ドイツ悪玉論の神話040

  アムステルダムから戻ったアンターマイヤーのニューヨークでの演説全文

友よ、再びアメリカの地を踏むことが出来て、何という、喜び、安堵、そして安心なことでしょう!欧州において私が過ごした二週間を通して、聞き及んだ胸が張り裂けるような言語に絶する難民犠牲者の話、恐怖の悪夢でありました。

私は今日、私の帰國に際しての皆様の熱狂的な挨拶(歓迎)に深く感じ入るものであります。それは、勿論、私個人に対してではなく、我々が引き込まれた、人道の名において成される聖戦に対しての呼びかけであったことを理解しています。猶太人も非猶太人も、我々は、同じように懸念する如く、何世紀にも亙る功績が無に帰するべきではなく、文明が死ぬことを許してはならない、という事です。

これは、嘗ての独逸と言う國、そして今では中世のヒトラー國に降臨した、偏狭な考え、民族憎悪や狂信の暗雲が、散ってしまうまで、緩めることなく続けなければならない戦争です。我々が、最後の一人まで協力して、目的を断固貫けば、文明の輝ける太陽は再び独逸の上に輝くでありましょう。そして、世界は、暮らすのにより安全となるでしょう。

我々の乗る船が、今日、誇り高き自由の女神像(フランス大東社-イルミナティ-フランス支部-からの贈り物)の前を航海した際、私は、この公正な自由の國が不幸な独逸に降臨した呪い-それは、その地と文化國民を残忍で野蛮な獣の真の地獄に変えてしまった呪い-を避けたことに深い感謝の祈りを呟きました。

 

世界の懸念

これは、迫害されている我々の同胞のおかげだけではなく、全ての世界が自衛の中でこの信じられない非道の反復から人類を開放するであろうところの今の一撃のおかげであります。今回は、猶太人が犠牲者ですが、次はカトリックまたはプロテスタントかも知れません。我々が、一度でも、独逸政府によって厚かましくも主張されているようなこのような一民族に対する、或いは一思想に対する極悪非道な迫害を國内問題だから、世界が感知する事でないとして許すならば、一体我々の誰が、次の犠牲者となるか、分かったものではありません。

今こそ、地球上の全國民が、野蛮に逆行した國による、その潔白で自衛手段のない市民のわけも理由も容赦もない恐ろしい虐殺・餓死・殲滅が、世界の他の國々が何もしないでおり、保護の手を差し伸べない國内問題であるという化け物の様な主張に対して共通の動機を掲げなければなりません。

私は、多くのこれらの幸いにして國境を越えて逃げられた、しかし財産を残してくることを強いられた、恐怖に脅えた難民を目にし、語り合いました。私は皆さんに言いたい。独逸の猶太人の状況を隠し、或いは誤って伝える、堅い報道管制と虚偽の宣伝工作の中で皆さんに知られていませんが、彼らが暮らしている死よりも酷い恐怖の、日々男性、女性、そして子供たちに対して行われている極悪非道な拷問、残虐行為、それに迫害の驚くべき話の一部が語られつつあるのです。

この話が語られるとき、それは、いつか、無能な國際聯盟がそのリップ・ヴァン・ウィンクルの微睡(まどろ)みから充分覚醒し、自身の力と義務を以って事実の調査を請求する義務を認識するときが来れば、戦争の地獄やベルギーでの残虐行為も色あせてしまうほどの、既に一部が実施されている誇り高い、優しい、忠実な遵法的な人々-祖國を愛し、祖國の為に血を流した、そして、独逸がその繁栄と、偉大な科学者、教育者、法学者、物理学者、詩人、音楽家、外交官、そして哲学者たちに対して借りがある、独逸のこれまでの文化活動の主力であった人々、それらの人々の殲滅作戦について、その野蛮と残虐に、世界は直面するでありましょう。

 

暗黒時代への逆行

しかしなぜ、この様な恩知らずと猛獣が形作る、人種的憎悪、偏狭と羨望のむかつく動機が描く、反抗的な破壊略奪の絵がこんなに長く居座るのでしょうか。それは猶太人が世界の貴族だからです。遠い昔から彼らは迫害されてきました。そして抑圧者の消長を見て来ました。彼らだけが生き残りました。そして、歴史はまた繰り返します。だが、それは我々が嘗ての偉大な國民のこの暗黒時代への逆行を そして60万人の人間の魂を地獄の拷問から救い損ねることを許すいかなる理由にもならないのです、我々に行動の意志があり、キリスト教徒の友人の助けがありますので。

世界の全ての地域、全ての宗教指導者からの反対運動や訴えが、殉教者大統領の民主主義にとって、そして少数民族を守る安全な世界作りの理想主義の夢に過ぎないのと同様に、無駄で、効果がありません。では、我々が既に仕掛けられているこれらの残虐行為に対して行うべき防衛の戦いは、いかなる方策であるべきでしょうか?我々の計画は正しいのでしょうか?正しいのであれば、事を成就するために、今、どのような手順を遂行すべきなのでしょうか?

我々の戦いは、二つの部分からなる-つまり、防御的そして建設的戦いです。防御的戦いは、独逸製品、海運、サービスに対する経済的排斥運動です。建設的戦いは、國際聯盟への訴えで、ヴェルサイユ条約、それは、少数民族を保護するための交渉によるものであったにも拘わらず、独逸の猶太人市民権剥奪と迫害により理不尽にも破約している、そのヴェルサイユ条約の労働基準の確認と遵守徹底要求する事と、独逸による書面での確約を得る事です。

  

排斥運動が意味するもの

排斥運動について言えば、不思議な事に、非常に少数ではあるが、有力で影響力を持ち、思慮に欠ける、しかし疑う事を知らない善意の猶太人が「不買運動」と言う言葉を持ち出すこと自体に強迫観念と驚きをもつように思われることです。。それは、時に、過去の労働組合と雇用者の争議に特徴づけられるような、権力と不法の印象を彼らに指し示します。これらの臆病な精神の持ち主は、資本家で、雇用者なので、この言葉とそれが暗示する全ての事が彼らの耳には憎悪なのでしょう。

事実を言えば、それは、そんなことを指し示しません。これらの紳士諸君は、自分たちが何を話して考えているか解っていません。漠然とした不安や生焼けの考えに取り囲まれるのではなく、我々の義務は純粋に防御的な経済不買運動が意味する事、そして我々が何を為し、或いは提案しているかについて、彼らを教育することにあります。

広く受け容れられている通り、排斥運動は我々の唯一の効果的な武器であります。これら、自分たちの言い分以外に根拠のない虞の相談をする紳士らは、何もして来なかったし、世界の輿論を喚起する以外何ら対策を持っていません。そして、世界の輿論など、最初から我々の味方に決まっているのです。何故なら、それは、文明に対する、野蛮で意味もなく、いわれなき暴力だからです。

彼らのその方向での、無目的的な不毛の努力は、その良心的意図の認知により威厳を獲得したかもしれませんが、それがこれまでの様に不毛であった、その結果を卑下する必要も過小評価する必要もありません。

彼らの努力が役に立たないと証明され、そして恐怖(Schrecklichkeit)による戦いが世界輿論の目の前でも衰えないばかりか、益々その激しさを増し、政府の宣伝工作と言論・報道の自由の制限で間違った方向に導かれた独逸人民の一般大衆が、自発的に或いは、彼らの横暴な支配者による懲罰を恐れて、その地獄の戦いに於いて政府を支援していることだけで充分なのです。

では、これらの感じの良い紳士らは一体何を成し遂げたのでしょうか、そして、何を成し遂げることを望み、期待するのでしょうか、この文明の大火の始まりの中に、その「羽毛の塵叩き」の様な手段で。火事は、特にこのような火事は、憎悪という風にあおられた、荒れ狂う炎が、全てを破壊するのを見ているだけでは、鎮火できないのです。

我々が提案し、また既にかなり実行に向けて取り組んできたこと、それは、純粋に防御的な経済的排斥運動を実行することにより、ヒトラー政権を揺るがす事、そして彼らがその存亡を賭ける輸出貿易を破壊して独逸人民に感覚を取り戻して貰う事であります。

(次回はアンターマイヤーの演説2/2)

 

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今日の共産主義 45の目標13

✔13. 忠誠の宣誓を無くしてしまうこと。

これは国家に忠誠を誓う、と言う事を指しているのではなく、合衆国憲法第6条*を指しており、それは政府の雇用者と選挙で選ばれた指導者に求められ、個人の宣誓により、又は法律と憲法を順守し、破壊活動や破壊する集団に関与しないとする確約により、法的に拘束されることを指す。もう既に50年に亙り、忠誠の宣誓は言論の自由に違反するとして攻撃を受けてきた。宣誓は次第に消えつつある。

例えば1949年、若い進歩派(YP)による運動は大学構内で生徒がROTC(予備将校訓練隊)課程に加わるときの忠誠の宣誓を廃止する要求をした。YP は宣誓を容赦すると、それは主催者の大学による正式な是認を構成することになり、そのような宣誓は全ての学生を同様に拘束することになる、と告発した。[1]

1976年、合衆国国家公務員任用委員会は多くの司法活動に対して、共産党や革命集団の構成員についての全ての質問を求職の申し込みから取り除くことで応えた。[2]

 

[1] “YP Demands Abolition of NROTC Loyalty Oath”, The Harvard Crimson, Nov. 14, 1949.

[2]  Loyalty Oath Abolished, Associated Press, September 9, 1976.

  *合衆国憲法第6条(Wikisource より)
この憲法の確定以前に契約されたすべての債務及び締結されたすべての約定は、連合規約の下におけると同じく、この憲法の下においても合衆国に対して有効である。

2 この憲法、これに準拠して制定される合衆国の法律、及び合衆国の権限をもってすでに締結され、また将来締結されるすべての条約は、国の最高の法規である。これによって各州の裁判官は、各州憲法又は州法の中に反対の規定がある場合でも、これに拘束される。

3 前述の上院議員及び下院議員、各州議会の議員、並びに合衆国及び各州のすべての行政官及び司法官は、宣誓又は確約により、この憲法を擁護する義務を負う。しかし、合衆国のいかなる官職又は信任による公職についても、その資格として宗教上の審査を課せられることはない。

 

【ブログ主の感想】

 日本では外国人の日本への帰化の儀式に日本國への忠誠を誓う儀式がないとか言われますけど、今の世の中が病的なのは、父母への孝心家族への献身とか、地元への郷土愛とか、或いは会社に対する忠誠とか、愛國心、と言うごく自然な感情を何か悪いことの様に批判することですね。

これは、実は、國際主義者が自分自身の内なる忠誠の対象と、表面的な忠誠の対象を持っていることに対する後ろめたさを隠し、或いは正當化するための手段ではないでしょうか? 或いは、そのような宣誓に心が無意識に拘束されると、忠実な國民が増えるため、社会が自分たちの思うように堕落させられないことを嫌うためではないでしょうか? いや、國際主義者・共産主義者だけではなく、特亜の人間もそうですね。

例えば、共産主義者は、國際主義者と同様に、自分の帰属する社会・集団以外に共産主義と言う忠誠の対象を持っています。会社(國)に対する忠誠心と共産主義に対する忠誠心が利害対立した場合、間違いなく会社(國)を裏切って共産主義を取るでしょう。この手の人間は、戦前の日本には殆どおりませんでした。

何れにせよ、そのような人間にとって、忠誠の宣誓(確約)は、いかに彼らが唯物論者とはいえ、やはり後ろめたいことでしたくはないのでしょう。そしてそのような人間を幇助しているのが現代社会の病理ですね。逆に、この様な儀式は単なる儀式であっても非常に人間の社会生活にとって大切な儀式であります。

例えば、食事の前に「いただきます」と言う、
    祝祭日に日の丸を掲げてお祝いする、
    儀式の前に全員で君が代を斉唱する、
    結婚に當たり神様の前でお神酒を酌み交わして生涯の契りを誓う
等と言う行為は、一見体裁だけの様に思われますが、非常に大切な人間の社会生活の一面であります。

それは、それが無ければ重要な社会の制度慣習礼儀を軽んじ、蔑ろにする不逞の輩を牽制し社会を正常に保つ為に洋の東西を問わず、古代から受け継がれる儀式なのです。

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ドイツ悪玉論の神話039

ヒトラーは間もなく、矢継ぎ早に、選挙期間に公約した独逸における猶太人の権力を制限する法案に着手した。4月7日、「文官の復活法」が施行され、公務員職を独逸民族に限定した。猶太人は独逸人口の1%未満だったにも拘らず、彼らはヴァイマル政府を支配し、ヒトラー政権以前の独逸の公務員の法外な割合を占めていた。新しい國家社会主義政権の下では、これらの職にあった猶太人は、免職か、強制的に定年退職となった。前章で詳述の様にこの少数の猶太人は、また、独逸の専門職をも支配していた。4月22日、猶太人は特許の弁護士をすることを禁じられた。また、國家管掌の健康保険の医者として働くことを禁じられた。医療に従事する事は引き続き認められたが、政府支援は受けられなくなった。

4月25日、高等教育の教育機関に入学を許可される猶太人子女の人数を制限する法律が施行された。この法律は、猶太人の入学者数をその人口比率に制限した。

1933年の5月10日には、独逸人の大学生がベルリンや他の都市で集まり、反逆的な、卑猥な、或いは非独逸的主題の含まれた本、特に猶太人作家の本を焚書した。ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相は宣言した。「独逸人民の魂は再び、自分自身を表現出来るようになった。この炎は、古い時代の終末を照らしだすだけでなく、新しい時代を灯すものでもある。」

6月2日、猶太人の歯科医と歯科技師が、國家管掌の健康保険から外された。彼らは、個人的な診療は許されたが、保険適用されなくなった。

國際猶太による独逸への宣戦布告の結果として、独逸では國中で猶太人に対する敵対心が増長した。多くの店やレストランで猶太人は拒否された。「猶太人入店禁止」や「猶太人は(身の安全は)自分の責任で入店する事」という看板が独逸の國中で見られるようになった。地域によっては、猶太人は公園やプール、それに公共交通機関からも締め出された。

 

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暴力助長・猥褻・非ドイツ的な書物の焚書

    ナチスが独逸の浄化の一つとして実行したことは、反逆的な(暴力誘発の)本や猥褻な本、
      それに非独逸的主題の本の焚書があった。ここ、ベルリンの歌劇場前広場でも
     1933年5月10日、独逸の図書館から汚穢の鬱積をナチの敬礼と國歌の中、浄化した。

 

猶太人の排斥運動を前に、ライヒは、まだ始まる前に殆ど猶太に跪くところまで来ていた。猶太人は世界の海運の大部分を支配しており、つまり彼らは独逸の輸出入を遮断する手段を持ち合わせていた。更に、この時期は独逸にとって排斥運動されるには最悪の時であった。何故なら、独逸は恐慌に深く巻き込まれて、就業人口の四分の一が失業状態にあった。

ヒトラーは、正當化される理由が全くない、と言い、排斥運動の終息を要求した。彼は英米の猶太人指導者に排斥運動の非難を訴え、また、多数の責任ある猶太人指導者もそうした。英下院議員の著名な猶太人、レディング侯爵や同じく猶太人のハーバート・サミュエル子爵は、次のような共同宣言を出した。「我々は、独逸での出来事の誇張された報告や独逸製品の排斥運動の如何なる試みも非難する。」これに続けて、英國外相のサー・ジョン・サイモンもこの宣言を支持する手紙を独逸大使に手渡している。しかしながら、國際猶太の独逸に対する戦争は、独逸に対する非難と告発と共に、減じる事無く続けられ、益々如何わしく、煽情的になった。

1933年7月、オランダのアムステルダムで國際猶太排斥運動会議がサミュエル・アンターマイヤーの指導で組織され開催された。アンターマイヤーは、アメリカの弁護士で、「ヒトラーの猶太人抑圧と闘う國際猶太聯盟」の会長に選ばれた。彼はまた、「世界猶太経済聯盟」の会長にも選ばれた。この好戦的な組織は、独逸の猶太人権力と支配の制限をするライヒの計画に対抗するために設立されたものだった。

この会議は、國際猶太に、一方で独逸の猶太人の利益を守りつつ、宣伝工作、金融操作、排斥運動の強化など、あらゆる、好き勝手な手段で、対独逸全面戦争を遂行することを呼び掛けるものであった。

米國に帰國後、アンターマイヤーは、ニューヨークのWABCを通じてラジオ演説をし、その中で宣戦布告を発表した。この演説の原稿は、その後、1933年8月7日版のニューヨークタイムスに公開されたが、次節にその全体をご紹介する。

アンターマイヤーの敵意を掻き立てる演説は、独逸で起こっている事の見え透いた嘘陳述であった。彼の「ナチ」による猶太人に対する残虐行為の主張は、単に事実ではなかった。アンターマイヤーは、大げさな態度で「ナチズム」を「文化的國民から残酷で野蛮な獣の地獄に変えられた、暗愚な独逸にふりかかった呪い」として描いた。比較して、彼は、猶太人を「世界の貴族」として描いた。

アンターマイヤーは、独逸が猶太民族を「殲滅」しようとしていると宣言した。これは未だ1933年であった。独逸では誰一人その様な脅威を口にしては居なかった。アンターマイヤーは、独逸の存在そのものを破壊するための独逸に対する「聖戦」を公布した。独逸製品を買わないよう、独逸人商人をお得意にしない様、独逸と仕事している企業と取引しない、また、買わないよう、そして独逸の船で製品を輸送しないよう、世界中の猶太人が命令された。猶太人の銀行家は、独逸人にお金を貸さない様に告げられた。アンターマイヤーは、世界中の全ての猶太人への公式の演説で言った。「我々が提言して、また既に実行に向けてかなりしてきたこと(中略)は、ヒトラー政権を弱体化し、独逸人がその存在を負っているところの輸出を破壊することによって、独逸人民を正気付かせることである。」このように復讐の「聖戦」が始まり、またそれは既に1933年の8月7日、アンターマイヤーの演説の日までに既に進行していたのであった。

アンターマイヤーの演説は、それが最初の「ナチス」独逸の猶太人「殲滅」の意図を非難したものであるという意味に於いて歴史的な演説であった。然るに、独逸國内では誰一人そのような脅しをした事が無かった。彼は、「ナチス」が、独逸國内で言葉にできない様な残酷な事や残虐な事を猶太人に対して行なっていることを非難した。しかし、現実には、彼が演説した時までに猶太人には全く何も起きていなかった。この様な、煽情的な、しかし、根拠のない独逸の猶太人に対する残虐行為に対する告発が1930年代の國家社会主義時代を通して、更に戦争を通して続けられ、そして、戦後のニュルンベルク裁判に向けて強められたのだ。1933年3月24日の猶太人による独逸への宣戦布告と、それに続く1933年7月の國際猶太の排斥運動会議こそ、真の第二次大戦の始まり、とも言えるのである。

独逸政府はこの演説に抗議したが、米英では誰も聞く耳を持たなかった。それは、両國では既に、1921年以来、猶太人の新聞により吐き出された執拗な反独逸宣伝工作戦により、独逸について極悪な事を信じる条件が整っていたからだ。

アンターマイヤーの完全な演説を次にご紹介するので、読者は、その煽情的な本質を読者自身で判断できるであろう。

 

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猶太人指導者:サミュエル・アンターマイヤー

(次回はアンターマイヤーの演説・二回に分けて掲載します)

 

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今日の共産主義 45の目標12

✔12. 共産主義非合法化の全ての試み(動き)に抵抗せよ。

最高裁共産党を非合法化する試みに反対した。イェーツ(対合衆国)訴訟(1957)*のような裁判で、合衆国に対する破壊的な活動を主張することは、それが合衆国政府を力によって転覆する急激な行動の主張になるまでは合衆国憲法修正第一条に照らして合法である、と最高裁は判断した。言い換えれば人民は、実際に行動を試みない限りに於いて、自由に組織し、抗議し、合衆国政府を転覆する企てをする事が出来る。

 *Yates v. United States, 354 U.S. 298 (1957)

註:実際の訴訟、デニス事件(Dennis v. United States, 341 U.S. 494 (1951case)に於いて、この文言は問題にならず、逆に共産主義者が他の意見を事前検閲するという意味において修正第一条の保護する対象にならない、と言う意見が通り、共産党幹部11人全員に有罪が確定した。しかし、このイェーツ判決は保守派から厳しく批判された。

 

【ブログ主の感想】

この憲法修正第一条の解釋を巡っては意見が分かれるところですが、アメリカらしい決定であると思料致します。私は高校生として米國留学し、アメリカ史を必須科目として一応学習しましたが、筋の通った國體の素晴らしさを感じます。

所謂英米法律学に於いては「先例」と言うのが非常に大切なのです。

端的に申しまして、この判決は共産主義者が合衆国政府の転覆を企てて集会してもそれを非合法組織として取り締まることは出来ない、と言う意味です。しかし、これはいわば諸刃の剣でして、修正第二条と共に米國の國體を如実に物語っています。

この先例(判例)があると、例えば、連邦政府や州政府が特定の利権集団に乗っ取られて人民の自由が奪われるような事態になっても公然とその政府に対抗する組織を作ることが出来る事を意味します。蓋し、筋の通った憲法(國體)は素晴らしいのです。
(合衆国憲法はその前文に於いて、政府が抑圧的な権力になった場合は人民はこれを打倒する権利を有する、と堂々と書いてあります。それが修正第一条と第二条の精神なのです。)

振り返って、今日の日本占領憲法天皇陛下の地位は如何でしょうか? 一方で天皇は日本國民の統合の象徴である、としながらその地位は国民の総意に帰すると宣言するこの矛盾は全く憲法(國體)の名に値しない、筋の通らないものです。

これは言うならば、日本國には主権があるけれどもそれは国連の総意に帰するものだ、と言う文言に等しいですね。あるけれどもない、と言う許されざる矛盾です。

実は国連憲章もこの様に書かれているのです。ま、国連憲章に関してはまた何れ、赤裸々の共産主義者を解説する中で明らかになるのでここでは控えますが、私が、現占領憲法を廃止すべきと言うのは當にこれが理由です。

大日本帝國憲法では「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と直截的に述べており、これこそが日本の國體です。日本は、ポツダム宣言を受容れたら國を温存してやる、と言う詐偽に騙され、占領軍に國體を勝手に変えられてしまったのです。

閑話休題共産主義者の目標が達成されて敗北したように見えるこの目標12ですが、米國の國體がきっちり保全されていることは、希望でもありますね。

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今日の共産主義 45の目標11

✔11. 国連が人類の唯一の希望として振興する。憲章が書き直せるなら、世界で一つの世界政府としてその独立した軍備を持つことを要求する。

国連は新世界秩序の「二度目の試行」として記述されている。しかしながら、その多数の条約、社会主義を推進し、伝統的西欧価値観を解体する計画や議題は統一する組織としての信頼を失っている。それは自由の最善の利益を念頭にしておらず、世界の権力を単一の組織に集中しようとしている。

2009年、「地球規模の民主制」の要求が国連で導入された。次の年、国連組織は民間軍事・安全会社を規制する条約の支持を求めた。何百もの他の国連の宣言は、国民健康福祉、全ての民族/国家の国際裁判所への随従、世界の集団的意志への随従、人民の意思に置き換わる新しい道徳の構造の制度化など、社会主義者/共産主義者の議題を要求している。

国連の支持者はこの集団権力を偉大な平等化と見ている。しかし、この理想郷の夢の中心は合衆国を世界の大国として弱体化する必要性である。合衆国が自由の基準を保持するその名声を失うにつれ、専制政治が世界の他の場所で興るのである。

 

【ブログ主の感想】

 既に前回ご紹介しましたが、国連は主権国家聯盟ではなく、國際主義推進事務局です。国連の目指す自由とは個人の無制限の自由であり、それは民族の自由と相反するものです。(しかし究極においてこの「個人の無制限の自由」は個性が完全に崩壊し、個人が人格を失わないと実現できません。そして、個人の人格を保ちながら一定の自由を保証する民族主義国家主義はこの動きに逆行するので批判されるのです。)

国連の目指す新世界秩序とはつまり共産主義者の目指すものと同じであります。

共産主義者は経済活動の究極の成れの果てが一部の有産階級による富の独占であり、それを防ぐために革命が必要、と謳ったのですが、それは逆に国家による富の独占と全ての権限の独占(つまり独裁)による政治であり、そこでは個人は「労働力」と言う人格のない存在であり、生産の手段でしかありません。あらゆる個性は無視され、人間性は否定されるのです。人間を(平等に)機械と同様に扱うこと、それこそが経済活動しか歴史の要素と考えない共産主義史観です。

そう言う社会を実現するために、共産主義は二手に分かれました。一つはソヴィエト型の独裁政治による「強制的社会変革」、もう一つは、ソヴィエトを追放されたトロツキー(本名:レフ・ブロンシュテイン)による(或いは、フランクフルト学派とも言われる)既存社会の弱体化による道徳・民族意識・宗教・家族・國家意識・美意識などの衰滅を通しての人間の動物化による「洗脳による社会変革」です。

国連は、出来た当初から親ソヴィエト・新世界秩序構築の道具であったのですが、ソヴィエトの崩壊により、明確に上述の二つ目の手段による国家・民族、そして何よりも伝統的道徳の解体を目指す様になりました。

つまり、国連とは反文明であり、反国家であり、反民族であり、反主権国家であります。従って主権国家は自分の運命を国連に託すことは出来ません。この事は我が國肇国の理想である八紘為宇(八紘一宇)と完全に逆の立場です。

国連の究極の目的は世界を網羅する1%の大富豪とそれに追随する専制政治なのです。

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ドイツ悪玉論の神話038

ヒトラーと國家社会主義の下での独逸の出来事は、猶太人の新聞の中で、故意に誤って伝えられた。小さな出来事を その実際の意味とは丸っきり違う程度まで大げさに誇張した。どんな行動の噂も、そして問題にならない小さなことでさえ、反猶太の事は大げさに、おまけに大量虐殺が間近に迫っている様に喧伝された。國家社会主義者についての猥褻な噂は、事実として公表され、そしてかの有名な「目撃者証言」(後に、鑑識的な証拠がない中で「ホロコースト」説の元となった証言)により支持され、大々的に流布された。

このヒトラー政権に対する宣伝工作戦は、第一次大戦中に独逸に対して行われた捏造宣伝工作戦を思い起こさせるものだ。それは、独逸兵が、赤ん坊を銃剣で刺した、とか、少年の手首を切り落とした、とか、少女を強姦した、などと言う戦後になって全てが反独逸感情の憎悪を煽るための捏造であったことが証明された出来事であった。

國家社会主義党の幹部は、これらの誹謗中傷と猶太の新聞で広められた虚偽を憤慨を以って否定し、そして、正式な、書面の抗議書さえ発行したが、誰も聞く耳を持たなかった。猶太人は兎に角反「ナチ」・反独逸宣伝工作戦に大成功であったが、それは猶太人が西側すべてで主要なメディアを支配していたからであった。独逸には、誹謗に対抗する手段がなかった。そして、誹謗中傷は信じられた。この宣伝工作の結果、特に英米の大衆の意識が独逸と國家社会主義に反対するように毒されただけではなく、本来ならもっと知っているべき公機関の高官までもが取り込まれ、熱心な「ナチ」憎悪者になり果てたのである。

ルーズベルト大統領自身、誰よりも毒舌の独逸嫌いとなった。彼は、屡々ヒトラーや他の國家社会主義政権の人間について、個人的に軽蔑的な、見下げた意見を公の場で述べ、それが米國と独逸の友好的な外交関係の可能性を悉く破壊した。ルーズベルトが辛辣な反独逸になったのは、彼が反独逸の猶太人の顧問、中でも、ハンス・モーゲンソウ、バーナード・バルーク、それにフェリックス・フランクファーターなどに囲まれていたからだった。歴史家のアーサー・シュレジンジャー・ジュニア(彼自身猶太人である)は、ルーズベルト大統領に関して次の様に特筆している。「猶太人をこれほど多く公職に指名した大統領は居ない。猶太人の顧問をこれほど多く自分の周りに配置した大統領は居ない。反猶太主義をこんなに雄弁にしかも執拗に非難した大統領は居ない。猶太人は、このはるか昔日には殆ど全員がリベラルであった。そして大多数がFDR に4度とも投票した。」

ヒトラーと國家社会主義者が政権に就くと即刻開始した反独逸宣伝工作戦に加えて、猶太の指導者は大規模な反「ナチ」デモを英國を含む全欧州、そして特に米國で組織した。1933年3月12日、ヒトラーに全権を与える法律が通過するより11日も前に、また、独逸で猶太人に反する行動がとられるよりもずっと前に、全米猶太人会議は、3月27日にニューヨークのマディソンスクエアガーデンで大規模な反「ナチ」抗議集会を開く、と発表した。猶太人退役軍人の最高司令官は、独逸製品の不買運動を呼び掛けた。3月23日、ニューヨークの市庁舎前で猶太人二万人による抗議集会が開かれた。集会はさらに北独逸ロイド&ハンブルクアメリカン商船会社の外でも行われ、そしてニューヨーク市全域の店舗・企業で独逸製品の排斥運動を組織した。この時点まで独逸では猶太人に指一本触れてはいない。猶太人に敵対する施策はただの一つも行われていなかった。猶太人による全てのヒステリックな反独逸活動は、単に「ナチス」がするかもしれない、と言う「予感」が前提だった。

1933年3月24日、ヒトラーが首相に就任して一日後、ロンドンの「デイリー・エキスプレス紙」は、ヘッドラインに「猶太が独逸に宣戦布告-世界中の猶太人が結束して行動-独逸製品の排斥-大規模デモ」と公表する見出しを出した。(下図を参照)記事は、独逸に対する計画的「聖戦」について記述し、更に全ての地域の猶太人に独逸製品の不買を請い、独逸の経済利益に反対する大規模デモへの参加を呼び掛けている。「デイリーエクスプレス」に依ると、「全世界のイスラエル全体(國際猶太)が結束して対独逸の経済及び金融戦争を宣言する。新しい独逸のシンボルとしての鍵十字の出現は、古い猶太の戦争のシンボルを新しく蘇らせた。一千四百万の世界に散らばった猶太人は、同胞信者の独逸人迫害者に宣戦布告するために、一人の人間の様に固く結ばれた。このヒトラーの人民に対する聖戦に参加するために、猶太人の卸商は、その店をやめ、銀行家はその株式をやめ、商人はその商売をやめ、乞食はその小屋をやめるだろう。」

 

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デイリーエクスプレスの記事


「デイリー・エクスプレス」は、独逸が「これからその貿易、金融、そして産業で、國際的な排斥運動に直面する。...そしてロンドン、ニューヨーク、パリ、ワルシャワで猶太人実業家は結束して経済十字軍を続けるだろう」と述べた。

この「デイリー・エクスプレス」の報告は、猶太人の指導者が、國際猶太金融の巨大な利害と組み合わせて、新しいヒトラー政権を打倒すために、既に先の読めない独逸経済を更に損傷する目的のために特にわざわざ独逸に対する排斥運動を始めたのであった。

「ロンドンのデイリー・ヘラルドは、著名な猶太人指導者に記者会見し、その指導者は、「指導者は躊躇った」が、猶太の人々は「指導者を強制した」と認めた。既に排斥運動は「数十万ポンドに上る独逸の貿易」に被害を与えた。」(エドウィン・ブラック、猶太人の記者。譲渡契約書・ページ34)

「ロンドンのホワイトチャペル地区では、殆ど全ての猶太人の店で独逸人販売員の拒否と反ナチ不買運動の看板を掲げていた。十代の若者が通りを警備巡回し、独逸製品の不買運動を呼び掛けるビラを手渡していた...」。」(エドウィン・ブラック、猶太人の記者。譲渡契約書・ページ46/47)

 

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ニューヨーク市の商店の反独逸不買運動の看板


猶太人の独逸排斥運動支持の大規模集会がポーランド全土で開催された。最大のワルシャワ猶太人商業機構は「独逸からの輸入品の不買運動により最も過激な手段を使う」という拘束性の決議を通した。

この人目を引き付ける宣戦布告の後、この様な挑発は何らかの反発を招くであろうことは、全ての猶太人、特に独逸國内の猶太人には明白であったはずである。この宣戦布告は、独逸の人々の猶太人への敵対心を強め、また、独逸の人々が猶太人を独逸の「内に巣食う敵」である、と観る原因を作った以外、独逸の猶太人に何(の利益)ももたらさなかった。

猶太人による排斥運動の直後の結果は、ニューヨークでの独逸の蒸気船会社への対抗、例えば荷積みをキャンセルされたことや乗客の乗船券の不買に至ったことに見られた。國際猶太組織網は、排斥運動がリトアニア、フランス、オランダ、英國、それにエジプトで急激に展開した時、その効果を実例を以って示した。猶太人が支配していた英米労働組合は、あらゆる場所で、「独逸製品不買」の看板を広めた。企業の中には独逸製品の注文のキャンセルを始めるところもあった。

 

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独逸で猶太人に反する行動がとられる以前、1933年に猶太人は独逸に宣戦布告した

 

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國家元帥 ヘルマン・ゲーリング

独逸は、事態を非常に懸念した。ヘルマン・ゲーリングは、独逸の主要な3つの猶太人組織の指導者を事務所に呼び出し、独逸に反する擾乱の全ての責任について彼らを非難した。彼は、「今すぐこれらの不當な非難を止めなければ、独逸における猶太人の安全を保障することは出来ない。」と彼らに伝えた。ゲーリングは、彼らにロンドンと米國に行って独逸の猶太人には何も起きていないと、猶太人の指導者を説得することを望んだ。実際、猶太人組織「中央協会(Central Verein)」の副代表エルンスト・ワラック(Ernst Wallach)は、既に米國入りして當にそうしており、また、全米猶太人会議に対して反独逸活動を思いとどまらせようとしていた。三人の独逸の猶太人組織の指導者は、全員ゲーリングの要請したことに同意した。

この会談の後、これら猶太人指導者は、その組織を動員して米英の公衆に独逸の猶太人に対する虐待のヒステリックな報告は事実ではない、と伝えた。三人の独逸の猶太人指導者は、ロンドンを訪れ、全米猶太人会議の代表、スティーヴン・ワイズに会って3月27日にマディソンスクエアガーデンで予定されているデモを中止する様に請い求めた。「中央協会」のエルンスト・ワラックもまた、スティーヴン・ワイズに要請し、もし中止が無理なら、少なくとも感情を抑える様にするべきだと言った。

猶太人メディア(新聞ラジオ)により吐き出された大げさな反「ナチ」宣伝工作の為にその勢いは余りにも大きく、ワイズには集会をキャンセルすることが出来なかった。1933年3月27日、計画されたマディソンスクエアガーデンでの抗議集会は予定通り開かれ、4万人(ほとんどが猶太人)が集まった。しかしワイズは、集会での融和的な演説を以って少しだけ抗議を和らげることが出来た。同様の集会と抗議の行進が他の都市でも猶太人の集団によって開かれた。

これらの猶太人指導者の反「ナチ」ヒステリー症状を収めようとする努力にも拘わらず、発表された独逸製品排斥運動は、その意図した効果を上げ始めた。排斥運動が発表された二日後、猶太人戦争退役軍人と呼ばれる組織は、二百万ドル(1933年當時の米ドル・現在価値で三千五百万ドル)の独逸への注文のキャンセルが表面化したという情報を流した。

ヒトラーはその前に國際猶太の独逸に対抗する活動が止まなければ独逸國内の猶太人の店を排斥すると脅していたが、それは止まなかった。そこで3月27日のマディソンスクエアガーデンの集会の次の日、ヒトラーは演説し、その中で、独逸國内で猶太人商店と猶太製品の一日不買を命令した。これは、勿論、独逸製品不買に対する直接の対抗措置であった。不買運動は結果的に効果なく終わった。何故なら、それは独逸國民に大部分無視されたからであった。

ヒトラーのこの猶太人商店と製品の一日不買運動は今日の歴史の本や當時の事を書いた記事では広く取り上げられているが、それを引き起こした猶太人による独逸製品の排斥運動には、全くと言っていいほど触れられない。ヒトラーの猶太人商店不買運動はたった一日であったが、猶太人による独逸製品排斥運動は、ずっと続き、後年更に酷くなった。

(次回はヒトラーの改革断行です)

 

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ドイツ悪玉論の神話037

第十一章 猶太人の「ナチス」独逸への宣戦布告

1933年1月のヒトラーの首相としての當選は、世界中の國際猶太に警鐘を鳴らした。何故なら、彼は独逸の問題に関して猶太の支配的影響を終わらせると脅したからだ。

今もそうではあるが、當時は猶太人の離散が世界で最も強力な貿易と政治ブロックを形作っていた。彼らは今もその當時も國際的なメディアを支配しており、従って世論を支配しており、また、銀行・金融を支配しており、従って、産業も支配していた。彼らは政治家が選挙に選ばれるための資金の殆どを提供しているし、政府も支配している。ヒトラーの當選(首相就任)は、國際猶太が支配している世界の商業と政治体制の中断と妨害を意味するのだった。ヒトラーと國家社会主義者が独逸の政権に就いたとき、猶太人はロシアを完全に支配していた。米英仏でも非常に強力であった。そして独逸の殆どあらゆる機関を支配下に置いていた。ヒトラーが計画した、独逸の商業・政治活動からの猶太人の排除は、猶太人が支配した世界体制の団結の破綻を意味したのだ。

 

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首相就任當時のアドルフ・ヒトラー


更に、ヒトラーはその猶太人に組織された共産主義に対する反抗の中で、欧州に吹き荒れる脅威であったボルシェヴィキの大波に対する盾の役割をした。ロシアの支配権力を掌握し、そこを基地とした猶太人共産主義者は、その西側、東欧も含めて英國、フランス、イタリア、スペイン内戦など、そして米國においてさえ、全ての内乱の背後にいた。(共産主義は、20世紀の変わり目に大挙して押し寄せた東欧の猶太人移民によって米國にもたらされた。)独逸だけが反発し、この政権転覆と暴動の津波を食い止めていたのだった。ヒトラーの當選は、國際猶太の力に喫緊の脅威を持ち出し、そして彼らは、急いで國家社会主義の國家を跪かせる意図を以って、独逸に対する経済戦争を組織した。

ヒトラーは政治の世界に入った當初から独逸における猶太人支配に対抗する政治を公言していた。そして、独逸の機関を猶太人の手から解放するという約束に大きく依存して選挙に勝った。彼は、自分がその立場になればすぐに独逸に於ける猶太人の力を制限すると明言してきた。猶太人は彼が猶太人の利害に反する行動を始めるのを待たなかった。國際猶太は、先制攻撃したのだ。

猶太人世界同盟(Jewish World League)の代表(President)、ベルナール・ルカッシュ(Bernard Lecache)は當時、次の様に宣言した。「独逸は我々の社会の敵No.1 だ。独逸に対して無慈悲な戦争を宣言することが我々の目的(大義)である。」

独逸の高名な著述家、ハンス・グリムは、独逸の提督の訪問でオーストラリアの有力な猶太人が言ったことを次の様に引用している。「提督閣下、貴方もお聞き及びでしょうが、ヒンデンブルク大統領はライヒの首相に、前の國会議員選挙を根拠に、國家社会主義党のヒトラーを指名したそうですね。提督閣下、私はここに約束します。後でよく考えてください。我々猶太人はどんなことをしてでも、この世界からこの出来事を消し去るでしょう。」

猶太人はこの成り上がり者ヒトラーを戦わずして許そうとはしなかった。そしてその戦いは、彼らには充分に用意できていたのだ。ペンは剣よりも強しと言われるけれども猶太人はペンの達人であり、書き物の達人であった。猶太人は武装した軍隊で戦争しない、いや少なくとも猶太人の武装軍隊を以って戦争しない。猶太人はニュース、娯楽と情報メディアを銀行や金融と同様に全欧州と米國で支配していた。そして彼らは、宣伝工作と資本の支配を以って戦う。彼らは、標的の國で排斥運動を組織して企業を破壊する。彼らは、標的の國の経済を 金融の操作と経済に不可欠な貸し付けの遮断によって弱体化し、また、彼らは、標的の國に完全に対抗するように世論を変えるため、捏造ニュースと宣伝工作によって國際世論を形作り炎上させる。政治家への支配(影響力)により、彼らは、國同士を互いに対抗させ、その後、他國の軍隊を以って、彼らの戦争をさせる。そして、彼らは、途方もない利益を戦争當事國両方から戦争利得者として刈り取るのだ。(これは、イスラエルとその米國第五列である猶太人ネオコン米國の軍事力を使ってイスラエルの戦争を中東で戦わせている様に今日でも起きていることだ。)

この時、既に猶太人は効果的な反「ナチ」、反ヒトラー宣伝工作を 1921年ヒトラーの25箇条演説以来、推進中であった。この宣伝戦は、1925年の「我が闘争」の発行で一層強まった。ヒトラーが首相に就任した時、攻撃はヒステリック状態にまでなった。

ヒトラーは特に、そして所謂「ナチス」指導者は総じて、即刻、容赦ない中傷攻撃の標的となった。「ナチス」は、猶太系新聞で、教養のない、下層階級で、粗野で、粗暴な振舞と洗練のセの字もない成り上がり者と特徴づけられた。どんな類(たぐい)の中傷も彼らを表現するには行き過ぎとされなかった。ヒトラーは、ただの壁紙貼りでしかない、と言われ、彼は叫んだり身振りしたりしているとき以外は、カーペットにしゃぶりつくか、月に向かって吠えるかして殆どの時間を費やしている、と言われた。ヒトラーには睾丸が一つしかなく、密かに性的に異常な思想を隠し持っていると報告された。ゲーリングは、快楽主義者的な薬物中毒者で、女性用の絹のパンツを履いている、と広められた。独逸の外務大臣、ヨアヒム・フォン・リッベントロップは、名前の「フォン」が示す貴族などとは全然違い、法螺吹きの気取り屋で、以前は安物ワインのセールスマンであった、と非難された。ヒムラーは、養鶏場の農夫だ。ヨーゼフ・ゲッベルス博士は、博士号をでっち上げた、と言われた。ナチの職員はいずれも同様に中傷攻撃された。

ヘルマン・ゲーリングは、現実には、裕福な貴族の家庭に生まれ、また、教養も高かった。彼の親類の中には、フォン・ツェッペリン伯爵、空気より軽い飛行船の製作者、やメルク製薬の家族、そしてゲルトルート・フォン・ル・フォート男爵夫人などがいる。彼は第一次大戦の飛行隊の名手で「ブルーマックス」勲章を授与され、最後はレッドバロン(マンフレート・フォン・リヒトホーフェン)の撃墜・死後、「レッドバロン」飛行中隊の司令官となった。彼はまた、美術の収集家でオペラの愛好家でもあった。ゲーリングは、猶太人の宣伝工作で特徴づけられたものとは逆に、知的で容姿が整った魅力的な男性であった。

リッベントロップは、独逸陸軍士官の息子で、やはり教養は高かった。独逸語、フランス語、英語を流暢に話し、第一次大戦で陸軍士官として鉄十字勲章を授与されている。大戦後、彼は裕福なシャンペン製造会社社長の娘と結婚し、後にはその会社の共同経営者となって富を得た。彼は、更に自分自身の「インペグローマ輸入会社」を創業し、更に裕福になった。誰から聞いても彼は、洗練された趣味と垢抜けした風の紳士であった。

ヨーゼフ・ゲッベルス博士は、ハイデルベルク大学で博士号を取得した。彼は、哲学、歴史、美術、文学を研究し、その卓越した頭脳で評判だった。彼は、政治にかかわる前はジャーナリストとして働いた。

ルドルフ・ヘスは、エジプトはアレクサンドリアの成功した独逸人実業家の家庭に生まれ、スイスのヌーシャテル大学でビジネスの教育を受けた。彼は、第一次大戦では空軍中尉でパイロットだった。大戦後、政治学、歴史、経済学、地政学ミュンヘン大学で学んだ。彼は、「我が闘争」の共著者である。

ハインリッヒ・ヒムラーは、農学の学位をミュンヘン大学で取得し、政治の世界に入る前は、養鶏場を経営していた。これは、ジミー・カーターがピーナッツ農場主だったことと同じことだ。

ラインハルト・ハイドリヒは、上流階級の家庭出身で、海軍兵学校で教育を受け、若い頃は海軍士官として従事した。彼は、才能あるヴァイオリニストで、フェンシングと水泳の選手であった。

ヒャルマル・シャハトは、経済学博士で、ヒトラーの政権下で独逸國立銀行の頭取だった。

アルベルト・シュペーアは、建築家で、裕福なブルジョア家庭出身だ。

ヒトラーの最も親しい親友は、ハーバード大学で教育を受けたエルンスト・ハンフシュテングルだった。(1937年米國に亡命)

バルドゥール・フォン・シーラッハは、著述家の貴族で、文芸雑誌の貢献者(投稿者)の常連だった。

ハンス・フランクは、弁護士で、政治家としての経歴は初期の独逸労働者党員として始めたが、ヒトラーの個人的弁護士となった。

ルフレート・ローゼンベルクは、エストニア生まれで、裕福なバルト独逸人商人の息子だった。ローゼンベルクは、リガ工科大学で建築を学び、モスクワの「高等技術学校」で工学を学び、1917年に博士号を取得した。1918年に独逸に移民した。彼もリッベントロップと同じく、数か國語に堪能だった。

國家社会主義政権が下層階級の、チンピラの様な無学の徒で構成されていた、というのは単に真実ではなかった。実際には、彼らの殆どが、教養もあり、文化的で高い能力があった。しかし、猶太人の誹謗の輩にとって彼らの業績・経歴など問題ではなかった。彼らはヒトラーと國家社会主義党の信用を落とすことに専心していた。そして彼らは、その常套手段通りに、即ち、虚偽と半分事実とその歪曲を以ってそれを行った。例えば、國家社会主義の指導者と比べるのなら、大学には全く行かず、政治の世界に入る前は男性用品の販売員として失敗していた、我が國のハリー・トルーマンを比べるとよい。個人的教養に於いて、トルーマンは國家社会主義者の殆どの人間、特に物腰が上品で複数言語が話せて、政治に入る前は裕福なシャンパン商人であったフォン・リッベントロップなどと比べて見劣りするだろう。猶太の新聞は、トルーマンの低俗な出身については全く問題にしなかった。

(次回はメディアによる誹謗中傷です)

 

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