文明のアイルランド起源 HPより19(第三部)

第一巻の付録:

フリーメーソンと猶太キリスト教に於けるドルイド教のシンボリズム(記号)第三部

http://www.irishoriginsofcivilization.com/druidic-symbolism-3.html

 

秘教の記号について追加

「そうでもなければ、キリスト教の皇帝テオドシウスが西暦389年の年にナイル川の堤の6000年間にエジプト人が建てた宗教的遺跡を、堅固で破壊できなかった壁や円柱のみを残して、すべてを破壊したときに言い訳出来なかったであろうよ。」
―ギュスターヴ・ル・ボン

 

羊飼いの杖や司教杖はキリスト教で始まったのではない。カトリックの司教たちが持って居た杖は元々異教の太陽神ミトラの僧に共通のものであった。教会はまた、「神父」と言う言葉もミトラの宗派の僧を呼ぶ正式名称から借りて来た。更に、アイルランド語では「聖者」(niamh)と言う言葉は「天国・天界」(eamh)と類似している。(ミトラの宗派について詳しくは付録3をご覧ください。)

 

 

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シンボリズムは古代に西方とオリエントの間に疑いなく通商と接触があったことを示すが、それは学界が今日未だに否定する事実である。左の図はアイルランドで樹木の下から発掘された像で、この像はエジプトの聖像共通である、特徴的に腕を交差させている。右の図は「仏(ほとけ)的」印相を持つ似た像。キリスト教の修道僧はこの種の像を大量に破壊するように手配し、首尾よくやり遂げた。

 

「…著者の(本)「ケルトドルイド」の中で、著者は仏陀Buddhaの崇拝は到る所で見出されることを示した ―ウェールズスコットランドアイルランドで… ウェールズの偉大な神フーHuはブッドワスBuddwasと呼ばれている。そして彼らはその神を勝利の神で、光に起こって空に昇る王、ブッド神God Buddと呼ぶ。」
―ゴドフリー・ヒギンズ「アナカリプシス」

 

インドとの数々の類似と呼応がケルトケルト-イベリアの宗教に見いだされ、それは輪廻の思想、菜食主義、三つの宗派と卍(鍵十字)、それは今日でもバスク地方の農家の扉の印に見られる意匠である。マルセイユにあるボレリー城の美術館Musée Borélyには二つの石の座像があり、偶像と思われるが、元々紀元前二世紀のものとされる…これらの像は頭部がなく学者にはケルト-イベリアの神々と信じられているが、でもそれらは驚くほど、特徴として、蓮の花に座している菩薩像の初期の仏教美術に類似しており、その肩にはバラモンの畦織りが掛かり、頸には首飾りbangleが掛かり上腕と手も仏像の印相(仕草)を彷彿とさせるものである。」
―グルーバーとケルステン著「原初のイエス

 

 

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「猶太の」メノーラ(燭台)紀元1299年のセルベラ聖書の中の挿絵である。この記号は一体どこから来たのか、疑問に思うかもしれない。それは、元々アリアンやドルイドのものであった。それはドルイド教の三つの宗派(学派)(ドルイド、オヴェイト、バード)を表した。多くの他の部族や民族も西方アリアンにより描かれた図式に因んで、彼らの聖職を分割した。

 

 

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ヒエロファントHierophantは、タロットの大アルカナの五番目のアルカナム(カード)である。その外観にも拘らず、この像は三つの学派に分かれたドルイドの僧を暗示する。人物の右手の杖に注目して欲しい。そこには三つの水平な棒がある。人物は三つの十字架のついた法衣を着ている。また彼の冠は三階層になっている。三位一体と三重神triple pantheonは、牡牛座の中のオリオン座の観測と崇拝がその由来なのである。

 

 

アルカナム5の検証 ―ヒエロファント― で明かされるのは、中央の人物、教皇のような入会儀式者が三つの横棒のある杖を手に持って居る。この風変わりで非キリスト教の絵柄はドルイド起源のものである。これはドルイド結社の三つの学派を表す。この五番目のアルカナムは元の太陽教会を遠回しに指している。太陽教会は神聖な知識の世界に広める人々である。その後、キリスト教の布教屋(拡散者)は数字の三をキリスト教教皇の杖や教会や大聖堂の建築物の配置図などに組み入れた。そして勿論、それは天国、煉獄、地獄の教義に、そして崇高な教義にも組み入れたが、それは寧ろ理解し難い神、その子、聖霊であった。三位一体により配置・分割する傾向はそれをドルイドから学んでいたエジプト人の間では非常に明瞭であった。

古代のタロットの組札(そして普通のトランプカードも同様)は古代アイルランドの四つの神聖な宝物が土台である。これら組札の原型である四つの威厳ある宝物はルグLughの杖または槍(太陽の王)、ヌアダの剣(上級王)、マナナン・マク・リルManannan Mac Lirの石(海の神)、およびダグダDagda(全ての父?)の大釜である。

多くの死んだ英雄もこの大釜の中に入り、新しい生命にその場を与えられ、そこからあらゆる種類の死んだ者が復活し得るのである。その大釜は飢饉のときには食料を提供し、占いの目的にも使われたのである。

救世主イエス・キリストの死期の「血」が入っていると信じられている杯、所謂「聖杯」の原型となったのはこの神聖なドルイドの大釜である。勿論我々は死期の救世主の思想同様、盃の思想がドルイド起源であることを理解している。大釜或いは盃に入っているのはイエスの血ではなく、全ての生命の復活を保証するため、自らの命を投げ打ち、自らの血と生命の力を大地に注いだエススEsus或いはイエサIesa、即ち死期の大地の神の血であった。エススEsusは地球であったが、また太陽でもあった。彼は生まれ変わるために死んだ。太陽の王として、彼は勝利の、悪に対する勝利の、そして敵対者との合一化(統合)の偶像であった。

 

 

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「エッセスEsses(Iesa)の襟飾り」を着けたサー・トマス・モア*。アイルランドの三脚巴と蛇の形の「S」の飾りに注目しよう。エジプトの太陽(信仰)僧侶が着用した儀式用装飾品が「エッセン」の胸当てとして暗示的に知られていた。

 

 *ヘンリー八世に重用され、大法官にまで出世したが、離婚を巡るヘンリー八世の諮問に対して正当化できないと答えた為に処刑され、さらし首となった。1935年にカトリックの聖人に列聖された。

 

 

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戦争記章と国の制服のドルイドのオーク(樫)の葉。「無神論者」ソビエト軍士官が襟飾りにオークの葉の文様を着ている。一方、アメリカの騎兵隊士官と兵士の帽子には南北戦争時、交差する団栗(どんぐり)が使用された。オーク(樫)は犠牲の木であった。近代の政府によるこれら古代アイルランドの記号の組み入れは、秘密結社の関わりを迂闊にも表した。

 

 

 

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メリーランド州バルティモアにあるバンクオブアメリカの建物の蜂の巣の意匠。この意匠は、ピラミッドのように、寡頭支配者が愛してやまない秩序立った上下ピラミッド構造の新封建制度であることを示す。この明らかにメーソンの記号を取り囲むのはオーク(樫)の葉と団栗である。それはまた、種子のような意味の女性のシンボルでもあり、極秘の龍の宮廷或いは蛇姉妹と言う、実際には存在しないことになっているシオン修道会の結社を暗示している。(詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-1.html

 

 

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聖書には多くのドルイドの思想が含まれている。聖書の作者は、殆どの人が誤解して信じているようなセム系の猶太人ではなかった。彼らはエジプトから来たアテン信仰者のファラオの子孫であった。そんなことであるから、彼らは自分たち自身の古代の星の思想をそこに編纂し埋め込まざるを得なかった。その後、占星神学の正典の微妙な意味合いや真意に通じていない校訂者が文章のこじつけを行った。物語の中には、創世記のように非常に古く、古代世界を通じて知られていたものもあった。命の木の思想はエジプト、アッシリア、シュメール、バビロニアカルデアフェニキアアイルランドの長老たちに知られていた。ドルイドのアルファベットが13の神聖な樹木を土台にしていると信じる者もいる。(詳しくはこちら:https://www.amazon.com/Trees-Life-Exposing-Holy-Deception-ebook/dp/B007OE2TI6/ref=sr_1_10?s=digital-text&ie=UTF8&qid=1533483326&sr=1-10

 

 

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カドシュ。上から三番目に「承認されたスコットランド典礼」第30階級が見える。それは「聖なる(Kadosh)騎士」階級の称号で知られる。カドシュは特権階級であり、その記号は棒(指揮棒)又は杖である。東方のカドシュはアリアンドルイドの継承者であった。音節Kad又はCadはCaduceus(ヘルメスの杖)の単語に見られ、それは杖とヘルメス、トート、マーキュリーの知識を指す。マーキュリー(オグマ、ニコーNikor、ケルヌンノス、ハーン)はドルイドの卓越した神である。この角のある神の神殿や祠は、キリスト教徒によって破壊されるまでは、ブリテン・フランスその他の地域で数多くあった。実際、カドシュの儀式は四方位、四季、そして太陽が牡羊座からてんびん座の間を通過する七つの段階と関わっている。カドシュの儀式はフェニキアアイルランドペルシャの太陽信仰の入会儀式が土台である。この音節Kad(Cad)はCadmus*やCadmean**の単語にも現れ、それはフェニキア人とその智慧を指す。フェニキア人は元々はブリテン諸島出身である。

*カドモス:竜を退治しテーベ (Thebes) を創建したフェニキアの王子
**カドモスの形容詞形

 

 

ヘブライ語のKedushahは「聖なる」と言う意味である。それはまた、「分かれていること」を暗示し、別部族と考えられていたレヴィ族(13番目の部族)を示唆する。それはまた雌の龍の宮廷をも表わす。KadoshとKedushahの言葉はこの意味で古代の最も強大な女神の一人Qadesh(Qudsha或いはQudshuなどともされる)に遡るものである。彼女はエルの、そしてのちにヤハウェの配偶者である。彼女の名前は「聖なる場所」を意味する。またAsherah(神の創造主)としても知られ、彼女の存在は旧約聖書の経典では軽視された。彼女の崇拝は千年に亘って秘密結社によって行われて来た。彼女の動物記章totemは獅子である。この女神は獅子の背に立っているか、或いは二頭の獅子の間に立っている姿で描かれる。二頭の獅子の印は、今でもローマやロンドンのような世界の大都市で見ることが出来る。威厳のある家や都市の建物にもこの印は現れるが、女神の記号は欠落している。彼女の主なトーテム的記号は(メーソンにより屡々行われる)柱であり、さらにもっと重要なのが命の木であった。彼女の存在は創世記の二つの木と二人の女イヴとリリスLilithの話に於いて、その文章に隠された意味から明らかである。それはまたモーゼと所謂燃える薮(木)の話やモーゼとアーロンがその杖をファラオの前で蛇に振る話、それにエジプト脱出後に荒野で真鍮(青銅)の燭台を掲げた話にも明らかである。(詳しくは次の二つのサイトを:https://www.amazon.com/gp/product/B007OE2TI6/ref=dbs_a_def_rwt_hsch_vapi_tkin_p1_i6
https://unslaved.com/female-illuminati-program/

 

これが真実ならば聖なる騎士Knights Kadosh階級の由来は、女神が関与していればこの階級でメーソンの候補者は、秘密の儀式と古代エジプトの龍の宮廷まで戻る伝統、秘密の王家の王子、つまり最高の階級になる段階に入会するのである。この階級の段階が30であることは重要である。これはその女神の三主徴(三つの面)を暗示する3に係るからである。

 

「神々を『三位一体』に組み分けするのはシリアのもののように他の宗教でははっきりしない。従ってシリアの女神がエジプトの神学に取り入れられるとそれはカデシュKadesh、アスタルテAstarte、アナトAnathの『三位一体』に組み合わされた。」
―ロバート・フェザー著「クムラン(遺跡)の銅製巻物の謎」

 

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騎馬像は西側世界の殆どの主要な町を飾っているが、馬と蛇は象徴的に繋がっている。馬は「nag」として言及される。これは明らかに馬の俗語であり、snagga或いはsnekkaから来た。そして「蛇」を意味するヒンドゥのnagaから来た。射手座の記号はケンタウロス(半馬半人)によって象徴化されるが、それは元々は「龍人」によって象徴化されたものであった。

更に、多くの写真、映画、広告、装飾で見られる黒い馬も秘密結社を表している。ラテン語の「馬」又は「乗馬用の馬steed」を意味するカバラスcaballusには古代の秘密の知識を指すカバラCabalaと高位のオカルト結社の結社員を指すカバルcabalsの二重の意味がある。

秘儀の仲間内では馬と言う言葉は売春婦Whoreの駄洒落に使われ、内輪では女性のイルミナティを指す。(詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-1.html

文明のアイルランド起源 HPより18(第二部・終)

追加の記号の例

言語と伝達の技術に係るマーキュリーの神は元々はオグマOgmaとして知られるアイルランドの神で、アイルランドの至高の女神ブリジットBrigitの息子である。

マーキュリーはヘレニズムのヘルメス神のローマ語訳であり、エジプトのトート神とアイルランドのハーン神が土台であった。トートThothの名前はまた、TutやTautとも訳され、その名前は英語の「真実truth」に近い。

トウトtote(計算する)、教えるtaught、喉throat、話すtalk、思うthoughtなどの言葉はこの神の名前から来た。ハーン(ケルヌンノスCernunnosまたはNikor)は古代ドルイドの森の神であった。ハーンはまたヒンドゥー教のシバ神(パシュパティPashupati)の原型でもあった。オグマOgmaの名はアウマaumaまたは伸ばした音でアウームaumと発音された。これはサンスクリット語の聖なる音素AUMに近い。オグマの称号の一つが「蜜の口the Honey Mouth」であった。この神はまた力の神でもあった。今日に至るまで古代アイルランドのアルファベットはオガムoghamとして知られている。オガムの異形は遠くアメリカやボスニアで発見されているが、その証拠は慎重に隠されている。

 

 

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ドルイドの神聖なオガムアルファベット。
(これについてもっと詳しい情報は、第一巻の第14章、「古代の失われた言語」をご覧ください。)

 

「彼らは主にマーキュリー神を崇拝した。この神を表すには多くの記号が存在し、彼らはこの神を全ての技術の発明者、旅の案内者、売り出しや商業に大きな力を持つ存在と見做していた。この神の次に彼らが崇拝したのはアポロ神、マーズ神、ジュピター神、ミネルヴァ神であった。これらの神については彼らの信仰は他の民族とほぼ同じものであった。アポロは病気を癒し、ミネルヴァは産業の要素と技術を教え、ジュピターは天界を治め、マーズは戦争を指揮する…全てのゴール人Gaulsは彼らがその始祖ディスパテルDispaterの子孫であると主張する。」
ユリウス・カエサル著「アイルランドドルイドの宗教について:de Bell. Gall. Vi. 17,18より」

 

カバラ

ユダヤカバラは、カルデア人の秘密教義の歪曲した反響音(エコー)に過ぎない」
―H・P・ブラヴァツキー

 

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神聖なアルファベットは神聖な樹の崇拝と共にオリエントに達し、その改作後、アルファベットはフェニキアヘブライの文書の土台となった。ヘブライゲール人と関係があり、「失われた」エジプトのアルファベットである。それには22の文字と5つの母音がある。これらの文字の魔法の操作に関する秘密は古代の秘儀の学寮(学校)に送られた。今日、これらの22の文字は22のカバラの命の木の道を表すことが発見された。カバラとそれに関連する修養は古代イスラエル人からではなくドルイドから来るのである。この異教の(木の)像を利用し、精神的且つ霊魂の啓発の旅を樹木の道或いは枝に似せたのは彼らなのであった。この記号の起源は今日それを認められている民族ではない。猶太のラビや学者の最高位の者は、カバラに関する自分たち自身の疑問を、そしてなぜそれが彼らラビの正典の一部であるかを巧妙に隠したのである。彼らはそれを自分たちの手柄にし、理解しているふりをするが、その起源やどのようにして彼らのものになったかを知らない。それは彼らのエジプトのアテン神の太陽信仰カルトとの関わりからそうなったのである。

多くのエジプトの慣用句や教えのようにカバラは連繋(交流)で吸収された。それは旧約聖書の猶太の創作ではない。研究者キエラン・バリーKieran Barry*(彼はアイルランド人やドルイドに関わっていないけれども)は、カバラが猶太人に知れる以前にギリシャ人が知っていたことを示す言い逃れようのない証拠を提供している。彼が気付いていないのは、それが、ドルイドの秘儀の伝統を土台にした錬金術師自身の仲間を経てギリシャに来たことである。
*Kieren Barry(恐らく綴り間違い)はギリシャカバラ(The Greek Kabala)の著者。

この分野の近代の全ての研究者の中で、命の樹木と聖なるアルファベットであるカバラアイルランド起源に関してここに掲げた真実を理解していたのは、ロバート・グレーブス、ゴドフリー・ヒギンズ、アルバート・チャーチウォード、そして偉大なジェラルド・マッセイであった。

生きた有機的命の木の像は、レヴィ族の伝統からは引き出せない異教の象徴であった。

それは最も古い古代コーカシア部族の思想であったし、スカンジナビアヴァイキングの伝統にイグドラシルYggdrasilとして現れる、その根を冥界に持ち、その枝を天界に伸ばし、我々がチャクラの組織に見出すのと似たような方法で主な七段階で区切られた宇宙の樹木であった。イグドラシルの周りで、蛇 ―もう一つの記号でアイルランド人とエジプト人によって大きく用いられる― がとぐろを巻くのであった。(詳しくはこちらhttp://www.irishoriginsofcivilization.com/cult-of-mithras.html

「…われわれはより多くのこの歴史の特異な姿がエジプトには存在したことがわかる ―生命と知識の樹、天国の蛇、自分自身に神性を与えるイヴ、そして要するにアダム自身、がすべて居た。」
―M・レフェベールLefébure

 

カバラの聖域に入り込み、あまりに論理的、単純、と同時に絶対である教義を理解すれば尊敬の念で満たされるであろう。考えと記号の必然の統合、最も基本的な現実の原始的文字による神聖化、言葉、文字、数字の三位一体、アルファベットのように単純な哲学、言葉のように深遠で無限、ピタゴラスのものよりも完璧で明快な理論、指で数えて合計できる神学、幼児の手で作る中空に収まる無限、10の暗号と22の文字、三角形、正方形と円 ―これらはすべてカバラの要素である。これらは書き言葉の基本原則であり、世界を創造した話し言葉の反映なのである。」
アルバート・パイク著「道徳と教義」

 

天使の名とイスラエルの名に於いて、熟達した学者ローガン・ミッチェルは次の様に書いた。

「…博識な批評家がガブリエル・ウリエル・ラファエル・ミカエル・サタンなどのような聖書の天使の名前は純粋に古代カルデアペルシャのものであることを示している!そしてこれはエルサレムのタルムードで確認されて居り、猶太人はバビロニアから天使の名前を借りて来たことを公然と言っている。イスラエルの名前ですら、フィロ・ジュダエスがローマへの派遣使節で皇帝カリグラに余すところなく説明するように、ヘブライではなくカルデアの言葉である、と。」
―「星座に於ける宗教・明かされる神話(1881年)」

 

3と言う数字

プトレマイオス朝の最も驚くべき重要な出来事の一つは、マケドニアギリシャ人による支配国家の国家宗教としての、エジプトのオシリス三位一体宗派の確立であり、その結果としてイシスの宗派は地中海世界の隅々まで広がり、その時代の最も一般的宗教になった事である。イシス・オシリス・ホルスの宗派はローマにも伝えられ、そこでキリストの時代までにローマ人の、特にローマ兵の最も一般的な宗教的信仰となった。」
―R・A・ガブリエル著「エジプト人エス

 

数字の三は、無知と知識、愚昧と智慧などのような二極対立の間で調和の中間点を示すため、シャーマンの伝統に於いては最高に重要であった。三は調和の仲介者を表した。ドルイドは自然がそのような煩わしい二分法で成り立つものでないことを理解したが、人の心は確実に(二分法を)持って居た。二元性は意識の現象であり、自然のものではなく、断片化した魂ですら誤ってその欺瞞性を投影するが、その後、その通りだと(二元性を)信じるようになる。

「…猶太の、カルデアの、ヒンドゥーの、そしてキリスト教徒の神のようにこのドルイドの神は神自身の裡に三つの属性を持って居り、そのそれぞれの属性は(唯一神ではない)神なのであった。」
―W・ウィンウッド・リーデ

 

ウェールズ語で三と言う言葉はtriであり、サンスクリットでも同じである。アイルランドゲール語の三位一体はTriquetraで、それはサンスクリットのTrikutaに類似しており、「三つの頂点」を意味する。エジプトでは三つの頂点或いは三つの山を描いたヒエログリフは「異国人」或いは遠い国からの旅人を指す。

ドルイドアイルランドは意識の半球によって分割された。四つの主要な領域があり、一つの管理的中心が第五の神聖な領域を造った。この領域はマイドMide(又はミースMeath)と呼ばれ、それは中間の場所を意味した。首都タラはそこにあり、同様に偉大な天文学の巨石(Newgrange、Knowth、Dowth、などの印象的地占いの場所)もそこにあった。エジプトの均衡と調和の至高の女神はマアトMa’atと呼ばれ、この言葉はゲール語が起源である。マアトは偉大な母で、ダヌDanuやブリジットBrigitと同じ範疇である。その名前が意味するところは「真っすぐ」、「真実」、「正義」であった。マアトを描くヒエログリフもまた数学的公式の二分の一(一割る二)を指すものであった。

メイジャイMagi(東方の三博士)の力は彼らの「第三の原理」の理解とその属性の適用に存した。ドルイドの三位一体の第三の面であるイエサIesaは、彼らの最も崇拝する神であった。イエサIesaはイエスの原型であり、破壊と再生の主、ヒンドゥーのシバ神とも繋がりがあるともされた。この第三の原理は聖霊としてキリスト教正典に登場し、その記号は鳩である。

「…彼ら全体のうち、特に三つの階級、バードBards、オヴェイトOvates、ドルイドDruidsが顕著に崇拝された。バードは詠唱者*(聖歌隊)と詩人である。オヴェイトは…「生理学者」である。ドルイドは、生理学のほかに倫理哲学を実践する。彼らは最も高潔と見做され、その結果、ある場合など、彼らが戦争に関して、戦闘開始の前夜に軍を止める決定をする程に、公的にも個人的にも、論争を戦わせたのであった。彼らは魂の不滅を説き、世界もまた不滅と。しかし究極は火と水が勝利するだろう、と説いた。」
*吟遊詩人?
―ストラボ(一世紀ギリシャの歴史家・地理学者)

 

我々は秘教のカバラの教義を通して、三と言うことの原型を見出すが、それは元々はドルイドの教えを土台にしたものであった。ドルイドの学寮は三者の分科を用いた。ドルイドの結社そのものが三つの部分に分けられていた。そしてドルイドの三位一体(ベルBel、タラニスTaranis、エススEsus)も勿論、他のすべてが土台にしていた原型であった。

古代エジプトの宗教はその早い時期から神々を三つの集団、「三主徴」に配する自然な傾向を示した。オシリス-イシス-ホルスの類型に従い、三主徴は後には、父-母-子の「家族の」形をとり、いくつかの都市ではその主題の都市自体の特有な変形を崇拝した。」
―ニコラス・リーヴス

 

ヘブライの神学は三つの明確な部分に分割されていた。第一は律法、第二は律法の魂、第三は律法の魂の魂であった。律法はイスラエルのすべての子供に教えられた。ミシュナ、つまり律法の魂はラビと先生に明かされた。しかしカバラQabalah、つまり律法の魂の魂はずる賢く隠され、猶太の中で一番高位の結社員にだけその秘密の原理に於いて指導された。」
―マンリー・パーマー・ホールManly Palmer Hall著「全時代の秘密の教え」

 

ドルイドのその三位一体は彼らの天界の観測と崇拝を土台にしていた。彼らの三人の神はオリオンのベルトの三つの星の人格化されたものであった。オリオンの星座は最も早い時代から時代を通じて尊崇されて来たのであった。

 ※これで第二部が終わりです。次回より第三部です。ご期待ください。

文明のアイルランド起源 HPより17

ヒラム・アビフ:寡婦の息子

ヒラムは「寡婦の息子」と言われた。この逸話は天界を指す。この場合、ヒラムは太陽であり、寡婦、つまりその母は、アプト、タウルト、ヌイト、イシス、ヴィーナスなどとして知られる天界の至高の女神であろう。更に、「寡婦」と言う言葉はアイルランドの女神エリを指すとも言える。単に、最も初期の女神を指す奥義の隠喩である。

ヒラムは歴代誌にはダン族の娘たちの一人の女性*にできた息子として記述される。キリスト教徒はこれを古代イスラエルのダン族を指すと考えるようにされてしまっている。しかし、我々はこの言葉に何かそれ以上のものがあるのでは、と疑問を持ってもよい。付け加えて、ダン族が蛇を家系の印として持って居ることに何か重要性はないのか? 著者は実際そこに、ドルイド教とのかかわりの根拠があると思う。所謂イスラエルの12部族の名前がアイルランドの名前であるだけでなく、その部族の様々な記章がドルイド教に由来することもある。語根dan(そしてそれに関係するdon、dona、adon、dunなどの語根)は例えば世界中で見出すことが出来る。特に「ケルト人」がよく出入りする地域に明らかである。それはDanu、つまり有史以前のアイルランドの神で知られているもっとも顕著な女神の一人に由来する。その名はアヌAnu或いはアナAnaも指す。この形でこの名前はバビロニアやシュメールにも現れるのである。この名前は天界を暗示する。これが蛇がダン族の印である理由の一つである。蛇は黄道ではりゅう座Dracoである。りゅう座は比喩的に、古代の占星術師には最も神聖と考えられた北限の星々を守る。この偉大な宇宙の蛇は、しかしながら、女性の記号であった。女性の女神を描くエジプトのヒエログリフは蛇 ―「魔法の婦人」の称号を持つコブラである。これを考慮すると、古代イスラエル人として言及されるダン族は、実際には占星術師、即ちアリアンであったことに疑う余地は非常に小さい。
*原文:the son of a woman of the daughters of Dan 日本語訳聖書では、「ダンの娘たちのうちのひとりの女から生まれた者」

ヒラムは偉大なフェニキアの街ティルスで認められたと言われる。然しこの町はアイルランド語の名前を持つ。ティルスTyreとタラTaraはどちらもエリEriの名前から出来た。しかも、上述のように、エリの名はアイルランドの名前の起源であった。エリはギリシャではヘラHeraである。この名も今でもterraやterrestialのような名前に大地を表す言葉に名残をとどめている。

 

ヒラムとオシリス

オシリスは混沌の中から生まれ、その誕生の時、「地上のすべての支配者が生まれた」― と宣言する声が聞こえた… オシリスは世界中を旅し、その住民を文明化し、農業の技術を教えた。しかしエジプトに戻った彼に嫉妬したテュポンTyphonは策略をめぐらし、晩餐のさ中に丁度彼の身体が入る箱に彼を閉じ込めた。彼は監獄に繋がれ、それはナイル川に投げ入れられ、海まで流された。」
―W・ウィンウッド・リーデ*著「イシスの仮面・ドルイドの謎(1861年)」
*William Winwood Reade

 

ヒラムはオシリスとも関係して来た。これら二人の人物の伝説の比較で多くの類似点が明かされる。

・どちらも外国に行き、その知識、技術、科学を分け与えた。

・どちらの伝説でも貴重な持ち物がある:ヒラムには秘密の言葉が、オシリスには王国があった。

・どちらの伝説にも悪の人間によるその貴重な持ち物を奪うための邪悪な策謀がある。

・どちらの伝説にも徳のある指導者の争いと殺人がある。

・どちらも兄弟に殺される(オシリスはテュポンに、ヒラムはジュベラム、彼のメーソン仲間(兄弟)に)

・どちらの遺体もあとで丁寧な埋葬を意図した、慌てた埋葬がされる。

・遺体の場所の目印として頭部にアカシアが使われる。

・どちらの伝説も二つの異なる遺体の捜索がある。

・どちらの伝説にも貴重な何かの喪失がある:ヒラムの死は秘密の言葉の喪失、オシリスの死は男根の喪失がある。

・どちらにも喪失した貴重なものの代用物がある。ヒラムに関しては秘密の言葉に代わる言葉、オシリスに関しては男根の代用物である。

オシリスと言う名前はエジプトのオーサレスAusaresが由来であり、それはさらに正確にはAsari或いはAs Ariから来ている。この場合、全て重要な音素ariがアリアンを表している。この音節はノルマン語で「神々」を意味する(Aesir、Asa、Asgardなど)。Asariと言う名は従って「アリアンの神」を意味する。オシリス信仰(アメン信仰の神で、冥界の神)は著者が信じるところでは西方から有史以前の時代にエジプトに転移した(伝えられた)。オシリスアイルランドの肥沃の神々の類似性は(そうでなければ)不自然である。

 

オシリスの名前、Asar、Asariをギザで見出すだけで充分である。同じ名前をフェニキアでMovers(Franz Karl Movers:ドイツの神学者)が見つけた。」
―サミュエル・F・ダンロップ*著「ヘブロンの異教徒たちThe Ghebers of Hebron」
*原文にはSamuel F. Dunlopとあるが、恐らくSamuel F. Dunlapの間違い。1898年発行。

 

語根As、Asa、Ash、Azarなどは神を指し、ジェホヴァJehovaの配偶者の名前Asheraにも見出される(そしてそれは単にBelの配偶者Astarteの異形である)。Asheraは旧約聖書の初期のもう一つの姿でアブラハムの妻、サラとして登場し、エジプトに到着後は名前が明かされていないファラオに嫁いだ。語根はアッシリアの火星の名前、Azarの名前に見いだされる。それはアッシリアの地名に見出せる。Syria、Ash、同様に古代猶太のリブナLibnahとアスドッドAsdodの間に存在したと信じられているAsanに見いだされる。それは、古代ペリシテの國、カルKaruの肥沃な森林地方であるアスカロンAskalonに見いだされる。

 

 

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多くのメーソンの前掛け、装飾帯、旗に見られる有名な棺桶の図柄はヒラム・アビフを指す。メーソンの伝説ではヒラムと共に棺に納められたのはソロモンの神殿の親鍵であった。棺の思想は明らかにオシリスの神話から引き出されている。

 

 

ヒラム、ヘルメス、ハーン

既に述べたようにヒラムは何かしらの長、親方であった。彼の名前を深く調べると彼が何の親方であったかが明るみに出る。

殆どの古代の書物(エジプト、ヘブライギリシャのような書物)に於いては母音が欠落していることから、ヒラムはHRMとすることが出来、それは再構成するとHERMESに変えることが出来る。

我々は、ヒラムがヘルメスの長 ―つまり錬金術師の親方であったと理解できる。

重要なことは、ヘルメスの名前はアイルランドのハーンになって跳ね返ってくる。ケルヌンノスやニコーNikor、グリーンマンとしても知られるハーンは鹿の角を持った古代アリアンの森の神である。この神は(オルフェウスやクリシュナのように)森の動物の中で穏やかに座って描かれているのが見られる。ハーンは片方の手に飾り輪を持ち、もう一方の手には蛇を持って居る。(上述のように、蛇はヒラム・アビフの話の中で顕著に大役をしている。)

飾り輪と蛇の図柄は数字の10を暗示し、今では十tenとして知られる。

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ギリシャ文字Hermesを合計すると数字の343が得られ、それは(足せば)10になる。ヒラムの名前が数字の10の秘密を暗示するならば、「父」、「親方」を意味するアビフは、単に数字の10が「父の数字」と考えられることを示唆する。実際、古代エジプトギリシャアイルランドの建築家や幾何学者はその数を珍重したのである。十は最も神聖な数であった。

(アトゥン・ラーAtum Raのような)原始の神々と(アダムのような)原型の人物は秘儀的に数字の十が関連していた。イングランドの数秘学ではATUMの文字(1,2,3,4)は合計すると10になる。

これはアダムの名前の文字ADAM(1,4,1,4)も同じである。人類の手は比喩的に1414 ―つまり一本の親指と他の四本の指がそれぞれの手にあり― を示し、故に1414(つまり10)である。故に、数秘学的証左は全ての人類が「アダム」であると宣言している。

「ヒラムの鍵The Hiram Key」と題されたメーソンの本では、著者のクリストファー・ナイトKnightとロバート・ローマスLomasがヒラム・アビフがエジプト第17王朝のファラオ・セケンエンラー・タア二世であったと議論する。(このファラオについて更に詳しくはこちら:http://en.wikipedia.org/wiki/Tao_II_the_Brave

 

 

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ジャック・ド・モレーJaques de Molay。14世紀のフランス・テンプル騎士団の団長である。伝えられるところでは、彼は異端者として王フィリップ四世に非難されたとなっている。殆どのテンプル騎士団の貴族のように彼もイングランドを訪れ、恐らくアイルランド出身のカルデアンCuldeanの修道僧から教育を受けた。メーソンの伝承が伝えるところでは、彼は「ヒラム・アビフ」の称号を持って居り、それは、ヒラム・アビフが(ダビデやソロモンなどと同じく)実際には称号であって個人の名前ではなかったという著者の議論に信用を貸してくれるものである。(テンプル騎士団について詳しくはこちら:http://www.femaleilluminati.com/article-2.html

 

 

文明のアイルランド起源 HPより16

ヒラム・アビフ(ソロモンの神殿の建設者)

ドルイド教自体は古代ブリテンでは「Y Maen」―石の宗教、或いは「石の王国」として知られていた。ここで思い出してほしいのはシオンZionも「石」を意味し、シオン山は「石の山」を意味することである。」
フレデリック・ハベルマン*
*フレデリック・ハーバーマン(Frederick Haberman(born Frederick Habermann)1881~1944)ドイツ生まれ、カナダ、アメリカの歴史家、神学者、講師、出版社。最初期の「基督教本性論者」の一人。基督教本性論(Christian Identity)とは、キリスト教が元々からゲルマン、アングロサクソンケルト、ノルマン、アーリア人の信仰であり、その血統の人々こそがアブラハムヤコブ・イサクの末裔、従って古代イスラエル人であると言う解釈をとる説。

 

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上述したように、キリスト教の経典にはドルイド教の中心思想がいっぱい詰まっているのである。そのような文書が「神聖」であるならそれは、古代の高貴な先住民に帰属する剽窃された要素なのである。

当然のことながら、ドルイド教の記号の思想がどのように切り取られ、最後にキリスト教の教義に組み入れられたかを研究することなしには、誰もが著者の猶太キリスト教の闇の起源とメーソンについての理論を誤解することは確実である。然しながら著者の意見では記号はその話を伝えることとこれ等の完全に堕落した制度の裏切りの程度を暴露することのために役に立つのである。

 

ヒラム・アビフとして引用される有名な旧約聖書の登場人物は、ドルイド教の思想の一つに係る。彼はフリーメーソンで突出した役割を果たし、猶太人、キリスト教徒、メーソンに彼らの最も輝かしい精神的祖先として受け容れられていた。彼はソロモンの神殿の建設者と言うことになっている。

 

「所謂ドルイド教の遺跡とくれば、この秘儀の一義的地位に関してここからはどのような論議も引き出せない。何故ならそれらはほぼ世界中に見られるからである。」
―ジェームス・ボンウィック著「アイルランドドルイドと古代アイルランドの宗教(1894年)」

 

「ニューグレンジ遺跡(アイルランド)は未だ機能している世界で最も古い科学的器具である。それはストーンヘンジやピラミッドに先立つもので、世界で最も古代の遺跡の一つとして位置づけられる。それは我々自身の科学的器具が塵と化してしまった時でも未だ機能し続けるであろう可能性は極めて高い。」
―マーティン・ブレナン著「ニューグランジ古墳についての講義」

 

「我々が明瞭な知識を持つヨーロッパの西方、ケルトの領域に最も早く住み着いた人々は、その名前も解明された歴史もない人種であるが、未だ非常に多数存在する彼らの古墳のような遺跡から、我々はその人種について多くを学ぶことが出来る。彼らは所謂巨石文化民族(Megalithic People:ギリシャ語の大きいを意味するMega、と石を意味するlithoから)であり、フランス一国だけでも優に三千を超える数のドルメン、クロムレック(環状列石)、石室付き古墳を築き遺した。ドルメンはスカンジナビアから南、ヨーロッパの西側を経てジブラルタル海峡に至るまで、そしてスペインの地中海沿岸一帯で発見されている。それはまた、地中海西側の島々でもあり、ギリシャでも発見されるが、その中で、ミケーネでは古代のドルメンが、壮大な「アトレウスの宝庫」墳墓群の脇に、今でも遺っている。大雑把に、ローヌ川河口から北へヴァランガーフィヨルドまで線を引くと、地中海の少数の例外を除き、全てのドルメンはこの線より西に存在すると言える。それより東ではアジア(近東)に至るまで全くない。しかし、ジブラルタル海峡を横切って北アフリカの沿岸に沿って見られ、そこから更にアラビア、インド、果ては日本に至る東方にまで見られる。」
―T・W・ロールストン著「ケルト民族の神話と伝説(1911年)」

 

勿論著者はそのような神殿の存在したことを、少なくともそれが旧約聖書で語られているような形では(しなかっただろうと)疑っている。著者はどちらかと言うとその神殿がギザの大ピラミッドであったと推測する研究者に同意する。しかし著者は、「ソロモン」と言う言葉が、モーゼ、アーロン、ダビデヨシュア、イエスのように、太陽崇拝の僧侶の最高位の称号であったこと、それが何人かの個人に授けられたことを強調しておく。それは、物理的な太陽と、霊的な悟りの両方を表す。それは高い技術を極めた人々を表した。

占星神学的に言えば所謂「ソロモンの神殿」は単に黄道のことであり、「多くの館」のある場所であった。著者は神話拡散者が黄道を表すのに多くの隠語を使用したと信じている。ここに天国の神殿を指すものとして使われた言葉を挙げてみる。

Abode of the Most High 至高者の住まい

Mount of Glory 栄光の山

Tabernacle 天幕

City of David ダビデの街

New Jerusalem 新エルサレム

Gates 門

Nazareth ナザレ

Celestial City 天国(天界)の街

Bethlehem ベツレヘム

Throne of the Elect 選民の王座

Hall of Judges 審判者の会堂

Mount Zion シオン山

Kingdom of God 神の王国

Seat of Judgment 審判の席

Tent of God 神の幕屋

Wilderness 荒野

Flocks by Night 夜の集い

Bottomless Pit 底なし孔

Aeons / Ages イオン/エーゲ

Heaven or Hell 天国か地獄

Seasons 季節

Grotto 洞穴

Mansions 館

Oracle 神託

Citadel 砦

Tomb 墓

Seven Churches 七つの教会

Labyrinth 迷宮

Mount of Olives 橄欖山

 

 

「もしもその神殿がそんなにも壮大でそんなにも富を持っていたものなら、何故ヘロドトスはそこに行かなかった? 何故知識を追求していたアレクサンダー大王がその地域にいたときに訪れ、掠奪すらしなかったのか?」
―エルンスト・ブーゼンバーク著「記号・性・星座」

 

明かに、ヒラムと言うのは太陽であり、それ自体人物ではなかった。著者はこの名前が、その神殿が黄道であった占星術師と天文学者の長の称号として使われたものである可能性が最も高いと信じている。地上の祠や神殿が地理的にそして幾何学的に様々な星座や黄道の恒星を土台としていることからして、ソロモンの神殿が人類の頭上を取り囲む神が住んでいる宇宙の神殿と仮定してもそんなにかけ離れた突飛な話ではないであろう。

ヒラムの生と死の物語に見られる要素から、我々は、その話の性質が大方、占星神学的であることを信じるに至るのである。

 

「…我々が話し、説教する出来事全体が、そして、我々が福音書と呼ぶそれが、これまでに存在した人間のことも実際に地上で起こったことも全く指しておらず、それは天文学的な出来事なのである。」
ロバート・テイラー牧師著「悪魔の説教」

 

「…黄泉の國の死人と地上の死すべきもの両方に現れた、天国の王、創造の君子、東の空の太陽の彼、唯一の真のヘリオス(太陽神)は、天国で一番高い峰より我々のために起きる」
―サルディスのメリトンMelito of Sardis(二世紀の神学者

 

ヒラム・アビフと言う名前には興味深い言語学的起源がある。アビフAbiffは「主」「父」「年長」と言う意味のAbiから導き出せる。換言すれば、想定される人物が何かのmaster(主君、主人、師匠)であるということである。

フィリップ・ガードナーによると、ヒラムHiramは、「頭」或いは「高貴な」を意味するHirと「人民」を意味するAmから導き出せる可能性がある。この場合、この名前はアブラハムと似た意味合いになる。つまりアブラハムは「人民の父で長」を意味するAb Hir Amになるのである。または、アブラハムは「蛇の長」或いは「高貴な蛇」を意味するAhi Ramからも導き出すことが出来る。この場合、その名は「龍の長」を意味するPendragonと似た意味合いになるのである。

「ヒラム」が聖書の拡散者によって遠回しにドルイド、いやもっと詳(つまび)らかに言えば彼らの最も位の高い僧、建物、航海、天文、言語、魔法の大棟梁を指すのに使われた証拠がある。ヒラムが「フェニキア」の人種であったことが歴史家やメーソンの作家によって認識されている。そして、フェニキア人(もっと正確にはアルカディア人)はブリテンの島々から来た高僧であるから、高僧ヒラムは存在したとすると、アリアンの一人であったと言うことになる。それはもっと正確に言うと、「ヒラム・アビ」はアリアン又はドルイドの首領を指すまた別の称号であったことを示唆する。エジプトを埋める壮麗な神殿の多くがアメン信仰者に建てられたことから、我々は確実に、人々やその指導者の中で建築の棟梁が最も深い畏れと尊崇を集めていたことを結論付けることが出来る。

ドルイドは、一人の神の存在を教えた。その神に彼らは「ベアルBe’al」と言う名を与え、それはケルトの古文書が伝えるところでは「万物の命」或いは「全ての存在の源泉」を意味し、それはフェニキアバール神と密接な関係にあると思われる。この類似性がより際立つのはフェニキア人と同様にドルイドもこの神を自分たちの最高神で太陽と同一視していたことである。」
―トーマス・ブルフィンチ著「ブルフィンチの神話:第16章」

 

ドルイドはまた高い場所をも持って居た。それは丘の頂上の大きな石又は石積みであった。これらはケアンズCairnsと呼ばれ、太陽の象徴の下で神の参拝に用いられた。」
―同上

 

「…ローマの作家は『彼らは自然の秩序や法則によく注意を払っており、それを調査し、その受け持ちの若者に星とその動き、世界と陸地の大きさについて多くのこと、そして不死身の神々の権勢と力について教えていた。』と認識する。」
―同上

 

「…ドルイドの最も古い遺跡に於いて、環状列石があり、第12番目の、円の中の記号 ―黄道の円の記号、丸屋根の代わりの天のせりもち(アーチ)で、実際、天の分割は多種多様な方法で区分けされた。」
―ゴドフリー・ヒギンズ著「アナカリプシス」

 

ケルトは丘の頂上に付け柱を設置したが、それらの多くは今でも見ることが出来る。柱は太陽神バールBal又はベルBelに捧げられ、ウェールズのフーHu又はフアンHuanと同じもので、アエドゥAedhとも同じである… 多くの真っすぐ立てらえた石、柱と切れ目のない石がインドに見られる… 石を持って来ることは、屡々遠距離から、ヒマラヤからのこともあり、その偉大な神聖さに疑いの余地はない… 石は通常粗く切り出され、それはウェールズコーンウォールの原っぱによく立っているものと同じようなものである。」
―ドロシア・チャプリンDorothea Chaplin著「もの・伝説・魂-ケルトヒンドゥーの繋がりMatter, myth, and spirit : or, Keltic and Hindu links」

 

「聖書に於いては男根の偶像、像、信仰が繰り返し言及されるが、それらは余りにも徹底的にその解釈で隠されているので平均的な読者にはそれが指すところの信仰や実践の理解を全く授けてくれない。そこで語られる多くの民族や場所の名前はまた男根の重要性をも有しているが、それは標準的な聖書の用語索引では明かされないのである。」
―エルンスト・ブーゼンバーク著「記号・性・星座」

 

要するに、ヒラムが存在したとすると、彼は確実に次のうちの何れかであったと推量する。

フェニキア
スキタイ人
カルデア人
ペルシャのメイジャイ(Magi)(ゾロアスター教の僧侶)
ドルイド(教の僧侶)

どの場合にせよ、(この著者の研究や過去15年の他の研究者の研究から)ヒラムの祖先はアイルランド人であったことになろう。彼はアリアンの一人で幾何学、土占い(geomancy)、天文学、神殿の設計、などの秘密を知っていた蛇の兄弟の構成員の一人であった。実際、聖書は、その特徴的な隠す態度で、そうであることを我々に知らせている。歴代志2(2:2~14)はヒラムがダン族の一人であったことを伝える。この部族の記章は蛇である。著述家バーバラ・ウォーカー*はダン族の西方起源を次の様に強調する。
*(Barbara G. Walker 1930~)は、米国の作家、フェミニスト。彼女は新石器時代の原インド・ヨーロッパ人(Pre-Indo-European)社会に母権社会(matriarchy)が存在していたと信じており、ネオペイガニズム(新土着信仰)の観点からの、宗教、神話、文化人類学霊性に関する著作を残している。 彼女はこれら新石器時代の母権社会について論ずる際、しばしば地母神のイメージを持ち出す。彼女の最も重要な著作は1983年に著した『失われた女神たちの復権(The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets)』である。

 

旧約聖書の作者達はダン族が好きではなく、彼らを蛇と呼んだ(創世記49:17)。にも拘らず、フェニキアの預言の神ダニエルDani-Elを採用し、彼をヘブライの予言者に仕立て上げた。彼の不思議な力は、ダン族が女神ダナやその聖なる蛇から発する力の様である… ダニエルは人の名前ではなく、ケルト人のそれのように称号であった。」
―バーバラ・ウォーカー著「失われた女神たちの復権

 

彼女の意見の重要点は「グノーシス:明かされるソロモンの神殿の秘密」の著者フィリップ・ガーディナーにより強化される。ガーディナーはヒラムとアイルランド人(アリアン)の繋がりについての好奇心をそそる事実を紹介している。最も興味をそそられる言及は、ヒラムと蛇の記号に係るものである。蛇は古代の龍の宮廷やアイルランドドルイド(アッダー、ナッドレッド、ペンドラゴン)の記号であった。それはまた、智慧と王家の普遍的記号の役割も果たしていた。

 

「ヒラムと蛇の間の実際の繋がりはもっとある。例えば、先に我々は彼がナフタリの部族であることに注目した。猶太の伝統によるとナフタリの部族の軍旗は蛇又はバジリスク(大蛇)で、これはエジプトの起源から来た可能性がある。何故なら猶太の伝説ではナフタリはヨセフの兄弟で、その家族をファラオに紹介するために選ばれた、と言う記述があるからである。」
―フィリップ・ガーディナー著「グノーシス:明かされるソロモンの神殿の秘密」

 

「…ヒラムはダン族の息子と言われ、ダン族にも記章があり、それは驚くことにやはり蛇であった。この時は、馬を伴って。」
―同上

 

「ラビの教えによると神殿の組み立ては石を切ることが出来る巨大なワーム或いは蛇であるシャミルShamirによって実施された(ワーム*はこの場合蛇を意味する)。ヴァルハラとカメロットが龍の炎で建てられたとする北欧やケルトの信仰、支那では蛇のエネルギーの助力で建てられたとするもの、とそんなに違わない。」
*ワーム(Worm)は元来、細長い脚のない生き物、と言う意味。
―同上

 

 

文明のアイルランド起源 HPより15

芸術家が明かしてくれるもの

 

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洗礼なるものは所謂「猶太人」には知られて居なかった。しかしそれは、アメン信仰者、ドルイド、その他の古代の達人には知られていた。神聖なる川で身を洗う、或いは浸すことは、女神の伝統に関連があり、女性の入会の儀式であった。例えば、ゼウスの配偶者でギリシャの至高の女神であるヘラHeraは、自身の純血と神の「処女性」を回復するために毎年川で水浴びをした。

画家は、鳩、川、樹木を描く。右側には三人の人物が立っている。3と言う数字はドルイドを表す。画家は殆どのキリスト教徒が(以前の)異教について知って居るべきでないことを知っていた。川はエリダヌスの星座を表した可能性がある。又は、双子座と射手座の間を流れる銀河であったかもしれない。その場合、イエスヨハネは双子座の「双子」を表す者であろう。

 

「水路で洗う(浄める)ことを通して異教徒が何か悪名高きイシス又はミトラの ―何か神聖な儀式を伝授すること。神々自身も同様に洗う(浄める)ことを讃えるのである。」
―テルトゥリアヌス著「洗礼について」

 

「祓えの水の使用はバビロニアアッシリア、エジプト、ギリシャ、ローマその他に見られる」
カトリック百科事典(洗礼の項)

 

「…ファラオ時代の全ての宗教的儀式はそれが、神々であろうと、死んだ貴族であろうと、生きている王であろうと、それに代わって執り行うことは、何かお祓い(浄め)の儀式行為で始められた。」
―リチャード・A・ガブリエル著「祖先の神々Gods of the Fathers」

 

 

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タロットの大アルカナから二枚のカード。左のカードは射手座の印を示し、右側は水瓶座である。それぞれの絵で人物は一つの足を地面に、もう一方を水中にしている(これを上図の絵のキリストの像と比べて見よう)。この図は左が射手座で右が水瓶座を表す。前者は蠍座の水の印の後で山羊座の地の印の前に来る。後者は山羊座の地の印の後で魚座の水の印の前に来る。画家は、言葉の隠れた意味合いで二つの印の占星術上の立場を特異なやり方で示している。換言すると、これらの図は、神秘の伝統の会員にだけ認識可能なオカルトの事実で組み合わされているのである。そしてそういう状況は、猶太キリスト教の聖像や経典でも違いはないのである。

 

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サンドロ・ボッティチェリの「マドンナ」。幼いバプテスマのヨハネが鑑賞者を見つめている様子に注目して欲しい。彼の両腕は暗示的にその胸で交差し、エジプトの神々やファラオの姿勢になっている。これはバプテスマのヨハネが洗礼者アヌビスを土台にしていることを知れば、別に驚くべきことではない。ピクネットやプリンスなどの著作家が発見したように、フリーメーソンテンプル騎士団のような秘密結社によって後見支配者として選ばれた預言者バプテスマのヨハネなのであった。これが、多くの(例えばボッティチェリのような)ルネサンスの芸術家がイエスではなく、ヨハネが十字架を携えている像を描いた理由なのである。(イエスヨハネの議論について詳しくは、ピクネットとプリンス著「テンプル騎士団の黙示録」と、「文明のアイルランド起源」第二巻を参照されたし。)

 

「アヌビス*もまた、ギリシャの神ヘルメスやマーキュリー、エジプトの月の神トートに対応する神…と同等で、神々の使者(預言者)であった。更に、それらのように、その記章がタウ或いはTであるアヌビスは「十字架なしでは済まない」特にエジプトの宗教に於いて最も神聖なシンボルの一つである、命を与えるアンク…「Totが手で持って居る取っ手が付いた十字架は、紛れもなく彼の名前の組み合わせ文字なのである。」
*アヌビスはエジプト神話に登場する冥界の神で、リコポリス(アシュート)の都市の守護神。
―D・M・マードック著「エジプトのキリスト」

 

「教会神父ヒッポリュトスによる脚色の中で…ホルスのイーオン*(時代)は「十字架」を意味するその「第一の称号」スタウロスにより呼ばれる。であるから、古代 ―紀元二世紀の間― 正確にはキリスト教がその足を地につけ始めた頃、エジプトには、ホルスを人格化された十字架とする思想が存在したのである。」
*Aeon(イーオン)は極めて永い霊魂的時代区分のこと。Thelemaの世界観(オカルト)では今は1904年から始まる第三のイーオン、Aeon of Horus(ホルスの時代)に当たるらしい。
―同上

 

 

 

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 大きな建築物の前に見える柱は樹木を表す。多くの円柱の上の付け柱は屡々花の飾りを付けている。右の図では、タロットの大アルカナのアルカナムⅡを見る。付け柱には、Jakin(Jachin)とBoazの頭文字を示す「J」と「B」の文字が刻まれている[1]。円柱には花飾りもある。黒と白の色分けはナイル川の堤を表す。一方の堤は黒い沙漠で、もう一方は白い砂漠である。これら二つの堤はⅡというこのカードの数字によっても表わされている。描かれた尼僧はナイルと関連がある女神イシスを表す。彼女の青い服が水の流れのように流れていることに注目しよう。イシスの背後にはザクロの実がなる生命の樹がある。この果物は「冥界」と女神の胴体に護られた神聖な神秘を象徴する。前出の洗礼の絵では木と神聖な川がある。木はアリアンつまりドルイドにとって神聖であり、また川もそうである。従って、猶太教、キリスト教、メーソンの聖像に木と川を見付けるとそれはいつも剽窃して切り取られた文様であることがわかるのである。

 [1]聖書によると、ボアズとヤチンは、エルサレムで最初の神殿であるソロモン寺院の玄関に立っていた2つの銅、真鍮、または青銅の柱。それらはフリーメーソンとタロットでシンボルとして使用されることがある。

 

カナーン人の女神アスタロスの名は「神聖な木」を意味するが、この訳は冗長である。何故なら近東やヨーロッパの古代の人々にとって全ての木は神聖であったからである。」
―ジョン・ラム・ラッシュ著「彼の姿に、ではない」

 

「『林は神の最初の神殿であった。』とブライアントは言った。林はまた、人類の最初の神々でもあったのだ… ブリテン島のドルイドだけでなく、ギリシャでもアジアのセム系人種も樹木の崇拝者であった。樫(オーク)の巨木や均整の取れた常緑樹は神々であった…『樹木の崇拝は、相当遅い時代になってシリアでのみ消え去った…大きな背の高い木々、それに常緑樹は神としてあがめられた。』とスーリーJules-Auguste Souryは言った。」
―ジョン・E・レムズバーグ著「キリスト」

 

アイルランドではある非常に有名な木、通常イチイの木*がその地域を地盤にしている部族と密接に繋がっている。それらは神聖なものとして維持され、部族の集会所の役割を果たしていた。この慣習は元々異教のものであったが、キリスト教の時代になっても樹木は崇敬の念を以て維持され続けた。キリスト教が導入されたとき、異教の神聖な場所は屡々キリスト教の神聖な場所に変更された。」
*櫟(一位)の木は、日本でも神聖視されている。笏の材料・榊の代用として用いられる。この連載09に既出のように、イチイはドルイドにとって最も神聖な木であったと言われる。
―アレクサンダー・スチュワート著「ハイランド地方の教区・フォーティンゴールの歴史(1928年)」

 

「ヨーロッパのアーリア人の宗教の歴史に於いて樹木の崇拝は重要な位置を占めていた。それ以上自然なことはない… チュートンの「神殿」を意味する語の検証からグリムはゲルマン人の間で最も古い聖域は自然の森林であったことを確実視した… 樹木崇拝はすべてのヨーロッパのアリアン株(系統)の偉大な家系でよく検証できる。」
サー・ジェームズ・ジョージ・フレーザー著「金枝篇

 

 

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本を持つ日暈(天使の輪)のキリスト。彼は山羊の合図をしている。日本の指を上げるしぐさは元々「角のあるもの」を象徴する。これは何か悪魔を表わすものではなかった。単に偉大な牡鹿の神ハーンを表した。カディスCadiz、エーゲ海Aegean、ゴルゴタGolgotha、ギザGizaなどの地名は「山羊goatsの場所」もっと正確には「ゴートgothsの場所」を意味する。つまり、西方からのアリアンである。イエスはゴチック或いはアイルランド語のIesa(Esa)が土台であった。オルフェウスディオニソスバッカスなどの他のヨーロッパの神は西方の原型が土台であった。

 

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ドメニコ・ギルランダイオ作・羊飼いの礼拝。処女マリアの像は夜の空を表す。画家はマドンナの外套の(床と触れる)丸い縁で、黄道の円を暗示している。キリストは乙女座・つまり処女の記号に生まれた太陽である。大工のジョセフは天を仰ぎ見ている。彼は合図を凝視し、ローマ教会によって抑圧された古代のグノーシス派を表している。三種の動物は黄道の印を表している。牡牛は牡牛座(とアメン信仰者とドルイド)、驢馬はかに座、羊は牡羊座(とアテン信仰者)を表している。画面左のせりもち(アーチ)の門は暗号的にドルイド教を示している。ドルイドと言う言葉は「戸口」や「玄関」を意味する。それは我々近代の「扉」を与えてくれる。実際、これが、高位神官ポンティフェックス(教皇を表す)や枢機卿の言葉も意味するところのものである。三人の訪問者(東方の賢者)の一人が子羊を持って居るのは彼らが太陽崇拝カルトの構成員であること、そしておそらくアテン信仰者であることを指摘している。露骨なロマネスク様式のモチーフ(アーチ、コリント式の柱、倒れた柱、大理石の祭壇)は、描かれた聖書の物語が実際に作文された場所を示すために画家が追加したものである。それはユダヤガリラヤではなかった。

 

 

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多くの中世とルネサンスの聖書からの出来事を描いた絵画は、背景に山や高い場所を特徴的に描く。この画家はその絵の中心に山を置くことを選んだ。このモチーフは、神聖な園やもっと正確には、林と同様に、純粋にドルイド的である。

 

 

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この画家は発行体(太陽と月)をそれぞれ十字架の左と右に配した。これは占星・神学的要素を磔刑の物語にもたらした。十字架の下に居る四人はそれならば、四つの黄道の重要点(牡羊、蟹、天秤、山羊)を表すのか?キリストの頭上の風変わりな文字列INRIはIammim、Nour、Ruach、Ibeshah、つまり火、水、気、地の頭文字なのか?イエスは五番目の元素なのか?これらについて詳しくは著者の占星神学と星座の伝説をお読みください。

 

 

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シニョレッリ作「磔刑」。赤毛マグダラのマリアが骸骨の丘の十字架の下で嘆き悲しむ。背景には小山と門が見られる。十字架の下に頭蓋骨が横たわる。この骸骨はメロヴィング朝テンプル騎士団、シトー修道会、カルデアン(Culdee派)を描いていおり、観るものにこの絵が秘教に入会したものだけに理解できる密教的主題を含んでいることを示唆する。マリアの特徴的な赤毛は聖書の伝承が西方起源であると同時にマリアの西方起源も暗示する。赤毛スキタイ人メロヴィング朝の特有の印であった。聖書の詭弁に満ちた文書はメロヴィング朝テンプル騎士団、つまりアテン信仰者お抱えの法学者により作文された。

 

新約聖書のガラテア人は、金髪で青い目のケルト人であった。外典の伝説ではバプテスマのヨハネケルトで、マグダラのマリアはチェルケス人、半分ケルトで半分猶太人であった。」
―J・ラッシュLash著「その姿に、ではなく“Not in His Image”」

 

「常時重要なイシスは実際メリ/メリーMeri/Meryと言う名で知られた女神の一人であった… その女神は愛され、メリーは、「赤毛で非常に愛され女神」或いは「その偉大にも愛された赤毛の女性」を呼び出す不思議なまじないから明らかである。」
―D・M・マードック著「エジプトのキリスト」

 

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アベルとメルキゼデク

聖書に登場する非常に多くの人物(エノク、アブラハム、ノア、ダビデ、ソロモン、アリマセアのジョセフ、ラザラス、マリア、イエスなど)と同様に、メルキゼデクもドルイドの原型が土台であった。両端、画家の木と門の組み込みに注目しよう。この二つは暗号的にアメン信仰とドルイド教を指す。メルキゼデクは伝統的にシェムShemの部族と繋がりがある。その部族は薄い肌色の種で構成されていた。シェムと言う言葉は然しながら恐らくエジプトを意味するケムKhem、又はエジプトの大都市ヘルモポリスを意味するShmnの訛ったものであろう。聖書に登場するメルキゼデクとは、本当はアテン信仰者の王であるファラオ・アクエンアテンを意味するのではないか、と著者は信じる。アテン自身の可能性すらある。そのようなことだから、それはモーゼという名と同じ目的に役立つ。そして、丁度、旧約聖書の話に描かれたようなモーゼと言う人物はいなかったのが明らかなように、我々は聖書が描いているところのメルキゼデクなる存在もなかったと推定することが出来る。どちらの架空の人物もその名ざしされない別の代替物の役割をしている。秘儀に通じたもの、教会の高位の構成員、それに秘密結社の結社員はこれ等の、そして他の偽名によって指されるのが誰かを知っている。この絵ではメルキゼデクの像は太陽暈を持ち、太陽の象徴とみられるものを持って居るが、聖書によるとそれはパンの供物である。アベル牡羊座、つまりアテン信仰者の最も神聖な印を象徴する子羊を持つ。中央の卓は立方体のように見えるように描かれている。それはメーソンの切り石、或いは祭壇である。「卓」の土台にある90度の差し金もまた、メーソンの友愛団体を示している。

 

・メルキゼデクについて詳しくは第二巻の第八章「死海文書」をご覧ください。

 

 

文明のアイルランド起源 HPより14

カナーン人とは誰であったのか?

 

「今世紀の間、カナーン人の神々の研究により、ヤハウェへの理解が強力に形づくられて来た。」
―マーク・S・スミス*著「古代の神の歴史」
*Mark Stratton John Matthew Smith (1956~)はアメリカの古代史・聖書学者

 

カナーン人と古代イスラエル人が基本的に異なる文化の人々であると言う、長きに亙る支配的な模範形式にも拘らず、今の考古学的資料はこの見方に疑いを投げかける。その地域の物質的な文化は鉄器I時代(1200~1000BC)に於ける古代イスラエル人とカナーン人との間に多数の共通点を示す。記録は古代イスラエル文化は大部分がカナーン人の文化と重なり、そしてそこから導かれたことを示唆する…端的に言うと、古代イスラエル文化はその性質に於いて大まかにカナーン人の文化であった。今手に入る情報を基にすると、鉄器時代カナーン人と古代イスラエル人の間に根本的な文化的分離があったという主張はできない。」
―同上

 

付録8(http://www.irishoriginsofcivilization.com/etymology-key-to-the-past.html)で著者は言葉と名前の問題に関して、それらが神話拡散者と詐欺師の手でどれだけ酷い痛手を蒙ったかを取り上げた。ここで著者はカナーンカナーン人と言う言葉に関する欺瞞を強調する。公式には、カナーンと言う名前は地理的な場所と一人の人物、ノアの孫を指す。このいわゆるカナーンはその息子を通して多くの部族の父とされている。即ち、エブス人Jebusites、ヒビ人Hivites、アルキ人Arkites、ギルガシ人Girgashites、ツェマリ人Zemarites、アモリ人Amorites、シニ人Sinites、アルワド人Arvadites、ハマト人Hamathitesである。あまり知られていない伝説の一つはカナーンを、スーダン人やヌビア人のようなアフリカの黒い肌の民族の父としている。

場所に関して言えば、カナーンは今日のイスラエルパレスチナレバノンに当たる地域と、ヨルダン、シリア、エジプトの北西の一部も同様に定義する。換言すれば、紀元前六世紀以降、カナーンの地はユダヤと改名され、その後、ローマ人の到着の後には再びパレスチナとその名を変えられた。古代の文書ではこの言葉は通常「Kana」或いは「Kanan」のように「K」で綴られた。KohenやCainのように、それは「蛇の僧侶」を意味した。我々は、これを古代アリアンの長老を表す名付け方として認識する。カナーンの地は長らく古代フェニキア人やアッカド人と関連して来たが、それは、著者の予測では西半球に起源を有した根拠となる。

所謂古代イスラエル人の時代以前はカナーンアッカド帝國(紀元前2300年)の一部であった。そこはまた、アマル人Amarru、マルツ人Martu、アモリ人の地でもあった。後には、フルリ人Hurriansの地ともなった。後にその伝説が所謂旧約聖書のレヴィ族Levitesの間で見つかった謎のルヴィアンLuvian又はルウィアンLuwianによってもよく出歩く場所となった可能性がある。その場所は、ティリアン(テュロス人)やペリシテ人もよく訪れ、出歩く場所であった。紀元前二千年までにカナーンはエジプトの手に落ちたが、ヒクソスの王の治世(第17王朝)の間はそこは分割され、半自治政府の統治する地域であった。

ヘブライアブラハム一族とその妻サラは、主の命令によりカナーンの地に入ったことになっている。彼らはその地に外から入り、彼らの相続するものとして取った(奪った)。

 

「國より出で、家族とも父の家からも離れ、我の指し示す地へ行け。」
―創世記12:1

 

「そして主はモーゼに言われた、「イスラエルの子らに命令し、伝えよ『カナーンの地に行け、そこが代々の土地としてあなた方の手に入るであろう』」」
民数記34:1~2

 

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我々が、聖書で使われてきたようなカナーン人と言う言葉に誤って帰していた可能性を発見してから、事は寧ろ複雑になった。それはこの図に示されている地域にいた人々を指していないかもしれず、更に、抑もこの図の地域すら指していないかもしれないのである。換言すれば、付録8で示したように、この古代の言葉は蛇の僧侶とその知識を指しており、他の多くの言葉や称号と同じように、神話拡散者により盗用され、故意に誤解された可能性があるのである。

マーク・S・スミスは、その作品「聖書の一神教の起源:イスラエル多神教の背景とウガリトの文書」の中でカナーンの歴史の研究者を悩ませる主な問題の性質について次のように説明している。

「『カナーン人』と言う用語の学術上の広範な使用にも拘らず、著者は大体に於いてそれを避けた…それは度々分析を曇らせる誤解を招く用語であり、読者に警告したい。現在の学界の雰囲気では『アモリ人』同様、『カナーン人』、『ウガリト人』、『古代イスラエル人』の関係を巡る議論を逃れることは不可能である。『ウガリト人』と『カナーン人』と言う看板はウガリト人の文書の発見以来、議論の絶えない問題となっている。1960年代にA・レイニー*は、ウガリトの文書の一つがカナーン人を他の異国人、特にエジプト人とAsh*** 出身の者と共に言及しているため、ウガリト人はカナーン人ではないと論じている。レイニーはまた、「ウガリトの息子たち」や「カナーンの息子たち」と言う言及があるアッカド人の文書をウガリトの遺跡から引用している。レイニーのこの先導に従って、D・R・ヒラーズ***はウガリト人の文書はイスラエルに於ける発展をカナーン人の文化との比較に於いて打ち立てるためには使えないのではないか、と提案した。ウガリト人とカナーン人が同じであることの否定は、厳密に言うとその通りであるが、言語学的範疇を基礎とするとこれら二つの間には強い関係があることが正しいと主張することが出来る…つまり、「西セム人」と言う言葉の方が「カナーン人」より好ましい…」
*Anson Frank Rainey (1930~2011)はテルアビブ大学の古代近東文化とセム言語学の教授
**アッシュ地方? 詳細不明
***D.R. Hillers(1932~1999)は、ジョンズ・ホプキンス大学セム系言語及び近東学の教授

 

スミスは更にこの問題について急所を突いて次の様に続けている。

「N・P・レムシュ*Lemcheはレイニーやヒラーズよりさらに追求する。彼はウガリトがカナーンの一部でないと言うレイニーの論に反論する。レムシュによるとテュロスの王(EA151)からの手紙の一つにウガリトをカナーンの地に含めているものがある。然しレイニーはこの解釈に重大な疑問を持つ。「カナーン人」の用語の歴史的重要性の更なる問題も存在する。レムシュは「カナーン人」自身によって使われた記録には「カナーン人」が全く現れない。「古代の西アジアの文書に『カナーン人』は常にその文書自体の社会や国家に属さない人間を指していたが、カナーンはその人間自身の國とは異なる國と考えられた。」
*Niels Peter Lemcheは、コペンハーゲン大学の聖書学者。研究分野には、初期のイスラエルとその歴史、旧約聖書、および考古学との​​関係が含まれる。

 

レムシュは聖書の「カナーン人」の使い方を、大部分がバビロン捕囚以後に跡付けされた人為的作り物として見ている。レムシュは聖書や他の近東の文書に於ける矛盾するカナーン人の記述を取り上げてそれをそのような人々も文化も存在しなかったことの証拠としている。実際にはレムシュは沈黙の議論(歴史的記録の根拠がない結論)に頼っている。更にレムシュは、「古代近東のカナーン人は自分たち自身がカナーン人であることを知らなかった。」と主張する。しかしながら、エジプトからHatti(ヒッタイト)やメソポタミアに至る外国の王室が「カナーン人」と言う言葉を用いたが、この言葉で指定された人々が自分たち自身をこの名前で知らなかったというのは妙なことに思えるのである。この言葉は「カナーン」の人には第一の自己呼称として機能しなかったからかも知れない。(つまり、個々の家系単位、都市、町、或いは地域が第一の自己呼称だったからかもしれない。)

カナーン人についてのこれらの主張から我々は何を論理的に結論するべきであるか? その用語が特定の民族や集団を表すのではなく、寧ろ賢者の長老を表すと認識し、人種的疑問を捨ててしまうのが正しい可能性はないだろうか? これらは、西方にその起源を有するルヴィアンLuviansや蛇の僧侶のことである可能性はないのだろうか?

文明のアイルランド起源 HPより13(第二部)

第一巻の付録:

フリーメーソンと猶太キリスト教に於けるドルイド教のシンボリズム(記号)第二部

 http://www.irishoriginsofcivilization.com/druidic-symbolism-2.html

 

磔刑の救世主の起源

オシリスとホルスは「救い主」そして「贖い主」として磔刑に処せられた。オシリスの苦しみ、死、そして復活はエジプトの宗教の大きな謎を形づくる。ギリシャ神話のプロメテウスは、「両腕を拡げて」救い主としてコーカサス山の岩に鎖で繋がれた。そして磔刑の悲劇はアテネキリスト教の時代より500年も前に上演された。」
―ウィリアム・W・ハードウィックWilliam W. Hardwicke著「人類の進化(1899年)」

 

次の図で我々はアリアンの主、ヴィシュヌの両腕を拡げたところを見る。彼は宇宙を抱擁し、祝福する。中央はケツァクァトル(「翼をもつ蛇」)が十字架に乗っているところである。この神は、白面、即ち長身で金髪で青い目をしていると記述された。右は二つのアンク十字、即ち命の十字架を持つオシリスの彫刻である。オシリスは「磔刑にされた」神であった。彼は福音書にラザラスとして登場する。彼の古代の名前ウェシルWesirは、今の「西West」に非常に近い。

 

 

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左:ヴィシュヌ神磔刑姿勢

 

 中央:十字架上のケツァクァトル

 

 右:アンク十字を持ち腕を交差させるファラオ

 

 

「西へ、オシリスの邸宅へ、汝は行かむ。汝、人の中で最善の者、偽を嫌う者は行かむ。」
―エジプトのオシリスへの賛歌」

 

スカンジナビアの神話では、人神オディンは智(悟り)を得るためにイグドラシル(「世界のトネリコの木」に自らを逆さに吊るす。ここで語られ、見る記号はユダヤ教キリスト教の拡散のために見られるものではない。否、同じ高いシンボリズム(記号)がアリアンの民族移動のために世界中で見られるのである。ケツァクァトル同様、彼らもまた西方から来た白面の者たちである。

神話の伝承者たちはその記号や偶像のエジプトやドルイド起源を隠す試みで多くの口実を使ってきた。猶太の書物や旧約聖書の中の殆どの物語や逸話は酷い改定を経て来た。ペレツとゼラ、ダビデゴリアテサロメと洗礼者の斬首、荒野の40日、ソロモンと二人の母、無実の者の虐殺、エジプトの疫病などの例は、それぞれ「処置」を受けたのであった。

 

 

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左:人間の姿に模(かたど)られたアンク十字、アンサタ十字と太陽の円盤を持つ伸ばした腕。
右:よく知られた十字架のイエスの像。十字架或いは磔刑と伸ばした腕を見る
分割或いは四分割された人神はキリスト教の起こりより何千年も前に世界中で知られていた。エジプト人の描いたものでは二人の女性(イシスとネフティス)が十字架に寄り添っているのを見る。キリスト教の描いたものでは二人のマリア(聖母マリアマグダラのマリア)が十字架の下に寄り添っているのを見る。新約聖書で見るものの殆どが出生から復活に至るまで、アイルランドドルイドとエジプトのアメン信仰者の占星神学の正典がその起源なのである。

 

汝の足は地に
汝の首は空に
汝その腕の強さと共に立つ
しかし汝の重みは神秘に寄り掛かる
天は汝の上に、冥界は汝の下に
風は汝の鼻の内の気なり
古代エジプトのシュー(大気の神)への賛歌)

 

 

 

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 ラコタのサンダンス

 

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 サンダンスの飾り?

ラコタのサンダンスの儀式はその意図と目的すべてが「磔刑」である。志願者は空中に揚げられ、両腕を伸ばして宇宙を抱擁する。儀式の間志願者は「偉大なる魂」の存在を体験する。円と十字架、それに儀式の犠牲の考え方はキリスト教がお目見えするよりもずっと昔にアメリカ中で共通であった(メキシコでは「翼をもつ蛇」が十字架の傍らに見られた)。北米のインディアンの部族は、宇宙的、占星神学的な毎年の入念な儀式を行っていた。巨大なおまじないの輪(黄道の星座を表す)が平地に築造された。これらの土木工事の中にはおよそ一万年前のものも存在するのである。(詳しくはこちら:http://www.fiu.edu/~mizrachs/lakota.htm

 

 註*サンダンスについて:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%84%80%E5%BC%8F

サンダンスの儀式(英: Sun Dance)は、アメリカ、カナダの平原インディアンの部族が行う自然復活と和平祈願の最大の儀式。「祭」や「成人の儀式」ではない。
(省略)
アメリカ合衆国では1881年に、インディアンの宗教が非合法化された(これはアメリカの憲法に違反している)。さらに1883年には、合衆国政府とカトリック教会が「サンダンスは野蛮な行いで、インディアンの開化を妨げる」としてこの儀式を禁止した。カナダではサンダンスは1895年に禁止された。以降、儀式の話をしただけで、彼らは白人に逮捕された。インディアンたちはこっそりと隠れるようにして彼らの儀式を行わなくてはならなかった。

1904年、合衆国はサンダンスを正式に非合法化した。白人たちはすべてのインディアンのダンスや行事を非キリスト教的な野蛮な習慣であるととらえていた。1923年、BIA長官のチャールズ・バークは、「すべてのインディアンのダンスは、1カ月に1回、1日だけしか行ってはならない」と制限した。さらに50歳未満のインディアンのダンスへの参加、また収穫期にこれを行うことも禁じた。

合衆国では「アメリカインディアン国民会議」などの粘り強い交渉で、ようやく1940年代になってフランクリン・ルーズベルトが「自虐行為以外」の宗教儀式を合法化したが、「ピアッシングの儀式」などの苦行はなお弾圧禁止された。マリー・クロウドッグ(レオナルド・クロウドッグの妻)は、「サンダンスの自己犠牲の祈りはキリスト教の十字架に匹敵するほどの力を持つため、カトリック教会の執拗なサンダンスの弾圧の背景には、これに対する畏れや敵視があったのではないか」と語っている。カナダで解禁されたのは1951年のことだった。

 

 

「太陽神話に於いては、太陽神は日常的に春秋分点を通過する毎に、そして年の終わりに向けて弱る毎に「磔刑に処せられる」のである。」
―D・M・マードック著「エジプトのキリスト」

 

オシリスは子午線と赤道の交わりによって形成される巨大な十字架上で体を伸ばした形で表現される。この神はフリュギアの奥義に於いて十字架に形づくられた木に宙吊りにされる。」
*フリュギアは、古代アナトリア中西部の地域名・王国名。フリギアプリュギアとも表記する。
―アーサー・ディオット・トンプソン著「人類とは:その起源と運命」

 

「古代の終わりにかけての全ての個人的宗教団体及び秘密教団に於いてその構成員はその識別或いは団結の秘密の記号を用いた。これを首に掛け、或いは衣服の中に隠した、木製、青銅製、或いは銀製のお守りの形で持ち歩くものや、衣服に縫い込んだ、或いは額、頸、胸、手などに入れ墨をほどこして持ち歩くものが存在した。これらの記号の中には十字架があり、通常古代のフェニキアアルファベットに因んで「タウ」と言う名前で記述された。」
―アーサー・デューズArthur Dewes著「キリストの伝説」

 

「…非キリスト教徒は十字架のような聖なる物を所有し、その神の偶像を十字架若しくは十字架上の形状の中に入れて崇めた。実際、テルトゥリアヌスはこの点で非常に一貫しており、異教徒のことを「あなた方の宗教はすべて十字架」で「あなた方の神々はその初めはこの嫌われ者の十字架から発した」と記述している。」
―D・M・マードック著「エジプトのキリスト」

 

「多くのエジプトの女神たちは同様に、腕と羽を伸ばした、十字架状で表現され、墳墓や棺桶に共通して見いだされた。」
―同上

 

「…十字架と十字架状或いは磔刑の神の像に関してウィリアム・ウィリアムソンは次の様に記述する。『十字架…は、最も古代の象徴だが、手足を釘で打ち付けられた像の表現は後の時代に属する。最も古い十字架状の姿勢の描写は、天国で両手を広げて宇宙を祝福する神の像である。」
―同上

 

「二人の神の姉妹、イシスとネフティスのオシリスへに対する悲嘆の儀式…はフィラエ島の神殿の残骸で見出だされ、それは、四本の格子にしたナイロメーター(ナイルの水深を図る道具)の上に神の頭を乗せ、喪に服す女性の像に面する、と言うもので、磔刑の形式のオシリスの表現と繋がっている。」
―ジョン・M・ロバートソン著「キリスト教と伝説」

 

オシリス神はこの姿勢で見つかってきた。ヴィトーバー(地方神)としてのヴィシュヌ神もまた、宙に浮いた磔刑、即ち十字架のない磔刑、と言う用語で磔刑として表される。そこでは神自身が男性の姿をした十字架である。」
―ジェラルド・マッセー

 

オシリスは子午線と赤道の交わりによって形成される巨大な十字架上で体を伸ばした形で表現される。この神はフリギアの奥義に於いて十字架に形づくられた木に宙吊りにされる。」
―アーサー・ディオット・トンプソン著「人類とは:その起源と運命」

 

「メイドゥムのピラミッドから、六~七千年前のエジプトでは死者は十字架の謎に立脚した信仰から埋葬されたという証拠があり、またそれは理性的に立脚したものでもあった。何故なら、その十字架は天国自体が建設された四重の土台の形象であったためである。」
―同上

 

「十字架の記号は古代エジプトの入信の儀式の一部分として始まり、最後にはキリスト教の様式として見いだされた。教会はその歴史の中で『6世紀以降の相当遅い時期まで十字架の使用の証拠はない』と記述している。キリスト教の記録では十字架の一般の使用は680年の第六回公会議で承認されたと記録されている・・・会議は『人が十字架に掛けられている姿が今採用された』と布告し、新しい教会の印は後に教皇ハドリアヌス一世(772~795)により確認された。その約一世紀後、イエス・キリストが十字架に対して立っている最初の図が徐々に現れ始めた。」
―トニー・ブッシュビー著「聖書の秘密」

 

「作者が全てのインド-ゲルマン系民族が十字架に掛けられた救世主を崇拝して来たという事実に注意を促したことで、この主題の調査がされた。
古代アリアン人の太陽神話が全てのアーリア人が住んでいた国々の宗教の起源であると言う圧倒的な証拠が得られた。これらの国々で崇拝されていた救世主は太陽の人格化されたもので、アリアン人の主な神である。異教徒の民族が十字架に掛けられた人を崇拝したことは初期キリスト教会の神父たちにも認識されていた。神聖なる神父ミヌキウス・フェリクスは、遅くとも紀元11年には書いた作品オクタウィウスの中で、十字架の印は専らキリスト教の印だけとして考慮されるべきだという想定に憤然と反論している。そして自分自身の異教徒の反論者に反論として次の様にキリスト教の議論の提唱を表明している。即ち「十字架を崇拝することについては、あなた方は我々に反してそれをしているが、私は我々が十字架を崇拝することも望むこともしない、と言うことを告げなくてはいけない。それはあなた方異教徒なのだ。即ち、木でできた神を崇拝し、つまり、あなた方の異教の神々と同じ本質の部分として、一番木の十字架を崇拝するであろう民族なのである。」
―チャールス・モリス著「アーリア人の太陽神話」

 

「2~3世紀のキリスト教神父であるテルトゥリアヌスは異教へのに手紙で次の様に言っている。『あなた方の神々の起源は十字架上にかたどられた像から導き出された。それらのあなた方の基準の像はその十字架の付加物なのである。それらのあなた方の基準に張り付けられたものや幟は十字架の着物である』。」
―同上

 

「第六回コンスタンティノープル宗教会議(教会法令82)までに、古代にそうであった子羊の印の代わりに人が十字架に磔られている像を表すべきだ、と言うことが規定された。これらはすべて教皇ハドリアヌス一世により確認された。(デュピュイの宗教的信仰の起源やゴドフリー・ヒギンズのアナカリプシスを参照)」
―同上

 

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エジプトの生命の神 シュー(Shu)

エジプトの生命の神シュー。この神の両腕は、この神が地上から天国を分けるため、磔刑の姿勢をとっている。この神が「磔刑の救世主」の起源であった。この神は同じような様式で描かれたアリアン(アイルランド)のエスス神Esusが土台であった。シューの名前はヘブライのジョシュアとなり、それはヘブライ語ジェシュアJeshuaつまりイエスJesusを表すイェシュアYeshuaとなった。これは、我々が一度猶太の起源、つまり古代の猶太人がドルイドであることを認識すれば理解可能なことである。それは、ドルイドの、つまりアリアンの神であり、東方の人種や民族により採用された様式である。シューは「最初に生れた子」や「獅子」として知られていた。イエスは「ユダの獅子」として知られていた。神秘主義的にはこれは単に「古代猶太人のイエス、つまりドルイド」を意味し、我々が普通に考えるところの、「猶太人のイエス」を意味するものではない。事実、ウェールズ語ドルイドの称号はシャアウShaau、スウSuw或いはシェウShewである。これは現代の「ショーShaw」の名前の起源である。シューはキリスト教の「聖霊Holy Spirit」と同等である。

 

 

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シューは人間の顔で描かれるエジプトの男神の数少ない一人である。彼はエニアドゥ(エジプトの九柱の神)の一神、つまり九柱の創造主の一神である。このエニアドゥは旧約聖書にはエロヒムとして登場する。シューはその父アトゥムAtumと妹テフナットTefnutを含めた三位一体の創造主の一部である。彼は、空気(聖霊)の元素、そして天と地の間の空間で象徴される。一般に両腕を上または横に拡げた十字架の形で描かれる。キリスト以前の時代には磔刑の神は彼自身で、十字架であった。彼は、「四分割された」者であった。

彼は暗号的に創世記で言及されている。ジェホヴァが蛇と女の間に恨みを生じさせた、と言う話を聞くと、これはエジプトの神ラーがシューを遣わして恋人同士であったゲブGebとナットNutを別れさせたことを指している。創世記の殆どはシュメールとエジプトの元の話が土台である。ヘリオポリスの神秘学派は神々、女神たち、命の樹、神聖な川、天国の園などの多元主義であった。ヘリオポリス最高神はアトゥムAtumであり、そこから我々はアダムの名前を導くことが出来る。

 

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このヴィシュヌ(ヴェーダの、つまりアリアンの三位一体の二番目の神)の図は元々1810年エドワード・ムーアの決定的な本「インドの神々」で紹介された。この図は、ヴィクトリア朝の社会で醸した物議のため、その後第一版から削除された。詳しくはこちら:(リンクが無くなっていて不明)