猶太と世界戰爭(新仮名)10

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第一章 猶太魂の本質
六、「シオンの議定書」の成立、伝播、真偽(昭和16年5月)続き

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「議定書」の著者に関しては、その内面的真実さの点では、前述の問題よりも確実であるにも拘らず、その外面的証拠は一層その確実性が欠けている。この点に於ても現在では、フライ夫人の説が最も多く容認されているのであって、夫人に依れば、彼女がフォードの財政的援助によってロシアで調査した結果は、大体に於てアハト・ハームことアシェル・ギンスベルクがその著者であるというのである。彼の名は非猶太人の間では余り著名ではないが、猶太人間には尊崇の的となっており、幼児から天才的で、一八八四年からはオデッサに住み、一九〇五年のロシア革命に活躍したが、後にはパレスチナに移り、衆望を荷(にな)いつつ死んだのであった。その学識は実に古今に通じ、語学もまた猶太人らしく堪能であったと言われている。そしてこの彼が一八八九年にオデッサでペネ・モシェ(「モーゼの子等」の意)と称する猶太的フリイ・メイスン秘密結社を設立したが、「議定書」は彼が其処で講演した猶太の世界征服政策のプログラムであるというのが、今では一般に信じられている説である。前に論及した猶太人ベルンシュタインの説は、アハト・ハームのこのプログラムのことを指すものであるらしく、それがヘブライ語で書かれていたというのは、猶太秘密結社内の習慣であると見做しても差支えないであろう。それ故に、フライ夫人の説いているように、これがフランスの猶太的フリイ・メイスン結社で用いられていたということも可能であり、其処からそのフランス訳がロシアへ入ったということも考えられるのである。その理由は、フリイ・メイスン秘密結社は、純粋に猶太的であると否とに拘らず、殆どその創立以来全く猶太の支配下にあり、また、全世界のこの結社は相互間に密接な連絡を持っているからである。なおニールスが入手した「議定書」の写しには、最後の部分に「第三十三階級のシオンの代表者達によって署名されてある」との書入れがあったということである。この点から考えても、「議定書」がフリイ・メイスン秘密結社中でも純粋に猶太的であるものの世界政策のプログラムであることがわかるのである。換言すれば、アハト・ハームが設立したペネ・モシェの親結社とも見らるべき純猶太的秘密結社ブナイ・ブリスの世界征服のプログラムに外ならないのである。

ここで我々は、近来に至るまで「議定書」が所謂シオニズムの世界政策のプログラムであって、一八九七年の第一回バーゼル会議に於てそれは決定されたのである、と信じられていたことに関しても一言しておきたい。勿論、或る意味に於てそれがシオニズムのプログラムであるというのは正しいのであるが、然しシオニズムには二種あって、普通シオニズムと称せられているものは、ヘルツル等の主張する「実際的シオニズム」又は「政治的シオニズム」と呼ばれるものであり、アハト・ハームの創設したペネ・モシェ或いはかの兇悪なブナイ・ブリス秘密結社の如きは「抽象的シオニズム」又は「精神的シオニズム」と称せられているのである。そして前者は、シオンの回復を文字通りに実行しようとするものであって、猶太人のパレスチナへの復帰を目標としているが、後者は、シオンへの復帰を抽象的に行おうとするものであって、現在の如くに世界の諸國に寄生虫として存在しながらも、その世界征服を完成しようとするのである。「議定書」が議決されたという九十七年の第一回シオン会議は、少なくとも表面的には「実際的シオニズム」の会議であったのであるから、種々の調査にも拘らずその会議関係の記録に「議定書」に関することが少しも見当たらないのは当然であろう。

我々は然しこの「実際的シオニズム」もまた猶太の世界征服政策の一つの手段であって、「象徴的シオニズム」の一つの偽装であるに過ぎないとさえ考える者であるが、この点に関しては今は詳述することを差控えることにして、ただ一つ次の事実だけをここに記して世人の注意を促しておきたいと思う。即ち、かの「実際的シオニズム」の会議に当っては、同時に必ず純猶太フリイ・メイスン秘密結社であるブナイ・ブリス結社の会議が開催されるのであって、この意味に於ては、議定書が九十七年にバーゼルで議題となり得たということは可能なのである。然し、それはかのシオン会議そのものに於てではなく、同時に開催されたブナイ・ブリス結社の会議に於てであることは言う迄もない。アハト・ハームもこのシオン会議に出席していたことは当時の写真でも明らかになっているから、その彼が「議定書」をブナイ・ブリス結社の会議の方に提出したであろうことは、決して不思議でも不可能でもないのである。

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以上述べたところで、「議定書」の真偽の問題に対する解答は大体は完了したと考えられる。即ちジョリーと此書との内面的連絡から言えば、「議定書」が、猶太側の主張する如くに、万一にも非猶太人の偽作であるとしても、それは猶太の世界征服のプログラムたる資格を消失しないのであるし、また著者アハト・ハーム説が成立しない場合にも、後に引用するトレービチュの説に真実性があるとすれば、これが猶太人の作であり、従ってその内容が猶太の世界支配のプログラムであることは肯定され得るのである。なおまたこれらの説の全部が成立しないとしても、少なくともジョリーの著書の出版された一八六四年頃以後の世界の動きは、この書が猶太の世界政策のプログラムとしての内面的真実性を明証しているのである。いまこの点について我々は一々例示することを差控えたいと考えるが、近時の世相を多少とも世界的に達観し得る人には、この「議定書」が余りにも真実であることが直ちに理解されるのである。

然しなお我々は念のために、議定書の真偽に関しては、ベルンの訴訟を契機として主として独逸の「ヴェルト・ディーンスト」が調査し、前にも論及したベルクマイステルが前述の小冊子で述べている材料を紹介するだけの労を取りたいと思う。そしてそれは三つあるが、特に注目に値するのは、三つながらに猶太法師のなした証言であることであって、猶太法師が猶太人の世界に於て如何なる地位を占めるかを知っている者には、このことは誠に重大な意義があるのである。「トーラ」よりも時としては「タルムード」が尊重されることはよく言われることであるが、猶太法師の言説は、極めてしばしば、その「タルムード」よりも尊重されるのである。

その第一のものは、ポーランド領ショッケン市に於て一九〇一年頃に猶太權法師フライシュマンがその友人副検事ノスコヴィッツに対してなした証書である。三四年十一月三十日の「ヴェルト・ディーンスト」宛のノスコヴィッツの手紙に依れば、フライシュマンが自分の許嫁(いいなずけ)が猶太法師ヴァイルヒェンフェルトによって暴行されたことを訴えながら、猶太人の内情を暴露し、「議定書」は猶太人の手になったもので、決して偽作ではないことを確言した、というのである。

第二のものは、同じノスコヴィッツの手紙にあるものであって、彼が一九〇六年にポーランドのスウルツェヅの猶太法師ダリューンフェルトに「議定書」の真偽を確かめたところ、法師は「貴方は余り好奇心が過ぎ、余りの大事を知ろうとなされる。この件について、私共は語ることを許されておりません。私は語るを得ませんし、貴方はお知りになってはいけないのです。何卒慎重にやって下さい。でないと、生命にかかわりますよ、」と返事したということである。

第三のものはエフロンなる人物をめぐるものであって、第一、第二に比して複雑であり、その証言は三重又は四重になっている。彼エフロンはロシア系猶太人であって、詳しくはサヴェー・コンスタンティノヴィッチ・エフロンといい、青年時代には猶太法師であったが、後にキリスト教に改宗し、ペーテルスブルクの鉱山技師にもなった人であるが、また文筆の才もあってリトヴィンという筆名で「密輸入者」その他の戯曲を書き、猶太人に対して時折辛辣な批評を加えたりしたので、猶太的ボルシェヴィズム革命の後は生命の危険を免れるために所々を亡命して廻ったが、終にセルヴィアのシャバッツ県ベトヴィッツェ近傍の修道院に救われ、二十六年にここで没したのであった。

さてエフロンに関する最初のものは、露國騎兵大尉ゲオルク・M(特に名が秘されている)が二二年二月に彼に「議定書」は本物であるかと訊いた時のエフロンの答であって、「自分はそれがキリスト教側の新聞に公表される数年前からその内容をよく知っていた」というのであるが、これは大尉自身が二八年十月パリのロシア教会の司祭長の前でその真実であることを誓言したものである。

次の二つは前出のベルクマイステルの調査したものであって、彼はこのエフロンの場合に非常な興味を感じ、エフロンを知っている者を何とかして探し出したいと思って努力をするうち、二人を発見するのに成功したのであった。その一人はワシリー・アンドレエーヴィッチ・スミルノフであって、ベルクマイステルはこの者から、エフロン自身が或る機会に書いたという露語の一文を受取ったそうであるが、我々はその文章の動機及び内容に触れることを差控えて、スミルノフが三六年十二月十五日に「議定書」に関してエフロンと交わした会話中、「議定書は原本そのままではなく、原本の圧縮した抜粋であるが、その原本の由来と存在とについては、全世界で自分を含めても十人しかそれを知っている者はない。もし君が時々私の所にやって来るならば、この秘密を漏らしてあげてもよい、」とエフロンが言った事だけは彼が今なお記憶している、と書いているのを伝えておこう。但しスミルノフはその後間もなく職を得てベオグラードに去ったので、遂にエフロンからその秘密を聞くことは出来なかったということである。もう一人はペトヴィッツ在住のワシリー・メチャイロヴィッチ・コロシェンであって、エフロンが修道院に収容されていた頃、其処の官房主事を勤めていた者であるが、彼の三七年二月三日付の手紙に依れば、彼は或る時エフロンから「議定書」を貰ったが、その時エフロンは、「これは本物であって、その中に書いてあることはすっかり真実である」と言ったし、また別の時には、「ユダヤ人は秘密文書を持っているが、それは内情に通じた人以外には誰にも見せることはない」とも言った、ということである。

名著「猶太帝國主義」の著者シュヴァルツ・ポストゥニチュは、その著書中で、彼もまたエフロンに一九二一年にベオグラードで会ったが、その時エフロンは、「議定書が本物であることを説く人に共通の誤りは、それを議定書と呼ぶことであって、実際にはそれはプログラムである」と言った、と記している。

既に「議定書」の内面的真実性を確信する者に取っては、以上三つ乃至五つの外面的証拠の有無は大して意義はないのであるが、しかしこれらの証言もまた実証的にはかなりに重要視さるべきものであることは言う迄もない。

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ここで我々は、前に一言しておいた猶太人アルトゥール・トレーピチュの言を引用しておくことにしよう。

「著者の如くに、かの秘密文書に表明されている全思想・目標・意図を我々の全経済的・政治的・精神的生活から既に以前に予感を以って観取し、聴取し、読み取っていた者は、この文書が世界支配を目標とする精神の正真正銘な発露であるという説に決然と賛成することが出来るのである。アーリヤ人の頭脳ならば、反猶太的憎悪が如何にそれを偽造と誹謗とに駆り立てようとも、これらの闘争方法、これらの謀略、これらの奸計と詐欺とを考え出すことは到底できないであろう。」

トレービチュの「独逸精神か猶太精神か」の中からの引用に次いで、我々は、「議定書」に関する第二審の判決以前にその真偽に関して独・伊・英・米・仏・オーストリアハンガリーポーランド・ベルギー・オランダ・デンマークフィンランドギリシャユーゴースラヴィア・カナダ・レットランド(ラトヴィア)・ノルウェー・スエーデン・スイス・スペイン・南アフリカチェコ・ロシア(亡命者)の代表が独逸エルフルトに集合して行った「決議」を紹介し、この「議定書」に関する小論を閉じたいと思う。

「一九三七年九月二日より五日に亘ってエルフルトで開催されたヴェルト・ディーンストの國際会議は、二十ヶ國以上から参集した数多き学者・著作家・政治家がそれに参加したのであるが、議定書の真偽に関して次の如き決議をした。

ベルン裁判所によって一九三五年五月十四日に下された判決は議定書を偽作であるとしているが、これは過誤判決であって、この結果に立ち到ったのは一に次の事情のためである。即ち、それは、裁判官が誤って、猶太側から推薦されたスイスの専門家ロースリーとバウムガルテン教授との意見書のみをその判定の基礎としたためであり、またその上に、猶太側原告が提議した十六証人のみを訊問して、非猶太被告側から提議した四十人の反対証人を只の一人も召喚しなかったがためである。ベルンの判決は議定書の本物であることを揺がせるものではない。その本物であることは、他の種々の事情がそれを証明している許りでなく、猶太人自身がそのあらゆる政治的・社会的・宗教的領域に於ける行動に於てこの議定書の規定に従っているという議論の余地の無い事実によって証明される。かくてシオンの議定書は、猶太の世界政策の真正なるプログラムである。」(一六・五)

 

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猶太と世界戰爭(新仮名)09

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第一章 猶太魂の本質(続き)

六、「シオンの議定書」の成立、伝播、真偽(昭和16年5月)

シオンの議定書」は、古今東西を通じての最大の怪文書と呼ばれるべきものであって、内容的にそうである許りでなく、その著者、その成立史、その伝播の経路等から見てもまた然りなのである。即ち、この書は、内容的には世界革命と世界制覇とのプログラムであって、現在の世界の動きがそれを実証しているのであるが、それにも拘らず、その偽作であることが問題とされる許りか、著者も成立史も伝播史も深い闇に覆われているのである。然しこの書は、一九〇一年以来公刊されていたロシアの國境を世界大戦後に超えて独逸(一九一九年)その他で公刊されてからは、その怪文書たるに全くふさわしい速力をもって世界に普及されて行ったのである。またあらゆる猶太人側の否定にも拘らず、一九〇五年のロシア語版(後述するニールス版)が大英博物館に翌年納入されており、その分類番号まで明らかになっていることも、この書の怪文書性を減ずることはないのである。

とにかく猶太は、独逸に於けるゴットフリート・ツール・ベーク(Gottfried zur Beek)の訳及び米國に於ける自動車王フォードの著書に依って、この書が急速に世界に伝播されて行くのを見て、極度に狼狽(ろうばい)し、買占め又は威嚇(いかく)乃至買収等によってそれの普及を妨げようとしたが、この方法が失敗に終ると、今度はそれが非猶太人の偽作であることを主張するようになった。そしてその試みは、一九二一年になって、計画的組織的なものとなり、米・仏・英の順序による三段構えの対策となって現れるに至った。それ故に我々は、多少長きに失する憂いはあるが、その三つの策謀の内容を略述して見たいと思う。現代の我々に取っては、この書の方が「トーラ」又は「タルムード」よりも直接の関係を持っているとさえ言い得るのである。但し我々は、猶太問題全般の研究にとっても「議定書」の方が「トーラ」又は「タルムード」より重要であると主張するのではない。

さて、その第一は、当時ニューヨークに在住したカタリーナ・ラートツィヴィル(Radziwill)と称するロシア女を利用したものであって、北米における有力な猶太雑誌「アメリカン・ヒブリュー」の三月二十五日の誌上には彼女と猶太人アイザーク・ラントマン(Isaac Landman)との会見記が発表された。それに依れば、「議定書」は日露戦争後の一九〇五年に偽造されたものであって、当時パリに居た彼女が、ロシア諜報官ゴロギンスキー(Matvei Golovinski)の口から、在パリロシア諜報部長ラチュコフスキー(Pyotr Rachkovsky)から猶太人の革命陰謀者を偽造するように依頼された、という話を聞いた許りか、彼女は既に完成していたその原稿を見せて貰うことさえした、というのである。そして彼女は、その現行の表紙には大きな青インキの斑点があったとも述べている。

我々はこの会見記の批判は後に譲ることにして、猶太側の第二の策謀を述べることにしよう。それはアルマン・デュ・シエラ(Count Armand Alexandre de Blanquet du Chayla (1885–1945))というフランスの伯爵を使ったものであって、在仏亡命ロシア人の機関紙ボスリエニドエ・ノヴォステイ(Poslednie novosti)に五月一二日から翌日にかけて伯爵自身が論文を発表しているのである。一九〇九年にロシアで「議定書」の出版者であるニールスに面会したが、その時見せられた原稿には青インキの大きな斑点があったし、「議定書」の入手の経路に関しては、ラチュコフスキーからその筆写したものを貰ったK夫人から手に入れた、とニールス自身が言ったというのがその論旨である。

この第二説が第一説と連絡して巧妙に仕組まれた芝居であることは、青インキの大きな斑点というようなわざとらしい詭計によっても判明するのであるが、とにかく猶太側がこの二重の対策では満足し得ず、第一策と第二策との間の時日の隔りと全く同じ程の日数によって第二策と隔っている八月には、十六、十七、十八の三日間に亘って、今度は國も新聞の種類も全く変更して、英國の有力紙「タイムス」を動かして第三の策謀に移っているのである。当時の事情から見ても、現在の事情から見ても、猶太側の「議定書」爆撃が米・仏・英という所謂三大デモクラシー國に於てなされた事は注目に値するのであって、デモクラシーとは事実上猶太支配の別名に外ならないことは、この簡単な一例によっても判明するのである。

本論に帰って第三策を見るのに、それはタイムスのコンスタンチノープル特派員フィリップ・グレイヴス(Philip Graves)の文章であって、フランスの辯護士モーリス・ジョリー(Maurice Joly)が前世紀の半ばにブリュッセルで出版した「マキアヴェリモンテスキューとの冥府に於ける談話」を彼が同地へ亡命していたロシア地主から貰ったが、地主はそれが「議定書」の種本であると言った、というのがその内容である。

グレイヴスの文がこれだけで終っているとすれば、それは或程度まで間違いないのであるが、我々をしてこの一文を猶太政策の一つと認めしめないではおかないのは、筆者が以上の事実から次の如き結論を引出しているからである。即ちグレイヴスは、「議定書」がジョリーを種本としているのでそれは非猶太人の偽作である、と主張するのであるが、これは猶太側が結論を急ぎ過ぎたがための失敗であって、それは、非猶太側がジョリーを種本として無根拠な世界政策を捏造することが可能であるとすれば、猶太側の方でも同じジョリーを種本としてその世界革命のプログラムを作ることが可能である、ということさえ考慮しなかった軽率な結論である。「議定書」とジョリーとの関係は、独逸の半月刊猶太問題専門情報誌「ヴェルト・ディーンスト」のフライシュ・ハウエルが平行的に印刷して比較研究しているのでも明らかなように、多くの内面的一致のみならず、文章上の表現に於ても一致している点があるので、ジョリーが直接の種本であるか、或いは両者が共通の粉本(ふんぽん)を持っているのかは明らかではないとしても、両者の密接な連関は疑うべくもないのである。しかしこの事情は、猶太「タルムード」論理に依って結論を急がない限りは、却って「議定書」が猶太側の革命陰謀者であることを、少なくとも内面的真実性の点では、証明する事になるのである。即ち、ジョリーはその自伝に於て、父はスペイン人であり、母はイタリア人であると言っているが、確かな調査によれば両親とも國籍をそれぞれ両國に持っていた猶太人なのであるし、なお特に注目に値することは、ジョリー自身猶太フリイ・メイスン秘密結社の会員である許りか、フランスに於ける有力な猶太人結社「イスラエル世界同盟」の創設者クレミューの親友であり、一八七〇年の共産系暴動にみずから参加しているのである。ジョリーのこの経歴を考慮する時、それだけで「議定書」が猶太系フリイ・メイスン秘密結社の世界支配のプログラムであることを信じても、グレイヴス等猶太側の態度に比して決して軽率であるとは云い得ないのである。

とにかく猶太側は「議定書」が偽作であり剽窃であるという程度の外面的な拒否をするだけで、それの内容にまで説き及んで反駁することはないのであるが、これは非猶太人には注目すべき点であって、内容に触れて論ずることは「議定書」の内容を一層世上に広布することになるのみか、十九世紀末以来の世界の動きを多少とも猶太の宣伝を盲信しないで見る人には、その真実であることが直ちに感得されるということを、猶太側自身充分知っているからである。しかし「議定書」のロシアに於ける出版者ニールスが非実在の人物であるとか、「議定書」そのものが世界大戦後の英國に於ける偽作であるとかいう程度の迷論 ―日本の自由主義的猶太戦線の志願兵には、猶太人自身さえも最早捨てて顧りみないこれ等の古い一時の浮説を宣説する者さえある― よりは、なお猶太側の上述の三説の方がまさっていることは認めるべきであろう。

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一九二一年の三段構えの努力にも拘らず「議定書」が広布して行き、また一方そのプログラムに従って猶太の世界政策が進展して行くのにつれて、猶太の策謀に気の付く人が次第に多くなり、特に独逸に於てヒットラー政府が次第に確立して行くのを見ては、今まで猶太側の新聞その他による宣伝に躍らされていた人も、或程度までは反省の機会を与えられるようになって来たので、猶太側でもこの情勢を黙視することが出来ず、他の反独的な種々の政治工作と共に、議定書に関しても二一年に比較して一層有効と見える対策を講ずる決心をしたのであった。これが一九百三三年から三十五年に亘るスイス國ベルンに於ける「議定書」訴訟である。

猶太がこの年とこの地を選んだのは単なる偶然ではないのであって、その一般的理由は上述の社会情勢にあることは言う迄もないが、然しその直接の動機は、一方では、前に論及したラチュコフスキーやニールスが既にこの世にない上に、ロシアに於ける「議定書」のもう一人の出版者ブートミ、独逸に於ける第一の出版者ツール・ベーク、独逸に於ける第二の出版者で有力な反猶主義者であるフリッチュ等も死んでおり、更に、後述する通りに議定書の著者と推定されるアハト・ハーム、シオニズムの元祖ヘルツルもまたあの世の人となっていたがためであり、他方では、このベルン市には卑猥文学を禁止する法令がある許りか、猶太マルクス主義を奉ずる裁判官マイエルが居るためであった。またスイスは猶太的フリイ・メイスン秘密結社の優勢な土地 ―フランス及びオランダと並んで公然たる猶太人保護法がある― であるので、これも猶太側には有利な条件であった。かくて三十三年六月二十一日には「スイスイスラエル同盟」と「ベルン猶太文化協会」の名に於て、「議定書」は卑猥な文学である故に発売禁止となるべきであるという訴訟を提起したのであった。(これに連関して、「議定書」を頒布した憂國主義者が訴えられているのであるが、この点は現在の我々に直接の関係がないので、叙述を簡単にするために、今後とも「議定書」のみに問題を限って論じたいと思う。)そして一年を経過したが、事情が自己側に有利であると見た猶太当事者は、この時になって「議定書」の真偽の問題を追訴するに至った。さて事件の専門的鑑定家としては、猶太原告側にベルンの刑法教授バウムガルテンが選ばれ、非猶太側には前述のフライシュハウエルが推挙され、上席鑑定家としては、前身に暗い所のある親猶派文筆業者のロースリーが任命された。前身に暗い所のある名士を利用するのは、猶太の「タルムード」が教える所の常套手段であって、猶太の世界政策機関である國際連盟設立の主唱者であった米國大統領ウィルソン、その連盟に於ける長期の活躍家フランス大統領ブリアンの如きもその過去には破廉恥罪があったのである。かくて猶太側と裁判官マイエルの謀議によって、猶太側の証人のみが喚問されることになり、三五年五月十四日にはロースリーの上申書に従って判決が下され、猶太原告側の全部的勝利となったのであった。

然らばロースリーは、その申告書に於て、何を主として彼の結論の拠り所としたかというに、それはかの二一年の猶太対策の第一、第二のものであった。それ故に我々は、いまここでその二つに関してその真偽を述べることにしよう。

ラートツィヴィルの説が根拠のないものであることは、後述する通りに、議定書が既に一八九五年にはロシアでズホーティン及びステパノフ等の手に、一九〇一年にはニールスの手にあったことや、一九〇三年にはスナミア紙上に発表されていたことからも明らかであるし、またラチュコフスキーもゴロヴィンスキーも一九〇五年にパリに居なかったことが証明されていることからも明らかである。ロースリーはこの一九〇五年を何の理由もなしに一八九五年に改めている。なおラートツィヴィルその者の人物を調査した結果は、彼女がロシア公妃と称しているのは不当であって、十四年以前に離婚しており、その後コルプ及びドウヴィンと更に二度の結婚をしていた者である許りでなく、文書偽造や為替偽造で十八ヶ月の禁錮の経歴を持ち、二一年にはニューヨークで無銭飲食の廉(かど)で逮捕されたことさえあるのである。なお彼女は問題の会見に対し、純猶太フリイ・メイスン秘密結社ブナイ・ブリスの会員ルイ・マーシャルから五百ドルの報酬を受けたということである。

シエラ伯爵の場合は、彼がベルンの法廷に於ても自説の正しいことを誓言したに拘らず、その後前記の「ヴェルト・ディーンスト」の調査に依れば、三六年三月二十四日付のニールスの息子の手紙では、彼の母はKを頭文字とする名前の人ではなく、ラチュコフスキーと知合でなかった許りか、父が「議定書」の写しを貰ったのはズホーティンであって、彼もその際に居合わせたが、その原稿には青インクの大きな斑点はなかった、というのである。なおシエラ伯個人の人物は、反ボルシェヴィストであるヴランゲル将軍の陣営にありながらもボルシェヴィストに通謀したという憎むべき経歴を持つ者であることが、三六年四月三十日のペトロヴィッチ・ギルチッツの手紙で暴露された。ギルチッツ自身はシエラ伯と同時にヴランゲル将軍の麾下にあった人である。

なお第一、第二の場合共に問題となるラチュコフスキーに関しては、その息子の三六年七月十三日の手紙に依れば、彼は寧ろ親猶主義者であって、一九〇五年頃の彼の秘書は猶太人ゴルシュマンであったのであるし、遺稿その他を詳細に調べて見ても、彼と「議定書」とが関係があったという証拠は皆無であり、又その知合にK夫人のなかったことも疑いはないのである。

これらの調査が出来たためか、三七年七月二十七日からの控訴審に於ては猶太側に不利な形勢となり、十一月一日に降された判決では前審が取消されて、「議定書」は卑猥文学ではなく、単に政治的闘争書であると認められ、またその真偽の問題は法廷に於て決せらるべきものではなく、学術的に決定せらるべきものである、ということになった。

かくて猶太の策動は画餅に帰し、その非猶太人に依る偽作であるとの説は確認されず、発売禁止もまた行われないことになったのであるが、それが東洋に於ては日支事変に於て実質的に猶太の誤算と敗北とが次第に進捗しつつあった頃であることを思うとき、この訴訟事件が猶太に与えた精神的の打撃は誠に大であったことと推察されるのである。その後独墺合邦、チェコ問題の反猶太的解決などもあり、この「議定書」の全部的実現がその一歩手前で失敗に帰しつつあることが次第に明らかになって来ているが、欧州戦争誘致乃至日米通商条約破棄通告等最近の米・英・仏に於ける猶太側の過激な手段の由って来る所は、このベルンの訴訟に始まる正義派の勝利に対する猶太の絶望的なあがきなのである。この意味に於てベルンの訴訟の持つ象徴的意義は大であると言わねばならない。

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今や我々の課題は、前に論及しておいた通りに、「議定書」がその世界大戦前に於ける唯一の伝播國であるロシアに於て既に一八九五年にズホーティン及びステパノフ等の手にあった、ということを明らかにすることである。この点に関しては、「水、東へ流る」又は「われらの主猶太人」等の著書によって「議定書」問題及び一般猶太人問題に関して功績のあるアメリカの女流文筆家フライ婦人が、嘗てモスクワの宗教会議の代表者であったフィリップ・ペトロギッチ・ステパノフから一九二七年四月十七日に貰った手紙の内容であるとして発表している所が最も確実な資料となっている。その手紙に依れば、ステパノフは一八九五年にアレキシス・ニコラエヴィッチ・ズホーティンから「議定書」の写しを貰い、自分でもまたその写しを作って人に頒った、というのである。そしてこの説が単なる作為でないことは、「議定書」の出版者ニールス自身も、彼がそれを手に入れたのはズホーティンからである、と言っていることからも判明する。ただ前説との差は、ニールスがズホーティンから貰ったのは一九〇一年であるという点である。またズホーティンが如何にしてそれを入手したかに関しては、彼自身ステパノフ及びニールスの二人に対して、パリの一婦人からである、とのみしか語らなかったとのことである。

なおこの九五年説が正しいことは、三七年に「猶太人の世界陰謀計画」なる小冊子に於て「議定書」問題に関する最新の研究の成果を纏めているベルクマイスルが、三六年十二月十三日付でズホーティンの娘アントニーナ・ポルフィルエウナ・マニコフスキーから受取ったという手紙の内容を見ても明白である。彼女はその中で、彼女が一八九五年に父を訪問した際、妹や姪が「議定書」の写しを作っているのを目撃した、と書いているのである。

九五年説には、北米デトロイト市で出版されている「フリー・プレス」関係の猶太人ベルンシュタインが自動車王フォードの書記カメロンに向って、九五年にオデッサで、ヘブライ語の「議定書」を見た、と語ったのも、間接的ではあるが、一つの好都合な材料となるであろう。但し、この点については今一度後に触れることにして、ここでは論を本筋に戻したいと思う。

かくて問題は、ズホーティンが如何なる経路によって一八九五年又はそれ以前に「議定書」を入手したかということになるのであるが、この点に関しては、フライ婦人の次の説がある。彼女に依れば、「議定書」のフランス語訳がパリのフリイ・メイスン秘密結社にあったが、其処の会員ジョゼフ・ショルストなるものがユスティナ・グリンカという女にその写しを売り、その女がそれをズホーティンに伝えたのである、というのである。然しこのフライ婦人の説が何処まで正しいかは、今なおその後の証拠がないので、確かなことはわからない。

ついでに、その後のロシアに於ける伝播の状況を略述しておこう。先ず一九〇三年には前述の如くスナミア紙に掲載され、次には「議定書」の出版者として最も著名なニールスによってその著「小事のうちの大事」の第二版に於て五年に出版されたのである。なおニールスの息子の前述の手紙に依れば、ロシアに於ける最初の公表は二年から三年へかけての冬に於けるモスコフスキヤ・ヴィドモスティ紙上であるとのことである。別にブートミは、その著「人類の敵」の中で、六年に出版している。そしてニールスもブートミもボルシェヴィズム革命迄はその版を幾度か重ねて行った。

かくロシアに於ける伝播の歴史を見ても、ズホーティンが如何なる経路で「議定書」を入手したかは、依然として謎として残るのである。然らば、この謎は今後解決され得る見込があるかと言うのに、現在ではそれを単に所有するだけでも死刑に処せられるソ連に於ては、恐らく現在の猶太的政府が存在する限り、その見込はないであろう。否、或いは永久にその見込はないかも知れないのであって、それには次のような「議定書」式が経緯があるのである。即ち、前ロシア代議士男爵エンゲルハルト大佐が「ヴェルト・ディーンスト」に寄せた通信に依れば、一九一七年にフリイ・メイスン秘密結社員ルボオフ公が暫定内閣を組織した時、猶太問題関係の文書の全部が内務省及び警視庁から持ち出されて猶太人政治家でフリイ・メイスン結社員であるウィナヴェルに引渡されてしまったというのである。

 

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猶太と世界戰爭(新仮名)08

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第一章 猶太魂の本質(続き)

五、猶太聖典及び法典の成立と猶太的「タルムード論理」(昭和16年5月)

猶太問題が単なる宗教問題でないことは言う迄もないことであるが、然し猶太民族の場合に於てもその特質がその宗教に於て最も本質的に現れていることは、他の民族の場合と同一であって、猶太民族の過去・現在・未来を知るためには、何よりも先ずその宗教をよく理解しなくてはならない。勿論、或る宗教を真に理解するためには、その祭式の実際を詳細に知る必要のあることは言う迄もないが、しかしそれと同時に、否、それよりも一層重要なのは、その宗教の聖典を充分に検討することである。この意味に於て吾々は、第一には「トーラ」と称せられる旧約聖書の最初の五巻、次には「タルムード、」次には「シュルハン・アルフ」、そして最後には「シオンの議定書」にまで及ぶ所がなくてはならない。勿論この他にも、旧約聖書の残部、猶太諸法師或いはマイモニデスの著作等は考慮されねばならないであろうが、しかし前の四つを問題とすることで、充分ではなくとも、大体に於ては事足りるのである。それ故にここでは、これら三つをその成立と内容とに亘って極めて簡単に述べて見ることにしよう。殊にわが國に於ける猶太問題研究の最大の欠点は、現在の問題に目を向けることに急なる結果として、その根底を充分に明らかにせざる所にあり、従って、屡々余りにも早急に「八紘為宇」の大理想を持ち出すなどして、猶太に関する相当の知識を有するにも拘らず、極めて容易に猶太の張り巡らす陥穽に陥るのである。無知から来る傲慢さと同じく、原理の確立せぬ知識が如何に危険であるかは、この場合にもよく窺われるのである。

さて「トーラ」であるが、それは「数」を意味するものであって、猶太教の原典をなしている。旧約聖書の始めの五書がそれであることは ―広義には旧約全部を指すこともある― 記述の通りであるが、猶太人のそれに対する尊敬の念は極度に深く、それが「意味」の点から神の言葉である許りでなく、その一語一語、その一綴一綴、その一文字一文字が、その儘神の言葉であって、今伝わっている儘の姿で神より直接にシナイ山上でモーゼに伝えられたというのである。否、それ位ではなくて、「トーラ」中の神の言葉は、シナイ山でモーゼに伝えられる前に、更に正確に言えば、この世界が神によって創造される前に、現在のものと一言一句の相違なしに創造されてあったというのである。自分の宗教聖典に対するこの強烈な信仰は宗教的信念の表現としては尊敬すべき熱意を帯びているのであるが、しかしここに既に見られる物質的文字への執着は、猶太民族に於ける唯物主義の深さを暗示していないと如何して言えるであろうか。殊に創世記の宇宙創成史その他の内容が、印度乃至バビロンよりの輸入品であることを考慮し、またその中の神観乃至道徳観がその儘神の言葉であるという猶太の信仰を問題として考えるならば、かかる言葉をモーゼに伝え或いはそれ以前にそれを創造した神エホバは、決して民族神とさえも言い得ない程度の妖怪乃至悪魔と見做されても差支えないのである。

真のキリスト教に生きんとする者は、キリスト教と猶太教の差を知らなくてはならないし、従って新約と旧約との根本的差異をも知らなくてはならない。旧約の名に欺かれて猶太の世界政策の手先となることは、「われ等の父なる神」の御旨にも叶う筈はなく、況んや身を捨てても猶太の不正を矯(た)めんとした(不正を正そうとした)と称せられるキリストその人の意志に副(そ)う筈はないのである。例えば、米國のブルックリンに本部を有する「万國聖書研究会」という看板の陰謀団体及びそれに類似のものの如きは、何れも、キリスト教の名に於ける猶太帝國主義の一機関たるに過ぎない。ユダヤ民族自身が「神の選民」たることを主張するのに対して、その歴史が果してそれを証しているか否かを見ることもせず、猶太聖書を旧約とする信仰に属することが人を「高等民族」にするという如きお目出度い迷信を抱いて、真の信仰の本質と自己の本質とが何であるかを反省することを忘れる者が如何に多いことであるか!例えばカンタベリー僧正の如くにユダヤ教会のみを保存しているソ連を反宗教ならずとして感激し、また米國のブラウン僧正の如く幾百万ドルの遺産を共産党に寄贈する程度の盲信者はわが國にはないであろうが、しかし「戦争と真理」という如き三歳の童子と雖(いえど)も正気ではなし得ぬ相関概念を作成する無教会派「人工猶太人」の如きがキリスト教者であるというに至っては、キリスト教のためにも遺憾この上もない事であろう。

ここで猶太聖典そのものに帰ろう。さて猶太人の「トーラ」に対するかくの如き唯物主義的盲信は、健全な常識を持つ程度の人に取ったならば「トーラ」の到る処に存することの明らかな無数の矛盾に面しても、猶太人をして矛盾を矛盾として認めるだけの余裕を許さなかった。即ち、神の言葉に矛盾があると認めることが神を冒涜することと感ぜられるのは尤もであって、ここに、その成立史から見ても存在し得ない筈の統一をかかる矛盾のうちに認めようとする努力が生れて来る。神の言葉に矛盾が見えるのは、いまだ神の心に徹しないからだというのである。かくて所謂「解釈」又は「註釈」の必要が生じ、極めて牽強付会(けんきょうふかい:道理に合わないこと)な無数の説が生れて来るが、然しこれらの解釈が単なる解釈と認められる限りはそれらに強制力がないので、かかる解釈に従事する猶太法師連は、彼等のなす解釈は単なる解釈ではなくて、モーゼが神より伝授された神の言葉の一部が口伝によって彼等に伝えられて来たのである、と説くようになったのである。かくして成立したのが「解釈」を意味する「ミトラシュ」であるが、時代と共にそれがまた整頓され、解釈されて、やがて「繰返し」を意味する「ミシュナ」が生れた。旧約聖書と並んで猶太人によって尊崇されている上に、猶太人の本質を知るためには或いは旧約よりも一層適切であるかも知れない「タルムード」は、この「ミシュナ」と、更にこれに加えられた解釈の集成で「完成」を意味する「ゲマラ」とから成っているのであって、これは後にも論及したいと考えるが、猶太聖典として重要な「タルムード」は、その成立史から見る時には、解釈の解釈であるのである。この「タルムード」が現在の形に於て完成したのは西暦四百年から五百五十年に至る頃であるが、現在ではパレスチナ系の小部のものと、バビロン系の極めて大部のものとがあり、欧米に於て普通「タルムード」と称せられるのは後者を指すのである。細字大型書十幾冊と称せられているから、その大部であることは容易に想像がつくであろう。

然しこの大部の書は、現在のキリスト教徒の全部があらゆる神父連の書を読破することはなく、又現代の仏教徒があらゆる仏教経典を通読することのないのに照応して、決して猶太教信者によって全部が読まれることはないのである。然しながら、猶太人が亜細亜の西部から欧州へと黄金を追って流浪するようになっては、個人的乃至団体的の一々の重大事に際してパレスチナの大法師の裁断を受ける暇がなくなったので、ここにより簡便な律法の書を必要とするに至ったのであるが、西暦千年頃にスペイン・フランス・西部独逸の地方に於て書かれた猶太哲学者マイモニデス[1]の著、ヤコブ・ベン・アシェル[2]の著、及びヨゼフ・カロ[3]の著等は、その使命を持っていたのである。いずれも「タルムード」を抜粋し、それに猶太的「解釈」を加えたものである。そのうち最後の書が最も広く読まれたが、これがまた既に大部の著であったので、更に著者自身によって抜粋が作られ、一五六四年から翌年へかけて初めてヴェニスで出版されるに至った。「シュルハン・アルフ」(「用意の出来た食卓」の意)と称せられるものがこれであるが、しかし猶太の他のあらゆる場合と同じく、この書もまた直ちに「解釈」を生んで、現在「シュルハン・アルフ」として我々の手に入るものは、クラクフの猶太法師モーゼ・イッセルレス[4]の書いた部分の加えられたものである。かくてこの書もまた相当大部のものとなっているが、この程度ならば実用的であるので、現在も盛んに活用されている。四部からなっていて、日常生活の諸般の事を規定した巻、祭事を規定した巻、民法乃至刑法の巻、婚姻の巻となっている。唯物論マルクスが常に懐中して、人目を避けては読み耽ったというのも、恐らくこの書か、それの抜粋であるらしく、改宗猶太人で表面的には宗教排斥の元祖であるマルクス(本名モルデカイ)に於てすら既に然りであるから、他の猶太教猶太人に於てこれらの猶太聖典が今に於ても如何なる拘束力を持っているかは、到底吾人の想像を許さぬ所であろう。しかしこの事情は、大部の猶太史の著者猶太人グレッツ教授や日本に於ても一時渇仰随喜の対象となった猶太的「純粋」派の猶太哲学者コーエン等が、或いは著書の中で、或いは法廷の前で、猶太教とその聖典とが現在の猶太人に取っても唯一絶対の価値の標準であり、現行の規矩(きく:考え方の基準)である、と公言しているのを見れば充分に明瞭であろう。

 

[1]ラビ・モーシェ・ベン=マイモーン(MayimōnMoses Maimonides:1135.03.30~1204.12.13)は、スペインのユダヤ教ラビで、哲学者。医学・天文学・神学にも精通していた。アリストテレス主義者、新プラトン主義者。ルネサンスヒューマニズムの先駆者と評価される。

[2] ヤコブ・ベン・アッシャー(Jacob ben Asher:1269~1343)アッシャーは影響力の大きな中世のラビの権威であった。その主な著書「ハラカー」(猶太律法)、「アルバートゥリム」(四つの隊列)に因み、Ba'al ha-Turim (隊列の親方) と呼ばれる。

[3] ヨセフ・ベン・エフライム・カロ(Joseph ben Ephraim Karo:1488~ 1575.03.24)は、今も全てのユダヤ人社会に権威があるユダヤ法の最後の大法典であるシュルハン・アルーフの著者。彼はしばしば「マラン」(我々の主人)と呼ばれている。

[4]ラビ・モーシェ・イセルレス(Moses Isserles:1530~1572)は、ポーランドの著名なアシュケナージ猶太のラビであり、タルムード主義者であり、ポーゼック(猶太教に於てハラカ(タルムード文学)で決着していない解釈や先例のない解釈を決定する権威を持った法定学者のこと)であった。

 

既に論及したように、これらの猶太聖典乃至法典はすべて解釈であり、解釈の解釈であり、そのまた解釈であるが、これは吾々が猶太人の本質を知る場合には極めて興味深い事実を暗示しているのであって、猶太人は「創造的でない」とされるかと思えば、同時に他方では猶太人は「頭がよい」とされるという、一見しては矛盾と見える事柄が、決して真の矛盾でないということも、猶太聖典の成立史に見られる上述の事実を知る者には直ちに明らかになるのである。つまり猶太人の「頭のよさ」とは、「トーラ」又は「タルムード」の解釈の場合のように、本来の矛盾であるものに統一を見出すことであり、勇猛な詭辯によって対象を無視しても或種の「解釈」を成立せしめるだけの大胆さを持つという事に外ならない。それ故に猶太人の頭のよさとか解釈のうまさは、猶太人の実生活の殆ど全部を形成していると称せられる。「虚言・詐欺・裏切り・暗殺」等の諸傾向が頭の仕事として発現したものに外ならぬことが判明する。「タルムード」の成立そのものが既に「トーラ」に対する嘘言であり、詐欺であり、裏切りであり、暗殺であることは、「タルムード」には既に「トーラ」の面影が殆ど全くないと称せられていることによっても判明する。猶太精神の本質が「技術的」であると称せられるのも、真の創造力がなく、解釈のみに終始するがためであろう。一体に解釈的精神は非創造性の一面であって、これは個人的に見ても、民族の歴史を見ても、よく理解の出来ることである。ゲーテの言う創造的批評が如何に稀であり、解釈のうまさという技術の点に捉われない真の創造的解釈が如何に少ないかということが、これを証する。猶太精神の以上の側面を吾々は「猶太的論理」と呼びならわして来ているのであるが、この技術的精神が技術の世紀である唯物主義の十九世紀に支配的地位を占め得たのも、蓋し偶然ではないであろう。兎に角、猶太の「トーラ」崇拝は、表面的には宗教的熱意を帯びているが、実際に於ては「トーラ」は、その解釈者、即ち、猶太法師の「頭のよい」解釈によって、口伝もまた神の言葉なりという詭辯の下に、如何とも変更され得ることになっているのである。

宗教聖典に対してさえもかような態度であるから、他の解釈の場合が如何であるかは容易に想像し得られるであろう。所謂「純粋法学」、「形式社会学」等と呼ばれる猶太系の思想がすべてそれであって、例えば猶太法学が國家をも「純粋」化して××機関説*に及び、また偉人天才の研究に於ては対象の本体を猶太化し、それによって解釈者の「頭のよさ」を誇示するのも、同じ「嘘・詐欺・裏切り・暗殺」的精神の一表現に外ならない。(一六・五)

*美濃部達吉の「天皇機関説」を揶揄していると思われる

 

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猶太と世界戰爭(新仮名)07

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 第一章 猶太魂の本質(続き)

四、猶太の世界支配諸機関(昭和16年5月)

「世界シオニスト同盟」の統領であるヒャイム・ワイズマン[1]は嘗て「権力を目標とする國際猶太機関は決して存在しなかった」と言っているが、これは表面的にのみそうなのであって、同じ彼自身が「猶太評論」の一九二〇年四月号で、「諸君が欲すると否とに拘らず、我々はパレスチナに行くであろう。諸君は我々の行くのを速めることも遅くすることも出来るが、とにかく我々に助力する方が諸君のためであろう。そうでないならば、我々の建設力は破壊力に変じて全世界を沸騰させるであろう、」と威嚇的に言っている通りに、猶太人には幾多の「権力を目標とする」地上的乃至地底的機関があるのであって、その種類の多数であることと多方面であることとは、そのしばしばなる巧妙な偽装と共に、非猶太人には到底思いも及ばぬほどの程度に達しているのである。これは猶太民族が唯一の文字通りの國際的民族である必然の結果である。しかし、勿論場合によっては、「國民的」色彩を帯びることもあるのであって、その例としては日支事変下としては所謂「國民政府」がその最も代表的なものである。猶太民族は國際民族として幾千年に亘り寄生生活をして来ているので、その俳優的偽装性の発達していることは、これまた特に著しい事実である。以下の猶太機関の組織を注意して見るならば、この点もまた充分明瞭になるであろう。

 

[1] ハイム・アズリエル・ヴァイツマンまたはハイム・アズリエル・ワイツマン、カイム・アズリエル・ワイズマン(Chaim Azriel Weizmann(Chajim -, Haim - とも):1874.11.27~1952.11.9) は、露―英―イスラエルの政治家・化学者。シオニスト運動の指導者で、初代イスラエル大統領。

 

先ず第一類として純猶太的な組織について記して見よう。ここでも我々は旧約時代その他の古代に関して述べることを差控え、主として近世のもの、特にわが國との交渉の多い現代のものを中心として見たいと思う。かくて先ず第一に問題としたいのは所謂「ゲットー」のことである。普通日本では、都市の一画に限定されて自由を奪われているかの如く見えるこの組織は非猶太人の少数民族猶太人に対する圧迫の結果であると考えられているし、又これは日本のみでなく、少なくとも猶太的思潮としての自由主義の優勢であった所では欧米に於てもそう信じられていたし、今もまたそう考えられている許りか、猶太人自身さえも自派の或者の為にする宣伝を信じてかく感じていることもあるが、事実は多くの場合にはそうではないのであって、ある時は、少数民族猶太人がその幾千年来練磨されて来た詐欺と裏切りとの力によって多数民族を虐待し搾取することに対する非猶太多数民族の自己防衛の結果であるが、多くは、猶太みずからが非猶太人の目を逃れて干渉されずにその策謀を巡らすための安全なる策源地として設けたのである。それ故にその多くは治外法権的存在であって、他民族又は他國に寄生しながらも、独自の律法と政治機関を持っていたのである。「ゲットー」こそは、現代に数多い猶太秘密結社の祖先であり、原型であるということが出来る。しばしば猶太人は「國家中の國家」を形成していると言われるが、その伝統の由来は実にここにある。

然し現在に於ては、猶太解放革命としてフランス革命以来は、この「ゲットー」は多くは解消したかに見えるが、しかしこれは表面的に或いは空間的にそう見えるだけであって、精神的又は実質的にはそれはなお厳として存在しているのである。かつて「ゲットー」を政治的にも宗教的にも支配したものは、多くは猶太法師から成る猶太長老会即ちカハルと称せられるものであったが、「ゲットー」の外形は消失しても、このカハル組織は厳存しているのである。それに関する注目すべき材料が改宗猶太人ブラーフマンによって暴露されているが、とにかくこのカハルなるものは、猶太人がある数を以て存在する所には必ず存在し、世界のそれらが互に連繋して、所謂「世界カハル」となっていると称せられている。勿論、他の民族も、相当数が異郷にある時には、その代表者によって指導乃至社交機関を形成することは当然のことであるが、猶太の場合はそれがかかる表面的のみではなく、厳密な秘密結社の形式を持つことが注目に値するのである。米國ニューヨーク州のカハルの如きは世界でも最も有力なものであって、現在は二百万の会員を有していると言われている。

以上に比較する時には、以下に述べるものは半秘密結社ともいうべきものであるが、しかし猶太機関としての力は、それが却って半公開の性質を採っているために、強められているとも言えるであろう。先ず「世界イスラエル同盟」であるが、一八六〇年にパリに創設されたもので、猶太人クレミュー[2]の発起になるものである。これも次の結社と共に猶太人の相互扶助団体であることを表面的の看板としているが、それが半秘密結社であるのにふさわしく、猶太の世界政策の一機関として政治的、経済的に活躍をするものであることは、創設者のクレミューが辯護士であり、ナポレオン三世の退位を促した後フランス司法大臣にまでなったことのみからも判明するであろう。現在でもなおその勢力は強烈なものであって、ロシアのボルシェヴィズム革命には大きな助力を与えたのであったし、一般にフランス國内の反猶運動を屈服させる有力な機関である。一八七〇年にロンドンで創立された「英猶協会」はこれの英國支部とも言うべきものである。

 

[2] Isaac-Jacob AdolpheCrémieux(1796~1880)フランスのユダヤ人政治家。法務大臣ユダヤ人の権利の強力な擁護者。

 

猶太の半秘密結社として現在世界的に有力なのは、ブナイ・ブリス又はブネ・ブリスと呼ばれている純猶太フリイ・メイスン結社である。一八四二年に独逸出身の猶太人によってアメリカで創設されたものであるが、世界に於ける國際資本と猶太人そのものとの勢力の中心が英又は仏より米國に移ったのに一致して、猶太の政策機関も現在では在米のものがその優位を占めるようになり、この結社がその中枢機関なのである。猶太資本家・猶太政治家・猶太革命家等のうち有力な者でこの結社に関係のない人は殆どないと言っても過言ではない。米國のバールフ、ブランダイス、フランクフルター、フランスのブルム前首相、マンデル前内相、ボルシェヴィズムのレーニントロツキー、リトヴィノフ、ラデック、猶太的「相対性原理」のアインシュタインの如き人々も決して例外ではないのである。この結社の動向こそ現在の世界の動きの相当パーセントまでを支配すると言っても、これまた決して過言ではないのである。事変下の我々に取っては、在上海の猶太財閥及び米英側役人のみならず、「三民主義」の祖孫逸仙孫文)が何故かこの結社の高給会員であったことを忘れてはならないであろう。

以上の猶太機関は秘密結社又は半秘密結社であるが、所謂「シオン同盟」と称せられるものは、少なくとも表面的には、純公開のものである。即ち、猶太人をして聖地パレスチナへ帰らしめようという運動であるが、既に前節で触れたように、ブナイ・ブリス結社等もまた広義に於ては一種のシオニズムであるから、一九一七年のバルフォア宣言以来の「シオン同盟」の方は、実質的には兎に角、表面的には一応、他の秘密結社と区別される必要があるのであろう。創立者は「猶太國」の著者ヘルツルであって、猶太問題に悩む諸國の支援を得ている。(シオニズムについては後により詳しく論ずる。)

猶太の世界政策の機関は、上記の純猶太的構成のものにつきるのではなくて、その金力と宣伝力に躍らされている準猶太的機関のあることは言う迄もないが、かかる準猶太機関に論じ及ぶ前に、かの純猶太機関と準猶太機関との中間に立ちつつ双方を結合している存在に関して、否、双方系の諸機関の上に君臨しつつ双方の意の儘に動かしている威力に関して、先ず述べて見ることにしたい。そしてそれは、言う迄もなく國際猶太財閥であって、既に世界の富の七、八割をその手に収めていると言われるだけに、いまだ経済第一の拝物的唯物思想が徹底的に克服されるに至っていない現在の世界に於てはその勢力は極めて強いのである。然もこの最有力の猶太の世界政略機関は、単に上述の諸機関及び後述する準猶太組織を自由に操縦する許りではなく、それ直属の侵略機関を持っているのであって、商業的には取引所及び百貨店がその代表的なものであり、政治的乃至精神的方面に於て新聞、雑誌、通信社、出版社、ラジオ、映画がそれであり、人的にはマルクス自身も自覚していたように「欺かれたプロレタリヤ」がそれであり、またマルクス・ボーイと称せられる宣伝に乗り易いインテリの一群もまたそれに属するのである。「自由」「文化」「科学」「ヒューマニズム」等、猶太が善良にして無批判なる非猶太人を欺くために宣伝する言葉は、その文字の意味の正反対に用いられるのが常である。猶太の國際高度金融の金儲けのために、如何に多くの不自由と、非文化と、非科学と、非人道主義とが、自由と文化と科学とヒューマニズムの名の下に行われ来ったことであるか、今では猶太に屈服しているアメリカの自動車王フォードが嘗て言ったように、世界の最有力の資本猶太人の五十人を縛り上げるならば、人間の世界には、たとえ永遠の平和と正義とは到来しないとしても、少くとも相互理解と公正なる競争とがこの世に見られるに至るであろう。

猶太民族は、彼等が自己の罪を非猶太人に転嫁する時に悪用して宣伝する通りに、文字通りに少数民族であるし、「旧約」でエホバが教えて以来労働を好まず、従って如何なる場合にもみずから剣を取る興味も勇気もないので、その世界政略のためには、多くの場合下手人として非猶太人を使用しなくてはならない。かくて猶太は、その金力と宣伝力とを利用して非猶太人を自己の目的に駆り立てるのであるが、それが我々が準猶太機関と呼ぶものの成立の由来である。そしてこれにもまた種々の方面のあることは言う迄もないが、以下我々はそれを政治的・宗教的・社交的に分類して略述して見ることにしよう。

政治的準猶太機関のうち最も著名のものはフリイ・メイスン結社であって、それが秘密結社であるか否かは、前に論及したブナイ・ブリス結社と同じく、論ずる人の立場によって何れともなるのである。適切には半秘密結社と言うべきであろう。即ち、これは表面的には相互扶助団体であり、修養団体であるが、内面的には兇悪なる秘密結社である。その起源・成立等にも諸説があり、その系統にも英國系・大陸系・支那系等と種々あるが、しかし世界のそれが一つの統一を持っていることは、この問題に多少とも通じた人には明白なことである。ブナイ・ブリス結社の如く人的には純猶太のものでないとしても、その國際性のために、元来全く猶太の支配下にあるのであって、それの本来の目標が猶太世界征服の目標と合致したものであるか、或いは猶太の策謀によってそれが猶太の世界政略の機関化したのであるかは論じないとしても、とにかくそれは、現在に於ては、最も有効且つ強力なる猶太的秘密政治結社となっているのである。そして現在に於ては、猶太人はブナイ・ブリス結社とフリイ・メイスン結社との双方に加入することによって、後者を前者の執行機関たらしめ得るようになっている。その故は、後者における猶太人は殆ど常にその高位階結社であるからである。フランス革命の幹部、前世界大戦の原因となった王國皇儲(皇太子)の暗殺等、正体の判明しないテロ行為の大部分は、この結社の仕事である。英國名流の殆ど全部を網羅する「大英ロッジ」、フランスを猶太人と共に支配する「フランス大東社」、猶太非猶太の混合にて著名な本部在米の「オッド・フェロー結社」の如きは、純猶太系のブナイ・ブリスと並んで世界的に著名である。なお事変下の我々に取っては、蒋介石以下重慶政府の首脳部の殆ど全部が、その細君に至るまで、この結社の会員であり、それも単に支那系のそれの会員であるのみならず、多くはアメリカ系のそれの会員であることを銘記すべきであろう。(本書第二部にも秘密結社について記されている。)

なお猶太人とフリイ・メイスン結社の合作であると称せられる國際連盟、思想的に見ても実行者から見てもその幹部が殆ど例外なく猶太人又はフリイ・メイスン結社であると称せられる社会民主主義マルクス主義共産主義ボルシェヴィズム、「人権擁護同盟」の名を持つ実質上の猶太特権擁護同盟、その他種々の反戦的平和連盟又は婦人平和自由連盟等、準猶太的世界政策機関は多数存在しているが、現代に於てこれらの事情を知らないのは、かかる問題を知る必要のない健全なる日本大衆か、猶太系宣伝に躍ることのみを文化的・科学的・進歩的と考える無批判の徒に過ぎないので、これらに関しては今は語ることを差控えたいと思う。

なおここに特に紹介しておきたいのは、独逸人クラインツが北米合衆國の愛國的特志家達の協力によって調査して明らかにした在米猶太の大秘密機関についての記述である。それに依ればこの機関もまた猶太の他の諸機関と同じく表面的な一面を持っていて、その限りに於ては善良なる非猶太人の目にはその兇悪性は一見しては明瞭ではないらしく思われるが、その組織の広大にして強力なる点から見れば、これこそは現在の猶太の世界支配の中心機関であると認めらるべきものであるそうである。この事情は、この機関が今や世界猶太の中心地である北米合衆國にあることを思えば、恐らく正鵠を得たものであろうと考えられる。それ故に次にその組織を簡単に紹介し、そのプログラムの大綱を訳出しておきたいと思う。

その所在地はニューヨーク・シティーであって、絶対的独裁の主義により其処より全世界の猶太組織に秘密の命令を発し、個々の猶太人の意見を徴することはなく、その付属組織は、例えば國際連盟の如く本来猶太的なる國際機関の内部には言うに及ばず、ハーグの仲裁裁判所の如きものの中にも設置されている。殊に注目すべき点は、それが五千万ドルに及ぶ無税の資金を擁していることであり、また第一次世界大戦以後既に一億五千万ドルをその目的のために使用したという点である。そしてこの巨額の金が如何に過去に於て使用され、また将来使用されるであろうかは、後述するそのプログラムによって明らかであると思うので、ここでは先ずその組織をみることにしよう。

この秘密組織は全体としてはアメリカ猶太連合評議会(The American Jewish Joint Consultive Council)と呼ばれ、五つの部門に分かれている。これは一九三三年七月二十二日に、我々が既に論及したブナイ・ブリス秘密結社の頭目であるアルフレッド・エム・コーンの主唱に依って設立されたものであって、在来より存在した欧米の猶太系結社の統一にまで乗出している。我々の論及した「世界イスラエル同盟」の如きも、既にこの機関の一従属機関化しているそうである。そしてカナダ・メキシコ・英國・フランス等猶太支配下の諸國は言う迄もなく、東欧・南米・支那等にも従属機関のあることは言う迄もない。

この連合評議会は、その主唱者がコーンであることから考えても、先ずかのブナイ・ブリスが加入していることは言う迄もない。そしてその使命が探偵乃至諜報事業であり、また戦争誘発関係の事柄であることは、以前より巨大な國際網を所有しているこの結社としては当然であろう。その頭目は現在ではヘンリー・モンスキーであって、ゴールドン、マルクス、セールス、ビスカイエル等が幹部であると称せられる。現在に於てはフリイ・メイスン系秘密結社中最強力のものであって、「イスラエルの勝利」なる猶太系フランス書に依れば、「ユダヤ秘密結社ブナイ・ブリスは全欧米を席巻したのみならず、今では亜細亜にも擴がっている。それは全世界のフリイ・メイスン結社の監督権を手中に収めている、」と言われている。

第二はアメリカ猶太委員会(American Jewish Committee)であって、内政外交の両部門を司り、従ってまた宣伝事務を担当している。既に一九〇六年から存在し、ニューヨーク・シティーのフォーズ・アヴェニュー四百六十一番地に事務所を持っている。頭目はサイラス・アードラーであり、エルクス、レーマン、キルスタイン等が補佐している。次はアメリカ猶太会議(American Jewish Congress)であって、一九一七年から存在し、有名なるアメリカ猶太人ブランダイス、フランクフルター教授等が関係しており、現在の頭目は辣腕なる猶太法師ステファン・エス・ワイスで、リプスキー、ライヒトマン等が補佐し、前のものと同じくニューヨーク・シティーの西五十七街二百二十一番地にその本部を持っている。

次は経済部門を担当する「アメリカ猶太連合分配委員会」(American Jewish Joint Distribution Committee)であって、表面的には慈善事業を装っているために、上述の如くその巨大な資金は無税である。一九一四年の設立にかかり、ニューヨークの東四十二街百番地に設置されている。その名誉総裁はフェリクス・エム・ワールブルクであったが今は死亡し、現在その夫人が総裁となり、エドゥアルト・ワールブルクが事務を代行している。その幹部に著名の金権猶太人が網羅されていることは、今更説明の要はないであろう。

最後は「アメリカ猶太労働委員会」(American Jewish Labour Committee)であって、一九一七年に創立され、殆ど総てのアメリカの労働団体を直接間接にその支配下に置いている。ヴラテックがその頭目であり、ワインベルク、ザリツキーその他が幹部である。

「連合評議会」に加盟している猶太機関が上述の五つで全部でないことは勿論であって、その五つに更に従属する機関等を考慮する時には、なお我々は数多くの猶太結社を数え上げねばならないであろう。しかしここではこれ位で満足したいと思うが、なお特に注目すべき二つの結社に関しては一言しておきたい。その一つは、情報関係の機関としての「インフォーメーション・アンド・サーヴィス・アソシエイツ」であって、五千人の有給情報員と五万人の無給通報員とを持ち、前にはマディソン・アヴェニューのあるビルディングの七、十三、十四、十五の四階を占めていたが、現在ではフォース・アヴェニューの四百六十一番地に本部を持っている。その頭目はフランク・ジェイ・プリンスで、個人としては別の事務所をも持ち、バーミンガム及びスケントンというカトリック教信者の有能なる探偵を直接の配下として活動している。後の二者は猶太人ではなく、全体主義國家の台頭以来その共通の國際性のため往々にして共同戦線を張る猶太とカトリック教との関係を象徴的に暗示していることは興味深いことである。

注意すべき猶太機関の他の一つは「アメリカ自警委員会」であって、前の機関と同じく、大体に於てはブナイ・ブリス秘密結社に付属するものと考えられて差支えないであろう。その頭目は反独主戦者として又主戦論者として、英國のフリイ・メイスン結社員チャーチル及びイーデン、英國猶太人ダフ・クーパー、フランス猶太人マンデル等と並び称せられる猶太辯護士サミュエル・ウンターマイエルであって、あらゆる殺人法の訓練を経た犯罪人及びギャングを統率し、多年来猶太政策に反する非猶太人を「清算」し来っていると称せられている。この点は、猶太の幾千年の暗黒史を充分に知悉せぬ非猶太人に取っては殆ど信ずる事の出来ない複雑怪奇なことであるし、この解説の筆者の如きも人間の名誉のためにそれを信ずる事を欲しない者であるが、ここではクラインツの説をその儘紹介するに止めて、その可能不可能の判断は識者の賢明なる判断に任せたいと思う。

さて我々はここにいよいよこの「連合評議会」の世界政策のプログラムを訳出しておこう。

 

猶太世界政府のプログラム

  1. 滞留國に於ける猶太の國民的及び國際的権利と、猶太の勢力と、猶太の支配との拡張。
  2. 猶太政策上枢要な諸國の外交機関を金力にて全的に買収することによって猶太の計画を促進すると共に、他の諸國に於て増大しつつある反猶太主義を根絶する。
  3. 北米合衆國の政府をその高官連を利用して監督する。同國の諸州をも同一の監督下に置き、また大都市の警察機関をも同様にするが、そのためには枢要の地位にある猶太の代行者の手を借りるか、或いは買収された州知事、市長、裁判官、政治家等の陰謀を用いる。
  4. 北米合衆國を次第に変化して、モスクワの第三インターナショナル支配下に立つソヴィエト共和國となす。この発展は、ソヴィエト組織に類似した新法律によって、既にその目標に近接している。
  5. 北米合衆國の陸海軍を監督するために、ソヴィエトの代行者とフリイ・メイスン秘密結社員とを潜入させ、ブナイ・ブリス秘密結社をそれに協力せしめる。
  6. 陸海軍を完全に無力にするために、怠業を惹起させ、その組織を破壊する。その後になって陸海軍を新しくソヴィエト式に再組織する。
  7. 非猶太人を商工業、銀行、大学教授その他の教職から追出す。
  8. 北米合衆國とファシズム諸國との外交関係を断絶する。その実行手段としては、新聞、教会、議会、ラジオを利用しての反ファシズム宣伝による外に、テロとボイコットとストライキと叛乱とを用いる。
  9. ファシズム國家を弱体化するために、これ等の諸國家に対して猶太人のみならず國際的なるボイコットを継続しまた強化する。
  10. キリスト教文化の混乱と破壊と根絶とを期する。

宗教的方面のものでは日本に於てはなお一般には充分に知られてはいないが、その害毒性に於て「旧約全書」及び「議定書」と匹敵する所謂「燈台社」なるものがある。本部は米國ニューヨークのブルックリンにあって、表面は一種のキリスト教団体の如くに装っているが、その正体は猶太の世界政策機関の一であって、「厳粛なる聖書研究者の団体」又は「エホバの証者」等の名で呼ばれることもある。その主催者は一九一六年迄はラッセルであり、今はラサーフォードである。そしてそれが如何なるものかは、次の如き言説のみからも判明するであろう。

「現在の政府は破壊され、社会秩序は無政府状態に陥らせられねばならぬ。」(ラッセル、一九二二年)

「なお一つの戦いが起ってサタンの作った諸組織(非猶太教及び非猶太國家)を払拭してしまはなくてはならぬ。」(ラサーフォード、三三年)

「神の真理の語の指示に依れば、あらゆる戦争のうち最も恐るべき戦争と比類のない大量的死とが近き将来に迫っている。エホバはその証をする者にこの事実を人類に告知する義務を下し給うたのである。」(ラサーフォード、三三年)

「世界のあらゆる國民の再組織が行われるのであろう。今日用いられている地図は、その王國(猶太王國)に於ては用いられないであろう。」(ラサーフォード、三三年)

「聖書の光に照らして見れば、エルサレムが世界の首都となることを期してもよい。」(ラサーフォード、二四年)

「猶太人が世界の支配権を握るに至るであろう。」(ラッセル、一七年)

猶太独裁をいまだに甘受しないか、或いはそれを新しく覚醒した民族の力によって撥ね返す力のある國に於ては、この奇怪なる猶太の半秘密結社は禁止又は潰滅させられているが、しかしなおその変形であることの疑惑の深い「無教会派キリスト教」乃至「聖書研究会」の如きは、巧みに法網をくぐって、活躍しているかに見える。ルーデンドルフ将軍の言った通りに、かくの如き意味のキリスト者は、「人工的猶太人」であり、有償無償の猶太の志願兵である。

その他社交倶楽部の名を持っているものに國際ロータリー・クラブ(最近は全く猶太的にラジオを利用して勢力拡大に狂奔している)、國際ペン・クラブ等があるが、これらの猶太性とフリイ・メイスン性に関しては最早疑惑を抱く人も皆無であると思われるから、ここではそれを論ずることを避けたいと思う。(一六・五)

 

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猶太と世界戰爭(新仮名)06

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第一章 猶太魂の本質(続き)

三、猶太の神秘の数を解く(昭和17年1月14日)

-「十五」なる数の猶太秘密力に対して有する意義-

標題の真意義を理解する為には、猶太人が如何なる魂の所有者であるかを了得しなくてはならない。然しこれは相当の難事であって、一朝一夕には果され得ないことであり、最小限度に於ても、猶太聖典としての旧約全書(特にトーラと称せられるその最初の五巻)及びタルムードに通暁(つうぎょう)し、猶太哲学としてのカバラを味識(みしき?)し、それに加えて猶太四千年の歴史を達観することを要求するのである。在来の政治的経済的方面を中心とする猶太研究は、猶太の魂の本質を明らかにすることによって補足される時に一層完全なるものとなるであろう。殊に思想対策の分野に関しては、猶太の魂の研究によってのみ根本的な解決の道が発見されるであろう。しかし我々はこの短い論稿に於ては、上述の如き広汎なる問題に及ぶ余裕を持たないので、直接に「十五」なる数に関する問題のみについて述べたいと思うが、もしそれに依って猶太魂の根本的特質がその片影[1]に於てなりとも明らかにされるなら、筆者の労は充分に酬(むく)いられるのである。

[1] 片影:わずかに見えた、ものの姿、人物の性格などの一面。

 

わが國唯一の猶太研究月刊雑誌「猶太研究」の読者は、その第一巻第六号に掲載された「猶太民族の世界征服綱領」を記憶されるであろう。その本文は、一八五一年に今は亡國の運命にあるチェコ國の首都プラーハに於て開催された猶太法師会議の議事録として伝えられているものの主要部分である。そしてこの際に集った十二人の法師がいずれも猶太秘教としてのカバラの行者であったことは、その集会の場所がカバラ行者として著名であったシメオン・ベン・エフダ法師の墓場に於てであり、また秘教の行事に相応しく夜闇の中に於てであったことに依って証される故に、この集会はカバラ行者長老会とも称されている。そしてその議題は言うまでもなく猶太の世界支配の方法とその状況の検討であって、欧米各地の枢要都市に散在する猶太十二支族の代表者が方策を提出しているのである。但し今我々に問題なのは、その策謀の内容そのものではなくて、この長老会議の行われた年号の示す数字であり、またそれがその前にも約百年毎に行われていたと称せられている点である。これを年号にて示すならば、第一回長老会議は一四六四年に行われ、第二回は一五六三に、第三回は一六五三年に、第四回は一七六一年に催され、そして前期の議事録はその第五回のものであると称せられている。そしてこれ等の年号の数字をそれぞれ加算する時は、何れも「十五」となるのである。また第六回の長老会議は当然昨年即ち一九四一年に行われるべきであったと称されるが、しかし、今やプラーハ市は独逸の支配下にあるのであるから、この長老会が予定通りに開催され得たか否かは我々の知り得る所ではない。

上述の議事録が、他の猶太系の秘密文書と同じく、その真偽に関しては正確な証拠とてはないようであるが、しかしそれにも拘らず、かの諸年号が「十五」であることが猶太秘密力に取って必ず何等かの重大な意義を有するであろうことを暗示するには足りるであろう。殊に猶太十二支族を代表する法師がすべてカバラの行者であることからして、かかる数に関する信仰がカバラ秘教の中に於て重要なる地位を占めているのではないかという推測を生むのは当然であるが、果してその中にはゲマトリアギリシャ語に由来し、広義には「数学」を意味するという説が有力である)と称される数に関する神秘が説かれているのである。そしてこのゲマトリアは既にタルムードにも見られるものであり、主として聖書中の難解の語句を解釈する際に用いられたものであった。その方法はヘブライ語字母はそれぞれ数を代表しているので、聖書中の語句の有する数値をその語句を形成する字母の代表する数の和によって示し、同一の数値を有する他の語句又は同一の数値を有する他の概念に依ってその語句を解釈するのである。いま我々は聖書中の語句の場合の例を取ることを避けて、現在の我々に関係の深い方面の現象にこれを応用して見よう。

ヘブライ語に於ける「世界戦争」又は「全地上に於ける戦争」なる語の有する数値は六七五となるが、猶太の年号は普通その千台を略して呼ばれる故に、この数に近来の猶太の年号の千台のものである五千を加える時は、それは五六七五年となるが、これは西暦の一九一四年に相当するのである。そしてこの一九一四年に第一次世界大戦は起ったのである。しかもこの一九一四年の有する数字の相和は「十五」であり、今次大戦が文字通りの世界大戦となった年は一九四一年であってまた「十五」なのである。

かくて問題は、斯く事実上重大な意義を持っている「十五」の数が猶太に取って如何なる意義を有するかである。先ずここにその結論を述べるならば、この「十五」なる数は猶太民族の守護神エホバの数であって、この神聖なる数に関係する事柄は猶太に取ってはまた神聖なるものであり、猶太民族の世界征服計画の実行手段としての戦争の如きは、この数の年に於て行われる時、その守護神エホバの特別の庇護の下に遂行される、というのである。では、如何にして「十五」がエホバの数であるかというのに、子音のみによって綴られるヘブライ語に於てはエホバ(正しくはヤーヴェ)の名はJHWHとなるのであるが、その始めの二字即ちJとHとは十と五なる数値を持ち、合して「十五」となるのである。かくて守護神の名の代表する数がゲマトリアなる数的信仰を有する猶太人に取って如何に重大なる尊信の対象となるかは、猶太人の魂の宗教的傾向の本質を多少とも知る者には、直ちに理解されるところである。

しかし或る人々は、現代の如き所謂「科学」の時代に於て猶太人に於てもかかる数的迷信を信仰するものはあり得ないであろう、と言うかも知れないし、また相当数の所謂文化猶太人のうち他國民の間に生活するものは、少なくとも表面的には、かかる信仰を捨てたことを主張している。然しこれを以て直ちにかかる信仰の偉力を否定するのは早計であって、猶太人以上に文明開化されている筈の一般キリスト教徒の間に於て未だ十三の数が如何なる役割を演じているかを知る者は、「十五」の数の猶太人間に於ける意義を直ちに理解し得るであろう。宗教的権威と政治的権力とを兼ね備える猶太法師が千年一日の如くタルムード等の猶太聖典をその教会に於て説きつづけている限り、猶太の魂には決して根本的の変革はあり得ないのである。

なお一言しておきたいのは、「十五」なる数の持つこの意義を明瞭に認識したのは、タルムード乃至カバラ研究の一部専門学者を除いては、ルーデンドルフ将軍[2]であることであって、これは一九二七年の著「フリイ・メイスン結社の討滅」に於て始めて暴露されたのである。そしてこの暴露が猶太陣営を如何に震撼したかは、将軍に関してその後猶太支配下自由主義諸新聞が極めて悪質の宣伝をしたことによっても理解される。将軍のこの点に於ける功績は、旧約全書申命記第二十八章の持つ意義の開明と共に将軍の猶太研究に於ける二大業績であり、その軍事的功業と共に永く記憶されるべきであろう。実に将軍はその「戦争煽動と諸民族の殲滅」に於て既に十数年の昔より一九四一年の危機を説き続けて来たのである。

[2]エーリヒ・フリードリヒ・ヴィルヘルムルーデンドルフ(Erich Friedrich Wilhelm Ludendorff, 1865.4.9~1937.12.20)は、ドイツの軍人、政治家。第一次世界大戦初期のタンネンベルクの戦いにおいて第8軍司令官パウル・フォン・ヒンデンブルクを補佐してドイツ軍を勝利に導いた。大戦中期から後期には参謀本部総長となったヒンデンブルクの下で参謀本部次長を務め、「ルーデンドルフ独裁」とも呼ばれる巨大な実権を握った。最終階級は歩兵大将。戦後はアドルフ・ヒトラーと結び、ミュンヘン一揆を起こしたが、ヒトラーとは決別した。晩年は宗教団体 Bund für Deutsche Gotterkenntnis(ドイツ信徒の家)を創設し、宗教活動を行った。(wikiより)

 

かくて、猶太の世界征服計画を知る者は、第一次世界大戦が何故に一九一四年に起り、今次大戦が何故に一九四一年にその世界的規模にまで発展せざるを得なかったかの理由を会得することが出来るのである。既に我々の説いた如くに、エホバの年一九四一年に始った今次大戦は猶太人にとっては「人類殲滅戦」なのであって、彼等に枢軸側の勝利が愉快でないことは勿論であるが、然しまた米英ソ支の敗退もまた猶太系諸新聞の宣伝するが如くには痛手ではない筈である。現在までの経過は、或いは猶太陣営の予定のコースを辿っているかも知れない。従って猶太の世界支配機関の一翼としてのフリイ・メイスン結社の有力会員たるルーズヴェルト及びチャーチルは、今やアメリカに於て猶太有力者の感謝を受けつつ、内心大なる愉悦に浸っているかも知れないのである。最近シンガポールより本國帰還を命ぜられた猶太人東洋探題ダフ・クーパーの如きも、その猶太的使命は今や完全に果されたのである。また伝えられる如くチャーチルが退いてイーデン[3]が首相の印綬を帯びることも決して不可能ではないのであって、秘密結社系勢力より見ればイーデンの方が猶太陣営に取っては有用であるかも知れないのであるし、また猶太的世界総赤化策に取っては猶太人リトヴィノフ外相と親戚関係にあるイーデンの方が猶太に取って一層好都合なことは自明である。又ロータリー・クラブ系の半國際人の間に日本贔屓として名声を博していたらしい前日本駐在米國大使が、大東亜戦の宣戦布告を受取るや直ちに或るゴルフ場(このゴルフ場が如何なるものであるかは知る人ぞ知る)に出かけたという噂は、彼が如何なる系統の指令下にあるかを明瞭に示すものでなくて何であろうか。

[3] 初代エイヴォン伯爵ロバート・アンソニー・イーデン(Robert Anthony Eden, 1st Earl of Avon 1897.06.12~1977.01.14)は、イギリスの政治家・貴族。外相(在任:1935~1938、1940~1945、1951~1955)、首相(在任:1955~1957)。

 

今や我々は米英アングロサクソンの暴慢なる世界搾取を討たんとして正義の戦を戦っているのであるが、忠勇義烈の行軍の赫々(かくかく)たる戦果を実に確保せんとするならば、かのアングロサクソンの背後にあって米英の敗退をも自己の世界征服の具となそうとしている猶太のあることを忘れてはならない。支那事変の敵がフリイ・メイスン秘密結社員蒋介石であり、更に米英及び猶太秘密力であった如くに、大東亜戦争の敵は米英であり、更にまた猶太なのである。(一七・一・一四)

 

  付言

 

特に超非常時である現代に於ても、「日本に現存するフリイ・メイスンリイ」等という書が、「科学」の名を僭称しつつも、赤化主義者の片言隻語に絶対の信頼をかけて、フリイ・メイスンリイと猶太とは関係なしという如き時代錯誤の主張をしているのであるから、以上の認識は特に重要性を持つのである。かかるフリイ・メイスンリイの解釈は、猶太が絶対的支配権を有する英米に於てさえも稀に見られるものであって、現代欧州に於ては前世紀の猶太系宣伝として一人前の判断力を持つ者は誰一人耳をかすことをしない所のものである。「科学」なる語を宣伝に利用した者が主として赤色猶太主義者であったことを知る者は、今なお「科学」の名を僭称する怪物が皇國日本にも出没し得る余地のあることを反省して、猶太秘密力の謀略の深刻さを忘れてはならない。

 

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猶太と世界戰爭(新仮名)05

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第一章 猶太魂の本質
二、猶太魂の本質(昭和17年2月)続き

日本と猶太

かような次第で、ユダヤ人と我々とは住んでいる世界が違うと言わねばならないのであり、或いはもっと適切に言いますと、我々とユダヤ人とは存在の次元が違うのであります。従ってユダヤ人と我々との間には、神観に於ても世界観に於ても人生観に於ても、単に百八十度の差があるのではなく、ぐるりと一廻りして三百六十度の差があるのであります。この点は既に前にも申しましたが、これを私は底面を合した二つのピラミッドを使って比喩的に説明するのを常としているのであります。即ち二つの底面の合する所が人間の中にあって人間をして人間たらしめる所の人間の属性の最低面をなしており、これより上方へ向ったピラミッドが普通の人間の存在を象徴し、底面より下へ出ているピラミッドがユダヤ人及びその同類の人間を象徴していると考えるのであります。

以上でたとえ日本とユダヤとがある点に於て似ているような事がありましても、それが決して本質的に然りであり得ない事は、これ以上の説明なしで明瞭になった事と信じます。現人神を上にいただく我々はかの上方のピラミッドの先端に位置するのでありますが、ユダヤはかの下向のピラミッドの下方の尖端に位置しているのであります。何れもピラミッドの尖端でありますから、皮相な観察眼を以てしますならば、種々の類似点を生ずる如くに見えるのでありますが、しかし実際に於ては、形式的に類似すればする程差異の大なる事の証拠となるのであります。これは日本とユダヤとの歴史、國體(国体)、民族性等を正当な批評眼を以て見る人には自明すぎる事でありましょう。

 

人類混淆の問題

ではユダヤ人は何故に上述のような次元に住む民族になったのでありましょうか。この問題は実に困難な問題でありまして、容易に解決は出来ないのであります。以上のように神観も人間観も違っているからそうなったのだとも言えるのでありますが、しかしそうした神観や人間観が出て来るのは、ユダヤ人が非ユダヤ人とは別な次元に住んでいるからであるとも言えますので、神観や人生観が先かユダヤ人そのものが先かという問題は、卵が先か鶏が先かというのと同じく、結局は解決の出来ない哲学上の問題となってしまいますので、ここではそんな複雑な問題に論及することは差控えまして、現代の我々に取っても将来のために重大な参考となる点と関係させて、ただ一つの点についてのみ述べておきたいと思うのであります。

それは実に所謂民族混淆の問題でありまして、ユダヤ人はその四千年の歴史の当初の頃に於ては、放浪生活の結果として到る処で他の民族と混淆した事が伝わっておりますが、それがユダヤ人をしてかかる低い次元の存在たらしめた一つの重大な理由だとされるのであります。歴史的に見ますと、ユダヤ民族は、旧約に出て来るネヘミヤ及びエズラの頃には、他民族との混血の結果として将に滅亡に瀕していたのだそうでありますが、これを上述の二人の指導者が出て、ユダヤ民族を滅亡から救うために他民族との混淆を厳禁したのであります。その結果として現在に至る迄もユダヤの血は絶えずに続き、國土を失い政治的中心を失ったかに見えましても、なおその逞しい生存力を保持しているのであります。かくてその後のユダヤの血は純粋なのでありますが、しかしその血は既に混血の極に達していた血でありますので、換言すれば退化した血をそのまま純粋に保存して来たのでありますので、善良なる血を純粋に保存して来た場合と反対に、マイナス的な要素が却って強化される結果を生んだとも言えるのであります。この点からユダヤ的存在の低次元性は或程度まで説明出来ると存じますが、なお一歩進めて何故に混血現象が民族を滅亡させるに至るかと言いますのに、それは現実の世界にその例を取ってお考えになりますれば直ちに判明致しますように、混血児には諸種の人生問題の解決に当って何れに就くべきかに迷う事が多く、結局は自己の利益に従う外はなくなるのであります。換言しますと、混血人には志操がなく、義務観念がなく、犠牲的精神がなくなるのであります。従ってこの点からもユダヤ魂の本質として我々の論じたような利己主義の出て来ることは説明がつくでありましょう。もう少し哲学的に申しますと、各民族にはそれぞれ神の指示した特性と使命とがあり、従って各民族はそれぞれ特異な理念的存在でありますから、それの混淆はその存在の理念を曖昧にするのであります。従ってそうした民族は滅亡するか、或いはユダヤ的な次元に転落する外はないとも言えると思うのであります。

以上のことは、十九世紀的な唯物論が人種の混淆を人種改良と申したこともありますので、支那事変以来、特に大東亜戦以来、諸種の民族と接触することの多くなった我々と致しましては、充分考慮すべき点ではないかと考えましたので、一言論及したのであります。

 

ユダヤ人の世界政策

さてここでまた話を転じまして、ユダヤ人の世界支配計画は現在に於ては如何なる段階にまで到達しているかという点について少しく考え、以て時局の参考に致し度いのであります。結論から先に申しますと、神命によるユダヤの世界支配の段階は、今次の世界戦争によって世界革命を誘致し、それによってその世界支配を完成しようという所まで来ているのであります。そう言いましても、これは事実その通りに運んでいるというのではないのでありまして、ユダヤ人の希望的観察からはそうなって来ているというのであります。しかしまたよく歴史的に考察して見ますと、ユダヤ人がそう信じているのも全然理由がないとは言えないのでありまして、非ユダヤ人の善良さがこの儘で相変らず正しい批判力を伴わぬと致しますと、場合によってはユダヤ人の希望的観察が実現するのではないかとさえ我々は危ぶまずには居られないのであります。勿論我々は、わが國體(国体)に対する絶対の信念がありますので、結局に於て悪の勝利が来るとは考えないのでありますが、しかしなお真の八紘為宇が世界に実現されるに至るまでに無意義な犠牲の多からんことを思っては、出来得べくんば善良なる非ユダヤ人の蒙を啓いて、かの無意義なる犠牲を最小限に止めたいと念願しているのであります。

ではどうして現在が、ユダヤ人の希望的観察からにもせよ、かような段階に達しているかと申しますと、それはフランス革命以来の世界の動きがユダヤ人の方策通りに動いてきているかに見えるからであります。本日はこの点を詳述致しておる暇はないのでありますが、「自由・平等・博愛」なるフリイ・メイスン秘密結社のモットーを表看板としてなされましたこの革命は、この結社が精神的にも政治的にもユダヤ勢力の支配下にあるのにふさわしく、結局はユダヤ人の解放ということをその最大の結果として生んだのであります。つまりこの悪平等思想は、ユダヤ人を在来のゲットー生活から解放するに至ったのでありますが、元来ゲットーはユダヤ人が自発的に形成して来たものでありますから、それよりの解放は、ユダヤ人に取っては却って迷惑であるか、或いはユダヤ人に取って特に有利となるかの二つの道しかないのでありますが、ユダヤ人はその裏面的勢力によって自己に不利な道を選ぶ筈はないのでありますから、フランス革命によるユダヤ解放は何か大きな利益を齎(もたら)すものであったということになりますが、それはこの革命によって、ユダヤ人が今迄ゲットーに隠れてする必要のあったことを今や公然と非ユダヤ人の間に混じってなし得るようになったということを意味するのであります。従ってフランス革命は、ユダヤ人に取っては大きな特権の獲得であって、よく世間で言われるような同権程度のものの獲得ではなかったのであります。

それから種々の小段階を経まして、第一次世界大戦となり、ここに永く準備された金権方面の世界支配はほぼ確立されたのであります。衆愚政治としての政党政治の支配する所謂デモクラシー諸國又はその亜流の諸國は、この時以後殆ど完全にユダヤの経済的覇権の下に入ったのでありまして、わが國の如きも、この分野におきましては大差のない状況にあったようであります。

然も一方に於てユダヤの政治上の完全な支配は、世界的規模にまではまだ到達することが出来ないで、ロシヤ人の無智文盲を利用してロシヤに於て先ず見本的に成就されたのでありました。この革命が人的要素から見ても資本的見地から見ても、ユダヤの仕事であったことは、今は多少事情に通じた人には常識なのであります。従ってここに於てかの先ず他民族殲滅の見本を実行し、幾百万の人を殺戮したのであります。そしてここを根城として、ユダヤ資本力と宣伝力とを利用して、ユダヤ的な我欲に長じた非ユダヤ人をたぶらかし、コミンテルンとして各國を撹乱し、各民族を先ず内部的に弱体化することによってその殲滅を期しつつあるのであります。

併し先程申しましたように、ユダヤの現在の世界支配策の段階は世界戦争に依る世界革命の誘発であるのでありまして、これが今次の第二次世界戦争の真因なのであります。そしてこれに依って残された政治的方面の世界支配を完成するならば、神命としての世界支配は文字通りに完成するというのでありまして、そのためには今次の世界戦争を長期戦化し、枢軸國を弱体化して内部的に革命を起こさせようとすると同時に、所謂デモクラシー國をも再起不可能にまで荒廃させて、同じく内部的に革命に導き、それによって文字通りに他民族を殲滅しようというのであります。勿論他民族の殲滅といっても、文字通りに一人残らず殺戮することは不可能でありまして、これは抽象的にそうするというのであります。ルーズヴェルトは「今モーゼ」と称せられてユダヤの尊崇を一身に集めているそうですが、これは彼が恐らくオランダから移住して来たユダヤ人の血を享けているという事の外に、世界戦争を拡大し長期化しようというユダヤの方策に従って忠実に働いているからでありまして、彼を先頭に秘密結社員チャーチル、イーデン、ハルや、ユダヤ人リトヴィノフ、ホア・ベリシャ[1]等の演じている八百長芝居は、単に枢軸打倒では割切れない要素を多分に含有しているのでありまして、米英人そのものをも含む他民族殲滅のユダヤの政略を考慮しない限りは、ルーズヴェルトチャーチルの赤化迎合政策に見られる半祖国的傾向は理解が出来ないのであります。米英合邦とか称せられていることは、形式と時季とは不明であると致しても、早晩実現することでありましょう。否、既にもう実質的には実現されていると言っても差支えないのではありますまいか。

 

[1] Leslie Hore-Belisha, 1st Baron Hore-Belisha(7 September 1893年9月7日~1957年2月16日)は、英国の自由党、挙国一致下院の自由派議員で国務大臣。後に保守党員。1934年~37年交通相として英国の道路網の近代化に貢献した。1937年~1940年戦争省政務官となったが、参謀部とやり合って1940年に罷免された。情報大臣就任の指名が拒絶されたのは反猶太主義によると言われる。(Wiki 英語より)

 

結び

ここで大急ぎで以上のような観点よりする時局対処策について、貧しい結論ではありますが一言させていただきたいと思います。

上述のようなユダヤ的原理は、既に論じましたことからも判明致しますように、我々自身のうちにも決して全く存在しないものではないのでありまして、人間の中にあって人間をして人間たらしむるに足らぬものでありますから、もし我々が自己の中にあるかの卑しむべき我欲的本能に屈従致しますならば、我々もまたユダヤと変りはない存在に堕するのであります。これは悲しむべき事でありますが、自己の身辺にもしばしば見うけられるのでありますから、我々は決して気を許してはならないのであります。自己の利欲の外に何もない利己主義が最もユダヤ的なのであります。東洋に在住した或るユダヤの指導的な地位の金持はいよいよ大東亜戦が近接して来て上海を去るべく余儀なくされるに至った時、「人間に悪のある限りユダヤは亡びず」という捨科白(すてぜりふ)を残して米國へ去ったと或る人から聞いたことがありますが、ユダヤには平常これだけの覚悟と自覚とがあるのであります。これをもう少し一般的な思想史上の言葉で表現致しますと、我々は唯物論のあらゆる形式のものをこの際徹底的に克服しなくてはならないのであります。漠然と米英思想の撃滅などと言っても変な話でありまして、もっと正確に、もっと勇敢にその本拠をつかなくてはならないのであります。勝って兜の緒を締めよという意味は特にここにあるのであります。防諜の本義がここにあることも言うまでもありません。

以上は一般論でありますが、ここになお戦時下に特に注目すべきユダヤ勢力の侵寇に関して具体的な場合を、外よりする場合と内よりする場合とに分けて、二三述べておき度いと存じます。

先ず外よりの侵寇でありますが、それが米英のみならず中立國等を利用してのわが國銃後撹乱策であることは申し上げる迄もありません。しかしかような一般の場合はこの講演の使命外であると考えますので、私としてはそんな点は論じないことに致し度いと存じます。また占領地等に於て、例の「時が微笑むものには結びつくべし」という指示に従って幾千年の訓練を得たユダヤ式の偽装によって協力を粧って(よそおって)来るものがありましょうが、これはフリイ・メイスン秘密結社の厳重な検察その他によって峻厳すぎる程峻厳な処置を講じても決して行き過ぎではないのであります。國内に於ても最近の共産派の検挙によっても判明致しますように、ユダヤ的原理は偽装をその本領とするとも言えるのでありますから、なかなか油断がならないのであります。

しかし戦線方面のことは当局に信頼致すことに致しまして、我々ユダヤ問題研究者として特に銃後の問題として注意致さねばならないのは、前からその蠢動[2](しゅんどう)はありながらも、最近に至って特に著しく地下的動きを示しつつあるかに見える日猶同祖説であると存じます。これは小谷部とか酒井とかいう一見日本主義的側面を有するかに見せる親猶主義者、否、拝猶主義者、及びその亜流が意識的及び無意識的に説いたのが代表的なものでありまして、その日本主義的偽装にたぶらかされて、無批判且つ軽薄な日本主義者の一部分にも帰依者を有するようでありますが、何れも何等かの連絡でユダヤと近接関係にある者のユダヤ的偽装術にひっかかっているのでありまして、時としては不敬罪をも犯して平然たる所のある非國民が多いのであります。英國が現在のようにその貴族の血に至るまでがユダヤの血によって汚されるに至った原因の一つは、たしかにかの英猶同祖説のためでありまして、この点については他日研究を発表致し度いと思いますが、ユダヤの他民族侵寇の手の一つがこの〇猶同祖説なのであります。遠大なユダヤの策謀は、時としては唯物主義的、自然科学的研究のみを事実として承認する類似ユダヤ主義者を迷わせて旧約の風俗その他を利用させたり、或いは空想以上に無根拠な言霊(ことだま)学などを盲信して、日猶同祖説を説くようなことをさせるかも知れないのでありますが、それは人間の眼が二個である限り、また人間の声音機関が日本人に於てもユダヤ人に於ても大差のない限りは、先入主を以て類似点のみを探査する場合にはあらゆる場合に成立する同祖関係論でありまして、この種の親猶主義者に特徴的であるのは、類似さえあれば爪の垢ほどのことも重大視しながら、差異のある点は如何に重大な事であっても決して考慮に入れないことであります。誠に情ないほどの幼稚な無批判さでありますが、先入主の力は実に大きいものでありますので、我々としては特にユダヤ魂の本質を明らかにしなくてはならないのであります。如何に末葉のことが類似していましても、上述のような次元に住むユダヤ人が我々と同祖である筈はないのであります。或いは全人類創成の頃に遡って申しますならば、或いは日猶も同祖でありましょう。然しこれは全人類が同祖であるということに外ならないのでありまして、そのうち特に日猶関係のみを取り上げる理由はないのであります。ユダヤ問題に正確な批判を持つためには、些細な事実に拘泥する唯物論実証主義の立場のみに止まらないで、正しい理想と正しい思想とを持ち、真の日本的自覚に立たねばならないのであります。

以上で外部からの侵寇の問題を終り、内からの侵寇の問題に移りたいと思います。否、よく考えて見ますと、既に同祖説が証しますように、実際に於ては侵寇には内外部の差はないのでありまして、これから注意致しますことも勿論単なる内部的問題ではないのでありまして、ただ策謀の根源が主として内部にあると言うにすぎません。その第一として申し上げ度いのは、ユダヤ利用説でありまして、占領地の開発その他にユダヤの金力を利用しようというのがその代表的なものであり、唯物論的な物の見方を卒業できない十九世紀主義者には極めてしばしば見られる議論であります。しかしユダヤの金が本質的に見て如何にして蓄積された富であるかを我々の説いた所から了察する事の出来る人は、かかる汚らわしき金を利用することが我々としては死に価する屈辱であり恥辱であるのを直ちに感得するのが出来ると思うのであります。唯物思想に毒されて、「武士は食わねど高楊枝」という言葉を軽蔑したことも我々の過去にはありますが、今や我々はかかるユダヤ的米英的立場を根本的に超克して、正しい日本武士道の伝統に帰らねばならないのであります。

次に一言致したいのは既に論及したこともある通りの時局乗便(便乗)の徒についてであります。殊に注目すべきことは、偽装をその本領とするマルクス主義者の國内のみならず、戦線へまでの進出及び跋扈(ばっこ)でありまして、これは支那事変最初から屡々見られました通りに、なかなか油断の出来ないことなのであります。元来赤色系であった言論機関が名目も当事者も何の変更もなく存在しておりますのを見るにつけましても、この点は大いに警戒を要するのではないかと思います。殊に米英資本主義國を倒すかに見える今次大戦の外面的相貌は、ユダヤマルクス主義者にも立働く領域を残しておりますから、一層彼等の偽装時局便乗は巧妙に行われるのであります。しかし今次の大戦がかような赤化主義的な意図を以て戦われるとすれば、それは全く無意義なのでありまして、この点は以上申上げましたことからも、恐らく御了察願えたかと思うのであります。長らくなりましたので、これで失礼いたします。(一七・二)

 

[2] 蠢動:虫などがうごめくこと。転じて、取るに足りない者が策動すること

 

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猶太と世界戰爭(新仮名)04

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第一章 猶太魂の本質
二、猶太魂の本質(昭和17年2月)続き

革命と戦争

マルクス主義に論及しましたので、ここではそれに関係のある革命とか戦争とかのことについても引用しておきたいと思います。昔から革命や戦争でユダヤ人が裏面に於て策謀しなかったのはなかったとさえ言われておりますが、実際、程度と意味とは異っていても、何れもユダヤ人の活躍があったようであります。しかもそれがまたヤーヴェの命としてユダヤ人に感ぜられているのですから、その根底の深さが窺われると思います。

「エホバの剣をおさえて血を流さしめざる者は詛わる、」とはエレミヤ記にあるものですが、よく引用致しました申命記にも、「わが箭(矢)をして血に酔わしめ、わが剣をして肉を喰わしめん、」とヤーヴェは言っているのであります。

即ちユダヤ人に取っては、他民族を殺戮すればする程ヤーヴェの意に叶うというのでありますが、それが今迄述べました他民族動物視等の背景を持っているのですから、如何なる兇悪なものであるべきかは容易に理解され得るでありましょう。

 

猶太人の掠奪

しかしユダヤ魂の本質は、タルムードに移りますと、これらの諸問題に関しましても一層明瞭に、赤裸々になって来るのであります。

「非ユダヤ人を掠奪することは許されている。何故ならば、聖書に『汝の隣人より奪うべからず』とあるからである。」

旧約と合わせて考えますと、非ユダヤを掠奪することの許されているのは、それが神命であるからなのですが、この引用で特に注目に値するのは、「聖書に汝の隣人より物を奪うべからずとあるからである」という掠奪許容の理由であります。前にも言いましたように、ユダヤ人に取っては非ユダヤ人は「人」ではなく、従ってまた「隣人」でもないのであります。従って非ユダヤ人に対しては「人間」に対する義理とか責任は成立しないのであります。一般に旧約聖書なるものは、それの書かれた意図通りに、換言すればそれをユダヤ教の経典としてその編纂者ユダヤの解釈に従って読む時には、世界にこれに匹敵する怪文書は皆無であると言っても差支えないと思われるのであります。それを善良な非ユダヤ人はその中の毒をも薬とし、時としてはその無批判のために意識的無意識的に所謂「人為的ユダヤ人」となることは、ルーデンドルフ将軍等の指摘している通りであります。

またタルムードには同じ問題に関して、「非ユダヤ人の財物は主人なき財物に等しい。故にそれは最初に手に入れた者の所有となる」と言い、「拾ったものを非ユダヤ人に返却するのは罪悪である」と言って、非ユダヤ人には所有権を認めないのでありますが、これもかの世界支配を前提とし、非ユダヤ人を動物視するユダヤ人としては当然の態度でありましょう。犬が金を所有するということが我々に理解出来ないのと同様に、ユダヤ人に取っては、非ユダヤ人が物を所有するということは理解が出来ない許りか、神命としてそれを掠奪せねばならないのであります。

「非ユダヤ人の財産を管理するのはユダヤ人の権利である。」

これも前と殆ど同一の信仰の表明でありますが、特に現代に於て興味深いのは、所謂デモクラシー金権諸國やボルシェヴィズム國に於て、これが種々の金融組織によって実現されていることであります。

 

他民族の殺戮

所がこの言葉に続いて、「またユダヤ人は非ユダヤ人を殺戮する権利を有している」と書かれているのであります。ついでに同じようなものをも二、三挙げますと、「邪教徒を自ら手を下して殺害することは許される」とか、「不信者の血を流す者は主に生贄を捧げるのと同じ値のあることをしたのである」ともあるのであります。

これらの引用句の内容は、非ユダヤ人から見ると信じられない程に極悪無道のものでありますが、しかし今まで述べましたことが理解されますならば、恐らく何らの説明なしに理解出来るのではないかと思われます。前にも申しました通り、ユダヤ人は戦争と革命とが大好きな民族であり、また市場の所謂テロとか暗殺とかいうものが極めて多くユダヤ人のやった事であると言われているのを想起致しますと、これらの言葉がよく理解されると存じます。そしていずれもその背景をなすのが宗教的信仰であるということは誠に重大でありまして、ユダヤ教は最も狭量な宗教であると称せられて来ておりますのは、こうした点にもその理由を持っているのであります。一見祭政一致的な体裁を備えながら、正しい八紘為宇の日本的祭政一致との差が如何に大きいかは、この点からだけからも察せられるでありましょう。

かように他民族の殲滅による世界支配の神命は、ユダヤ人に非ユダヤ人殺戮の権利を認めているのでありますが、然もユダヤ聖典はその際に如何なる方針で進むべきかをもまた教えているのであります。

「非ユダヤ人の最上のものを殺戮せよ。」

偶像崇拝者のうち最も律義なる者を屠(ほふ)れ。」

これらがそれでありまして、これを換言すれば、非ユダヤ人の王者とか大政治家とか大有徳者とかを殺せというのでありますが、これは他民族の殲滅を目標とするユダヤ人としては当然でありましょう。ここでユダヤ人の非ユダヤ人に対する態度全般をいま一度別の表現で説明しますと、ユダヤ人なるものは他民族に対して常時戦争状態にある、とも言い得るのであります。そしてそれも既に幾千年以来そうなのであることを我々は銘記しなくてはなりません。従って非ユダヤ人としても、そのユダヤ人に屈服することに甘んじ得ないならば、同じ戦争状態を自覚して対処すべきではありますまいか。後にも触れますが、この点からのみでも甘いセンチメンタリズムに基く同情やユダヤ利用論が文字通りの利敵行為であり、売國的行為であることが判明致すのであります。唯物論清算し切れず、自由主義に未練のある者には、そうした迷夢が大東亜戦下の今なお抜け切らないとは、実に嘆いてもなお余りがあるのであります。それは身命を君國に捧げる皇軍将士への叛逆行為に外ならないからであります。

次に以上述べました幾つかの方面を総括したとも言うべき表現を一つ紹介致しましょう。

「互に愛せよ、掠奪を愛せよ、放縦を愛せよ、そして汝の主人を憎み、決して真理を語る勿れ。」

この場合が誰の物を掠奪するのであり、またその放縦の犠牲となるのが何人であり、その主人が誰であり、真理を何人の前に語らないのかも、最早説明せずし(て)明らかでありましょう。また次のようなものもここで想起されるのであります。

「密告者は如何なる場合に於ても殺害することを許される。」

これは時としてはユダヤ人間にも当て嵌まるのでしょうが、しかし主として非ユダヤ人に対して実行されて来たのでありまして、ユダヤ人の統帥下にあるフリイ・メイスン秘密結社員の場合などには、この事が文字通りに行われて来ているようであります。

「戦争に行く時には先頭に立たず、最後に行け、それは最初に帰還し得んがためなり。」

これもまたなかなかユダヤ魂の本質を知るのには面白いものでありまして、近い例を見ましても、この前の世界大戦のみならず、今度の大戦でも、ユダヤ人は兵籍にあっても極く稀にしか前線へは出ないのであります。例えば日本の甘いインテリをたぶらかすに成功したモーロア[1]の如きがそうでありまして、自己の身の危険があれば昨日迄の祖國を裏切って平気な許りか、暴露文で金儲けさえするのであります。勿論身分の低いユダヤ人のうちには他民族の目を晦(くら)ますために犠牲として戦線へ駆り立てられる者もありますが、現世の事には何事にも例外があるのですから、取り立てて言うには当らないのであります。ここではそうした少数の例外を問題としているのではないのでありまして、ユダヤ魂の本質を象徴的に表明するような例を述べているのであります。

それからまたユダヤ聖典は、ユダヤ人特有の偽装とかカムフラージュについても教えているのでありまして、例えば「時が微笑む者に結びつくべし」と書かれております。時局に便乗してマルクス主義者が國體(国体)論をしたり、大東亜新秩序を臆面もなく呼号しておりますが、ユダヤ的なマルクス宗を信ずるだけでもこれ程にユダヤ的に偽装が巧妙になるのですから、本物のユダヤ人が如何に偽装に巧みであるかは申すまでもないでありましょう。熱狂的なユダヤ教徒であったマルクスマルクス主義を説いたという一事を以てしましても、ユダヤ人の「頭のよさ」と「嘘のうまさ」に基づくカムフラージュの天才的なことは理解出来るのであります。

また次のようなものもあります。

「団体が長を選ぶ時には蛆虫にて一杯になった袋を背負った者を選べ。そして彼が命令に従順でなくなる時には直ちにその背中を見よ、と言え。」

とあるのであります。世間でよく言われて居りますように、ユダヤ人は非ユダヤ人第一線主義を取るのでありますが、この言葉はその場合の方策を表明したものでありまして、ユダヤ支配下の國では、大統領とか首相とか大臣とかには相当にこの種のやり方が実行されているのであります。以前の例ではフランスのブリアン大統領、米國のウィルソン大統領等はその著しい例でありまして、何れも前に婦人関係とかの破廉恥罪があったのだそうであります。現在でもチャーチルは前大戦の時に海軍大臣の職を利用してユダヤ人と共謀して金儲けをした事実があると言われています。恐らくルーズヴェルトも例外ではないと察せられます。スターリンの如きはユダヤ人リトヴィノフと銀行預金の強奪をしたギャングの一味なのであります。

 

猶太経典解釈の融通性

最後にもう一つタルムードから紹介致しておきたいと思いますのは、

「神はモーゼに立法を与え給うたが、それは同一の事を四十九種にも不潔とも清潔とも証明するだけの余裕のあるものとなっている、」という言葉であります。これは前にも論及しました通りにユダヤ人の「頭のよさ」の根拠を示す語でありまして、その「頭のよさ」が「嘘のうまさ」であると言っておきました意味が、このタルムードの語を知る時に実に明瞭となるのであります。即ちユダヤ人は神の与えた律法に対しても、それを文字通りに信仰するというよりは、それに解釈を加えて、同一の事を四十九種にも白とも黒とも言う術を心得ているのでありますから、ユダヤ人があれ程恐れ戦い(おののい)てその命に服しているヤーヴェの律法ならぬものに対して、ユダヤ式の口吻を用いて言いますならば、百種にも二百種にも白とも黒とも言うことをするに違いないのであります。これがユダヤ人の「頭のよさ」の真相でありまして、神に対する真の畏敬と人間に対する真の責任感とを持つ者は到底そうした態度を取り得ない筈でありますが、神をもペテンにかけんとし、非ユダヤ人を動物視するユダヤ人に取っては、以上のような態度は当然なのであります。この点から度々論及しましたユダヤ人の「解釈のうまさ」とか、カムフラージュの巧みさとかも理解が出来るのであります。また高利貸や取引所の仕事に巧みなのも同様でありましょう。

 

あらゆる価値の改価

旧約やタルムードからの引用が大分長くなりましたので、これ位でこれを止めまして、ここに多少総括論を述べさしていただき、時間が許しますならば、かような立場から現下の問題に対して特に心を致すべき点の二三についても申述べて見たいと思うのであります。

独逸の哲学者ニーチェの言葉に「あらゆる価値の改価」というのがありますが、これがユダヤ人に於ては文字通りに行われているのであります。詰りあらゆる価値とか批判とかの標準が人類一般の場合と全く異っているのであります。この事は以上述べました幾つかの場合の例でお分り願えたと存じますが、あらゆることはユダヤ人の手にかかると反対の意味となって来るのであります。この点はユダヤ問題の研究には実に大切であります。

 

悪と否定の原理の具象化としての猶太人

ユダヤ人の特性を説明致しますには種々のやり方があると存じますが、ユダヤ人は悪の権化であり、よこしまなるものの具体化であるとも言えるのであります。従ってユダヤ人が非ユダヤ人を人間に非ずと称しますのは、邪悪の立場を自己のものとする者の見方としては当然なのでありましょう。勿論こう言いましても、我々は決して、ユダヤ人を真似てユダヤ人は人間に非ずと言うのではないのでありまして、ユダヤ人もまた人間であるに相違はないが、しかし人間の中にあって然も人間を人間たらしむるためには当然抑制されねばならないマイナス的な否定的な原理の具体化したものがユダヤ人である、と我々は申したいのであります。では人間の中にあって人間を人間たらしむるためには当然抑制さるべきものとは何であるかと申しますと、それは卑しい本能、即ち利己心、不信、物質欲等がそれなのでありますが、詰りユダヤ人はこれらの本能が具象化したものであると言うことが出来るのであります。

それではこのユダヤ人を駆り立てるヤーヴェとは何であるかと申しますと、これは先にユダヤ人の本性だと申しました邪悪乃至否定の原理が具体化されたものであるという外はなく、言い換えますと、ヤーヴェとは悪と否定の具象化であるユダヤ人がその理想とする所を神格化したものなのであります。従って我々が神として感受致しますものと比較致しますと、ユダヤの神としてのヤーヴェは決して神の名に値しない怪物なのであります。

 

[1]アンドレ・モーロワはフランスの小説家、伝記作者、評論家。本名はエミール・サロモン・ヴィレルム・エルゾグで、ユダヤ系フランス人である。 (ウィキより)

 

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