を樫の木の横に設えたを説明する。(創世記12:6~7参照)

「女神アナット-ヤフ/ヤハウェAnat-Yahu/Yahwehは5世紀のエレファンティンの猶太のパピルスに言及されて居り、それは神が『元々バビロニアのユダ征服から逃れた猶太人により建てられたヤハウェの神殿で礼拝されていた』と主張する。」―D・M・マードック著「モーゼは存在したのか?」

「シュメールとバビロニアの神々でアヌAnuは元からの古代神々の家父長であり、その妻はアシュラタムAshratumで、西方セム族の家父長の神エルELの配偶者アシェラーの変形であった。」―ティム・キャラハン*著「聖書の起源」
*Tim Callahan:ケンタッキー出身のアメリカの作家。The secret origin of the Bibleの著者。詳細不明

示唆的に、研究によるとセトは女性の形で、冥界(南半球)の大蛇の神、アポフィス或いはアペプとして現れたことが明かされている。伝承によってはセトとアペプは配偶者である。セトを崇拝した最後のヒクソスの王はアポフィスと呼ばれた。

「Abtit-Untiは悪であるアパップApapの一形態であり、自然現象における打消しの類で、それは善に対することであった。終末論に於てセトSet或いはサトSutは非存在として打消しを表すのである。」―アルバート・チャーチウォード*著「フリーメーソンの起源と進化」
*Albert Churchward(1852~1925)は英国の著述家。

「創世記はエジプトの神セトに倣って利巧な蛇を作り出し、そのセトはラーReの敵であるアポフィスの蛇の形態をとった。」―ゲイリー・グリーンバーグ*著「聖書の101の神話」
*Gary Greenbergは聖書と近東の歴史に関する本の著述家。詳細不明。http://biblemythhistory.com/

エジプト人は屡々アポフィスをセト神と一体と見做していた。セト神は利巧で野心が強い神で、エジプトの王位を兄のオシリスから奪いたかった。この目的に向け、彼は盟友と謀ってオシリスを暗殺し、王室を奪った。」―同上

セトは、支配権をめぐるホルスとの戦いの間、イシスの真の息子でホルスは庶出であると彼が主張したことから、確実に男性ではなく女性と提携している。これは、何故かと言うと、古代のエジプトでは王位は女系を通じて、つまり母方から継承された。セトの従者は、従って、正当に母系カルトと考えられるのである。

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イアフメス一世 

エジプト不朽の救い主、ファラオ・イアフメス一世は暴君のヒクソスの貴族或いは羊飼いの王達を打ち倒し、領土から追放した。これは部分的には、ヒクソスにより非道に殺害されたその父のファラオ・セケンエンラーの復讐と関わるものであった。この追放は旧約聖書出エジプトとして記録されている。実際のところ、神話拡散者はヒクソスの二つの違う追放を一つの入り組んだ筋に合成した。二度目の追放は紀元前1520年頃、アクエンアテンとその王朝の瓦解の後に起こった。アクエンアテンはヒクソスと姻戚関係で彼のアテン信仰者は復讐に満ちた計画を持ち出したのである。(詳しくは以下三つのリンク:https://infogalactic.com/info/Ahmose_I
https://infogalactic.com/info/Apep
https://infogalactic.com/info/Apepi_(pharaoh)

女イルミナティ21

          *

アテン信仰者とセト信仰者

 

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「そして、モーゼはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、

言葉にもわざにも、力があった。」―使徒言行録7:22 

先にも述べたように猶太人の手になる陰謀の話は迷宮のようであり、それに関する殆どの評者は実際のユダヤ教の歴史についてほとんど何も知らない。彼らは当然ながら猶太が最初に舞台に現れるのは古代エジプトの貴族としてであることにも気づいていない。

殆どの猶太人もこれに気づいておらず、また自分たちの祖先がエジプトの奴隷であったと信じるように狡猾な方法で仕組まれてきた。これ以上不誠実で誤謬に満ちたことはあるまい。

所謂古代イスラエル人はエジプトの第18王朝で異端の王アクエンアテン(アメンホテプ4世)の治世まで遡る。殆どの学者が彼を一神教支持者で太陽崇拝者として尊敬し評価するけれども、この話にはさらに先がある。彼は実際には「太陽の暗黒面」の使徒であった。彼はその用語の真の原義に於ける「古代猶太人Judite」であり「ダビデDavid」であった。君主として彼は完全に暴君であった。彼の宗派はあらゆる他の聖職と信仰を抑圧し、そして最後にはナイルの文明に完全な破滅をもたらしたのである。

彼の破壊の趣向はそのエジプトと支配的アメン信仰の神祇官に対する復讐の渇望から生み出された。アクエンアテンとその両親は、エジプトを第13王朝の間に植民地化したヒクソス貴族(所謂シャスShasu或いは羊飼いの王達)の一員であった。この集団は、それを侵略者、暴君、略奪者と考えた普通のエジプト人から嫌われた。実際、彼らの祖先は以前に土地から追放されている。アクエンアテンの家族は、アメン信仰者からエジプトに残ることを許されたヒクソス貴族の中の者であった。信頼していたアメン信仰者の中にはこれらの少数の家系と個人が比較的穏健で害がないと信じた者も居た。

アメン信仰者とアテン信仰者の間の争いの話は著書「文明のアイルランド起源」とそのウェブサイトで話している。

旧約聖書ではアクエンアテンの物語を暗号的様式に於いて見出す。彼はモーゼ、アーロン、そして謎のメルキゼデク(ツァドック)に扮して現れる。これは勿論モーゼの神(シナイの神)が本当の「猶太人の」王であるアクエンアテンの神であることを意味する。(詳しくはこちら:http://www.irishoriginsofcivilization.com/chapter-forty-one.html

モーゼとアクエンアテンの間の類似について最初に問うた学者の一人が偉大なウィーンの心理学者ジークムント・フロイトであった。彼の同僚であるイマニュエル・ヴェリコフスキーもまたエジプトのこの時代の歴史に魅せられ、そしてとくにモーゼとアクエンアテンの繋がりに魅せられたのであった。フロイトは特にその評価と結論に於いてほぼ当たっていた。(詳しくはこちら:https://www.amazon.com/Moses-Monotheism-Sigmund-Freud-ebook/dp/B01MXQ8K35/ref=sr_1_1?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1532361349&sr=1-1&keywords=moses+and+monotheism

アクエンアテンの宗派は、その守護神アトン或いはアテンに因んで、アテン信仰者として知られて来た。この神は、よく我々がそう信じるように誘導される、アクエンアテンに始まった神ではなかった。もっと率直な学者はアテンがフェニキアアドン或いはノルマンのドナールDonar又はオディンOdinの異形ではないかと感じている。

「ノルマンの神々はレヴァントの神々と同じであることを示す証拠は充分にある。広場、集会場、戦争、祭壇、生贄、婚礼、家庭生活は同じである。」―匿名者「害悪?の聖職Priesthood of the Illes」

ドルイドの宗教はブリテンだけでなく、同様に東方の全てでも支配的であった。」―E・V・ケニーリー著「神の書」

「ヒュペルボレイオスは疑いなくドルイドとバード(Bard)の國のことで、その宗教は後のヘブライのものと全く同じである。」―アンナ・ウィルクス著「カルデアのウル Ur of the Chaldees」

アテンは従って、間違って東方起源と言われるヤハウェ(Yahweh又はJehovah)や百にも上る他の神々と同様に、単にもう一つの西方からの輸入であった。

学界では陰険な虚偽と騙しの機構が存在し、これらの素晴らしく興味深い繋がりが隠されている。真実を見極めた専門家は沈黙させられ、降格され、嘲りを受けて来たのである。猶太教の公式の歴史について何かが疑わしいとした、ジークムント・フロイトのような人々は嘲笑され無視された。

 

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ジークムント・フロイト(1856~1939)

 「モーゼと一神教」の著者である偉大なジークムント・フロイト(1856~1939)はモーゼとアクエンアテンの繋がりに魅せられた。著者は「文明のアイルランド起源」の何章かを割いてその華々しいアテン信仰者時代の評価に捧げた。

 

然しながら偏向していない学者は、フェニキアアドン、アドナイ、ドン、ディオンなどが猶太人の出現よりずっと前の最初期の時代からメソポタミアパレスチナを通して崇拝されていたことを完全に知っている。彼らはまたこの神の別名がセト(Set、Seth)シス(Sith)セブ(Seb)などであったことも知っている。

「この地域すべてを通してアドニス土星)が様々な名前で火を崇拝する人々に崇拝されていた。レバノンではディオニソスアドンアドニス)、エルサレムではアドニとアドナイ、フィリスティア(ペリシテ人の國)ではサト、セト、アラビアではセブ又はサビの名で呼ばれていた。ユーリピデス、ヘロドトス、ムーヴァーズMoversはこの点に関して疑いを残していない。」―S・F・ダンロップ著「ヘブロンの異教徒たちGhebers of Hebron(1894年)」

「猶太人の宗教は、ディオニソス崇拝の一形態である。そしてアドニス、アドナイ、オシリスディオニソスは全て太陽である。」―同上

旧約聖書に於いては、アテン信仰者の亡命者はイスラエル人Israelitesとして暗号的に言及されている。この言葉は転じて猶太JewやヘブライHebrewと同意語と誤って考えられてきた。著者が示すようにイスラエル人Israelite、猶太人Jew、レヴィ人Levite、ヘブライ人Hebrew、ダビデDavid、ソロモンSolomonなどのような言葉は、エジプト人(アメン信仰者)やアリアンの星座カルトの構成員に使われた、民族や個人よりも寧ろカースト(階級)を表す聖職者の肩書であった。この種の用語(アリアンと言う言葉自体がそうであるが)は後に、神話拡散者によって盗用され、故意に誤解釈されたのであった。

ヘブライHebrew、イスラエル人Israelite、猶太Jewはシリア語、フェニキア語、エジプト語で神秘的な階級に使われた用語である。」―リチャード・カーライルCarlile著「フリーメーソンの手引書Manual of Freemasonry」

ラルフ・エリスや他の学者が結論として示すように、「イスラエル人Israelite」家父長のアブラハム、イサク、ヤコブ、ユダ、ヨセフなどは高家の生まれでエジプトの地ではファラオでさえあった。この事実は聖書の記述では隠されたが、イスラエル人の亡命者は強大で腐敗したエジプト王家のそれであったことは疑いがない。

これらのイスラエル人が猶太人と同じであるかどうかは重要な問題である。猶太人は彼らが姻戚関係であると言うが、最近の研究ではこれは確認できない。猶太と言う言葉は、自分たちの真の身分を隠したい人間により、間違って盗用され、間違って命名された可能性がある。彼ら自らの証言によると、イスラエルの10部族は最後には世界の四方に散って行き、非猶太人と世界中で同化した。イスラエルの部族の一つからの子孫であることを証明するのはほぼ不可能である。一番良くても少数の猶太人が17~18世紀まで祖先を遡れる程度である。

何れにしても著者が手掛けた本で示すように、大追放の後、アテン信仰者(或いは聖書のイスラエル人)の子孫は新しい帝國の司令部をアイルランドに置き、そこから復讐の最終行動で世界のすべてを植民地化するべく着手したのである。彼らは自分たちがエジプトで失った王位の引き替えに世界を支配しようとしているのである。

 

 

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ファラオ・アメンホテプ4世とその娘メリトアテン

ファラオ・アメンホテプ4世は、アクエンアテンとしてよく知られている。彼はおよそ紀元前1353年から1336年にかけて即位した。彼には6人の娘があり、長期の飢饉でそのうちの4人が亡くなった。生き抜いた娘の一人であるメリトアテンは、彼の追放と死の後、彼のアテン信仰者の太陽結社の最高権威となった。彼女はその綽名スコタ(「闇の人」を意味する)で知られた。重要なことに、スコタ自身(或いは同名の子孫)はアイルランドのケリー郡(County Kerry)に葬られた。スコタ(又はスコティア)はアイルランドの古代の名前で、アイルランド部族がスコットランドに定住した際、彼らはその国に彼女の名前をあてたのであった。彼女は疑いなくこれまで存在した中で最も強大な女性であった。我々が知る世界は彼女の生物的且つ思想的子孫と召使いにより形づくられてきたのである。(詳しくはこちら:http://www.irishoriginsofcivilization.com/chapter-forty-one.html

 

アテン信仰者と言う名前にも拘らず、アクエンアテンの特別な類型の神学は、意図的な虚偽で特徴づけられるエジプト学者が共通して報告するような、彼の時代に起源をもつものではない。それはもっと前の古代のセト神の信仰から起こった。姉妹同胞によって使われる多くの記号と彼らの支配下の他の秘密結社はアテン信仰者の記号と同様にセト信仰者の特色もなしている。

女イルミナティ20

かなり多くの研究がある猶太人一家や個人が、隠れた上部組織の実効ある代理人として仕えたことを明かして来たが、何故猶太人がそのように行動して来たかを掘り下げた作家は殆ど居ない。通常、猶太人が悪性の存在であり、悪行を犯し、悪を成す者に仕えるのが猶太人の天性であるとると徹頭徹尾決めつけている。しかしこれが全体として真実でなければどうであろう? 結局のところ、猶太人無しではキリスト教も資本主義も我々が今日知る形では存在しなかったろう。我々の個人主義、自由、民族主義、そして倫理の思想もその僅かすら形成されなかったであろう。

もう一つの重要な事実はどの西側国家にも存在する比較的少数の猶太人に関わる。そのかなり大きな影響力にも拘らず、どのヨーロッパの街でも猶太人は常に僅かな人口構成しか成していない。それに加えて、我々は常に中傷者や反猶主義者の告発に相反する、猶太人の肯定的な影響も比較検討しなければならない。我々は常に、誰が告発していて、その理由が如何なるものかを熟考しなければならない。結局のところ、猶太人に敵は居ないのか? そしてこれらの敵は他の罪深き悪事を行う者たちから注意を逸らすための猶太人の名誉棄損活動の中で身を低くかがめていなくないだろうか? 告発者はイスラム教徒、キリスト教徒、無神論者、保守、自由主義者(リベラル)であろうか? 彼らの言っていることのどの程度が、汚く偏向していて、どの程度が動かぬ証拠により実証されているであろうか?

更に、「猶太人の陰謀」を暴露する作品を読んでも猶太の歴史の正確な説明は滅多に見かけない。旧約聖書預言者や賢者の目立った道徳にも拘らず、我々はごく少数の背教者や気狂いの類の犯罪や非行を理由に、中傷する人間が猶太人を祖先に持つあらゆる人間を非難しているのを見る。我々はこれが正しいかどうかを自問しなければならない。ツァーリ・ニコライ二世とその家族の暗殺について、全ての猶太人の前に責めを負わせることは正しいか、道理に適っているのだろうか? そうであるのなら、我々は「血の日曜日」虐殺(アイルランドのロンドンデリーで起こった事件)について全ての英国人に、聖バレンタインデーの虐殺アメリカで起きたイタリア人による事件)について全てのイタリア人に、責めを負わせねばならないであろう。

猶太人の中に株式市場の操作を通じて國を弱体化した者がいる、とか、猶太人がある国々(例えば帝政ロシア)を弱体化するのに重要な役割を果たした、とか、猶太人の中には巧みな第五列や手先として暴かれたものがいると言うことで、その最も主要な原動力がシオニストの猶太人の間の執念深い、時には凶暴なほどの、彼らの所謂「約束の地」―イスラエル国家の創設への渇望であることに我々は注目して来ただろうか? この途轍もなく重要な事実に心して、イスラエルが建国した後の猶太人の策謀継続を我々は主張できるであろうか? 個人的に著者はそうは思わない。大半の猶太人はそうではなかろう。

著者が思うに、世界の陰謀の中でのユダヤ人の役割は1948年以降、相当溶けてなくなったのではないか。これは、それが完全に排除されたと言っているのではない。しかし物事が劇的に変化してきたにも拘らず、それでも反猶太的作家はこの事実を認めようとしない。実際、西欧の指導者が猶太人の要求に応え、猶太人が何世紀も無駄に求めて来たものを提供した後では、誠実なシオニストネオコン猶太を西欧文化の友人や支持者として見る方が理に適っているのである。

猶太人の陰謀で残っていることは、今や、外敵からイスラエルの国家を保護することに大きく焦点を当てている。今日猶太の一番主要な敵がイスラムであることは疑う余地が殆どない。それはまた、死を招くイスラム共産主義の組み合わせで、陰謀論者が滅多に議論しない悪魔のような雑種である。実際、イスラム共産主義は、ちっぽけなイスラエルの国家のみならず、西側世界全体に脅威を及ぼしている。最近の巨大な程度の移民は猶太の利害によって組織化されたものではない。かかわった猶太人は大かたが無神論者-共産主義者のようで、言葉通りの意味での猶太人ではなく、従って、猶太人にも非猶太人にも同様に敵である。

明らかに、彼らは少数民族であるけれども、猶太人の中にはトルコ、イラン、シリアでのように國の首脳にまでなった者も居た。これ自体、彼ら全てが悪に仕えたことを意味するのだろうか? これは、彼らがその成功で反感を招いたことを意味するだろうか? 弱くて頻繁に迫害される集団として猶太人は自分たちを守るために、そして困難な状況の下で単に生き残るために賞賛されるに満たない行動をすることを学んだ、と想定する方がもっと論理的ではないだろうか。この通りだとしたら、彼らの振舞いは同じ境遇の他の少数集団と違ったのであろうか? 猶太人は、生き残ろうとする時に道義に反する手段を以て行動する唯一の弱小民族なのだろうか? ありそうもない悲惨な状況に苛まれて不道徳に行動することは、その人間が芯から悪であることを意味しない。高い道徳的立場から他民族のことを非難することは従って近視眼的、吝嗇(狭量)で道理に合わないことである。

そして、滞在国・地方の指導者から、或いは敵意のある偏見を持った隣人から自らが緊急に人道的扱いを受ける必要に迫られれば、法律を変えることで報いてくれる人間や禁制を除いてくれる人間や出世の機会を申し出てくれる人間に、例えばカネを貸すことでその好意を保証するように強いられはすまいか? 些細な不道徳の行動を以て、その人間自身やその人間の属する民族により大きな結果(実り)を確保することは、正当化されまいか? そのような振舞いは普遍的である。全ての種類の集団に於いて、何百となくこの様な例は多数ある。この点に於いて猶太人が特有であることはない。我々は皆こうするのである。

明らかに正常な人間はどのような集団或いは社会内でも悪い人間が潜伏して策謀することを認識する。(道徳的)罪 ―詐欺を、姦淫を、中絶を、そして大量殺人を― 犯す数え切れないカトリック教徒がいる。彼らはそれでも未だカトリック教徒と考えられる。完全にイスラムの経典に反する行いをする多くのイスラム教徒が居る。それらの人間をイスラム教徒でないと考える者はいない。再三悪い猶太人は猶太の長老や社会に破門されて来たが、それでもまだその苗字故に猶太人と考えられるのである。これらすべての状況に於いて、ごく少数の悪いキリスト教徒、イスラム教徒、或いは猶太人は、決してそれぞれのより広範な共同体の適切な代表とは言えない筈である。それは我々を何処に導くこともなく、ただ問題の真実を雲間に隠すだけである。

余りにも多くの反猶太主義の著作家が忘れているように、猶太民族の人々が何千年も通して、滞在地の国家から如何に魔物のような残虐行為に苦しんだか、忘れないで欲しい。猶太人により過去に行われてきたであろう不正な行為が、数え切れない凶悪なポグロム、殺戮、財産没収、追放、裏切り、職業的差別?(bar?)で埋め合わせするよりももっと多いと言うのは、妬みを抱く非猶太人により一部で彼らに為されるものだ。我々は、猶太人をその正当化できる軽蔑や優秀性で非難できるだろうか? 事実の客観的研究から導かれるのは、偏向していない人が少数の猶太家系に与えられた特権はよく、本当に得られたもの(つまり得るべくして得たもの)であると理解する、と言うことである。

「…猶太人は嘗てその希望を挫かれ、ギリシャとローマの継続する大君主の地位に屈服しなければならなかったのである」―R・G・S・ミード

「…『我が闘争』は猶太人に対する侮辱と中傷の不断の列挙である。猶太人は資本主義者であることからボリシェヴィキであることに至るまで、ノルマンの女性に対して無能であることから色情することに至るまで、文化的に取るに足らないことから世界征服の追求者であることに至るまで全てのことで非難されるのである。その告発は矛盾に満ちており、同時に真実であることは不可能である。」―ディネシュ・ドゥスーザ

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 カール・マルクスの短編作品「猶太問題に関して」


皮肉なことにここで著者が挙げる点はカール・マルクスによって完全に実証されている。彼の短編『猶太問題に関して』と言う本に見られるユダヤ教に関する下品な攻撃が全てを明かすのである。放蕩者で事大主義のマルクスは、猶太人が成功した資本家であることを以て公然と非難することでその馬脚を露すのである。彼は不注意にも、実際に、自らやその仲間のような破壊的な似非猶太人が普通のリベラル或いは保守的猶太人以外にいることを確認する。これは、普通の猶太人が存在し、彼らは政治的破壊に与していないことを意味する。マルクスの道徳性に対する憎しみは彼をして勤勉で神を愛する猶太人への悪意ある軽蔑を裏切らしめた。つまり彼の反ユダヤ主義は大半の猶太人が誰にも害にならないことを意味し、彼らの恐るべき敵は今も昔も彼自身のようなルシファー信仰者の似非猶太人であることを明確にした。(詳しくはこちら:https://www.amazon.com/Left-Wing-Anti-Semitism-internal-Jewish-spiritual-ebook/dp/B07DH8PTNR/ref=sr_1_1?keywords=left-wing+anti-semitism&qid=1582408152&s=digital-text&sr=1-1

勿論、我々はそれでも未だ中心的な逆説に対処しなければならない。道徳的猶太人は、陰謀的で殺人的な猶太人と混同できない。それは良いが、何故後者は存在し、何故その悪魔的振舞いとものの見方が存在するのだろうか? 著述家も研究者も誰一人としてこの問題に一貫した洞察を与えてくれない。然しながら、猶太教の秘儀(オカルト)の歴史深く探求すると答が明かされるのである。